デジカメわいわい村
とれとれ作品集 NO.90

2011年11月・前半

  

BEST
確 定

S.T SS森川 KUC MEGW 


S.TSS森川HNMOm.mKUCJIJITKSMEGWMRTHND

も ど る
■S.T

着信:2011.10.15

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■1.波紋
 寿長生の郷 長屋門の水盤。 
◆たらいにはった水が太陽の光を返して、屋根裏をゆらゆらと照らしていた。子供のころの懐かしい光景。これはたらいではなく水盤だとか。細かい波が光の波となって側面に写っている。水面の動きよりも写った影の動きのほうが大きくなる。写真にするとそれが止まってしまう。そこの所が写真のいちばんつらいところだが、波の線を光の明暗でくっきりとキャッチできた。懐かしい写真だ。

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■2.吊り物2点
 寿長生の郷  山寿亭 軒先の吊灯篭と鉢
◆吊り物2点だという。屋根から鉢がぶら下がっており、その影が地面に落ちている。「2点」とは、鉢と影のことかと思ったら、「吊灯籠と鉢」だという。いわれてみて初めてそれに気がつく。人間の目は難儀なもので、建物の影の中で光を受けている鉢にはすぐに目が行く、でもバックの松の木と重なっている吊り灯籠には目が行かない。この2点を持ち出すことが無理だった。写真としてはホワイトバランスを操作しているらしいが、何故それをやったのかちょっとわかりにくい。

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■3.簾越し
 寿長生の郷 郷の家(受付)相当暗かった。
◆すだれ越しに農機具か何かのシルエットが見えて向こうのみどりが透けて見える。相当暗かったという室内のイメージが障子の暗さで伝わってくる。多分障子は2枚重なっているのだろうが、それでも外の明るさは伝わってくるはず。斜めの暗い影は、外にある小屋か何かか。最終的には1つの面で絵を作ったわけだが、それだけで、ずいぶん多くのことを語っている。面白い写真である。でももう少し明るく調整することも可能か。


も ど る
■SS

着信:2011.10.29
■撮影場所:水生植物公園みずの森


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■1.睡蓮
 花がこちらを向いているのは光がなかったり、良い光がある所はバックが良くなかったりと、条件の良い花はなかなかありません。  
◆スイレンが2輪、左の花に当たる光がいい。花1輪はむずかしい、ということで右端を詰めてもう1輪持ってきたというところか。しかし全体としてみると、何となくその間隔が間延びして見える。場所が場所だけに中央の間隙が間が持たない。思い切って中央の間隙を左の花の余白と考えたらどうだろう。右の花の一部だけを残して。トリミング見本


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■2.水すだれA
 噴水の水が逆光の中で、水の玉すだれの様でした。
◆すだれにならずに、水が面として落下し、その向こうに人物がいる写真は何度か見たが、このように水滴が数珠つなぎに落下するのは初めて見た気がする。水滴を光らすために位置を探すと逆光になる。必然的に中(向こう)にいる人物は暗くなる。子供の縞模様の上着が明るいためにまだ助かったが、調節の仕様によってはあと少し明るくできたのではないか。明るさ調整見本。これによって子供の足下の水面が飛びかげんになる問題点はあるが、何とか辛抱できる範囲だろう。明るさが気になったが、坊やの可愛さにほだされてBEST5。

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■3.水すだれB
◆この水すだれの中へどうしてはいるのかと思っていたが、右端に通路があるらしい。人物がちょっと移動したことで、状況がずいぶん把握しやすくなった。見る人にその場の状況をどこまで理解させるか、これも絵を作る上で大事なこと。すべて説明しつくす必要はないが、状況を相手に伝えることは絶えず考えておく必要はあろう。上と同様若干暗いようだ。明るさ調整見本。ただ、こちらの場合は、明るくなったことであっけらかんとして、写真の面白さがなくなった感なきにしもあらず。このままでよかったのかも知れない。


も ど る
■森川邦昭

着信:2011.10.31
■撮影場所: 三上山登山道

■三上山、裏登山道の中腹は今の時期午前八時ころから朝日が射し始めます。雨の上がった朝の登山道周辺はとっても綺麗に輝きます。木漏れ日が作る斜めの光、濡れた枝が輝き、そして光が作る帯状の霧です。10月31日はいい条件の揃った朝を迎えました。   

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■1.木漏れ日を受けてA
 木漏れ日と分かる斜め帯状の光を捉えました。倒れた細い木が気になります。撮影時は気がつきませんでした。
◆木が密集していて全体が暗い、その中の一部だけが太陽に照らされているところ。”斜め帯状の光”がちょっとわかりにくい。もう少し明るいとそれがはっきりしたのだろうか。”倒れた細い木”というのは、右下の斜めのハイライトのことかと思うが、確かに邪魔にはなる。しかしそれをカットしてしまうと、全体がさらに暗くなる。判断に迷うハイライトだ。

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■2.木漏れ日を受けてB
 枝はまだ濡れています。そこに光が当たり強く照り返しています。枝の水滴も意識をしていますが、実際に見た目より弱いです。
◆くねくねと迷路のように絡み合う木の枝。ハイライトを生かした写真だが、左半分を縦にしたほうが光がより強くなる。具象画と抽象画の中間という表現になるのだろう。

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■3.木漏れ日を受けてC
 太陽光が斜め方向に強いので露出調整をしましたが、やはり飛んでしまいました。
◆何をどの程度調整したのかは分からないが、太陽の光はこれでいいだろう。確かに飛んでいるといえば飛んではいるが、まともな太陽をとばさずに捉えること自体がどだい無理な話で、これはこれでOKだ。何本か差し込む光芒。それを受ける濡れたスギの幹。とくに左端のハイライトがきいた。よくある写真だけど、綺麗なものはきれいなんやということでBEST5。



も ど る
■HN

着信:2011.10.15

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■1.晩秋のすすきが原:(守山市川田町・野洲川)
 野洲川のすすきです。日が少し西に傾いたころすすきの向こうに見える三上山が綺麗に見えました。
◆秋の夕日はすぐ赤くなる。その光の中のススキ。手前の高い穂は堤防にはえているのだろう。欲をいえばあと少し山の線を下げたかった。そのためにはカメラを下げることになるが(ただ単にカメラを上へ向けたのでは空が広くなってしまう)、しゃがみ込む形になって、ときどき車が通るので気を使うところだ。

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■2.朝の道:(野洲市永原)
 毎朝散歩する道です。朝日が昇る時なんとなく撮って見たい気分になりました。
◆朝日が昇るところ。画面を見ればすぐに太陽に目が行く。それはそれでいいのだが、その光を受けて光っている右端の家。これが第2のポイントになる。と考えてみると、シルエットの2本の木の持って行き場が問題になる。いまは太陽と2軒の家の間に立っているわけだが、いまの状況としては、太陽と家を直接光でつなぎたい。さあ、どこへ持っていくか。というとはカメラをどこに置くかということになるが、これはカメラを動かすより、太陽が動くのを待った方が早いか。日の出の位置はあと1ヶ月あまり右へ移動する。冬至のころはカメラをちょっと動かせば、木の右へ太陽を持ってくることが出来る。家の光もそのころのほうが強いはず。


 
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■3.草原を照らす光:(野洲市永原)
 散歩道で草原があります。そこにハネコジャラシばかりがかたまっていましたので、それに当たる光が綺麗に見えました。
◆これも朝日だろうか。ネコジャラシがオレンジ色に輝いている。その部分は文句なし。問題は上の白飛び。このままだと飛びが強すぎる。といってとばすなということも無理な話。結局は完全にカットするか、ちょっとだけ見せるかということになる。カットしてしまってもいいのだろうが、それでは絵が単純になりすぎるので、ちょっとだけ見せることを考えた。トリミング見本


も ど る
■MO

着信:2011.11.01

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■1.廃墟に宿る秋:(近江八幡市)
 秋を探しに出かけた時に目がとまり、朽ちた廃墟の哀れさと、住む人はいなくなっても、蔦の姿に営々と続く命の強さを感じました。 
◆なるほど廃墟の秋。つるが垂れている手前の部分をとばさないようにという配慮だろうか。肝心の部分が暗くなってしまった。手前の地面の照り返しもあるのだから、もう少し明るく調整すれば、雰囲気は出ただろう。とはいえ時間に余裕があれば、太陽の動きを見計らって再度いってみればそれに越したことはない。右のトタン板もこれはこれで意味はあろう。

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■2.空中ブランコ:(近江八幡市)
 里路を歩きながら、ふと空を見上げると、一本のクモの糸に、落ち葉が・・・。哀れではなく、楽しい光景だと感じ、標題をつけてみました。
◆クモの巣にかかった枯葉。誰が絵を作ったわけでもない。当たるも八卦で葉がぶら下がったわけだが、八卦の神様も一箇所だけ失敗した。まん中のいちばんでかい葉っぱ。これがもっと虫食いであったら面白かった。せっかくの神さんのはからいをこの葉っぱが邪魔をした。いちばん右が小鳥、その左が魚・・・と面白く並んでいるのに、このでかいヤツがどてーっと。おしかった。


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■3.ふたりの目線:(近江八幡市) 
 八丁堀を描く人、それに魅入る人。ふたりの目線は、それぞれですが、集中という共通項を感じ、写真で表現できればと撮ってみました。
◆この2人は他人だろうか。もし他人だとすれば描いている方はたまらんなー。もっともここで描く以上覚悟の上だろうけれども。
 この光の方向では目線は無理だった。目線という以上は目の玉が見え、それにしっかりキャッチライト(目の黒目の部分に当たる光)がいる。明るさをもう少し調節して、別の題にした方がよかった。


も ど る
■m.m

着信:2011.11.02

■この日は視野180度の展望で、景色が変わつて見えました。とくに雲に包まれた三上山にひきこまれました。

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■1.雲に七巻半された近江富士A
◆上空には暗雲がたれ込め、水平線上だけが上下に細く晴れている。秋から冬にかけてときどき起こる気象条件である。m.mさんがいう「視野180度」は水平線上に広がる細い明るさのことをいっているのだろう。
 たとえば、気象条件は違うが、これは私の撮影例である。これだと水平線から雲の下面まで三上山の高さの2倍はある。m.mさんの場合はそれよりもっと細い。そんな明るさが左右に広がったということだろう。
 さてその上下に細い隙間に浮かび上がった三上山。それを望遠で捉えた。細い明るさを反映して、湖面も細く横に輝いている。上空も湖面も暗い。湖西からの三上山だから、普段は決して大きな山ではない。でもこの日はそれが大きく見えたのだろう。そのイメージを望遠でというところ。狙いの意図は生きている。問題は明るさ。湖面は暗く、水平線上だけが明るい。そのイメージをもっと強調してもよかっただろう。明るさ調整見本。上空も湖面も暗く、隙間だけが明るい。明るさとコントラストを上げた。

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■2.雲に七巻半された近江富士B
◆これは雲を多く入れた。その分湖面が少なくなった。とはいえ1とほとんど同じ構図だから、もう少し別の発想の絵がほしかった。たとえば、水平線を下に置き(写真1ぐらいで)、レンズを短くして、上空の雲を大きく入れる。明るい隙間も山も小さくなるが、その分空の暗さと東の明るさが強調される。


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■3.雲に七巻半された近江富士C
◆手前に船が入ってきた。雲は別にして、東の明るさと手前の湖面だけでギリギリの構図。上の写真1.2に較べて東が明るいのは、手前の湖面が広いからだろう。右端のホテルのシルエットも利いている。あと少し明るさの調整がうまくいったら、もっと強い写真になっただろう。
 写真1は画面の性質上コントラストを上げた。こちら写真3は、手前の船のことがあるから、湖面は余り暗くしたくない。むしろこの明暗差を抑える方向で調整したい。調整見本。調子に乗りすぎて人工的な色彩になってしまった。悪しからず。


も ど る
■KUC

着信:2011.11.02
■撮影場所:栗東市金勝山
県民の森にて麗らかな秋の風景を探しました。

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■1.秋うらら
 秋の太陽が真上にある麗らかな午後。樹の真下から青空を背景にして、葉を落とした大樹をねらいました。
◆左上から来ている光が実にいい。太い幹に当たる光もさることながら、枝に当たる光が随所でエッジを光らせている。白雲が左上に集まって枝と重なり、若干うるさいようにも感じるが、その白い輝きが太陽近きを思わせて、これはこれでよかったのだろう。秋の爽やかさを感じさせるいい写真だ。

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■2.紅葉
 さつきの植え込み、ポプラの紅葉が空の青さの中で麗らかでした。
◆妙なブロックが並べてあるのかと思ったら、サツキの植え込みだとか。そのエリアの境をなす白いライン、トータルとしては曲線になるのだろうが、部分部分は直線で、これが画面を固いものにした。本来なら自然の対象物であるべき所に、人工的なものが入り込み過ぎた。公園の宿命のような絵になった。


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■3.秋の遠足
 遠足は春の季語ですが、秋の麗らかな午後。遠くから、園児らの歓声も爽やかでした。
◆遠足は春ですか、なんでかな。公園は広く撮りたい。園児の記念撮影もある程度は入れたい。でもあまり近づくのも気が引ける。何だかんだで、できた絵が結果的に中途半端になった。
 それともう一つ、仮に園児がいなかったと考えると、紅葉した2本の木が何の愛想もなしに立っている。何がそうさせるか、カメラから2本の木までの距離が等距離であることが原因。やはり斜めから、遠近感がある並べ方をしたい。写真2の右に見える2本の木のように。


も ど る
■JIJITKS

着信:2011.07.03

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■1.河童の湯浴み
 枯葉の中の湯気と気持ちよさそうな河童。今夜は俺も・・・と。 。
◆なるほどね。これはきもちよかろう。ところで、この滝はお湯ですか、水ですか。これが湯気だとすればお湯かな。
 その昔、アダムとイブが何とかの葉っぱをつけていたところに、河童はモミジの葉っぱをつけるらしい。ひょっとしたらJIJIさんが置いたのかも知れない。
 写真としては、湯が流れ落ちる岩面とカメラが正対した。もし可能なら、もう少し左へ回って、岩面に対して斜めに、河童に対しても斜め側面から見る角度のほうが落ち着いただろう。滝の流れに対しても遠近感が出ただろうし・・・。不可能ならどうしようもないが。

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■2.湖畔の石
 有珠山を遠景に花の楊枝を銜えた何処か愛嬌のある石。
◆「何処か愛嬌のある石」 、たしかに分からんでもない。確かにこれがなかったら、水平線が画面を上下に2分してアウトになるところだった。そういう意味で絶好の前景だが、見方によっては赤牛がどたーと寝そべっているようにも見える。要するに取り扱い注意というところ。カメラ(自分)は左へ寄って、石は右端にちょっとだけ見せる。
 撮り直しいたずらバージョン。イノシシがかんざしつけて昼寝しているようになったが、要するに全部見せたらダメ。昔ありましたな「ちょっとだけよ・・・」。


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■3.墨絵のごとく
 雨上がりの朝、色のない景色が展がった。
◆多分、上のm.mさんの写真と同じタイミングだったのだろう。上空が暗雲、東が晴れだして光が射しだしたという状況。特殊な気象状況ということで興味をひく。と、ここまではいいのだが、全体が騒がしくて、目を引きつけるポイントがはっきりしない。「いやいや、あのときの東の明るさはとにかく凄かったんですヮ」で終わってしまう。右の山がもう少しきっちり捉えられていたら、ひょっとして・・・。
 


も ど る
■MEGW

着信:2011.11.05

■毎朝の天候次第ですが、転々と場所を変えながらの出会いを楽しみにしています。

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■1.日の出
 苗鹿の船着き場横、ハスを前景に釣り船が魚場へ疾走するところを撮ってみました。 
◆昇ったばかりの太陽。それから伸びる光の線。疾走する船。右手に釣り人らしき人物。左右方向の絵のバランスはうまくまとまった。問題は手前の黒くつぶれた部分。ハスだとのことだが、これが重たい。
 どれだけ切れば軽くなるか。たとえば半分にしても、3分の1にしても問題は残りそう。とにかく横一線が風景の奥行きを塞いでいる。思い切ってカットするしかしか手はないだろう。となれば右の人物は名残惜しいが遠慮してもらうしか仕方ないし、船が右つまりにもなる。ヨシなどもほしくなり難しいところだ。


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■2.雄琴港の朝
 久しぶりに雄琴港へ。雲低く空赤く輝いていて、できるだけ広角で挑戦してみました。 
◆写真1もこれも問題点は同じかな。手前のフェンスの横一線、これが風景を塞いだ。極論すれば対岸の横一線も同じことになるのだが、湖岸から撮る以上これは必要悪として目をつぶるしか方法はない。それに関してはいまの場合は草むらが入ってくることでむしろうまくいったといえる。しかし、手前のフェンスはやっぱりシンドイ。むしろヨットのマストとか、縦の線を入れた方がよかっただろう。 


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■3.蜘蛛の糸輝く
 蜘蛛の巣が壊れるたび作り直す。姿を見せない蜘蛛がおり、朝日に輝く様子を楽しみにしています。蜘蛛糸にピントと七色に輝く場所を探しながら撮った一枚です。 
◆几帳面なクモらしい。手前と奥の2本の枝に綺麗に半円形の巣を張った。それに太陽の光が当たって、赤く青く光る。クモの巣に対する光の方向を見極め、その方向から見て絵を作る。2次方程式を解くようなかなり面倒な作業だか、それがうまくいった。両端の枝のピントははずし、クモの糸だけに持ってきた。そこらの細かい計算も見事。これに家主のクモもがいたら文句なしだった。


も ど る
■MRT

着信:2011.11.07

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■1.波模様:近江八幡
 夕方、風によって綺麗に波模様が出来、静かな内波とがシャッターを押させました。
◆最初見たときはどこかの小さな入江の、せいぜい2,30mぐらいの範囲の絵かなと思っていた。しかしよく見ると岬の先の樹木などはりっぱな木だ。ということは、波も単なる小波ではなく、結構大きな波であり、直線上に突き出た半島もかなりの長さだということになる。
 というように、そのスケールを一つ一つ読み替えていかなければならないところにこの写真のしんどさがある。撮影場所も入江のすぐ近くではなく、どこかの高台か山の上からということになる。大きさ高さを対比さす何かがほしかった。

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■2.富士を望む
 西伊豆(伊豆の国パノラマパーク)
◆手前に枯れ枝を置いて富士山を。ということだが、「パノラマパークへ行きました。富士山が見えました。綺麗でした」になってしまった。
 世の中のパノラマXXとか○○展望台なんてのは大体が可もなく不可もなくという風景が多い。 そこへいってシャッターを切ればそこそこの写真にはなる。それを越えて写真を作るには、そこを一ひねりする意地悪さが必要。自然現象ではこれ以上の変化はなさそうだから、手前のほうで何かドラマを作るしか手はない。ちょっとバックして観光客の姿を入れるとか。


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■3.光に誘われ: 彦根城
◆水に反射している光が狙いだったらしい。状況がよくは分からないが、そこそこの速さで流れているらしい。落ち葉が一枚上の方に見えるが、止まっているのではなく、多分上流から流れて来たものだろう。流れてこないかなーとは思っていたが、入ったのは偶然というところか。出来れば手前の段差のところで流したかった。しかし、この明るさで、葉っぱを流すのは至難の業。真っ昼間ではどうしてもシャッターが早くなってしまう。カメラメーカーは何故ISO感度50,25の設定をしてくれないのだろう。


も ど る
■HND

着信:2011.11.10
■撮影場所:奥津渓谷

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■1.赤い星
 渓谷沿いに立っているもみじを逆光でとらえ、裏もみじとして空も一部入れました。全体に葉っぱが小さく星のように見えました。
◆なるほど赤い星か。赤い葉っぱがキラキラとちりばめられて、葉っぱの重なりを面として捉えたということだろう。その結果、黒い幹が添え物になった。
 空も一部入れましたという。「入れた」と「入った」は違う。それなりの意識を持って「入れた」のだろうが、入れ方がちょっと単純だった。画面の上部に横一線に帯として入ってしまった。これはまずかった。

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■2.渓流
 本当は渓流ともみじを一緒に入れたかったのですが、残念です。 
◆黄色い葉っぱには日が当たっているが、流れは日陰のようだ。それに対して右端の木にはカンカンの光が当たり飛びかげん。これはしんどかった。これをカットして、葉っぱと流れだけで絵にする手もあろうがはっぱがどーんときて、やっぱり単純になるようだ。トリミング見本。 


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■3.午後の森林公園
 森林公園に着いたのが午後の2時ごろで、影が沢山出来て苦労しましたが、日の当たった部分に手前の影を組み合わせてみました。  
◆まん中左の赤い木がねらい目だったのか。ちょっと遠かった。木の幹を見えると、左からの光で決して悪い光ではないのだが、林全体を見ると、何となくべったとした光で立体感に欠ける。左端に道をいれて変化をつけようとした意図が見えるが、中途半端に終わってしまった。風景の料理が欲求不満。望遠で木をアップした方がよかったかも知れない。



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