館長・HN・MEGW・森川・m.m・SS・JIJITKS・S.T・MRT・MO・marimari・布施・ |
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■館 長
着信:2012.09.30
偶然ですが、今回は3点とも暗い写真になってしまいました。 | |
■1.里の夜明け:(近江富士団地前堤防上)
日の出前の5時頃です。山すその集落内に点在する灯り、立ち込める煙、赤みを帯びてきた空がいずれものどかな雰囲気を感じます。
◆確かに3枚とも暗い。これなどは他に較べて
多少雰囲気は出てはいるが、これでもまだ暗い。そうかといって、露出をかけて明るく撮れば、この雰囲気は消えてしまうだろうし。
刻々と状況が変化していく中で、目で見た感じとカメラが見る感じとの差だろう。人間の目は実にうまくできていて、明るいところも暗いところも無難に見分けることが出来る。ところがカメラは明暗差に対してそこまで強くない。明るいところは飛んでしまうし、暗いところはつぶれてしまう。明部(空)と鞍部(地上)のコントラストを読みとる訓練だろうか。
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■2.黎明の流れ:(近江富士団地前堤防上)
日の出直前の薄暗い中で流れる水路を、朝焼けの反射で際だたせたいと意図したものですが、撮影時間が少し早くて明るさが不足気味になりました。
◆黎明の水路。撮りたくなる気持ちは分かる。しかし意図が逆だった。「水路を際だたせたい」とのことだが、水路はほっといても際だつ。問題は黒くつぶれている部分をいかにそこそこの明るさに持っていくかということ。この場合、肉眼で見たら左右のいろいろなものが見えたはず。ところがカメラの画面では黒くつぶれてしまう。それをどうして肉眼に近づけるか。そこのところが難しい。
これだというタイミングはなかなか難しい。結局できた写真を調整するしか仕方がない。調整見本。しかし、これでは多分満足できないだろう。う少し明るくなるのを待つしか手はないか。
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■3.光明へ:(桜生・日吉神社前)
朝7:00過ぎ、日吉神社前の暗い森の中から、坂の上に差し込む朝陽を撮影したものです。差し込む光の位置と通行人を何処に置くかで迷いました。
◆このままでは下半分のつぶれた部分がつらい。手前は階段になっているのだろうか。何となくそんな影が見える。しかしほとんどつぶれていて、このままではではしんどい。撮影時に奥の日向の明るさと、手前の陰の部分との明暗差を読みとって、つぶれると判断したらそれを捨てる。いまの場合だったら、手前は捨てて横位置に。トリミング見本。
それぞれの現場に立って、この明るさだったら飛ぶか飛ばないか。これならつぶれるかつぶれないか、要するにカメラの目になって現場を見極める。何回も繰り返しているうちに何となく分かってくるものだけど。
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■HN
着信:2012.10.02
9月25日に久しぶり湖岸の景色を見に行きました。お天気は良好。風が強く吹いていたので岩に砕ける波でも撮ってみたいと出かけたのですが、波は思ったより大きくはなかったので、波のほうはあきらめ、10人位で風を受けて走るボートのようなものが難しそうでしたが綺麗に見えたのでこれを撮って見ました。
その後能登川の水車公園で少しばかり撮影しました遊んでいる人は少なかった。
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■1.強風の琵琶湖:(牧の浜あたり)
◆たしかウインドサーフィンというのかな。お互い私たちには縁のないものだけど。HNさんがいうように風はきつそうなのに、白波が立っていない。やはり秋口を冬との違いだろうか。手前の大きな2つの波に白波がたっていたら、うんと迫力が出ただろうに。
私はこういった類の写真を撮ったことがないのでよく分からないが、やっぱりどれか一つにポイントを絞って絵を作ることになるのだろう。この場合だと左から2番目の大きいのがそれに当たるのだろうが、ちょっと迫力不足かな。レンズが伸びるのかどうかも分からないが、出来ることならもう少しアップしてもよかったか。
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■2.風に向かって進む:(牧の浜あたり)
◆これは2と違って、3艘で1セット。多分それが等間隔に並んで芸をするところが狙いだったらしい。しかし現実には右端がちょっとずれた。たとえば花がさいているような場合は等間隔よりは1つがちょっとずれた方が絵としては変化があっていいのだが、このようなリズムの場合はどうだろう。このような状態のままでいいような気もするし、しっかり等間隔に並ぶときのを見たいような気もする。
それともう一つ、陸地の切れ間に入ったまん中の帆。完全な中心でも困るし、そうかといっていまのように陸地にくっつきすぎてもまた具合が悪い。そんなこと言い出したら、「どこで止めたらエエねん」ということになりそうだが、いまの場合はちょっと陸地に近かったか。
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■3.家族のひと時:(能登川の水車公園)
◆「家族のひと時」というが、お父ちゃんやお母ちゃんは何かの陰に入ってほとんど姿が見えない。子供だけが日向を勝手に歩いている。これがポイントになるところだが、写真としてはそれが小さい。1と同じ状態かな。他人の家族の場合、それに近づいてということはなかなか勇気がいる。実際にはよほどのことがない限り不可能だろう。題材として取り上げること自体難しいことだった。
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■MEGW
着信:2012.10.02
今回はお彼岸・彼岸花を題材に3景をおくります。現地の彼岸花、今年の開花は遅れているようです。 | |
■1.お彼岸の頃
彼岸花、いつもは上、斜め横から見ていますがよく晴れた朝、少し下からのぞくとこんな景色が楽しめます。
◆さあ、難しい写真が出てきた。挑戦的ということで前向きに捉えるか、やけっぱちということで後ろ向きに捉えるか。まさか後者だとは思わないが。でも前者だとしても、「そうですな、面白い見え方がするものですな」で終わってしまいそうな。超ワイドで下から上に伸びるところを、カメラを上向きにして捉え、その端に遠くに民家が見えるぐらいだと面白いのだが。いずれにしてもこのままでは当たり前すぎる。
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■2.お彼岸・シルエット
一塊の彼岸花、朝日に向かって、シルエットを演出してみました。
◆朝日が射す現場に立てば、やってみようと思わす条件かも知れないが、これも結果として、その気持ちは分かるけどで終わってしまいそう。
露出をややオーバー目にして、完全なシルエットにせず色を残すなど、細かいところに気を遣っていることは分かるが、トータルとしてはこれも当たり前すぎた。1輪半か、2輪をアップして、この手法を狙った方が力強くなったのではないか。
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■3.お彼岸・花一輪
彼岸花一輪を田畑の稲切株をバックにしました。
◆これはバックの色が致命傷だった。ひょっとして同系統との意識があったのかも知れないが、結果的にさえない組み合わせになった。花の色は変えられないのだから、バックの色を選んで解決しなければならないわけだが、いちばん身近にあるのが、刈り取ったばかりの田圃。となれば仕方がないか。でもこれはいただけない。構図も花1輪をどーんとまん中に持ってきて単調。
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■森川邦昭
着信:2012.10.03
■今月もいつも通う三上山への道中での撮影です。朝の光を受けてノウゼンカズラが猛暑の夏から秋への清々しさを味あわせてくれます。 | |
■1.秋の訪れA
先の作品で問題点のご指導をいただき撮り直してきました。塀に掛かった影の角度から朝の時間帯を表現し合わせて道路に軽トラを添えましたがその位置が構図上中央にある事により作品に
閉塞感を作りました。 軽トラの位置を道路の先遠くに持 ってきました。
◆森川さんは三上で軽トラを自由に走らせることができるのかな。前回の写真に対して、「もう少し先で、もしかしてどちらかへ曲がってくれたら、その曲がりかけ。とにかく露地はある程度まで奥行きを見せたい」と書いたのに対する回答がこれ。マイッタ。
まさか森川さんが撮り直しに行くとは思わなかったし、行ったときにまたまんよく軽トラが現れるとも思わなかった。山勘で「どちらかへ曲がるときなど」と口から出任せを書いたが、ホンマにそんな状況が起こるとは思っても見なかった。いや、ホンマ参った。近くだからこそ出来ること。遠征写真では絶対に無理な話。
ということで、私も口から出任せの責任を取らなければならない。正直のところ、軽トラ全体が陰に隠れてしまうとは夢にも思わなかった。そういえば前回の写真も軽トラ自体は影だった。さーてね。
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■2.秋の訪れB
早朝で塀の瓦が鈍く光っていました。その落ち着いた雰囲気の黒い瓦に朱色のノウゼンカズラが似合いました。この作品は瓦を長く取りました。
◆上の写真とほぼ同じ場所から、レンズを伸ばして花を撮った。塀の瓦の連続が圧縮されて見える。その瓦の列が上の木の影で、陰影が微妙に変化するのがポイント。それはいいのだけれど、花が画面のほぼまん中にぽつんと1つぶら下がっているのが芸がなかった。
たとえばの話だけど、上の花群と塀の突き当たりの光(三角形の)を計算に入れて、こんな絵でどうだろう。と考えてみたが、いずれにしてもこの写真(秋の訪れB)の1つだけ離れた花の取り扱いは一筋縄ではいかない。トリミング版でも妙にまん中へ出しゃばってくる。
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■3.秋の訪れC
02と同じ意図で撮りましたがこれはむしろ瓦に優しく当たる光を意識してノウゼンカズラは花は大きいですがどちらかと云うと準主役扱いにしました。
◆なるほど何となく分かる。けれども、花に後ろ髪を引かれながら、瓦に首班指名をしている。これはもめますよ。瓦に対して「お前が主役」というのなら、もいう少し左を入れて、花を右へ。瓦を3つ入れればこれは間違いないが、それをやるかやらないか。やれば話は簡単だが、2つのままで、お前が主役をはっきり表現できた方が絵としては味があるだろう。
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■m.m
着信:2012.10.03
大津での催し(灯かりコラボ)雨の中出かけました。雨にぬれた石畳とロウーソク灯りを連想しながら。三脚を忘れました。
大津の商店街催しの日、午後7時、人の姿がありません。大津祭りの囃子の音色とカエルサンの店内は振る舞い酒で賑やかでしたが、お寺では私だけでしたので住職夫人の話拝聴で写す時間が足りませんでした。
台風襲来の前日です。 | |
■1.まねく灯り
◆「雨に濡れた石畳」、m.mさんにとってはイメージ通りというところか。一応の目的は達した。しかしこうして見てみると気になる点がないでもない。
気になる点、その1。画面の下半分。石畳の面が変化して、光具合がその奥に対して変化した。全面同じ明るさより、変化することは悪くはないが、手前が暗くなったのかつらかった。これはカメラの上げ下げで、光具合が変わる。カメラを上下させながら、手前の面がいちばん光る高さを探したかった。その結果奥がどう変化するか、それが次の条件となるが。
気になる点、その2。画面上端のお月さんのようなライト。こいつが邪魔だった。といって完全にはずしてしまうと、また芸がなくなる。ライトを画面ギリギリに置いて、上からゴーストを入れる。どこにライトを置いたときのゴーストがはいるか。その場で確認できるから有り難いぞデジカメは。
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■2.灯りの情景
◆そうか、ここで住職夫人につかまったか。これだけしつらえをしたのだから、誰かに来てほしいわね、坊守さんも。
縁側に屏風ふうの衝立をバックにお月見のしつらえらえだろうか。階段の照明はそれへの導きだろう。m.mさんはこれらのしつらえと提灯を一緒にと考えた。当然な考えだが、その結果手前の暗い階段が広くなった。もうちょっと右へ回れなかったかな。
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■3.よつぱらい
◆これが振る舞い酒で賑やかだったカエルさんの店か。これは風船だろうか。足や手の部分を見ると立体感はない。風船だったら立体感が出るところだが、内部からの照明で立体感がなくなった。とボクには見えるのだが、だとすると手の込んだ風船だ。
いずれにしても、このように内部から照明されている立体物を立体として撮るにはどのような手法が考えられるのか。難しいな。ちょっと思いつかない。
出入りする人影でもバックに見えるといいのにね。
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■SS
着信:2012.10.04
■ツルリンドウです。Aは花を真上から、Bは花の形がわかるように横から写しました。 | |
■1.ツルリンドウA
◆初めから申し訳ないが、全く知らない花で、大きさも、生育環境も分からない。とんちんかんなことを書くかも知れないが悪しからず。
と書いて、それではあんまり無責任だと思って、インターネットで調べてみた。細かいことを私が書いても仕方がないが、とにかく花が結構長いらしい。で、SSさんはAは上からと注釈をつけたのだろう。
なるほどこれは上から見たところ。花の色は薄紫からほとんど白までであるという。これはそのほとんど白の部らしい。飛ぶ瞬前、かろうじて持ちこたえた様子は、露出は完全だったということ。
生えていた現場の状況が分からないが、何となく日陰っぽいところらしい。その状況がこのギリギリの露出に適していたのかも知れない。光が強いと、いくら露出を調節しても飛ぶことが多いから。
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■2.ツルリンドウB
◆横から版。このように特徴のある花は、それを見る人に正しく見てもらうために、その特徴を表現しやすい方向から何種類か撮っておくことはいいことだ。写真というのは、自分の心覚えということもあるが、ほとんどの場合誰かに見てもらって初めて意味が出てくる。上から版と横から版とをセットでという手法はよかった。
これはどうやらわずかに色づいているらしい。その微妙な色合いを感じさせる露出は成功だった。ツルリンドウを正しく紹介する写真としては十分意味のある写真だった。他サイトの写真と較べても遜色のないいい写真だ。
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■JIJITKS
着信:2012.10.06
■日の出の打出浜で、シルエット・竿物語。 | |
■1.一番漁
林立する竿の一つが大きくしなって、釣れた!。
◆うーん、なるほど、しなってる。このしなりを読まなければならないのだろうが、私には3本のうちの1本としか読めなかった。ここで釣れた!というのは、手前の網の半分ぐらいのヤツがはねてるのを想像するが。そんな神様みたいなヤツはそうざらはおらんのか。何せ、私自身は小学生のころ、近くの川でジャコを2.3匹釣った経験しかないもので。
釣り談義はともかくとして、写真としては右下の黒ベタの面積がちょっと大きすぎた。カメラを下げたら(ファインダーの中心を対岸の水平線にあわしたまま・・・前後の水平を保ったまま・・・カメラを下げると水平線が下がる。右端のホテルが傾くこともない)、黒ベタは小さく(当然湖面も小さくなる。要するにホテルを傾けずに水平線を下げるということだけど)、手前の網は空中へ出る。この処理で面白い絵になったのじゃないかな。
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■2.徒労
水草・・・・。
◆これはなんとも。まさに徒労。面白いネー、題は「徒労」だけれども、この写真ははっきりしている。とにかく一目で分かる。身につまされる。右の竿はカットして右半分縦位置でもよかったか。
以下ボヤキ…・・撮ろう談義。「徒労談義」と打ったはずだが。
イヤー、人生なんてものはすべて徒労みたいなものでして。だいたい写真なんてもの自体、これまた徒労中の徒労。1本なんぼのフィルムの徒労の山。
高いパソコン使ってることを忘れて、デジタルはフィルム代がかからんからと、これまた徒労の大量生産。せめてもの救いはデータとやらに、体積も、質量もないこと。なんぼ撮ってもカサも目方も増えません。考えてみなはれ、これ全部サービス版に焼いてたら、大変なことでっせ。嘘か本当か知らんが、きょうびの写真は1と0とで出来とるのだとか。1と0でどないして写真ができまんねん。
かわいそうなのはカメラ。いわれるままに10分の1や、1000分の1やと、シャッターの開け閉め。まともなものは100枚に1枚。いや、1000枚に1枚。これを徒労といわずして・・・。いやホンマの話。しかし、その徒労の中の1枚が宝になるのです。
ちょっと欄が空いたもので日頃のボヤキが出ただけでして、決してJIJIさんのことをいっているわけではありません。ハイ。
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■3.釣竿群生
静かな刻が続く。因みに、鯉釣りの仕掛けだそうな。
◆これ、もうちょっと左へ寄れなかったかなー。左へ寄ると、図の右のように湖岸線を狭い範囲で見通せることになり、レンズを長くすることが出来る(カメラ位置を後退しなければならないが)。それによって何本かの竿が狭い画面に入ってくる。竿は林立することになり、ちょっと目新しい絵になる。いまなら、太陽をバックに置くことも出来そう。
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■S.T
着信:2012.10.06
撮影場所:賤ヶ岳
■賤ヶ岳に登りました。アサハカでリフト頂上駅即展望台と思いきや歩きが有りました。
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■1.奥琵琶湖 (竹生島)
◆賤ヶ岳山頂からの琵琶湖大景観。山、海、湖等の大景観(カメラでいえば、距離無限大の風景)は、早い話が誰が撮っても同じに写る。だから作品としての意味は、大景観をバックにして、前景をどのように組み合わすだけになる。バックは色、明るさ、写る範囲等が多少変わるだけで、スクリーンに映った風景と考えればいい。写るものは誰が撮っても大同小異。
だからこの場合でいうと、バックのスクリーンの上に手前の3本の木をどう並べるかというだけ。と、考えると中央にでかい杉の木がどーんとあるのはちょっとしんどかった。右の木ぐらいの木が右下に見えているだけでよかったか。
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■2.西方の山々と飯浦港
◆入江のふちにチラッと見えるのが飯浦港ということだろう。その上の岬の先端がちょん切れたのは、もったいなかった。これはやっぱり先端まで見えた方がよかっただろう。
こういうように前景ナシで撮ってしまうと、ますます誰が撮っても同じになる。5mや10m場所が違っても写る風景は同じ。前景として組み合わすもので、個性が出てくるわけ。
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■3.語り部と余呉湖
山頂の小屋に二人の語り部が待機し信長の後継を巡って勝家軍と秀吉軍のお話に聞き入る。
◆語り部の話を聞く立場から撮っているわけで、語り部は全体の人物の中で、ただ独り顔を見せる人物ということになる。聞く人から見ると、いちばん遠くにいるわけで、いちばん小さく見える。その人物が影になった。これはつらい。
この風景はその人物を中心として成り立っている。それをいかに見せるか。話をしている間、語り部は必ず動く。顔に太陽が当たった瞬間を狙う。そういう状況のとき、顔が飛ぶ場合があるから要注意。でも仮に飛んでしまったとしても、影の中でどこにいるのか分からないよりは、そちらの方(飛んでしまったとしても、光が当たって存在感がある方)がよい。
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■1.秋の淡路:(花さじき)
小雨の中、雨も気にならず牛達がのんびりと食を楽しんでいました。
◆ポイントは手前のコスモスと遠景の放牧牛で、題名の「淡路」は余り意味がなさそう。写真を見る立場からすれば、地名より写真の内容を題にしてもらう方が有り難い。
観光牧場かとも思うが、コスモスがちらほらと本当の自然に咲いたように見えるのがいい。これ見よがしにびっしり花で埋め尽くされるとカンニンしてくれといいたくなる。ひょっとしてそのびっしりのちょっと離れたところを狙ったのかも知れないが、もしそれだとしたら、うまく切り取った。牛の後の森、その奥の山影、落ち着いた写真になった。
全体の絵としては、モウちょっと牛が大きいほうがいいだろう。バックする。花は小さくなる。その分レンズを伸ばして花を元の大きさに戻す。伸ばした分だけ牛は大きくなる。
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■2.秋の声:(花緑公園)
里の家に足を運んだ人たちにそっと、秋の気配を告げるススキに目が止まりました。
◆里の家、観光用民家だけど、板の間を通して見通せる中庭。そこのススキが狙い。言ってみればいちばん奥にあるものをポイントにしたわけ。
いちばん手前に障子。板の間があって中庭へ導かれるが、庭の下半分の明るいところへ目が行って、ススキはその次になる。そこのところがしんどいところ。問題は下半分の明るいところ。これがなかったら楽だったのだが、実際にそうなっているのだから、これは押さえられない。もうちょっと上を入れてススキをまん中(上下のまん中。いまはどちらかというと上にある。)へ持ってくることだろう。
しかし、そんな面倒なことをいわなければいい写真だ。
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■3.ファッションショー:(希望が丘)
衣替えの季節、紅葉達の一足早い冬の衣をまとい新しいファッションショーを見せているようでした。
◆葉っぱに当たる木の間漏れの光。葉っぱがてかって、写真としていちばんいやがる光を逆手にとって、全体のアクセントにした。絵としても右手前に主役があって左奥にサブ。形がきっちり出来ている。露出としても白飛び瞬前で踏みとどまった。そういう点、いろんな意味でうまくいった。
さあ、問題はここから。MRTさんはファッションショーだとか何だとかいうけれど、ボクにはそこまでのものは感じない。話がそこで止まってしまう。感性が鈍いのかな。ハイ。
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■MO
着信:2012.10.12 おめでとうございます!
MOさん 草津市展で特選 (草津市教育委員長賞) 受賞
本人は「まぐれのまぐれ」とご謙遜ですが、いい作品です。
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■1.里山を歩く:(近江富士花緑公園)
秋の一人歩きは、蝮が出てこないかと怖々。でも、こういう光景が好きで、誰か歩いてこないかと期待しながら撮った一枚です。
◆そう、たしかに、誰か歩いてくればいいんだけど。来たら来たでカメラを向けるのは気が引けるし。結局は向こう向きの後ろ姿ということになる。
それにしても、最近の花緑公園の山道はクモの巣がコワイ。うっかりしていると顔にべたっと来る。ほとんど人が歩いていないというわけで。何人かで歩いて、お互いモデルになるのがいちばん手っ取り早いか。
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■2.次世代へ:(近所の畑)
朽ちていく「ふうせんかずら」。オレンジの実の中には、種がたくさん詰まっていました。(種がはっきり見えるとよかった・・・)それを護るかのように、最後の最後までレース状になるまでがんばっている姿に共感しました。
◆ということは、タネがたくさん見える角度があるのだろうか。こういう対象物は、よほど変わった撮り方をしないと、普通の図鑑写真になる。で、図鑑写真は簡単かというと、そうではなくそのもののもっとも特徴とするところを表現できなければならない。これなど目でみてみえたのなら、何とかしてそれを表現したかった。しかし、どこから見えたのかな。まさかつぶしたのではないだろうし。
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■3.もの思いにふけるネコ:(近江富士花緑公園)
初秋の落ち葉に、ふと目を留めているかのようなネコの姿。ネコがもの思いにふけるかどうかは?ですが・・・。
◆ネコが落ち葉を見ているようないないような。歩いてきたネコが、ふと、立ち止まった雰囲気はある。落ち葉が動いたのかな。ただの落ち葉にネコは反応しないだろうし。でも、立ち止まったままではそこでストーリーが止まってしまう。何か仕掛けでもあって、ネコがそれに向かって動いているときだと面白かった。どこまでネコが反応するかが問題だけど。
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■1.赤そば畑
ソバ畑は全体の広がりを強調すると何の花か畑か分からないベタッとした写真になったことがあり、 「撮るのが難しい」という話も聞いた記憶があり、試しにカメラを傾けて撮ってみました。
◆marimariさんのコメント、まさにその通り。ソバ畑は扱いにくいシロモノだ。とくに赤いそば。白はまだ清楚で、それだけでも何とかなる場合がある。赤は見た目には面白いが、写真にするとなると何ともはや。そのために傾けたというが、それもねー。最初見たとき、無理な姿勢で撮ったのかと思った(無理な姿勢で撮るとどうしてもカメラが傾く)が。意識して傾けたとしてもやっぱり無理だった。
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■2.赤そばの花
花だけのアップより蜂が飛び交っていたので近づくのを待って撮ったものです。
◆花とハチをアップした。花はともかく、アブはよほどしっかり見なければ分からないし。画面の色調統一という意味かも知れないが、同じ花をぼかしてバックにした。意図は分かるが、この場合は大して効果があるとは思えない。やっぱり難しかったぞ、ソバ畑は。
誰かのところで書いたが、161バイパスの日置前ランプから箱館山方面へ向かい、カントリーがある信号(たしかバイパスから初めての信号だったと思う)を右へ、田圃の中の道をビラデスト今津の方へ進み、集落の手前で1筋右へ寄った農道に、3本の石柱の屋根がついた地蔵さんが祀られている。私が行ったときはその田圃がソバ畑だった。何かそういうものがソバにあると写真になる。
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■3.秋の畦道
稲刈り後の田んぼは区画を作る畦道がデザインのように面白く感じられました。
◆遠くに見える光る屋根がいい。これをポイントにして絵を作るとよかった。まず、屋根を少し左へ。カメラを右へ振ればいいが、それによって右端の茶色の田圃が大きくなる。これは避けたいから左へ移動する。それによって畦道のデザインがどう変わるかは分からないが、とにかく屋根を入れて茶色の田圃は出す。さあ、どんな絵になるか。
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■布施 誠
着信:2012.10.13
■一昨年から毎朝撮影している(雨と霧、そして氷点下10度以下の朝は除く)八ヶ岳の稜線と朝日。とてつもなく晴れた朝より適当に雲がある朝の方が色々な色を出してくれる。 | |
■1.光景:(茅野市)
◆布施さん久しぶり。「一昨年から毎朝」、これはまた大変なことだ。しかしよく考えてみるとお互いに何10年と、職場へ通ったわけ。朝、ちょっと早いだけで、美しい景色が見られる。有り難いことだ。
毎日となると、雲の善し悪しはいっておれない。とにかく撮る。記録なんだから、これしかない。きょうは、雲が悪いからヤーメタなんとことは言ってられない。
3は夕日だから別として、1と2は定点定方向撮影かと思ったらそうではないらしい。そうか、太陽が動くからそれにつれてカメラも動くわけか。だとしたら余計のことだが、撮影場所とカメラの向きが一目で分かる建造物が写り込んでいた方がよい。大きな木も一つの目印にはなるが、これは想像以上に形が変わり、場合によっては切り取られることもある。建造物も取り壊されることがあるが、少なくとも地図上では残る。趣味でやっているのだから、そんな面倒くさいことは・・・と思うかも知れないが、続ける以上はぜひそれを勧めたい。10年やれば、必ず何かになる。
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■2.紅の空:(茅野市)
この日はあかいろにしてくれる。いずれも太陽が稜線から出る前の撮影。
◆そうなんだ。太陽が昇る10分ほど前に、上空の雲が色づく。そして一旦すーっと色が消えて・・・、稜線が明るくなってくる。これはその最初の輝きらしい。
こういう記録ものをやるとき、いまのズームレンズというヤツはやっかいだと思う。ついつい都合に合わせてズームをひねってしまう。大きさの絶対的な基準が定まらない。同じ距離で撮りながら、大きくなったり小さくなったりする。記録の上ではこれはやっかい。頭に入っているからと大丈夫と最初のうちは思う。しかし、人間の記憶は必ず薄れる。そうなってしまうと、せっかくの記録が記録でなくなる。雲の様子などを見ながらあれこれ絵を作る。これは仕方がない。でも、1枚は記録として、一定の長さのレンズで撮っておく。これはぜひ実行してほしい。私など、撮影場所が分からない写真がいくらでもある。
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■3.夕ぐれ:(富士見町)
夕焼け空の一部が黄金色をしている。太陽は画面左側。
◆これは記録というより、一枚の写真として撮ったのだと思うが、雲が画面を横切っているのがつらかった。「一部が黄金色」というのは、右半分のまん中あたりに見える明るさのことだろうか。このとき、太陽は画面左側というのがちょっと分かりにくい。「左側」というのは左半分のことだと思うが、そこには太陽はあるようには考えられない。「左側」が「左外」だと分かるような気もするが、それだとしてもそれと右半分に見える明るさの点との関連がよく分からない。
いまの場合は、そんなこと詮索する必要はないのかも知れないが、写真としては何か近くに風景の要素(前景)がほしかった。
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