HN・森川・m.m・S.T・SS・JIJITKS・まさーき・MO・marimari・MRT・ |
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■HN
着信:2012.12.01
撮影場所・・野洲市・兵主神社境内
昨日にわかにお天気が良くなってきたので近くの紅葉を撮って見たいと10時ごろから出かけてみました。紅葉を見るのは少し遅すぎるぐらいでした。でも 綺麗な紅葉の処も残って居ました。見学の人は2・3人ゆっくりと楽しむことは出来ましたが肝心の処がもう散っているのでいい紅葉だけを探して撮って来ました。この様な写真は苦手でうまく構図が作れません。それでも考えて撮って見ました。
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■1.兵主神社の紅葉A
庭園の一角に休憩所の様な建物があります。そこが今紅葉の見ごろでした。角度を変えて撮っては見ましたがこの写真を選びました。
◆なるほど紅葉は見ごろ。でもその前の電柱・・・ではないらしい。よく見ると木らしい。これが邪魔をした。それ以外にも、たとえば右手前の黒い石、左下の植え込み。それらが紅葉に対して邪魔をしている。もう少し前へ出て、少なくとも黒い石の向こう、白い木が入らない場所へ出て、そこで紅葉を狙えばよい。「この様な写真は苦手で・・・」ということだが、ちょっとしたコツをのみこめば大したことではない。最初は、とにかく邪魔物は画面へ入れない。とりあえずそれからスタート。
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■2.兵主神社の紅葉B
1の写真の紅葉の場所を離れた場所から撮って見ました。
◆これも結果としては、1と同じことがいえる。手前のボケは松らしい。主役は紅葉だから、この緑とは合わない。と同時に白い木は邪魔だった。人物を入れることは悪くないが、今の場合、紅葉の邪魔をしている。人物はもう少し小さくなってほしい。もっと思い切って前へ出て紅葉を狙ったら、ライトアップのような効果が出たように見えるが。
やってほしいことは前へ出ること。今の写真でいえば、こういう範囲を狙えばどうだろう。
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■3.兵主神社の紅葉C
帰りの楼門の処で太陽が光り、大きい紅葉の木の枝が美しかったです。今まで撮っていた人が帰ってゆきます。
◆右からの光、それに輝く紅葉。並んだ灯籠。役者は揃った。そこへ一人の女性が横からの光を受けて・・・、なんだけど、何ともまんの悪いところへ来たものだ。女性の頭と奥の拝殿の柱とが一直線に並んでしまった。これは参ったなー。いまの場合、カメラは左右どちらへでも動けそう。だけど、どちらへよっても、拝殿の柵の上の線と人物の首が重なる。首から上だけが柵の上へ出るという妙なことになりそう。難儀やネー、これは。
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■森川邦昭
着信:2012.12.03
撮影場所:希望が丘文化公園(野洲市側)
今回も希望が丘文化公園周辺の紅葉を追ってみました。 | |
■1.それぞれの紅葉A
撮影当日池に霧が出ていました。本来は紅葉を撮りに行ったのですが、さて提出となった時に悩みました。主役がどちらなのか分からなくなってしまいました。霧も朝日を受けて面白い影を作っていますし、バックの紅葉も霧の中で頑張ってくれています。しかしここは本来の目的を取って霧の中の紅葉としました。
◆この写真に関しては、「それぞれの紅葉」というタイトルは何なんだ。と思うけれど、森川さんも悩んだとすればそれはそれでまたよし。一つの挑戦ではある。問題は横一線の湯気。上が暗い分余計に目立つ。この湯気が実際にはどこまで続いているか分からないが、出来れば池の端を画面内に入れて、3分の2ぐらいのところで止めたら、落ち着いたのではないか。
上の暗い紅葉、イギリスの風景画で、こういうムードの絵があった。作者は忘れてしまったが。暗い中にびしっと決まる何かがあったら、面白い写真になっただろう。挑戦的ということでヨシとする。
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■2.それぞれの紅葉B
ふるさと館手前の紅葉した木が光を受けて綺麗でした。建物を2/3程度入れましたが屋根のテカリを抑えるためとその木の紅葉のコントラストを上げるためにアンダー気味で撮りました。
絵の上部は不要かと思案しましたが、こんな場所なんだとの意味で入れてみました。
◆屋根のくさび形の光がきいている。これはてかりではなしに、効果のあるハイライトといった方がいいだろう。そういう意味であと少し見せた方がよかったか。但し全部見せる必要はない。あと少しだけ見せる。たとえばLL・A4ぐらいに伸ばしたとき、ミリ単位の勝負になる。
「絵の上部は不要かと・・・」の「絵の上部」の意味が、池の上ということならば、この思案は正解。たしかに池の上の森の部分は重たい。これはカットするのではなく、カメラを下へ振った方がいいだろう。紅葉の木の下がギリギリで苦しいから。現場を知っているものにとって、意表をつく珍しいアングル。バックの池との組み合わせがきいた。いい写真だ。、
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■3.それぞれの紅葉C
定番の構図ですが朝の時間帯なので絵に明暗が強調できました。
◆「定番」というのは池に映る紅葉という意味だろうか。確かによくある風景である。光のシャープさに助けられた。しかし、やっぱり絵としては単純すぎたかな。「池に映る紅葉が綺麗でした」というところで終わってしまった。
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■m.m
着信:2012.12.03
■御浜御殿の紅葉。
所要で彦根え行き、お浜御殿が公開されてましたので紅葉見学。タクシーの運転手さんにお浜御殿まで・・・「ハア」、ああ井伊さんの居宅ですか、奥さんには、よく乗つてもらいました・・いつの話でしょう・・屋敷は廃屋でした。ともあれ美しかつたです。50%も伝えられないのが残念ですが送付いたします。
反省点:欲張らづに2か所ぐらいで,ISO、露出を変えながら同じ画を数枚写してくればよかつたと・・・。
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■1.陽に映えて
◆地面に散り敷いた落ち葉と、散る前の葉っぱとが、渾然一体となって池から霧が沸き立っているように見える。送られてきた原版が小さいので、トリミングは出来ないが、左と右・上をトリミングすれば、もっと効果が上がっただろう。その際目立ってくるのが、まん中手前にある小さな石。それと左の木と石灯籠の先端が重なってしまったことなど。霧に浮くような雰囲気がよかっただけに惜しかった。
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■2.宙返り
◆「宙返り」とは、左から右へ、くるっとしたに回って・・・ということだろうか。この題も撮影後苦労してつけたのだろう。ちょっと苦しかった。下の色が濃い部分は水が流れているのだろうか。一見した場合、分かりにくい部分である。
結局何かというと、撮るときに何を撮るかがはっきりしていないということ。今の場合だったら、上の紅葉か、下の水か(よく分からないが仮に水として)。もしこれが水ならば、そして水にポイントをということならば、第三者がそれを見てはっきり分かるように、水面に近づくか、近づけないならば、水面が光る角度を探すなりして、水だということをはっきりさせる。その上で紅葉と組み合わす。
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■3.長い枝
◆左から、上から、伸びてきているている枝のことらしい。確かにいわれるとおりだが、今の場面でいちばん目立つのが中央の太い木。隠そうとしたのか、見せようとしたのか分からないが、いずれにしてもこれが風景の奥行きを止めている。場所が場所だけにはずすわけには行かないし、さりとてどこへもっていけばいいのか。これは難儀だった。だいぶ考えたが、やっぱりはずす意外に手はないかな。左だけ、右だけ、それぞれで絵にはなりそうだ。でもスケールが小さくなってしまうかなー。
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■1.澄む:(桂浜)
桂浜下竜頭岬の竜王宮直下の浜辺。
◆砂浜に打ち上げる白い波がすべて。それに岩が絡んで絵を作った。透明な海の色、うっかりここに水着の人物がといいたくなるほど冬を感じさせない。水着が無理なら、冬を感じさす何かがと思うが、想像がつかない。南の海辺だからか。
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■2.橋桁:(大鳴門橋)
大鳴門橋を支えるボックス・ガーダー。
◆私は上しか通ったことがないが、この場所は結構有名なところらしい。何人かの人から見せてもらった。いま思うと、判を押したようにこの構図だった。自由に動けないとか、こう撮るしか方法はないのだろう。もし作品にするなら、奇抜な発想が必要だろう。
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■3.映る:(大鳴門橋)
アレッ・・大鳴門橋の映り込み。
◆どこかのガラスに橋が写っているところらしい。このままだと、「大きなガラスに大鳴門橋が映っていました」というだけで終わってしまう。それをカバーするのが窓枠であり、手前の木?ということになるのだろうが、それだけではねー、何も面白くない。手前に子供がいて指さしているところとか、映像と実体との組み合わせで、なにか演出がないと、やっぱりこれだけで終わってしまう。しかし、にわかにその演出が出来るはずがない。それが遠征写真の苦しさ。
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■SS
着信:2012.12.04
■撮影場所:大津市坂本日吉神社
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■1.晩秋の水景A
舞い落ちる落ち葉を入れて寒々とした晩秋の水景色を撮りました。
◆落ち葉、確かに飛んでるぞ。正直、もうちょっと大きいのがほしいところだが。流れ落ちる滝(といえるのかどうかは分からないが)が2本。2本同じ形で始末が悪かったが、片方を大きな石でカバーした。うまい手だ。その石も全部見せずに半分だけ見せた。正解。一応これでよし。
ということだが、これでべすとかというと、やっぱり気になる。2本の滝の間隔が。ボクとしてはどうしても落ちつかない、離れすぎて。現に離れてるんだから仕方ネエじゃネエか。そう、ここから見る限りはね。もしカメラが動けるものなら、右へ回る。2つの滝を斜めから見ることになり、間隔は縮まる。適当な間隔を選んで、奥の巨岩と水中の岩とで絵を組み立て直す。右へ行けるかどうかが問題だが。
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■2.晩秋の水景B
こちらはモミジの落ち葉と飛び散る飛沫で晩秋の感じを出そうと撮りました。
◆飛び散る飛沫。水の飛び出し口はどうなってるのか。放物線ではないほとんど鉛直に落ちている。それが何となくぎこちなく感じてしまう。それとも水の勢いが弱いのを遅いシャッターで流したのか。そこらのところが分からないが、何となくピントが怪しい。手前(左)の岩の大きく写る葉っぱを主役にして、その向こうへ落ちる水という絵のほうが、意図がはっきりしたか。このままだと右半分が手持ちぶさた。
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■3.紅(黄)葉
存在感のある石橋と組み合わせてみました。
◆ちょっと存在感がありすぎたか。それとせっかくの石橋なのに、下が全く見えないのも妙な感じだし、縦位置で左半分、それに下部をプラスするという絵はどうだろう。右の大きなもみじを切るに忍びないというのがあるかも知れないが、このままではやっぱり橋がどーんと重たすぎる。まあ皆さん苦労して切っているところは、どうにも無理なものがある。この場合も橋の下はとんでもないことになっているのかも知れないが。
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■JIJITKS
着信:2012.12.05
■紅葉3題。
去りゆく秋の風情を・・・と三点提出します。桜花も難しいが、紅葉も難しい。 | |
■1.初霜に寝惚け眼で街を見る:(大津)
冬至前の旭日が、春まで下降線を日翔させられる日々に抵抗するのか、日昇直後、厳しい日差し。
◆JIJIさんは俳句もやられるのですか。これは手強い。
この丸窓は何を意味するのかな。昔の絵はがきなどで、風景を楕円に切って周囲をぼかしてというのがあった。昭和30年代だったか、木下恵介が『野菊のごとき君なりき』という映画で、回想場面だけをこのような楕円ぼかしを使っていた。ということで、何か叙情的なものを表現したい時に使った手だが、果たして今の場合は。まあ、眠気まなこも一つの情緒ではあるけれど。丸窓をセンター合わせできっちり取り込んだ。JIJIさんとしては何か意図がありそうだが、それがもう一つよくは分からない。
何か意図はあるにしても、バックの風景を考えると、左上まで必要だったかと考える。背景は左上へ(山から琵琶湖へ)広がっている。そこを止めるのはいかがなものか。(ヤカマシイ昨今、いつのまにやら政治家口調に・・・)。ということでトリミング見本。これで目が覚めるだろうか。
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■2.秋日傘畳んで見返る夕日かな:(信州)
陽のある山道から日陰に入って、傘を畳み、振り返れば、楽しかった今日が愛おしいと、佇む少女を夢想する。路傍に散らした色葉に哀れをおぼえる。
◆難しい露出がうまくいった。前回だったか、marimariさんが、よく似た状況で苦労した。JIJIさんバージョンは(mariさんバージョンに較べて)暗部はより暗いが面積が小さかったのと、太陽が右へ隠れている。この2つの条件で飛んでしまうのを免れたらしい。”佇む少女を夢想”したいが、やっぱり、実物がほしいところ。カサを畳まない女性が、坂を上りきって今まさに右へ隠れようとするところ。カサの色は何色がいいのか。イヤイヤこれも夢想でした。
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■3.秋色を求めて人のおおきこと:(信州)
これだけ色があると、望遠より、近接で、親しみたくなるのだろうか。
◆いるいる、おっちゃんオバチャンが。林の中にもいるぞ。
雑誌の月例コンテストを見てもいわゆる大風景は少なく、アップものが多いようだ。カメラのせいじゃないかと私は考えている。フィルム時代、35mm、6×7判、4×5(インチ)判と、いろんなサイズを使ったが、大風景に対しては35mmは大型には勝てなかった。これもどちらかというと大風景の部類に入ると思う。フィルム時代よりカメラの性能が格段に飛躍した。しかし、やっぱり大風景に対しては弱いものがある。じゃ、デジタルでこういう風景を狙うには?・・・。やっぱり原点に立ち返ることかな。35mm版のころ、一眼レフになって、(いまとなれば尾てい骨みたいなものだけど)、広角が使えるようになった。今でこそ、みな慣れてしまって、当たり前のように使っているけれど、その広い写角が新鮮だった。目の前から遠景までの遠近感が使えるようになった。それがうれしかった。
今の場合、白樺林までの間がどんな状態か分からないが、そこのところを見せれば、遠近感が出て、風景が変わっただろう。 |
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■まさーき
着信:2012.12.10
■京都の真如堂です。入場無料なので、秋には毎年行きます。穴場的な場所ですが、南禅寺、永観堂並みに、紅葉は見事です。 | |
■1.茶店の紅葉
茶店の軒先につるされた提灯が、風情をかもし出してます。甘酒、ぜんざい、おそば、つい一服したくなります。真ん中の電柱が無ければ、と思いつつ。
◆まん中の電柱は「なければと思いつつ・・・」ではなしに「あってはならない」わけで、これを入れた時点で、勝負あった。「提灯の風情」を意識しているのだから、電柱から左は捨てて、茶店と紅葉だけで絵を作る。考え方は色々あろうと思うが、最も単純な発想は、縦位置にして右半分だけ。
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■2.しっとり紅色
赤でも、黄でもない、いい色の、もみじです。アクセントにお寺の屋根を覗かせてみました。
◆お寺の屋根はいいのだが、その右の緑の葉っぱがね・・・。要は孔から覗いているわけで、他に何もなければ仕方がないが、簡単にシャッターを切っている感じがする。
1も2も同じ条件らしいが、曇っていたのかな。光が乏しく画面に力がない。
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■3.大津港夕景
番外ですが、クリスマスも近いので、いかがでしょうか。イルミネーションが寂しくまたたいて、浜大津界隈は、いまひとつ活気がありません。
◆昔のように夜景を写すのが難しかった時代ではない。いまはカメラが勝手に写す。この種のイルミネーションの類は、対象物から出る光を写すわけで、一言でいえば誰が撮っても同じように写る。それを自分の作品にするには、何かしっかりした演出が必要。たとえば遊覧船をバックに流すとか。いまの場合、あえていえばバックの薄暮の空ということになるが、これだけでは単調すぎた。
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■MO
着信:2012.12.11
■12月2日に、美山方面にブラリと出かけました。花背峠あたりから積雪が15cm程度見られ、ノーマルタイヤでドキドキしながら走りました。今年初めての雪景色にはとても感動でしたが、佐々里峠を越えてから美山に入ってホッとしました。 | |
■1.峠の朝
晴れ間が見られた日だったので、峠から見下ろすと湯気が立ち込めていました。ただただ、珍しく撮った一枚です。
◆雪の日に、こんなところへ・・・。たかが写真のことで、ことが起こってしまったらどうにもならない。
「峠から見下ろすと」という言葉に、すべてが隠れている。峠というのは”見下ろす”、”見返す(振り返る)”場所だと思う。見返す場合は若干ニュアンスが変わるが、見下ろして感じることは谷の深さのはず。
谷の深さを感じさすには、上の空の部分は出来るだけ少なく、場合によっては完全にカットしてしまってもいいかも知れない。ギリギリ詰めたトリミング見本。
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■2.晩秋の一本木立
紅葉は、殆んどすぎていましたが、一本だけ綺麗な姿を見せてくれていました。サルがいたのでシャッターを・・・。でも、逃げられてしまったようで写っていませんでした^_^;
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◆左の端の木などが右へ向かって曲がり、何となく魚眼レンズでとったような雰囲気がある。と注意してみると右奥の杉の木にもその傾向(左へ傾く)があるようにも感じられる。かなり短いレンズを使ったのだろうか。要するに木一本をどーんとど真ん中に置いた。1本だけ残っていたとかで、組み合わせも何も考えることはなかったのだろう。そうか、サルに逃げられたか。そいつがいたら、話も出来たのだが。
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■3.里の初雪
白い世界は、♪雪の降るまちを・・・ ♪母さんは夜なべをして・・・なんて懐かしくあったかい気持ちになりました。アダモの♪雪は降るあなたはこない・・・。これは、センチすぎるので、心に包んで・・・。
◆アダモとなると、この年寄りには手に負えないが、やっぱり”夜なべ”の世界だろう。とおもいながら画面を見ると、これはどうしたのだろう。まん中奥の立派な茅葺き屋根の辺りだけが、何となく薄赤く、明るい。その辺りだけ夕日でも当たっていたのか、それともそこだけ杉の木立が切れて赤土なのか、大きな裸の木なのか、ちょっと雰囲気が違う。その光が何となく郷愁を誘う。それをもっと強調できたら面白かった。
さらに欲をいえば、とっぷりと暮れて、全体が青みがかって、民家に灯火でも見えたら、さらに情緒が出ただろう。でもそんなコトしたら、帰りが心配。無理しないように。
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■marimari
着信:2012.12.14
■11月終わり近く長年の念願だった美山芦生原生林を訪ねる機会を得ました。写真撮影には晴れよりも小雨程度ならラッキーと言われましたが、降っていた時の写真はボツばかりでした。 | |
■1.秋往く道
雨の後バスへと向かう山道のしっとりした晩秋の雰囲気に浸りながら歩いていて、前方を行く高齢の同行者の後ろ姿がしっくり感じて入れて撮りましたが、コートが赤だったらなと?。
◆晩秋の山道。説明されると分かるのだが、最初写真を見たときには、この人どこへ行くのだろうかと思った。山中を車で走っていて、ときどき一人で歩いている人に出くわすことがある。登山者ではない、普通の生活者という感じ。回りを見ても人が生活しているような場所ではない。そういう戸惑い。確かに、コートの色が赤だったらその受け取る感覚が変わっていたかも知れない。まあこれは個人の感覚的なものだけど。
一つ写真として考えておきたいこと。左の木の根っこ?かな。大木が倒れたものかと思うが、よくは分からない。ものは分からないが、この異物が何とも邪魔。あと数m前へ出て、この異物の横に立てば、画面には入ってこない。そのとき、道の手前のカーブも同時に画面はずれる。道が直線になる分、絵が単調になる。その移動で人物の状態が変わるというほどのことではない。
さあ、どちらをとるか。結果的にmarimariさんはカーブを選んだわけ。それが偶然なのか、意図的なのか。もしここで、道の右端へ移動すれば、この根っこははずせたかどうか。
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■2.柔らかな秋色
?@の山道の先にあったメタセコイヤの林、その柔らかなオレンジ色の空間のファンタスティックな雰囲気を撮りきれなかったのが残念ですが。
◆美山にも落葉松があるのかと思ったら、メタセコイヤだったのか。メタセコイヤの大木は太くなるが、これは細いままだ。何か処理がなされているのだろうか。
この場合のポイントはチーフがどの木かということと、手前の道の量。目で見たときに、どれか1本に狙いをつけていると思うが、それが第三者(写真を見る人)に伝わるかどうか。この場合だったら、まん中ちょっと左にある2本重なっているところ。それが目立つ。左の斜めは当然目立つが、これは遊び。
それと道の量。「量」という言葉が分かりにくいかも知れないが、「画面に占める道の面積」の方が分かりやすいか。たとえば琵琶湖などの対岸風景を撮る。そのときは当然水平線が入ってくる。その水平線下の面積と考えてもらってもいい。もっとも水平線の場合は画面の下からの「高さ」でもいいわけだが、いまは曲線だから、高さは成り立たない。ようはメタセコイヤと道との面積の比。いまの場合、道がちょっと多すぎたか。道の曲線の左端を、いまのように右端で終わらすか、下端で終わらすか。いくつかのケースを考えて、トリミングしながら練習すればいいのだが、いまの場合、トリミングによって道の面積は変えられても、上の林が変わらないから具合が悪い。やっぱり撮る時の狙いが大事だということになる。
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■3.時雨のおくりもの
時雨の後わずかの空の明るさに滴が葉を落とした枝に煌めいて、残り紅葉との共演の情景です。 少し調整しましたがピントが甘かったです。
◆これも最終的には、どの枝がメインかということになる。いまの場合だと、当然中央少し左の細い枝ということになるのだろう。真ん中辺の散り残った葉っぱもいい雰囲気だ。が、左の大小3本がちょっとごちゃごちゃしたか。あとは光、どこかにキラリと光るものがあるといい。確かにピントが若干怪しかった。
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■1.晩秋A:(瓦屋寺)
紅葉も終わりを告げている時で、落ち葉がさりげなくつぶやいていました。
◆1と3とが「晩秋」というファイル名で送られて来た。ボクのコンピュータに移そうとしたら、「同名のファイル」があります。何でやね、こんな手品みたいななことが出来るのか。どうやら別々のホルダにあったヤツに同じ名前をつけたらしい。それを一つの封筒(メール)に入れたときにエラーを出さなイカンのに・・・、メールのシステムもズボラやね。
ということで、それを納めるのに、2,3回開いて内容を確かめた。石段が見えたのが3回目だった。それまでは地面の光った部分とそれに落ちた紅葉の写真だと思っていた。何でこの石段が目に入らなかったか。光った部分が強いのが一つの理由だが、石段が画面上で水平(画面の下端の線と平行)にとらえたれていること。これが斜めだったら、いっぺんに気がついたはず。現場では気がつかないことだっただろう。
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■2.去りゆく秋:(日吉神社)
日吉神社で雨が止んだり降ったりしていたのですが、雨に濡れた紅葉も・・・と思い足を運んだ時のです。
◆結果的に次の3も同じことが言えるが、行灯とテーブル(床几かな?)の取り扱いに苦労している感じ。たとえばいまの場合、左の岩に当たる光の具合、それに出来た影などなかなか味がある。のに、手前の大津絵の行灯が邪魔をした。直方体が3面見えるのは仕方がないが、同じ絵が2枚も並ぶとちょっとね。さらにその上で誰かがモミジの葉っぱでトランプ遊びをした。トランプ遊びはエエとして、行灯の下半分は捨てて、絵を作り直す。また来年やな。
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■3.晩秋B:(坂本)
見事な落ち葉の紅葉が私の指を押させました。
◆落ち葉はいいけど、このテーブル(床几?、ベンチ?)のやり場が問題。何かないと格好が付かんということで持ってきたのだろうけれど、ここへどーんと置く必要はなかっただろう。それと奥に見える雪オトコの下半身。これ何やろね。ちょっとわからん絵になった。やっぱり床几は見せるとしても半分ぐらいだろう。
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