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も ど る |
■森川邦昭
着信:2011.10.15
■撮影場所: 鏡平山荘周辺(笠ケ岳登山道)
笠ケ岳(北アルプス)を歩いて来ました。山は明暗による奥行感が大事と過去に比良山の撮影で勉強しましたので日の出の頃を待って動き回りではありますが何か所かで撮りました。ただ撮影ポイントは東の方向の槍・穂高連峰が壁になって周辺には早朝は日が射さないので必然的にいつもとは違った写真になりました。その分
期せずして面白い体験をする事が出来ました。 | |
■1.アルプスの早朝A
向こう側に朝日を受けてシルエットになった槍ケ岳と濃淡のある青空を広く取りました。
◆困った。先ほどから30分余り写真をにらめっこしている。写真が送られてきてからこの作業(文章作成)に入るまでに、数回画像を見る。たいていの場合はその間で書き出しの文章が決まる。それもほとんどの場合が、その写真を見た私の印象である。今回はそれが出てこない。なんでやろう。
結局は槍ヶ岳と手前の木々との組み合わせに対する違和感か。槍は小さく遠くに見えるものという私の独善的な固定観念。それに対して小槍まできっちり姿を見せた槍ヶ岳、それが木の間から見えるということ自体が私にとっては不思議。しかし、森川さんからすればイチャモンをつけられた思いだろう。そんなものそう見えたんだから仕様がねぇーじゃねーか。山が木の間から見えて当たり前、それがどうやねんということだろう。
ごたごたと書き連ねたが、読み直してみても支離滅裂。ここでいったん放棄。他の写真を先に・・。それを読み直しているところで電話が1本。つづいてうちのシャチョーを駅まで迎えに行って、これで頭がほぐれた(シャチョーの顔を見てほぐれたわけではない)。
ということで改めて写真を見る。槍の左側は西鎌尾根で左下がりのはず。いま見えている細い木が視界を塞いでいる。ということで再整理。可能かどうかは別にして、まず横位置にして幅を確保する。右に見える2本の木の右へ槍を持ってくる(カメラ位置を右へ、左の細い木は捨てる)。多分2本の木は低い位置から立ち上がる。そこから右上がりで西鎌尾根。その先端に槍ヶ岳。もちろん2本の木の高さよりは低い位置だが、槍の高さは感じられるはず。結局、画面左に2本の木。画面右に槍ヶ岳という構図。これで槍の存在感もぐんと増すはず。もちろんいま見えている2本の木の右には木がないと仮定しての話。実際にはあるのだろうな。
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■2.アルプスの早朝B
霜が掛った笹の葉には光がないので、前方の山の明かりを背景にしました。その背景は高峰と分かる程度に入れました。
◆冷たくめたく霜ががおりたクマザサと、対照的に朝日を浴びた山腹と。普通なら手前に日を浴びたものがあり、バックは暗く持ってくるところだが、それを逆転させた。面白い手ではあるのだが、そこで終わってしまったのが惜しかった。結局、対象が部分的で両者がつながらないのが苦しいところか。たとえばこれで山道が暗から明へつながっていたりすると、すーとイメージがつながって行くのだが。
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■3.アルプスの早朝C
山荘前の池に日の出を迎えた山が映っていました。登山者が通過するタイミングを狙いました。
◆おそらくこの上に朝日に輝く山が見えているのだろう。それを捨てて、池に映る姿だけをポイントにした。早くも尾根筋へ向かう登山者が何人か。池に映った山だけが朝日を浴びて、他の実体はまだ日の出前。全体として冷たい日陰の風景。もうちょっと明るく写したいところだけれど、そうするとモルゲンロートは消えてしまうのだろう。
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も ど る |
■S.T
着信:2011.10.15
■5月(田植え)以来の亀山市坂本の日の入り前の棚田へ行ってみました。日の落ちる直前で慌て駐車できるところでの写真です。8日京都テルサでの関西ハーモニカ祭り有り、友人の演奏を聴き、帰途「寿長生の郷」に立ち寄りました。
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■1.収穫後:(亀山市坂本の棚田)
稲刈り後は放置され雑草が。場所によりコスモス畑もあり。
◆なるほど雑草が生えた田圃。戦いすんで日が暮れて・・・というところ。来年までこのまま放置されるのだろうか。左上にわずかに入れた稜線。これは入ったのではないだろう。意識して入れた、それに反応したかのような傾きの小さいゴーストが点々と。秋の早い日の入りを思わす。右端に見える大きな斜面が真正面から光を受けたことがしんどかった。といってもこの場合、この場所からではなんともしようがないのだけれど。
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■2.関空へ:(坂本の棚田)
飛行機雲が何本か流されていた 明日の天気は下り坂?
◆快晴の空に雲が出来始めるのは飛行機雲によると聞いたことがある。これがちょうどその見本のようなものだろう。何本かの飛行機雲が崩れて空一面を覆いだしている。山の端にかかった太陽と、崩れ残った最後の1本が、何となくもの悲しく見えるのも秋の空のせいか。
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tuda3
■3.梅:(寿長生の郷)
「梅は匂いよ」で春ですが10月の輻輳した影を試みました。
◆なるほど輻輳した影、いちばん右の太い幹から横幅いっぱいに伸ばした枝がきいた。それも枝が伸びただけではなく、バックの比較的明るい小枝の重なりの中で、太く黒い影となった枝がいい。力強い写真である。
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も ど る |
■SS
着信:2011.10.15
■撮影場所:希望ヶ丘 | |
sasaki1
■1.十三夜の月
薄い雲がかかっていて、月がぼんやりしていました。手前が寂しく単純すぎました。前にススキを入れたら良かったなと思っています。
◆SSさんの言葉どおり。何も付け加えることなし。これで終わってもいいのだけど、それでは形がつかないから・・・。
下の地面はこれでギリギリだろうか。もうちょっと下まで入れておきたい。その方が落ち着くだろう。入っていたものを切ったのなら、元へ戻せばいいのだが、そうでないとしたら、カメラを下へ向けなければならない。下へ向けると上が窮屈になる。で、仕方なしにレンズを短くする、と月が小さくなる。しかし、この場合は月の大きさは多少変化しても大したことはないわけで、絵のバランスの方が大事だろう。木がもう少し小さくてもよかったか。
自分が前進後退で木の大きさを調節する。その場合レンズの長さを変えないかぎり、月の大きさは変わらない。だいぶ迷ったが月への挑戦ということでBEST5候補に。もちろん月が難しいというわけではないが。
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■2.ピクニック
1の写真を撮った翌日、体育の日の写真です。家族連れで賑わっていて、許可を頂いて撮りました。
◆人が点々と見えるだけで風景の雰囲気が変わる。人物が小さいからその動きにこだわる必要はなさそうだ。木の周囲に適当に配置されればいいわけで。問題はすすきの穂だろう。この場合は、右の子供2人と重なっている。すすきと子供をあえて重ねたのだろうか。ちょっとその重なりが気になるが。
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■3.ススキのころ
カメラを下げてススキをもっと高く撮りたかったのですが、そうすると木が隠れたりしてちょうど良い場所がなく、平凡な写真になりました。
◆木が小さくなった。SSさんの計算ではその分すすきを高くということだったのか。ススキを高く入れるのに、カメラを下げて・・・、セオリーどおりだが、これもSSさんがいうように、あまり下げすぎると、ススキがススキでなくなってしまう。この場合だったら、ボケを覚悟でススキに肉迫する。出来る話かどうかは、現場を見なければ分からないが。それが出来たら、大きく空に伸ばすことは可能だと思うが。
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も ど る |
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■1.晩秋の朝A:(野洲市上屋)
毎朝の散歩で朝のお日様が赤く見えて大きかった。まだ早い6時過ぎのこと、これを見て大急ぎでカメラを持って近くの場所探しをする時間がありません。じきにお日様は変わってきます、近くで撮った写真です。
◆太陽は想像以上に早く動く。太陽を見てから場所探しでは無理だろう。事前に場所探しをしておいて、太陽が昇る前にそこへ行く。昇ってくるのを待っていてシャッターを切る。だから日の出1回について撮れる絵は1枚。
絵としてはカメラを下げて、ススキをもっと伸ばしたらよかった。それと朝の太陽にしては画面が暗かった。露出はオートかと思うが、太陽が入ってくるだけで、太陽以外の風物は暗くなる。それともう一つオート露出は上の写真のように、全体がぼヤーッとした風景では、全体をネズミ色(いちばん明るいところを真っ白、暗いところを真っ黒として、全体をその中間という意味)に仕上げるような露出になる。+補正をするともう少し明るくなる。もちろん画像処理の時点で調整することも可能だが、出来るならば撮影に時点での処理の方が望ましい。
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■2.晩秋の朝B:(野洲市上屋)
◆同じ時のものらしい。手前に花が咲いているが、これは余り目立たない。それよりもビニールハウスの骨格の方が強い。これが左から右へ、画面いっぱいに伸びた。これが苦しかった。骨格を通して向こうが見える。理屈ではそうだが、その理屈よりも閉塞感の方が強い。これは難しい。せめて3分の2ぐらいで止めたかった。太陽は骨格の外へ。
全体が曇り空でおそらく太陽を肉眼で直接見てもまぶしくない感じ。こういう場合は望遠で太陽を大きく切り取る絵も考えられる。もちろんその場合は、太陽と組み合わすもの(木なり、建物なり)をあらかじめ物色しておかなければならないが。
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noguti3
■3.川蝉が来た:(野洲市永原)
毎年このごろになると川蝉が何時もの川にやってきます。毎日もう来るかと、もう来るかと待っていますが中々来ませんでした。10日とうとう来ているところを発見。隠れる場所がないところ遠くからなので35mm換算で1280mm、MFでの撮影その上トリミングをしての写真です。また近くに寄れる日を待ってます。
◆来たか、よくぞ来てくれた。これでHNさん、一層元気が出るぞ。35mm換算で1280mmというと、これは長い。鳥をファインダーの中に入れるだけでも大変だろう。ぼくなんかは35mmのフィルム時代、いちばん長いので300mmしか持っていなかった。それの4倍だからなー。カマキリとは別の神経がいる。きょうのこの1枚はまあ名刺代わりの挨拶というところ。今後たびたび来てくれるといいのにね。
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も ど る |
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■1.お昼寝日和::(近所の屋根の上)
朝夕は、ずいぶん涼しくなりましたが、日中の暖かい太陽に当たりながら、まどろんでいるネコは、とても気持ちよさそうでした。代わってみてもいいかな(笑)。
◆屋根の上のネコ。確かに気持ちよさそう。でも写真としてはそこで話が終わってしまう。これを襲う外敵が狙っているとか、ネコの昼寝を狙ってネズミがいつ逃げ出そうかと機会をうかがっているとか、なにかドラマがあるとまた話が変わるのだが、ただ単に気持ちよさそうだけでは、話がとぎれてしまう。何かプラス1。
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■2.フラダンス:(琵琶湖岸)
・昨年の晩秋の頃に撮った写真です。寒々とした風景の中で見つけた樹木の枝が、フラダンスをしているように見えて、思わずシャッターを。
◆MOさんのコメントを読まずに写真だけ見たとき、何を撮ったのかな、このフラダンスの木かな?、とは思った。しかし、手前に生け垣か何かがあり、「フラダンスの木だ!」と断定できないところがこの写真の弱いところ。
状況が分からないが、可能ならば生け垣の向こうへ回って、木の姿全体を見せてほしかった。
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■3.秋を流がるる:(唐戸渓谷)
・ススキの背が高く、川の流れが小さくなりましたが、秋を十分感じさせてくれる光景に、心惹かれました。
◆いい題だ。しかし題に負けたか。左右の2本のモミジに気持ちが散った。撮り手の気持ちが分かれると、見る方もそれに流れてしまう。左のモミジは捨てて、右だけで縦にカットしたら、川に目が行くようになる。トリミング見本。
上のトリミング見本は日が当たっている上端部を意識してのことだが、それを考えないならば、横位置で絵を作り直すことも出来るだろう。
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も ど る |
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■1.頑張ったね
◆ホンマや。頑張ったね。イネも頑張ったし、撮る方も頑張った。うんとカメラを下げて溝蓋をアップして、そこから出ているイネの穂を捉えた。ワイドレンズを使って町の風景をバックに入れたのも正解。
すぐ横を走り抜ける車を入れたらもっと強くなった。どやされるのを覚悟の決死の覚悟が必要だが。それともう一つ、もう少し明るくすると見やすくなる。調整見本。
これはこれで一つの撮り方だが、もう一つの手がある。こんどはカメラをイネの上からかぶせる。イネの穂は一粒一粒見えるぐらいにアップする。そしてややカメラを傾けて道や町をすみの方に入れる。撮る姿勢としてはこちらの方が楽。(上からバージョン見本)。
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■2.迫力
◆本番なのか本番前なのか、はたまた展示館内のものかよくは分からないが、祭りの山車の部分をアップした。車の朱色が印象的。
問題は奥の格子に当たる強い光。
どういう光がどのように反射しているのか、これも事情がよく分からないが、かなり強い光である。フラッシュだとすると、こんな奥よりは手前の車輪が光るはずだから、そうではないらしい。この格子にスポットを当てる必要もないし???。向こうの写真で隠す手もあるかとも思うが、そうすると手前の写真が中途半端になるし。左へ寄って、手前の写真で隠すと格子そのものが見えなくなるし。結局このままで仕方ないというところか。
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■3.大津祭り
◆夜の大津祭。私は現場を知らないから、よく分からないが、結局、山車を面をとして捉えたことが、絵を単純にしてしまったのか。単純なことは決して悪いことではないが、いまの場合、山車の側面(正面かも知れないが、それもよくは分からない)と、それに続く2階からの廊下?の手すりが同じ面上に並んだ、これが画面に蓋をした感じで、奥行き感がなくなった。左から民家に向かって狙った方が、山車、廊下の遠近感につながったのではないか。
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も ど る |
■marimari
着信:2011.10.21
■撮影場所:ビラテスト高島
■山から竹生島を望む日の出撮影会に参加しました。まだ薄暗い中オートフォーカスではシャッターが降りず、刻々変化する状況に大焦りでてんやわんやする中、マニュアルにして・・・とアドバイスをもらっての撮影です。慣れないのでよく分からないまま適当に絞りやisoを触ってシャッターを切りました。こういう場合の撮影の注意点などアドバイス頂ければ有り難いです。 | |
■1.日の出A
光の屈折の影響でしょうか気球の様な模様入りの太陽が写っていました。
◆太陽の2本線は多分雲だろう。その両側にも続いているはずだが、太陽のような強い光があって初めて見える程度の雲なのだろう。こういう現象は日の出、日没時にはよく見られる現象で、別に珍しいものでもない。
日の出を撮りにいったのだから、太陽を少しでも大きくということで、レンズを長くしたい気持ちは分かるが、自分が高所に立っているわけだから、次の2のように手前の陸地までを入れた方が、奥行き感が出ただろう。
この色調は撮影したままのものだろうか。よくは分からないが、いずれにしても全体としては若干暗い感じだし、全体がくすんで見える。現場を知らない第三者の目には、もう少し色が締まった方が安心できる。調整見本。
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■2.日の出B
湖面の太陽と湖から浮かび上がるように見えた竹生島がとても美しかったのですが、こんなに暗くはなく見たようには撮れていません。
◆現物の太陽は見えておらず、それ反射して、湖面にもう一つの太陽があるように見える。marimariさんにいわせると”こんなに暗くはなく見たようには撮れていません”という。こういう状況の時、絶対に目で見たようには写らない。上の場合のように、一点強い光があると全体としては暗く写る。それが当たり前。露出オーバーにして、白くとばしてしまえば、それはもう修復不可能になるから、このように暗い方がまだ調節の余地が残る。
写真は表現である、決して再現ではない。見たとおりに見せようとするのが「再現」、事故の原場写真ではないのだから、それにしがみつく必要はない。”見たとおりではないがこれが私の日の出”、これが「表現」。要するに撮ってきたものを如何に料理するか、それが表現への道。こんな具合でどうですかな。
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■3.日の出C
Aと同じところの1分後の画像で、こちらの方が薄靄がかかったようなその時の雰囲気に近いのですが、何故か中途半端なisoの上げ方をしています。
◆たとえば、日の出前の薄暗いとき、普通のISO(たとえば100〜400ぐらい)で、シャッター速度が何10秒、何分なんて時に、それを800にしたり、1600にしたりして、ちょっとでもシャッタースピードを短くすることは意味があるが、明るくなってしまってから、よほどの意図がないかぎり、わざわざISO感度をなぶる必要はないと思う。これも調整してみたが、結局2も3も同じものになってしまった。
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も ど る |
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morita1
■1.水しぶき:(土肥)
西伊豆に行って来ました、船に乗って富士山を眺めている時に水しぶきのとりこになりました。
◆北斎の「神奈川沖浪裏」を思わす。悪天候の波ではなく、船の上からるんるんの波だからこれは楽しい。絵は単純で波と富士山。それを如何に組み合わすかだけ。もちろんこれはこれで一つの絵にはなっている。画面が全体としてちょっと暗い。明るくするとはえる。
船の上からどういう状況で撮ったかは分からない。カメラに海水がかかることもあっただろう。そういう苦労はさておいて、もしこのあと同じ現場に立つとしたら、次の撮影時に考えてほしいこと。まずカメラを出来るだけ下げること。デッキに腹這いになってでも下げる。ある程度のワイドで波に接近する。(船員さんにしかられたとき、「八田先生に命令された」とはいわないこと)。これで自然と水平線が下がり、波が高くなる。ワイドのために富士山がこれより少し小さくなっても十分に持ちこたえられる。今のままだと、波と富士山と両方に意識が散っている。だから水平線がまん中に来ている。
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■2.夜明け:(今津)
ビラデストからの夜明けを・・・と、撮りに連れてもらった時のです。
◆何でカメラが左へ片寄ったのか分からないが、竹生島が右へ寄りすぎた。上の雲の輝きを考えると、露出はこれでギリギリいっぱい。これでも雲は飛びかげんだが、何とか持ちこたえられる。marimariさんのところでもふれたが、手前の陸地が入っている方が遠近があってよかったのではないか。手前が松林のようだから、その黒をしっかり締めれば全体が締まる。
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■3.わかれ:(比叡辻)
近所の畑の土手で、風と共に飛び散っていくところで、動いているので、撮りつらかったです。
◆最初たばこの煙が漂っているところかと思った。いまどきなんでやねん、と思ってよく見るとタンポポの胞子だった。それが流れていくところらしいが、ピントがもう一つしっかりしていない。こういう動きを表現する場合、対象物をぶらすことはよくあるが、それでも画面のうちどこかにしっかりピントが来ている場所がほしい。そういう意味で全体があいまいになってしまったのが残念。
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も ど る |
■JIJITKS
着信:2011.10.24
■日本で一番早い紅葉を撮ろうと、北の大地へ行ってきましたが、天候不順で・・・と言い訳・・。 | |
■1.朝陽
雨上がりの靄の中、草むらの向こうに朝陽。
◆内容がもう一つよく分からない。JIJIさんのコメントによると太陽は草むらの向こうにということだが、空の様子などから見ると左上画面外にあるようにも見える。右の方に白いものが見える。もしこれならもっと明るく見えるはずだし。あれこれ考えてみたが、結局よくは分からない。まいった。
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■2.湖畔紅葉
静かな湖畔の紅葉。
◆静かな湖畔の森の影から・・・というところらしいが、画面が湖面と山腹に分断されてしまった。右の岩がそれらの橋渡しというところだろうが、単純でずんぐりしていて芸がなかった。手前前景に上から枝を出すか、下に木か草か何かを置きたいところ。「ワーきれい!」で終わってしまった感じ。
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■3.未知との遭遇
◆白樺に朝日(夕日かも知れないが)が当たって、山陰に山小屋風の建物、その奥に山が見えている。普通の風景だと思うが、なにが「未知との遭遇」なんだろう。とくに補足説明もなかったので、題の意味が理解しにくい。
写真としては怪鳥が羽を広げたような山、と書いて、ああそうか、ひょっとして未知はこの鳥か?。だとすると、これは遊びやな。
遊びに対してとやかくいうことはないが、仮に写真として考えるならば、怪鳥の左右対称形をどちらかへ避けたい。トリミング見本A、トリミング見本B、ということになるのだろうが、Bでは煙突風の棒が目立ってくるから、結局Aか。
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も ど る |
■SKI
着信:2011.10.25
■山行きは、いつも団体行動なので、なかなか思うようにカメラを構える事が出来ず、「行って来ました写真」になっていますが、中でもましな物を添付しました。よろしくお願い致します。 | |
■1.草原の輝き:(大津市木戸 びわ湖バレイ)
◆すすきの銀色の流れ。いくらでもありそうで簡単に出会えない風景だ。いいチャンスに巡り会った。それに対して下の草つき地面が平凡だった。左上リフトの左に得体の知れないものがごちゃごちゃと見える。ということで左と下をカットすると絵が生きてくる。
上のトリミングは面積にしてほんのわずかだが、画質としては右上からの青色のフレアーが目立ってくる。これを気にする人もあるかも知れないが、私はこれはこれで一つの表現で、明るい太陽がくれた勲章だと思っている。
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■2.紅葉のはじまり:(高島市今津町)
◆紅葉の始まりとか、不思議な色だ。全体がくすんで霜が降りたような初冬の空気を感じる。これはこれで一つの山の雰囲気だろう。
それはさておき、問題はよく似た2本の木が門構えで立ちはだかったこと。どちらかを捨てて、絵を作り直したらどうだろう。トリミング見本は右の木をベースとした。その結果、ほとんど奥行きが感じられなくなるが、それはそれでいいのではないか。道か何かがあって奥行きを見せているならともかく、初めからその表現はないのだから。
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■3.ブナ林を行く:(高島市今津町)
◆ブナ林を広くとってその中に人物を置いた。赤い服装がこの場合は利く。それはいいのだが、手前の大きなS字形の木など、ポイントが左に片寄ってしまった。思い切って左だけで絵を作った方がよかったか。トリミング見本。S字全部を入れることも考えられるが、人物の右の木と相似になるので、部分的に見せるだけにした。左のS字はあくまで脇役で。 |
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も ど る |
■MEGW
着信:2011.10.27
■毎日バタバタとして撮影がおろそかになり焦る気持ちで、今朝の秋晴れの朝日を撮ってきました。 | |
■1.電送序曲
朝陽に遠くの高圧線が近くに光り見えて、屋根上の電線を中心に格子模様に空を覆い何かが始まりそうな気分です。
◆右上がりの白い線が高圧線で、左上がりの黒い線が町なかの送電線なのだろう。それを山影をバックに狙った。
もしこの高圧線が白いだけでなしに、太陽の光を返して輝いていたら、強い写真になっただろう。白い線の途中で直接光を返すところだけきらりと光る。それが電線の数だけ上下に並ぶ。そんなイメージだけど。実際にそういうタイミングがあるかどうか。それは不明。
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■2.晴れた朝に
久しぶりの青空、秋晴れのすがすがしい朝に雲がなくススキを前に撮ってみました。
◆雲一つない快晴の朝、太陽がまぶしい。それをススキを手前に入れて広角で狙ったのは正解・・・。なんだけれども、その太陽と三上山の位置がどうも落ちつかない。あれこれ迷っている間に太陽が昇ってきたというところか。トリミングしようにもそれも難しい。太陽と三上山との距離をもてあました。事前の撮影場所の選択の問題だった。
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maegawa3
■3.光陰
朝陽を受けたススキ、キラリと光る穂先と陰のコントラストを全体に黄金色に輝いていました。
◆太陽の光を受けてススキの穂先が光る。それだけなら珍しくないが、何かの実らしい小判型のシルエットがちりばめられたことで、絵が生きてきた。右の穂と左下の実がちょっとごちゃごちゃしたのと2本の穂の配置がやや月並みなのが気になるが、トータルとして気持ちのいい写真に仕上がった。もう少し太陽の光を入れてもよかったか。
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