デジカメわいわい村
とれとれ作品集 NO.93

2011年12月・後半
    

BEST
候 補

MO S.TKUC 布施 JIJITKS 

◆三重県鈴鹿市在住のIZUTONさんが初参加です。よろしく。

森川HNMEGWm.mIZUTONMOS.TKUCmarimari布施MRTJIJITKS
 

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■森川邦昭

着信:2011.12.15
■撮影場所: 三上山登山道

■一年を通じて何度も登る三上山です。12月も半ばになってやっと登山道も遅い紅葉となりました。今回はピントを廃居、灯篭、樹に置いて間接的に 紅葉の季節を表現しました。   

 

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■1.廃居に寄り添う紅葉
◆タイトルから見れば「紅葉」が主役だと思うが、そのバックに何故廃居を持ってきたのか、それがもう一つよく分からない。写真だけを見ると廃居が主役のようにも見える。そう思って改めてタイトルと見ると廃居にもかなりのウエートがかけられているようにも読みとれる。結局、見る立場からすると「どっちやネン?」といいたくなる。狙いが中途半端だった。





 

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■2.ゆく秋を眺める灯篭
◆タイトルでは灯籠を擬人化している。灯籠が紅葉を眺めているとの思い入れからだろうが、その思い入れは撮影者だけのもので、第三者にはその思いはない。また、そう思ってみてくれというのも無理な話。結局、写真は写真としてシビアに見るしか仕方がない。
 と考えて改めて見てみると、灯籠の火袋の上の屋根(正式な名称が分からない)の左端が肝心のモミジにかぶさってしまっている。うがった見方をすれば、何か都合の悪いものでもカバーしたのかと思わせる。カメラの高さを配慮すれば、紅葉がもっとうまく捉えられたのではないか。


 

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■3.もうひとつの紅葉
◆「もう一つの・・」というのは、もちろん木の幹に落とした葉っぱの影のことだろう。いいところを探したといいたいところだが、左の写真を2〜2m離れ見ると、これがなんと人の顔に見える。名前は忘れたが昔、巨人にいたなんとかいう外国人外野手の顔に見えてしまう。ゴメンネ、意地の悪い見方をして。これは森川さんには何の責任もないのだけど。
 この写真を2mも、3mも離れて見るのはお前(私・八田)の勝手で、普通の人はそんな見方はせーへんぞ。こちら(森川さん)は一生懸命撮ってるんやから、妙なイチャモンつけるな、ということだろう。確かにその通りなんだが、人間というのは難儀なもので、一度そういう見方をするとそれから離れられない。どうしてもそう見えてしまう。降参。


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■HN

着信:2011.12.16

 

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■1.朝の灯明台:(私の村)
◆日の出前の灯籠。このタイミングで狙ったことがちょっとわかりにくい。山ぎわの様子を見るとあと2〜3分で太陽が昇りそうな気配である。確かに太陽が出てしまうと、それを画面に入れるのは難しい、ということでこのタイミングかとも思うが、あと少し左にによって、太陽は外へはずす。灯籠の左の面が太陽に照らされる。とくに、屋根のひさしの部分など赤く色づいて光るだろう。その方が朝のイメージにつながるような気がする。

 

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■2.朝の池:(志那浜)
 白鳥の飛来を見たいと朝早く6時半ごろ家を出発、志那浜に向かいました。その途中日の出が美しく見え始めたので、志那の池で日の出を眺めました。綺麗でしたのでこの場所での撮影でした。
◆志那の池ということは、平湖のことらしい。彼岸のころには、三上山から太陽が昇る。いまはかなり南へ寄っている。こちらはその両方を画面にいれよとしたのか。太陽が右へ寄りすぎた。
 ワイドレンズを使っているが、この場合はそれが成功した。長いレンズでは太陽が明るすぎて難しかったと考えられる。 

 

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■3.日の出
◆2に較べてほんのわずかレンズが長くなったか。太陽の大きさは大差ないようだが、太陽の左の木の大きさが少し大きくなった。太陽の位置も2に較べると落ち着いている。空か水面にお得意の鳥が入ってくると絵になった。この内湖は鳥が多いのだけど、このときはいなかったのか。



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■MEGW

着信:2011.12.16

 

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■1.睨む
 旧竹林入口の鬼瓦が紅葉の影から睨んでいるようです。
◆どうして鬼瓦がこんな間近に見えるのか不思議だが、それはさておくとして、これはどちらを撮ったのか。「にらむ」というのだから、鬼瓦だろうが、何故鬼瓦に紅葉なのか。森川さんの「廃居に寄り添う紅葉」と同じことを感じる。そこに鬼瓦があるから、カメラを向けたくなる気持ちは分かるが。


 

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■2.吠える
 紅葉が蜘蛛の糸に絡み、食べたくて吠えているのかな。
◆これも1と同じことを感じるが、1ほどの違和感はない。私は葉の様子から「ほえる」よりも、「吹き飛ばす」ように感じる。そのためには口をすぼめて、ヒューと息を吐き出さなければならないが。と、まあそんなことを考えたりはするが、でもモミジの葉っぱとこの大きな口はミスマッチだった。


 

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■3.釣人
 昼下がりのきらめく湖上、大津館の岸辺からの釣り船に二人の釣り人、いったいどんなドラマが??
◆昔、私などは、舟(和船などの小舟)の上では、立ってはいかんと教えられた。最近の釣り船では、みんなこうして立っている。これがまず不思議。
 写真としては下半分はこれでいいとして、問題は上の暗さ。とくに山の部分の暗さが重い。画像調整も考えられるが、やっぱり山の存在そのものだろう。多少明るくして、山の部分の細部を出したとしても、苦しさには変わりがないだろう。山がもっと小さく見える場所だとよかったのだろう。


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■m.m

着信:2011.12.16
■近江塩津での撮影です。

 

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■1.里の秋
◆丘か小山か分からないが、杉林の上に柿の木を出して青空の中に置いた。意図的にこういう構図にしたのか、それとも下に絵をつぶす何かがあったのか。そこのところの事情が分からないが。
 仮にあえてこの構図を選んだと考えてみると。あと1,2m右へ寄り、柿の木を少し右へ寄せて、柿の左側の青空を広げる。そこから左向きの白い雲につなぐと画面に動きが出ただろう。


 

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■2.大銀杏の樹
 時々小雨の降るなか山の麓に佇む銀杏の木を写しに。遠くからでも存在を示す大木、残念ながら葉は散りはじめていました。
◆銀杏の大木を面として捉えた。右からの光を受けてその面の明るさが微妙に変化していく。大胆な発想だ。これはこれでいいのだが、写真としてはこれに何か脇役をプラスしたい。山を下げて空に浮かぶ白い雲でもいいし、このまま行くとしたら、この下に民家の屋根を入れるとか。


 

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■3.郷の家
◆大きな民家をどーんと持ってきた。左上にイチョウ(だと思うが)の黄葉が見えている。これが2のイチョウだとしたら、もっと上を見せたらどうだったのか。手前の屋根を切っているから、それが出来ない何か事情があったのか。
 それとは別に、この写真は光の事情がしんどかった。カメラから見て、屋根は左の大きな面と右の小さな面に分かれるが、それが両方とも同じ明るさで、立体感を消してしまっている。軒下の、障子などの面と、手前の瓦屋根と接している面とがこれも同じ明るさに見える。これはここへ行ったときのタイミングの問題。あと2,3時間どちらかへずれていたら生じなかった問題。遠征写真の難しさだ。


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■IZUTON

着信:2011.12.16
■カメラ初心者で、初めての参加です、よろしくお願い致します。

 

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■1.新品種?:(近くの県営公園)
 渡り鳥の季節になりカモが来ましたが撮影しやすい近くに来ない。縦撮影した画像を横方向から見ると。
◆木の枝に何か正体不明の動物がとまっている。これは何やろうとだいぶ考えた。私は、はじめ上の文章を「カモを撮っていて、ふと横を見たらこの動物がいた」と誤解していた。だいぶ考えて、「縦位置を横位置に90度回転させる」ということかと納得できた。上下対称写真を90度回転させて見せる手で、よくある話だが、右にある白ボケで上下対称をうまくごまかした。これは一杯食わされた。


 

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■2.わら屋根付の額縁:(大和郡山城跡)
 雨降に濡れながらのハイキング中の撮影なので落ち着きのない撮影ですが。
◆屋根裏と室内、それに屋外と三つの明るさを足して3で割った。普通屋外がいちばん明るいはずだが、この場合は窓が大きくて室内も(屋外と)ほぼ同じ明るさになったようだ。となると屋根裏と室内・屋外のどちらをとるかということになる。いまの場合は両方に気を遣っている。その結果、画面の下半分が落ちつかない露出オーバーの写真になってしまった。調整するとかなりイメージが変わる
 どうしても屋根裏の表情がほしいという場合はフラッシュを使うことを考える。


 

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■3.濡れそぼる紅葉:(大和郡山城跡)
 今年の紅葉はイマイチで、紅葉付近に城がなく単調すぎますが。
◆モミジの一般的な写真。モミジそのものはまあまあ可もなく不可もなくというところだが、問題はバック。まずその色。いまの場合、ミドリの竹か何かが使われているが、この色が無理だった。赤と緑は互いに自己を主張して譲らない。赤と緑は喧嘩する。そしてそれが半分ぼけてごちゃごちゃしてしまった。モミジはまた来年。



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■MO

着信:2011.12.16

■今回は、晩秋ばかりをUPしましたが、淋しい感じだけの表情になってしまいました。晩秋であっても、輝き・希望が感じられる一枚になるよう、またチャレンジしてみたいです。

 

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■1.木漏れ日:(紅葉公園)
 訪れた紅葉公園は、すでに晩秋を迎えていましたが、曇り空の中で、わずかな太陽が紅葉色を醸し出してくれていました。
◆モミジの葉っぱも綺麗だし、光もいいし、あとはここをどう切り取るかというところだった。このままでは結果的に木が多すぎた。サルの木登り練習場という感じ。とくに手前に見える相似形の2本。これが互いに自己主張して喧嘩状態。右側のハイライトがきいて光は文句なしなのに・・・。とにかく木を整理できていたら、いい写真になっただろう、惜しかった。


 

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■2.忘れもの:(八幡堀周辺)
 わずかに散った葉と忘れられた自転車から、晩秋を感じて撮ってみましたが、自転車の影が一直線になってしまいました。
◆MOさんのコメントの通り。「自転車の影が一直線になってしまいました」につきる。狙いは分かる。自転車を材料にしたのもよかった。ところが自転車の影か、他の木の影と同化してうっかり見ると気がつかない。もう少し時間を変えて狙うのがベストだろうが、それまで自転車がそのままあるかどうかは分からない。
 これがオリジナルそのままか、トリミングがあったのか、画面を見るだけでは分からないが、自転車の前部をカットすることで、影を見せることは出来そうだ。

 

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■3.落 葉:(泉涌寺)
 晴れやかな秋を見せてくれる光景がかと思えば、建物の影で、人目に触れず、静かに晩秋を迎えることもある、この場面に心惹かれました。
◆もみじの枝、陽が当たっている壁、写真の要素が左へ片寄ってしまった。これでモミジが左から来ていたら落ち着いた。あればそうしているだろうから、なかったのだろう。となれば右の正方形の壁は遠慮させて絵を作るしか手はない。左外がどうなっているか分からないが、とにかく日向の壁を主役にするしか仕方がないだろう。



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■S.T

着信:2011.12.16
■山科の毘沙門堂の紅葉は落葉とありましたが訪れてきました。

 

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■1.敷き紅葉:(毘沙門堂)
 勅使門に至る緩やかな石段中程に敷き紅葉に陽が射した。
◆散り落ちたモミジの葉っぱに光と影。さあ、これをどう考える。「光と影」と考えるか、「光か影か」と考えるかで見え方が変わる。木の間もれだと考えれば斜めに横切る明るい光がメインになるし、木の影だと考えるとその向こうがメインになる。
 「そんなしち面倒くさいこと誰が考えますかいな、要するに綺麗やな思ったから撮ったんですワ・・・」。そうその通り、そうなんやけれども手前のべたっとした大きな影は要らなんだ。


 

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■2.沢山有るよ:(毘沙門堂)
 勅使坂上部の広場で「葉っぱ沢山あるよ オカーサン」の姉妹。
◆なるほど、左のお姉ちゃん?にお母さんの雰囲気がある。ふたりの子供の感情が伝わってくるような、いい写真だ。ふたりの足下に見える横一線の石列に代表されるように、ふたりの並びもバックの木も、全部真横からの狙いになって、いわゆる風景の奥行きを塞ぐ並びになっている。それが多少気にはなるが。


 

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■3.残り紅葉:(毘沙門堂)
 本殿右側 (弁財天鳥居側より見た) 陽が射す少ない紅葉。
◆終わりに近い紅葉が淡い日に照らされている。その部分はいいのだが、上部の屋根、左上の白とび、右の格子など、何となくごちゃごちゃとなって落ちつかず、紅葉の足を引っ張った感じである。トリミングで逃げられるかと、いくつか考えてみたが難しかった。



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■KUC

着信:2011.12.19

 

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■1.靄の朝
 太陽を直接撮るには、薄雲や霧、靄などに助けてもらう事になる。わが家のベランダから給水塔の上に乗せるには、冬至の前後に限られる。
◆給水塔が両手を合わせて太陽を捧げ持っている。山の端を離れた太陽が右上へ移動していき、給水塔の先端を通過するときがねらい目。これが昼間だと青い空に白い太陽になるが、朝のうちは空はオレンジ色。KUCさんがいうように空気の状態によって、太陽の写りかたが変わる。それによってレンズの長さを変える必要があるが、いまの場合はうまくいった。これ以上レンズを長くすると給水塔の先端部が爆発しただろう。
 太陽をポイントにした珍しい狙いということで、BEST5に。


 

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■2.日の出
 参考までに、二年前の写真を取り出して見た。給水塔にタンクがあった。菩提寺山の頂上に出た太陽は、 約4分でここまで昇る。
◆なるほど、1の写真の給水塔は写真としては面白いが、塔としては余り見ない形だと思っていたら、なるほどタンクがはずされていたのか。さあこのあとタンクが復活するのか、塔そのものがなくなるのか。
 2年間の変化。これの記録も写真の面白さ。塔を含めた全体の絵のバランスは1より2の方が安定している。太陽が画面の中央にあることが若干気にはなるが。
 古代エジプトで、太陽が地平線に顔を出してから、完全に地平線をはずれるまでの時間(太陽が自分の直径分を動く時間)を1とすると、きょう地平線上に顔を出してから、翌朝再び顔を出すまでの時間は720だというとことが分かっていたという。言い換えたら、太陽を地平線上に隙間なく並べると1周360度で720個の太陽が並ぶ勘定になる。太陽が地球を一周するのが24時間×60分。太陽が自分の直径分動くには24×60÷720=2分。「菩提寺山の頂上に出た太陽は、 約4分でここまで昇る」。自分の直径の約2個分動いている。すごいぞKUC天文学。

 

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■3.炎上
 さらに13分をかけて給水塔の頂上で炎上する。天気が良くても悪くても、時期を逃しても満足な作品に辿りつけない。朝起きの苦手な無精者には、絶好の撮影場所である。また、来年のこの時期を待つことにしよう。
 人生は行きつ戻りつ温め酒 (KUC)
◆そう、写真はいつでも撮れるわけではない。とくに太陽を画面に入れるには、まず偶然では駄目。周到な事前の準備が必要になる。そして、そのときの気象条件がイメージ通りであること。これは神頼み。


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■marimari

着信:2011.12.19

■mmさんとご一緒に大イチョウの木がある旧家周辺を訪ねましたが、青空は一時で時雨気味の天候となり黄葉にもやや遅すぎて残念でした。

 

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■1.過ぎゆく秋A
 旧家のたたずまいも大イチョウも撮る対象として魅力的でしたが上手く撮りきれず、門を後にした小道から振り返って雰囲気を出したかったのですが…。
◆なんとまあ、りっぱなお屋敷で。mmさんと同行ということだから、奥の茅葺き屋根がmmさんの写真3ということだろう。おそらく同じ時間帯の撮影だろうから、光の様子も同じ。門の正面の白壁とそれに垂直な壁との明るさが全く同じ。右の小屋を見ると、塀と平行な壁の部分と、それに垂直な面とでは明らかに明るさに差がある。すぐそばにある塀が邪魔をして平行な面を暗くした。せっかくの風景がもったいない。
 この場合、「小径から振り返って」とあるから、その小径をワイドでぐんと大きく取り入れて、それをメインにして、庄屋門はその向こうに小さく、その後に大イチョウという絵は出来なかったか。その程度に小さくすれば壁の明るさは問題ではなくなるはず。せっかくの材料を前にもうちょっと、惜しかった。


 

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■2.過ぎゆく秋B
 門を出たところで柿の実がぽつんとひとつ。色褪せつつある紅葉の山を背景に晩秋から初冬への雰囲気を感じました。灰色の空が気になるところですがトリミングするとしっくりこないので撮ったままです。
◆「ぽつんと一つ」が売りだったが、ちょっと単純すぎた。空の白さも確かに気になるし、手前に幹を入れて絵を作るとか、何か演出がほしかった。


 

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■3.旧家の庭
 重厚な蔵の前に何とも似合わないものが干してあって、それもまた面白く撮ってみました。空が入るので蔵の屋根部分が中途半端になりました。いっそ全体を入れず窓辺りか下の庇ぐらいからアップ気味に撮った方が良かったのかどうか・・・。
◆真っ先に浮かんだ印象。「何や、コレハ?」。靴下か何かの横にコンビニ袋か。蔵より先にこの洗濯物に目が行く。・・・「重厚な蔵の前に何とも似合わないものが干してあって、それもまた面白く撮ってみました。・・・」。まさにmarimariさんのコメント通り。改めて読み直してみると、全文まさにその通り。補足事項ナシ。
 「とすりゃ、どないしますねん?」・・・・。自分の気持ちを正直にカメラに伝えればよろしい。写真は自分とカメラのコミュニケーション。いまのままだと、洗濯物が面白いと思いつつ、りっぱな蔵も気にかかる。ようするに気持ちが2つに分かれている。どっちやねん、とまず自己分析をする。やっぱり蔵がだいじやというなら、万難を排して選択物は排除する。洗濯物の下から蔵を見上げるとか。いや、そうじゃない、蔵の前の洗濯物が面白いのやとなれば、進軍ラッパ高らかに洗濯物に突撃する。ワイドで洗濯物をバーンと入れて・・・蔵はその後で刺身のつまに。


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■布施 誠

着信:2011.12.21

■あとわずかで「クリスマス」そして「お正月」そんな時を迎えているのに「秋」の空を。山と空を見ていると季節は空でわかるようになりました。

 

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■1.雲たかく:(富士見町)
 諏訪湖から流れ出る霧があたかも雲海のように、富士見峠を越えて富士川上流の釜無川にまで流れて。撮影場所が海抜1000メートル付近ですので丁度下を見る形になり、雲海のようにみえバックに南アルプス。そして高い空に秋の雲が・・・。
◆諏訪湖からの水は天竜川へ流れるのに、霧は峠を越えて釜無川へ。ヘー、そんなことがあるのか。自然現象はふしぎなもの。いつ撮ったのか分からないが、確かに秋の空。現場の状況が分からないボクなんかは、霧の下の状況を少し見せてもらえる方が臨場感が感じられるのだが。現実にはごちゃごちゃした物が入り込んで、つい切りたくなるのだろうけど。


 

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■2.七色の朝:(茅野市)
 太陽が昇る前、光が上空にある雲に反射してオーロラのように色々な色を見せてくれました。
◆日の出の20分ほど前かな。一端東の空が明るくなる。そのときこのような雲があるとその下面が照らされる。オレンジ色になる場合が多いが、いまの場合は縦の線になって放射状に伸びてきている。
 たまたまそのときそこにいたといってしまえばそれまでだが、実際には簡単な話ではない。相手は自然現象だから、いろんな偶然が重なって発生する。それに対して偶然カメラを持ってそこにいるということは奇跡に近い。偶然と偶然が鉢合わせすることはまずないわけで、相手が偶然なら、こちらはいつもそれを見張っているしかない。その結果の産物だろう。
 こういう気象現象や天体現象は、どこからどちらを向いて撮ったかということが大事になる。いまの場合、「どちらを向いて」は山の形ではっきりする。問題は「どこから」。この場合、手前に場所が特定できる建造物等を写し込んでおくといざというときに役立つ。偶然相手のがんばりに敬意を表してBEST5に。


 

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■3.3つに?:(茅野市)
 どれが本当の太陽なのか、これも光が雲に反射して見えた現象だと思います。ただ毎朝2年間、日の出を撮りつづけてきて始めての現象です。
◆これも珍しい現象だ。雲の層に反射して見える現象だろう。どこまでが本当の太陽か見極めが難しい。拡大すると、2段目に何となく太陽本体が見えるような気もするが。 2年間続けて初めてだというから、これも2と同じで、単なる偶然の産物ではない。
 ただし、写真としては太陽がど真ん中に来て、日の丸になった。太陽に集中していた証拠だが、トリミングで逃げたい。それをやることで太陽も大きくなるし。トリミング見本。最後にもう1枚、私の作品からよく似たものを


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■MRT

着信:2011.12.21

 

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■1.影達:(日吉神社通り)
 12月16日、もう紅葉が終わりを告げている時、次は私達の世界で楽しんでとばかりに現れている影達は、私の足を止めました。
◆上の紅葉より下の影ということらしいが、白壁部分はまだ何とかなるとしても、下の石垣部分がごちゃごちゃとややこしくなってしまった。壁が90度折れ曲がっていて、左は瓦の影が見え、折れ曲がったトタンにそれがなくなる。そういった面白さを狙ったのかとも思うが、残念ながらイメージ通りには行かなかった。もしやるとしたら、綿密な事前の計算が必要だろう。


 

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■2.秋の舞:(永源寺)
 12月3日、雨が降ったり止んだりの永源寺で、紅葉が赤い紅葉を一杯持ち、右、左、上、下と手を伸ばし踊っているようです。
◆なるほど降ったり止んだりの曇り空。光が乏しかったらしい。せっかくの葉っぱがべちゃっとして立体感が感じられない。光の状態をにらみながら対象物を選択することも写真の重要な仕事。たとえば旧街道の建造物などは、曇っている方がうまく撮れる。これは晴天用の相手だった。


 

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■3.去りゆく秋:(永源寺)
 そっと、秋を惜しみながら去ってゆく紅葉が目に留まりました。
◆少なくとも葉っぱに関していえば、これは2に較べると光の変化が感じられる。細い枝振りもいい。でもバックの建物があいまいで紅葉の魅力を生かし切れなかった。特に敷居から下の部分が無造作になってしまった。もう少しきっちり計算すればいい写真になったような気がする。


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■JIJITKS

着信:2011.12.24

■あわただしい日々、皆様に、静かな渚の写真を見て頂きたいと存じます。

 

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■1.雨後の渚
 荒天の夜が明けて、静かな渚が戻ってきた。
◆砂浜にうち寄せる白波。よく見る風景だが、初めて見るような新鮮さを感じる。とにかくこの清冽な広がりがいい。どうしてこんな綺麗な波が出来るのか。手前2つ、相似形をなす半円形の白波が見事。
 こんな広い砂浜に人っ子一人いないということは、季節は夏ではないのだろう。夏だとさらに前へ突っ込んでということになるのだが、一つ前の波が残っていて、ここではそれが無理だった。そ残波に空が映って、砂浜の空白を埋めた。それがまた白波を喰わない微妙な範囲で。歳の終わり、最後にいい写真を見せてもらった。
 蛇足、あとほんの少し赤を減らしたら清潔感がさらに増す。2つ並べて見なければ分からない程度だけど。蛇足の蛇足、ここに2のセキレイがいたら・・・。


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■2.渚にてA
 背黒鶺鴒が側によって覗きこんできた。
◆セキレイは結構人なつこい鳥のようだ。この間もコンビニの出入口に出来た水たまりに寄ってきて、人が出入りしてもちょっと避けるだけですぐにもどってくる。そんな情景を見た。これもそんな様子だったのか。砂浜を見るとピントが浅い。やはり望遠である程度は近寄せたのか。足跡がほしいところだが、砂浜では無理なのか。その代わりの後の小石というところだろう。


 

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■3.渚にてB
 渚に昆布と柑橘類が漂着していた。静かな朝でした。
◆昆布とミカン、妙な組み合わせだが、別に深い意味はないのだろう。とはいうものの、これだけでは「静かな朝でした」で話が終わってしまう。ここは一つ、自分で足跡をつけてみる。そのつけ方は一発勝負。へたにつけたらアウト。近寄ってきて、「なーんや昆布か」で、反転遠ざかっていくとか。そこまでやらなくても、そばを通った足跡がずーっと遠くまで続いていくのなどどうだろう。犬と人の足跡などもおもしろい。この砂浜がどれぐらいのしまり具合なのか分からないが。



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