デジカメわいわい村
とれとれ作品集 NO.115
2012年11月・後半

 

JIJITKS館長S.THN森川marimariMRTMO

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■JIJITKS

着信:2012.11.15

■毎々、お悩みを呈して恐縮です。
 水と絡らませたややこしい絵を並べます。寒気到来で、心が縮み、やや暗い写真を選んでしまったようです。

 

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■1.池の中の孔雀
 乗鞍高原の一ノ瀬園地の小池に孔雀がいました。    
◆田代池かと思ったら乗鞍高原だという。JIJIさんの八艘飛び。そこへクジャクが飛んで出た。
 暗い森をバックに明るい光、手法は田代池と同じ。これはこれでOK。クジャクに対する対岸(奥)の黄葉(白樺の小さい木かな)の位置がこれでよかったかなとの思いはあるが、それもよしとしよう。しかし、それの影まで入れたのはちょっとやりすぎた感あり。カメラを少し上へ振って、下に写った白樺の影はカット。その分左上、2本の白樺をもっと上まで見せて副主題にする。この2本、すーっと上まで見せたら、生きますぞ。



 

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■2.金色の水面
 善五郎滝の上の黄色の葉が水面に映り、砂金があるような・・・欲ボケ。  
◆ほんまや、砂金に見える。もうちょっとこっちまであったら手が届くのに。この砂金は手を伸ばそうと前へ出れば向こうへ逃げていく。案外昔話なんてのは、こんなところから出来たのかも知れない。
 左に大きな石が2つある。水面の石の右に暗い部分があって、正体が分からない。送られてきた生のデータを拡大してみると、どうやら池の底が見えているらしい(左右の奥も同じ)。・・・確たることはいえないが、多分そうじゃないかと思う・・・。仮にそうだとしたら、水面に対するカメラの位置で、もっと砂金が増えたのではないかと考えられる。カメラを下げて、思い切って全面砂金にするのも一つの手だった。・・・JIJIさん以上の「欲ボケ」。


 

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■3.焼岳明暗
 大正池の畔、太陽いっぱいの焼岳を暗い湖面が受け止めた。
◆初めてならともかく、上高地に慣れてくると、焼岳を真正面から撮るのは何となく気恥ずかしく、あれやこれやと手を使うようになる。ましてや田代池で霜の傑作をしとめたあとだ。
 ということで、今度はハリネズミを呼び込んだ。これが実体だけなら辛抱も出来ようが、影が下に回って増殖、画面いっぱいの大暴れになった。今回のは確かにややこしかったが、これがいちばんしんどかった。


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■館 長

着信:2012.11.15

 

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■1.まだ、指の方が好き
 11月11日 奈良東大寺です。大仏殿前で「奈良県南部豪雨災害奉納阿波踊り」が開催されていました。参加者中、最年少の女の子が疲れて抱っこされた瞬間です。  
◆昔ありましたな。「あなたがかんだ、小指がいたい・・・」。だけれども、この画面で真っ先に目にはいるのがお父さんの笑顔。女の子の指に目が行くにはだいぶ時間がかかる。もっと漠然とした題、たとえば「祭りの日」ぐらいで、お父さんの笑顔でOKということにすれば別だけど。



 

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■2.大仏様・・・
 大仏殿に入ると挙式を終えたばかりの夫婦が大仏さんにお参りをしているところでした。
◆花嫁衣装だということは分かる。だから、館長さんのコメントにあることは、この画面からほぼ100%読みとれる。普通ならそれで成功なんだが、今の場合、そうはいかないところが写真の難しいところ。花嫁衣装が飛んでしまって、写真をぶちこわしてしまった。入口の光が強かったのだろう。
 これはどうしようもない。事後の調整も無理だし・・・。こういうとっさの場合、どう撮ればいいのだろう。最低、とばさないためにマイナス補正か。暗いところは事後の調整で復活するとして。


 

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■3.荘厳への入り口
 11月12日永源寺です。天気、紅葉の条件は最高でした。 
◆天気も紅葉も最高だったという。その条件で額縁構図にして、肝心の紅葉を小さくした意味は何だったのか。「永源寺」の文字が必要だったのか。意図が分かりにくい。ここへ人影でも入れると額縁のイメージが払拭できるかも知れないが、これまた人払いしたように無人(遠くに1人、見えはするが効果はうすい)。どうしても門をというのなら、門全体を見せて絵を作った方が効果が上がっただろう。


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■S.T

着信:2012.11.16

 

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■1.讃岐富士:(瀬戸大橋 与島SA)
 瀬戸大橋の与島SAから見た山、以前なら気なしでしたでしょうが形状から〇〇富士?かと 富士サミットと大分見慣れた三上山のお蔭です。
◆なるほど、三上山そっくり。もっとも四国の人は三上山がわしとこに似とるんじゃ、というところだろうが。結局こういう写真は橋と山の大きさのバランス。山の手間に続く高架橋がなかったら、山がもっと下まで見てということだろうが、これはいっても仕方ないこと。現段階での一つのバランスだろう。

 

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■2.場違いの(お遍路さん):(牧野植物園)
 植物園内には各植物ゾーンに分かれており野草まで名称札に流石中一の生物の時間に牧野富太郎博士を教わり10人程のグループに一個の割り当てのドウラン・・?を持ち野草採取を思い出しました。
◆凄いな、教育は。何10年前を思い出さすのだから。牧野富太郎が河内の出身だったとは、今のいままで知らなかった。勉強不足でお恥ずかしい。
 さてこの石畳、お遍路さんが場違いなのか、石畳が場違いなのか。植物園の主旨からして、全体のイメージも大切にしているであろうに、このけばけばしい緑色は何を意味するのだろう。画面を拡大すると、芝生が敷いてあるようにも見える。S.Tさんとしては場違いさを協調したかったのかも知れないが、写真としては手前が強すぎて降参というところ。


 

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■3.原種 シクラメン:(牧野植物園)
 市場にこれから多く出回るシクラメンは改良され花大きく色華やかです
◆結局S.Tさんとしては、3枚とも旅の思い出ということだろうが、当欄としては写真として解釈しなければならないわけで。せっかくの火山岩に新種のシクラメン。活け花風にということで、そまでは絵になっているが、まん中ににょきっとお立てた白い棒。撮影者の責任ではなく、管理者の感覚の問題。「牧野」の名を冠した植物園ですら・・・嗚呼。


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■HN

着信:2012.11.16

 

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■1.煙に霞む気球
 裏の畑・ナスの木やそこに敷いていた藁類を畑のあいた所で燃やしていると、どこで揚げているのか気球がひとつ上がって来たので撮って見ました。      ◆畑仕事にカメラ持参。いついかなる場合にもという臨戦態勢。見習わなければなりませんな。
 いまの場合、オッチャンが知らん顔をしているのが・・・。せっかくのチャンスだから、見上げるとか指さすとか、何か芸をしてくれたらよかったのに。
 こういう上空にある物体は、一見主役になりそうだが、そうは簡単にはいかない。大きくアップしようとしてレンズを伸ばすと、物体は大きくなるが地上との関係がなくなり、空に浮かぶだけとなる。地上との関係を重視すると今の場合のように物体が小さくなる。それを生かすためには、地上から何かつなぐものが必要になる。子供を連れたお母さんが、子供に教えている仕草などがあれば最高だが。


 

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■2.朝の高架橋
 上屋の農道から、朝の散歩で今年開通した鉄道の高架橋を通勤の自動車が通っている。光が差して絵になるように思えたので撮って見ました。
◆これは面白い。タブーを組み合わせて絵にした。(マイナス)×(マイナス)で(プラス)になるような話である。
 光を受けた白いビニールハウス。それを真横から捉えて、下半分にどーんと置いた。これがタブーの第1。要するに画面の下半分をビニールハウスでという意表をついた構図。右端が少しだけ切れて助かった。手前にくさや竹をおいたことがアクセントとなった。
 2番目のタブーは、その上に高架橋。これを真正面から捉えた。これも普通は斜めから捉える。これが意表をついて面白い。
 こうしていわば大きな「L字」の構図を作ったわけだが、ビニールハウスの上に高架橋が見えるというと思っても見ない組み合わせ。現代社会を見る面白さにも通じる。下の方で左へ逃げていくのが分かるが、その部分を見せなかったら、ハウスにぶつかりはせんのかと心配になる。こちらへ向かって来る車が、ライトをつけてくるともっと面白くなる。
 最後に付け加えるならば、ビニールハウスが小さく、高架橋が大きくなると絵のバランスがよくなる。そのためにはカメラがバック(後退)してレンズを伸ばせばいいのだが、そういう場所があるかどうか。

 

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■3.釣りする人
 希望ヶ丘に面する第一ダム、点検のためか毎年ダムの堰が挙げられてダムを空にしています。10月4日ごろまだ水がほとんどなくて魚が多く見えていました。その時あちらでもこちらでも魚を釣ったりタマで掬ったりしていました。
◆親子ではなさそう。兄弟かな。静かな池で魚釣り。絵としてはカメラをもう少し下げると山の影が下がる。そこに投げた浮きの波で輪ができる。そのタイミングを狙いたかった。波の輪は空の灰色の部分よりは山の影の方がくっきり写ると思う。チャンスがあればテストしてみてほしい。
 


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■森川邦昭

着信:2012.11.16
撮影場所:希望が丘文化公園(野洲市側)

 希望が丘文化公園周辺はこの2,3日の寒さで一気紅葉しました。一枚は前回の南京はぜ並木での作品の撮り直しです。あと二枚は、春に桜を撮った池周辺での作品です。

 

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■1.紅葉三様A
 11月前半に提出の作品でご指導いただいた課題に挑戦 しました。今回はカメラの位置を前回よりも低く、並木通りの真ん中ではなくて右に寄って前方にある紅葉した葉っぱを主役にしました。この日の朝は過日よりもいい陽光が当たっていました。
◆これはビックリした。とくに左の赤い葉っぱ。宙に浮いているように見える。手前2枚が突出してあとの葉っぱがカゲがうすい。このままではいかにも置いたように見えるから(置いてはいないかも知れないが)、このさい葉っぱを集めてきて上から撒いたらどうだろう。シャッタースピードを変えて。誰か助手がいるけれど。

 

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■2.紅葉三様B
 実はこれは急遽撮影意図を変更した作品です。紅葉とその紅葉が池に映えた絵を撮ろうと池に近づいたら池の淵にいた水鳥が一斉に大急ぎで遠くへ逃げ出しました。そこでとっさに池に写った紅葉の中を行く水鳥と波形で絵を作りました。
◆足音で鳥が逃げる。湖岸ではよく見る風景。鳥との距離、鳥が作る波、水面の状態(対岸が遠い琵琶湖などでは結局空だけが映ることになる)。今の場合は、波が賑やかすぎて、手前の方でぎらぎら光ったのがしんどかった。きれいに線だけが残ることがあるのだが。

 

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■3.紅葉三様C
 山の紅葉を撮ると、斜めの朝日を受けて多少の明暗はあるとしてもどうしてもベターとした平面になってしまいます。そこで池のうんと左にまわり遠近の出る角度から撮りました。
◆これは明暗の比。それがくっきりと出るといい写真になる。今の場合は、森川さんの狙いに対して、山が近かったようだ。そのため斜めの線が波打って泡立っているように見える。もっと離れて、明るい部分を少なくすると、そのハイライトが際だつ。今の場合奥の面も明るく、結果的に普通の露出になった。奥の面が陰だと相対的に明るい面は輝くことになる。但し調子に乗りすぎるとハイライトをとばしてしまうから要注意。


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■SS

着信:2012.11.18
■撮影場所: 希望ヶ丘

 

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■1.紅葉始まる
 11月前半の写真の時、手前の草の部分が多いので横幅の3分の2くらいにした方がいいとアドバイスを頂いたので撮り直しに行きました。草の切れる所は右側にありましたが、木の形が変わるのとバックに林が入ってきて上手くいきません。
 苦肉の策として、草の面積を少なくして芝生を入れ、空を広くしてみました。
◆11月前半の遅い紅葉A遅い紅葉B、どんなだったかなと見直した。確かに下の草の部分が分厚くて重たい感じ。草が切れるところまで行くと木の形が変わり、バックが変わる。なるほどね、近いところにあるから、ちょっとの動きで形が変わるわけだ。遠くにある山なんかは、自分がちょっとぐらい動いても形が変わることなどないんだけど。色々苦労のあとがあって、絵のバランスは今回の方がいい。
 この絵は一つの手品だ。左の稜線上にちょっとだけ草を見せた。これによって木から右の草には目が行かなくなる。わたし自身右側の草には今の今まで気がつかなかった。うまい手だ。天気は前回の方がよかった。皮肉なもんだ。SSさんの責任ではないけれど。

 

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■2.葉
 なんという木の葉かわかりませんが、葉脈が日の光に浮き出て綺麗だったので切り取って写しました。
◆目にしたとたんでかい葉っぱが「モンクあるか!」。はっきりしていていいね。画面全体が、同じ系統の色でまとめられたのがよかった。と、よく見ると右端に青い葉っぱがちょろっと。これも最初はでかい葉っぱに圧倒されて目に入らない。落ち着いてみると気になるという嫌なヤツだ。で、気になり出すとそこにばかり目が行く。何となくバックのほころびを緑の葉っぱで隠しているようにも見える。まさか撮るときにそんな細かいことは不可能だから、ほんの偶然だとは思うが。

 

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■3.晩秋
 散歩する人を入れて晩秋の景色を撮りました。
◆一目見たとき、何となく落ちつかない感じを受けた。一つには人物のスカイブルーかな。目立つ色で、一目にそこへ目が行く。そこまではいいのだが、周囲とうまくマッチしてるかというと疑問符が出る。それと緑の植え込み。そして右端の裸になった木。その分、周辺が明るくなって木の色が露出オーバーになった。結局場所が悪かったということか。


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■marimari

着信:2012.11.26

■11月18日まだ少し早いかと思いながら比叡山麓近い山中にある安楽律院(廃寺跡)、飯室不動を訪ねた折、時雨模様の中で思いがけず美しい紅葉に出会う事が出来ました。

 

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■1.山寺
 お堂の柱の影の部分が大き過ぎるかもしれませんが、紅葉を取り入れる割合を考えるとこの位置しかなくて、右部分に大小の空間があるので重さは軽減されたかと思うのですが。
◆だいぶあれこれ迷っての結果らしい。僕の今までの経験では、迷い出すとうまくいったためしがない。この右端のお堂のように、どこまで入れようかとこだわり出すと、自分の意識を開放できなくなる。こだわりだしたなと思ったら、いったん別の題材に切り替えた方がいい。
 今の場合も、いっそうのことお堂はない方がいい。左下の屋根と紅葉とで十分に絵になりそう。そうしたくてもその場所がなかったのかも知れないが。左へ出られなかったら、前へ出てお堂の屋根の下からでも無理だったのかなー。

 

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■2.廃寺の彩り
 今は守る僧侶もない廃寺にも鮮やかな紅葉の季節が訪れる佇まいに、天台宗の学問所であったらしい往時をふと偲ぶ一瞬でした。
◆コメントを読むと、廃寺への思いも分かるが、その思いが結果的に写真を妙なものにしてしまったようだ。一言でいえば、お堂へのウエートが大きすぎる。この場合はやはり紅葉が主だろうから、お堂は屋根の一部ぐらいでいいのではないか。トリミング見本
 今回の3点、共通した印象は”ひねくり回したなー”ということ。見事な紅葉を前にして、あれもこれもと意気込んだあとが見えけられる。ファインダーを覗きながらあれこれ考える。大事なことなんだが、ここで肩に力が入る。カメラをやり出したころ、何も考えずに撮った写真と、今、無意識で撮った写真とは違うはず。そこの呼吸なんだが。


 

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■3.往く秋
 不動堂の裏の落ち葉の山道を上からは上手く撮れず、下りかけて振り返った雰囲気がとてもいい雰囲気で撮りましたが、明暗差で道の先がかなり白とび状態となりましたので思い切ってトリミングしてみたものです。
◆投稿はあくまでこのトリミング版。それ以外に参考のためにとオリジナル版が添えられていた。marimariさんの意図は分かる。しかしこのトリミングは無理だった。白飛びがあったからそれを全部隠した。残ったのは暗い部分だけ。これはやっぱりしんどい。トリミングするとすればこの程度か。作品の意図からして上の白飛びは仕方がないこと。あと暗い部分を多少明るくすることも考えられるが、これは作者の感性の問題。ボクの趣味からすれば、暗いままで、木段のハイライトを生かした方を好むが。


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■MRT

着信:2012.11.29

 11月15日、14日の夜から雨が降り、朝になってもまだ雨が止まずに降ったり止んだりしていました、そんな中、有名な足立美術館に行った時のです。

 

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■1.清の香り:(足立美術館)
◆この題はどういう意味だろう。ちょっと分かりにくいが、まあとにかく足立美術館の庭園の一部だろう。曇り空らしくて、光が乏しいのがつらい。しかし、それはどうしようもないこと。
 あとはその中で何をポイントにするか。今の場合、いちばん目立つのが大きな石だが、それをポイントにしたのではなさそう。そこのところが苦しいところ。モミジ、門、しっかりしたものはなくて、何となく組み合わせた感じ。もう少しバックして、カーブしてくる道をポイントにする手がなかったか。

 

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■2.いやしの庭:(足立美術館)
◆こういうできあがった庭園は、どこを切り取っても何となく絵になる。そういうものだけど100%というわけにはいかない。今の場合は、左上のアーチ型の橋と右下の水平な石橋。
 左上のアーチ橋はカットできる。トリミング見本。しかしそれをやるとその分だけ他が大きくなって、右下の石橋も当然目立ってくる。矛盾やね。でも、アーチよりもこちらの方が被害が少ないから、アーチはカットが正解だろう。


 

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■3.誘われし紅葉:(希望が丘)
◆まん中の木がポイントで、左の黒い木が前景というところだろう。いろいろ気を遣ったあとが見えるが、結果としてはまとまりきらなかった。
 左の木をメインにしたほうが絵になりやすかったようにも思うが、今の場合はまん中の木にこだわった。上の白抜けも入れたのか入ったのか。下には生け垣があるらしい。それを入れると絵が変わる。ギリギリのところで止めた。
 いろいろひねくり回してる内に前の木が入って来た。2本の木の組み合わせ、これをあれこれやっている内に右側がお留守になった。これは最初から、左を主役にしたらものになったのではないか。右は力不足だった。


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■MO

着信:2012.11.30

 

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■1.やさしいまなざし:(守山市内)
 公園をブラブラしていた時に見つけたホッとな場面に思わずシャッターを。子どもがお母さんの方を向いている写真もありましたが、お母さんの顔が髪で隠れていたので、こちらの写真にしました。
◆「ホットな」ではなくて「ホッとな」というところがポイントらしい。MOさんと2人との関係が分からないが、やっぱり距離感かな。もう少し近づけたら、かなり感じが変わっただろう。じゃ、周囲をトリミングしたらということになるが、これはトリミングでは無理だろう。近づいてバックとの関係を整理してということになるのかな。
 これをトリミングするということは、今の場所でレンズを伸ばすのと同じ意味である。近づいて、どちらの立場で撮るかを決めるのとは意味が異なる。

 

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■2.しなやかに:(日吉大社)
 構図的には、右上から左下に引いた対角線を分かれ目にして考えました。細い枝だったので、しなやかというより、か細い感じもして少し可哀そうな気もしましたが、見事な紅葉を見せてくれている姿を留めました。
◆なるほど、MOさんがいう対角線も考えられるし、タテ半分にして、左右の対照(対象ではない)も考えられる。さあ、問題はそこのところ。要するに左側がどれだけの意味があるかということ。今の場合は右側だけで十分だろう。ということでトリミングり見本
 デジタルになってトリミングが楽になった。フィルム時代には、「半分に切る」なんてことは考えられなかった。粒子は荒れるし、ピントは甘くなるし。デジタルでも解像度不足で怪しくはなるが、この”わいわい”の画面ぐらいだと半分に切るなんてことはへっちゃら。トリミングして、サイズを合わせて「シャープ」をかけたら知らん顔している。
 しかし、これはパソコンの画面上での話。実際に紙に伸ばすとなるとやっぱり無理は無理。あとで切ればよいということばかりをやっていると、肝心の作品を作るときに痛い目にあう。ここでのトリミングは、あくまで現場で撮るときに、このようにとっておいてほしいという意味。

 

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■3.紅葉の舞い:(日吉大社)
 見上げてみれば・・・。黄葉もまた見ごたえがあり幻想的でした。
◆コメントを読まずにこの写真を見たときの戸惑い感。問題は画面上での枝の向き、これが何とも中途半端で落ちつかない。
 われわれは下向きの重力の中で生活している。左右は相対的だが上下は絶対である。右折禁止の場合、左へ、左へ、左へと曲がれ右へ行ける。しかし、上へ、上へとは曲がれない。「上へ曲がる」という言葉すらない。上下左右とひっくるめていうが、上下と左右は別物である。
 普通の写真では画面の上から下への向きを重力の向きと受け取る。撮る方も見る方も当然の了解事項である。さてこの写真、その了解事項の上で見ると、何とも落ちつかない。コメントによれば、「見上げてみれば・・・」だという。なるほど、この画面の不安定さは、見上げたときのものか。いわれて見れば分かる。しかし、事情が分からない第三者が見た場合、その「見上げて」感が読みとれるかどうか。そこのところが難しいところである。そういう意味で、「見上げてみれば」を題として表へ出すか、この不安定さ感がわからんのは、見る方の感覚不足だと開き直るかどちらかだろう。




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