デジカメわいわい村
とれとれ作品集 NO.124
2013年04月・前半

 
 

BEST

HN marimari MEGW TNK HN


SSS.THNMEGW森川m.mJIJITKSMOTNKmarimariMRT

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■SS

着信:2013.03.31
撮影場所:希望が丘文化公園

 

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■1.木の影
 3か月ぶりに行きましたら、コケ(地衣類というのだそうです)が前にもまして広がっていました。木が弱っているように見えました。影が血管のようにも見え、元気を取り戻してほしいと思いました。
◆さすが銘木、影になっても形が崩れない。なるほど血管。それに対して日向に見える生えかけの小さい草、これについてはSSさんはどう考えているのだろうか。
 なければないに越したことはないけれど、そこに生えているのだからどないしようもないというのか、それとも、それが生えていて面白いと積極的に写し込んだのか。ぼく個人としては、正直気になる。これがなかったらもっとすかっとしただろうと残念な気持ちが強い。こういうものに対する感覚は個人差があって、何ら気にならないという人もいるはずで、決めつけるわけには行かない。たとえば爬虫類が好きだという人もいるわけだから。とはいうもののそこにあったのだから、それを避けて通るわけには行かない。
 それはそうとこの場合、自分の影はどう処理したのか。

 

 

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■2.幹
 地衣類が木に寄生してその木を弱らせるのではなく、弱った木に着くのだそうです。
◆そうか、弱いところに食いついていくのか。生存競争は厳しい。こうなってくると風景というよりは、生物学の標本としての観点が強い。そういう意味ではもっと苔をアップした方が強い写真になっただろう。
 そのアップについて、望遠で狙うか、ワイドで狙うかということになるが、今の場合は木全体の姿もほしいから、やっぱりワイドだろう。木全体像を見据えながら、ここというところへワイドで肉迫。そういう意味で、この狙いはよかった。ただ、もう少し苔に近づいた方がよかっただろう。木の姿も大事だが、今の場合は苔がもっと大事だから。



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■S.T

着信:2013.03.31

 第32回MBSラジオウォークは過去30回は建国の日、昨年から春分の日の変わりました催しに参加しました。歴史歌碑の解説には猪熊京大、上野奈良大の教授 やすみりえ川柳作家、実況上田悦子アナ、ステージでは例年の浜村淳。おしゃべりやバンド演奏と元タイガースの今岡、亀山の野球教室やトークなどで賑いました。

 

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■1.三輪山と大鳥居:(御神体と幅約40m直径3mの鳥居)
 三輪明神大灯篭は信号柱と、これもお店とかぶりました。
◆鳥居が店と重なったのは分かるが、前半の「三輪明神大灯篭は信号柱と」?。信号柱はどこにあるのか。大灯篭というのは?。・・・
 それは別にしておいて、鳥居の左足と、妙な得体の知れない植え込みのようなものが重なったのが気になる。まさかこれが信号柱ではないだろうし。鳥居というのは、日本文化の象徴のような形だが、絵にするには何とも扱いにくい代物だ。出来れば部分的に取り入れる工夫をした方が成功する率が高い。


 

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■2.今何処:大神(オオミワ)神社 拝殿前
 お二人が現在地か次のポイントを検索中でしょう。
◆資料を見るお二人さん、これはOK。問題はバックの処理、左の女性の後にいる丸刈りの男性。これが重なったのが悔しい。次から次へと来るのだろうから、バックまで注意しておれないのが実情だろうけれど。
 それにしてもこの女性二人、何を見ているのか分からないが、メガネなしとは若いね。


 

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■3.さくら:恵比須神社
 鳥居横の枝垂れ桜と甍。
◆「甍」はどこにあるのだろう。バックの細い線は塀なのか屋根なのか。屋根とすれば檜皮葺の線か。でも甍は見えない。それはいいとして、・・・。
 主役の桜とぼけたバックの処理。すべてそつなく・・・というところだが、何故かそこで終わってしまっている。結局、中途半端ということかな。抽象化するならもっと思い切った手を打つべきだし、そうでないのなら、周囲の状況をもうちょっと加えた方が分かりやすいわけだし。



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■HN

着信::2013.03.31
場所:花緑公園

 小鳥撮りで知り合いとなった写真友達のホームページで、守山成人病センターの隣にある運動公園の寒桜にメジロが来ていることを知り早速行ってきました。綺麗に咲いている。丁度満開、桜の木が小さく背丈が低い。その上に交通の激しい通りに面して植えられていた。こんな処に小鳥が集まるのかしらと疑うほどでした。来たからには撮ってみたい。カメラの用意をして探して回る。なんと居るではないですか。ほとんどがヒヨドリ。メジロはさっと来て5分くらいでどこかに消える。また暫く待っていると5・6羽ぐらいでやって来ます。その間に連写500枚位撮ってきました。大分捨てるようなものが出来ていました。

 

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■1.寒桜に来たヒヨドリ
◆成人病センター前にあるテニスコート沿いの桜。私が知る限りでは、このあたりではいちばん早く咲く。確かに道路沿いなのにね。いつもクルマの中から見ているだけだけど。
 この鳥はいつも元気があって、勇ましい。
 手前に細い枝があって、ピントが難しいところなのに、うまく鳥に来た。目の光など見事。ぴしゃりと来ている。枝を握る足の爪なんかもしっかり見える。写真の力だ。バックが明るすぎて、鳥の暗色が若干しんどいが。

 

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■2.桜の蜜吸う鳥
◆1にくらべるとバックが花ではなくて、遠景の建物か何かになった。やや暗くなって鳥と同系統の色になった。画面としては落ち着くし、鳥が見やすくなった。露出も楽になって、鳥のトーンがうまく出た。
 首をひねって、上向いて、鳥も苦労だ。こうしてみるとヒヨドリのしっぽは結構長い。1で細い枝と並んで見える黒い線が何かと思っていたが、しっぽだったらしい。
 ピントが浅く、首とその周辺の花だけに来ている。胴とその手前の花はアウトフォーカス。ここまでの浅いピントを動く鳥に合わすのは難しいだろう。

 

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■3.桜にメジロ
◆メジロの頭、くちばし、目だけでぴしゃりと決めた。身体の下半分はうまい具合に前ボケがかかって、幻想的な雰囲気になった。手前に葉っぱの新芽があったのだろう。その黄色いぼけが鳥の色と同系統だったのがよかった。バックがもう少し暗かったらとは思うが、それは贅沢というもの。今のままでも、鳥自体は見事に生きている。右端の縦の枝をカットして、鳥自体を少し右へ寄せてもよかったか。トリミング見本



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■MEGW

着信:2013.03.31

 桜前線例年より早く開花が聞こえます。京都北野、岡崎へ桜見物に行ってまいりました。桜便り3点をお届けします。

 

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■1.爛漫
 平野神社の桜、ほぼ満開でちらつき始めたようです。枝をポイントにバックをぼかしてみました。
◆「枝をポイントにバックをぼかして・・・」ということだが、残念ながらバックに埋没した感じで、枝の桜が浮き上がってこなかった。バックのトーンが枝の桜と同じ明るさになったのがいちばんの原因か。バックが暗かったら、枝は生きたと思うが。それと絵としては、枝が、画面の対角線上を走ったのがつらかった。


 

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■2.満開の下で
 琵琶湖疏水記念館付近から、前景に桜を入れ、春の日差し柔らかく思う一枚です。
◆この場合は噴水がメインだろう。水面近くの低いアングルから狙った。これは正解。噴水の左上の大木、もう新芽が出かかっているのか。手前の桜と組み合わさって画面を埋めている。問題は噴水と重なった工事現場の囲い。こんな時期にもうちょっと何とかならんのかなー、工事も。色を抑えたシートをかけるとか。


 

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■3.競演
 哲学の道疎水から、満開の桜の下、川面にその影が静けさを演出しているようです。
◆見事な満開だ。疏水を主にして人を避けた。「競演」というのは、実体と影という意味だろうが、皮肉なことにそこのところが最大の問題点だった。この写真は、煎じ詰めていけば、実体の花か映った影か、というところに落ち着く。
 どうだろう、やっぱり二股かけてないか。どちらが桜の木がうまく写っているか。木の並びなど、水面に映ったか影の方が圧倒的にいい。にもかかわらず上半分の実体が捨てきれない。現場での決断の難しさというところだろう。
 かなり苦しいカメラポジションに立たされたらしく、右端の処理に苦労している。無理して右端の石垣を入れようとした。(逆に右外のものをカットしようとしたのかも知れないが)。確かに目的は達した。定規で測ったようにギリギリに。それをやるために思わずカメラが傾いた。ちょっとポジションが苦しかった。


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■森川邦昭

着信:2013.04.04
■撮影場所: 希望が丘文化公園周辺(野洲市)

■桜の季節です。桜は穏やかで気分的には一年のスタートのような雰囲気を作ってくれます。一方、写真作品制作では毎年悩む時期でもあります。今シーズンは今までやったことのない冒険をしてみました。他の色との組み合わせです。最近ナタネの花が入った作品を目にしましてそれがヒントになりました。

 

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■1.春の彩A
 朝日を受けて輝く桜を黒をバックに強調しました。  ◆桜の花がこれだけ赤くなるということは、かなり早朝ということだろうか。それともバックが暗いことへのカメラの反応だろうか。
 桜の花を暗いバックに置くと花が映える。一つの鉄則であることは間違いない。しかし、今の場合は画面が余りにも単純化されていて、「花が朝日に映えていました。オワリ」ということになる。黒がバックで単純化されたのだから、その分花で何かの表情を出したい。今の場合、花がドカーンとあるだけでそれが今ひとつ。花も無表情ということになる。たとえば右端の小さなブロック、ここだけをアップすると話が変わった(花自体の明暗の表情が見えるという意味において)のではないか。あくまでたとえばの話だけど。

 

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■2.春の彩B
 赤と桜のピンクの組み合わせで春の雰囲気を作りました。赤の部分をもう少し少なくしたかったのですが、これ以上後ろに下がることができない場所でした。
◆赤いツバキだろうか。この組み合わせは、余り見たことがない。挑戦という意味で、やってみるのも面白いかというところ。確かに森川さんがいうように、ツバキが大きすぎる。実際の木がツバキに対して桜が絶対的に大きい場合、バックすれば花は大きくなる。ところがこれ以上バックできなかったという。となればお手上げ、・・・だけれども。左右にずらすことも不可能だったかどうか。いずれにしてもこの2つの組み合わせは、このままでは完全にアウト。しかし、たとえばツバキを左へずらせば絵はかなり変わる。右端を切り出すだけでもこれぐらいにはなる。

 

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■3.春の彩C
 ナタネの黄との組み合わせです。
◆この組み合わせでの定番は、西の湖あたりの観光船が通る堤防。観光船の提灯の赤、ナノハナの黄色、そして桜と賑やかになる。結局は組み合わせの比率だと思う。もちろんメインが何で、サブが何でと、しっかり決めた上でのことになるが、今の場合、桜が主だとすれば、ナノハナはやっぱり多すぎただろう。それと絵としてはもう少し周辺の状況を見せた方が、ストーリーになりやすいだろう。これは1〜3を通して言えることだが。


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■m.m

着信:2013.04.07
撮影場所:柳が岬公園

 夜桜撮影の誘いを受けたので画像の勉強のため公園にでかけましたが、曇り空が続き、この日も 途中で雨が落ちてきました。で、曇り空を利用してハイキーに仕上げることに挑戦してみました。. 思わぬ収穫もあつたのですが・・・。
 再度撮り直しに。残念ながら晴天がつづき。自然は私に合わしてくれませんでした。後のまつりの繰り返しです。3枚とも雲をバツクに写しました。

 

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■1.曇り空に映えるA
 イメージが違うので、トーリミングしました。
 自己判断、いますこし絞りこんだほうがよかったのか課題です。F値11 露出250/1
◆曇り空をバックにハイキーに仕上げるイメージで挑戦した。漠然と撮るのではなくハイキーに仕上げようとの意志を持って撮る。いいことですねー。結果オーライでなく、やってみることは大事なことだ。
 で、問題のハイキーだけど、この場合幹や枝の黒いのは仕方がない。ハイキーといっても画面全体を白くすればいいというわけではなく、きっちり黒い部分も必要。それは今の場合でいえば幹や枝ということになる。残る花の部分の明るさということになるわけだが、ハイキーに仕上げるには若干暗かった(空の部分が白かった)。
 だから考え方は2つある。一番簡単なのは、空の部分がもう飛んでしまっているのだから、それには気兼ねをせずに、露出をかけ花の部分をもっと明るくする。次はちょっと面倒。空が暗くなるのを待つ。そして花と同じぐらいの明るさになったら・・・。実際には空が暗くなれば花も暗くなるから、そう簡単にはいかない。要するに空の明るさと花の明るさを出来るだけ近づけること。思った以上に面倒な話だろう。


 

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■2.曇り空に映えるB
◆2と3は、よく似た場所で、ほぼ同じ撮り方をしている。だから別々に考えても余り意味がないように見える。でも写真というのは不思議なもので、できあがった写真はずいぶん違う。何が違うかというと、花そのものとバックのぼけの明るさ。2のほうが暗い。バックの枝などをみると、同じものかとも思える。でも基本的な明るさが違う。2では何となくどんよりと暗いが、3は花びらが明るい。どちらも明るくハイキーに調整してみた。調整見本2


 

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■3.曇り空に映えるC
◆とりあえずこちらも調整見本3を挙げておく。ハイキーとしてどちらをとるか。3をもっと明るくしてということも考えられる。しかし、調整をするときに、せっかくオリジナルのいいところまで調整でつぶしてしまうのもどうかと逡巡する。やっぱり撮影者が、自分のイメージで調整するのがいちばんいいのだろう。いずれにしても、いわゆるハイキー作品は、オリジナルそのままというものはないはずで、紙焼きの時点での調整がすべてだと言える。


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■JIJITKS

着信:2013.04.08

■花盛り春の到来。今年も櫻花に背を向け、へそ曲がりをしてみました。

 

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■1.水温む
 レースに若者が集まりました。誰がトップか判りません。
◆サクラの旧漢字がいいですね。「にかいのおんながきにかかる」昔を思い出しました。小学生にこんな言葉で漢字を教えたのは・・・、まさか小学校の先生ではなかったとおもうが。いやいやJIJIさんは、こんなお年ではないはず。
 さて、それはそうとして、「誰がトップか判りません」、そこなんですよ、写真は。何でもって勝負を決めるのかも分からないが、JIJIさん自身この写真でトップを決めようなんてこれっぽっちもお思っていないはず。だとしたら、この状況を見る人にいかに伝えるか。ヨットはこんがらがって判定不能。これはヨットは添え物。むしろ白く波立つ湖面。そしてぐっと暗くなる奥の面。そこらを大きく捉えた方が強くなったのではないか。



 

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■2.ご接待
 花より団子の様を覗いてみました。
◆牢獄へ入れられたのかな。いたずらが過ぎて。それにしても不思議な風景やな、ネット裏でもないし。
 ところでこの写真、どこにポイントを置いたか。いうまでもなく和服で立ち振る舞う3人の女性。いたずらジジイ(おかしいな、JIJIと打ったはずだが)もまだ若い。この2人を牢獄の格子から見ている勘定。このとき女性の頭部が横の線でかくれたりしたらこれはアウト。しかし、今の場合はぴしゃりと決まった。が・・・、勝負はそう簡単ではない。問題はここから。中央の高い山のてっぺんが横棒でかくれた。対岸の水平線が同じように。微妙ですぞ、この横棒は。カメラと格子との距離を調節することで、この3つ(山のてっぺん、水平線、オバチャンの頭)が横棒と重ならないようにする。要するにカメラの前後移動で、格子の目の大きさを自分の都合のいいように変えるわけ。


 

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■3.春眠富士
 カメラが薄目を開けて、富士を仰ぎました。
◆おかしいな、どうしてこんな露出になったのか。というのはこれだけつぶれた部分(真っ黒で細部が見えなくなっている状態)がありながら明るい部分がネズミ色になっている。黒い部分がなければそれも仕方がないことだが、これだけ黒があるのだからもっと明るくなっていいはずだが。とにかくこれをこのままほって置いてはいかん。明るさを調整して、少なくとも富士山に命を与えなければ。ということで、明るさ調整


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■MO

着信:2013.04.08

 

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■1.古木と緑
 細い古木に、精一杯生きていますよとばかりに、緑の若芽がついている様子に感動して撮りました。
◆木の種類は分からないが(クスノキのようにも見えるが)、いずれにしれも落葉樹ではないのだろう。それに新芽がついていた、それを見て感動した。なるほど、ストーリーとしては分かるが、写真としては、その新芽がよく分からない。ゴメンネ、イチャモンをつけてるようで。
 左半分が余り意味がなさそうだから、右を中心にトリミングしてみた。ちょっとはMOさんのイメージに近づいたような・・・。




 

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■2.静かなたたずまい
 こんな静かな処で、一日ゆつくり過ごせたらいいなぁ・・・。池の向こう側の中ほどの緑の木が光ってしまいました。残念。
◆「こんな静かな処で・・・」、なるほど、カザルスの弾くバッハなんか聴きながらね。デモね、写真としてはちょっとごちゃごちゃしたね。「池の・・・」?。よく見ると池がある。カメラが低かったために、池が画面の下方わずかの面積しか占めていない。目立たない。同じように「一日ゆっくり・・」という建物も目立たない。「光っている」のは、下の小さな球状の部分らしいが、それは今の場合小さいことで、池に近づいて、カメラをある程度上げて、池を大きくまとめた方がよかったのではないか。

 

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■3.廃屋
 廃屋を覆うつる草に、思わず引いてしまいました。人が住まないということはこういうことかと・・・。全体にくすんで写ってしまったのはどうしてか? 右端の軽トラックも中途半端なのでトリミングも考えたのですが。
◆巨大なゴリラが大きい口を広げて・・・。何度もゴメンネ。バッハを聴いて心静か、決して機嫌が悪い訳じゃないんだけど・・。「思わず引いてしまいました」といいつつ、廃屋全体をドカーンと入れてしまったのが問題じゃないかな。とくにゴリラのお尻のところ、入口の左に見える扇形の壁、それが終わった辺りから左は不要だろう。その替わり、右を入れる。軽トラもしっかり入ってくるだろうし、生活の有無を対比させた方が面白かっただろう。



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■TNK

着信:2013.04.09
■どの作品もキラッとしませんが宜しくお願いします。。

 

写真拡大 ■1.花まっ盛り

 今を盛りと言わんばかりに咲き誇っていました。美しさに惹かれて撮ってみました。
◆桜の花を定石通り正直に。バックの処理も教科書通り。構図については、ポイントとなる真ん中の円いブロックが余りにも正直過ぎたか。正直すぎて、話がこれ以上進まないというところ。
 このときの状況ならもっと明るかったのじゃないか。明るさ調整見本

.
 

写真拡大 ■2.風に舞う

 風もあまり感じないのにガラスに写った枝垂れ桜、ゆらゆらと揺れて輪のように回っているように思い、目の錯覚を感じて撮ってみました。
◆これはどういうことかなー。TNKさんはときどきこういう不思議なことをする。ガラスに映ったというが、ガラスだけでどうしてこういうことになるのか。二重撮りかと思うとそうでもないような気もするし、窓枠もぶれているようないないような。二重ガラスではこういう現象が起こるが、そのときは片方が暗いはずだし。
 プロセスは分からないが、見た人が不思議がることは間違いない。そこに一つの意味はある。これももう少し明るくした方が、より錯覚の助けになるだろう。


 

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■3.ワイングラス
 春の陽気にうかれて一杯飲んでみたいなと思われる気分に!朝日を透かしてみました。
◆これはよくある構図で、チューリップの定番みたいなもの。見た人がが、あっという仕掛けを考えないと、「ああそう、チューリップね」で終わってしまう。



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■marimari

着信:2013.04.10
撮影場所:嵯峨野の広沢池畔「平安郷」で

 落ち着かない天候の日々、先日の春の嵐で近辺の桜は葉が目立つようになってきましたが、絶好のタイミングで直前の5日に雄琴デジカメクラブの撮影会があり、観桜や夕方よりのライトアップ撮影にトライしてきました。試作品一枚投稿に思案しましたが、今回は見送り他の三点をお願いいたします。。

 

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■1.清明
 春の柔らかい光の中に緑の草と桜のピンク色が清々しい美しさで、小さな流れの透明感や形状がアクセントを与えてくれた様に思います。撮影日・5日はぴったりの清明節でした。
◆知らなかったなー。広沢の池畔にこんなところあったかな。
 marimariさんの自己評価の通り、清楚な写真に仕上がった。あえて気になるところを挙げろといわれたら、右側の3本並んだ木のあたりが暗く重いこと。これはどうにもならないことで、いう方が無理だろう。今回の写真に関してはここで終わり。

----以下蛇足。
 しかし逃げ口はある。縦にトリミングする。やってみると今度は小川が幅を利かせてくる。川か桜かどっちやねん、ということになる。で、視点を変えて小川を主役にする。marimariさんは「小さな流れの透明感・・・」という。小川は光っているだけで、透明感は表現されていない(この写真の話ではない、小川を主役にした場合の話だから)。じゃ、どうしたら透明感がでるか。川(川でなくても琵琶湖でもいい)の岸辺に近づいて真下付近を見ると水面が見えず底が見える。遠くを見ると空の光を返して光っている。簡単にいうと遠くは光り、近くは光らない(水中が見える)。そういう近くの部分を画面に入れると透明感は表現できる。


 

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■2.春宵
 池の周囲の桜や家並みが夕暮れに溶け込みつつある時に、水面に映った夕陽のあいまいさがいかにも春の夕暮れという風情で惹かれました。周囲が暗すぎたのでシャドウ部分を少し明るくしています。
◆シャドウ部を明るくしたというがが、私の感じではまだ暗い。よほど注意してみなければ、細部は見えてこない。これは撮影者と第三者の立場の違い。撮影者は現場の状況が分かるから、暗い中にも家並みが見えてくる。第三者は何も分からないから、単なるシャドウだと見る。marimariさんのコメントを読む前に、明るさ調整のファイルを作っておいた。トーンカーブで明部はそのまま、暗部だけを上げた。それでも明部も影響を受ける。この場合は、水面・太陽の様子が多少損なわれても仕方がない。それよりもシャドウの細部を生かしたい。


 

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■3.春へのカーテン
 池、小さな桜や芽吹きの樹木が広がる春らしい風景が竹林の間から見え隠れしているのを印象強く撮りました。竹の緑が弱かったので少し調整しています。
◆人間の目は対象物を選別して見るから、池の向こうが見えたのだろう。これも撮影者と第三者との問題になるが、この写真に見る限り、竹の向こうは単なるバックでしかない。
 marimariさんのコメントは、今、この文章を打ち込みながら初めて読んだところだ。それまでの作業の間は写真だけを見ている。竹林の写真だとばかり思いこんでいた。対岸にこだわるなら、画面の左右どちらかに多くて数本まで。もっとも正直にそれをやると、今度は「月並み」だとの声が聞こえてくる。どないせいーチューネン。

---また蛇足。
 それともう一つの問題は、人間の目が2つあるということ。これが大きい。ものの裏まで見える。というと大げさすぎるが、両目で見るから、竹の向こうの風物が全部(ではないかも知れないがかなりの部分が)見えているように錯覚する。こういう場合、片目をつむって見ることをおすすめする。そうすると、「見えないものは見えない、竹薮は竹薮、竹の裏は見えない」という世界が見えてくる。
  (腕を伸ばして指を1本立てる。左右片目を交互に閉じると、指の後方はすべて見える。)

---蛇足の蛇足。
 むかし、満員の映画館、前の席へでかいやつが座った。頭や肩が邪魔になる。それでも映画は見えた。正確に言うと「見えた」のではなくて、「見えた気になっていた」はず。こちらが一生懸命体を動かしながら、見たい部分だけを見ていたわけで、決してスクリーンが全部見えていたわけではない。要するに自分が動くと障害物(映画館のジジイ、JIJIさんとは違いますぞ・今の場合は竹薮)の向こうが見える。竹林を見ながらmarimariさんは歩いていたはず。止まって片目で見てみる。これがカメラと友達になる一つの手。残念なカメラは片目なんです。蛇足なんかじゃないな、これが本論やった。


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■MRT

着信:2013.04.12

4月5日、桜見物の最後の良き日に京都の広沢池に行った時のです。

 

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■1.夜のはな
◆花の下の篝火。最近は篝火も偽物が多いが、これはホンマものらしい。多分目で見たら綺麗だったろう。
 人間の目は明暗差のあるものを見た場合、暗いところは実際より明るく感じていて、おそらく今のような場合も、花は火に照らされて明るく見えたはず。ところが実際の明るさは決して目で見るほどのものではない。仮に火以外にライトで照らされていたとしても。ということで、結局は火だけが明るく写ってしまった。せっかくの京都遠征だったのに残念。

 

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■2.春うららか
◆「対岸の火事」という言葉があるけれど、これは「対岸のサクラ」。要するに向こう岸で火事が起こっても、自分の方へは火は回ってこないという高みの見物。この写真も同じ。立派な花が咲いていて、船遊びの船がいく。おーやっとるねーと腕を組んで見ている感じ。風景が第三者的になりすぎた。手前に桜の枝を入れるなり、何らかの手を打って、絵につながりを持っていかないと、「サクラが咲いてきれいでした。船遊びをしている人も楽しそうでした」で終わってしまう。

 

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■3.春楽しむ
◆2に較べるとこれはちょっと違う。いわゆる密着取材というやつ。手前に枯れたアシが見えて、船自体も大きく見える。人の表情が分かるといいのだが、それは無理。花見の楽しさを身体で表現してくれる人がおればいいのだが。カメラを構えている人が見えるが、それ以外はおとなしい。浮世絵なんかだったら、船の縁から身体を乗り出しているオッサンなどがいて動きがある。今の場合は、皆さん上品にすましている。これが現代かな。
 まあ、そんなことでそれは仕方がない。最後に問題は2人の船頭さん。「船頭多くして船山へ登る」という言葉があるけれど、写真としては、船の動きが止まってしまうということかな。もちろん竿の向きが同じだから、どちらも左へ動かしていることは分かる。でも後の船頭さんは船を止めている、とボクは感じる。右をカットすると船はスムーズに動く。対岸のサクラの右端が切れるのが残念だけど。

 




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