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も ど る |
■布施 誠 |
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■着信:2008.12.12
■1.暖簾・京都嵯峨鳥居本
暖簾から透けてみえる外の風景、もっと絞れば外の風景がよりはっきりしてこの店が街道沿いにあることがわかりました。次回三脚と蕎麦をたづさえチャレンジ。
◆写真を拡大すると何となく向こうの様子は分かる。しかし、絞ってそれがはっきりするのかな。もう一度チャレンジするとか。期待してます。三脚は分かるけど「蕎麦」は何に使うのかな?。向こう側からそっとのれんを広げる手が見えたらどうだろう。
■2.前線通過・長野県富士見町
11月から12月は霧が出ます。通常天竜川から諏訪湖、そして国道20号線上を富士見方面にきてそこで八ヶ岳山麓に登りますが、この日は雨が降った後の冷え込みの霧のため怪獣が暴れたような状況になりました。
◆山が高いと前線通過のときこんな状態になるのか。八ヶ岳(の一部だと思うが)も長いレンズで狙うとこんな起伏があるやね。下に手すりのついた水面が見えるが、富士見町だから諏訪湖ではないね。池かな。
実際の状態が分からないので何ともいえないが、画面を見ただけの感覚でいえば、もう少し明るい方がイメージがぴったり来る。イメージ調整。
■3.この2枚は来年の賀状用の写真で6年前の御柱祭ですが、いよいよ祭りまで100日余りとなりました。山出しと呼ばれる祭事が、4月2-4日、里引きが5月2-4日でいづれも見るより参加して柱を引く祭りですので、わいわい村村民の皆様もぜひいらっしてください。
◆諏訪大社の神事らしいが、なんとまあ怖いことするんやね。V字型のテッペンにいる人など命がけやね。グライダーの翼の先にしがみついているようなものだ。これは怖いぞ。2箇所の写真があるということは、こういう行事が他にもいくつかあるということか。しかし大がかりなものだ。写真としては、下の写真の赤帽やその右に誰かがいるらしいが、これらをきっちり入れた方が、遠近感、スケール感が出ただろう。観光PR写真として特に2枚収録。 |
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も ど る |
■森川邦昭 |
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■着信:2009.12.13
■いい光とは、を課題に練習してみました。
■1.朝日を受る葉っぱ・三上山登山道
葉っぱとその茎、そして上に伸びるやや細い枝のそれぞれの下部に当たる光と、幹も全部入れてみました。
◆1.2ともに光をうまく扱っていることが感じられる。
1はワイド気味のレンズだが、写角が広いため、光を強く返しているところと、そうでないところとがある。それをうまく使った。右下のV字型に枝分かれしたところがいちばん強く、上へ行くほど弱くなっている。この変化がいい。2枚の葉っぱもうまく光を受けてOKだ。枝が途中で影になっているのも味がある。左上向きの細い枝に当たる下面のエッジも見事だが、この場合、全体的な絵としては、やや邪魔になったか。光がすばらしかっただけに惜しまれる。
つけたし。葉っぱと幹との間にゴミがついている。消しておこうかなと思って、待てよ。デジカメでゴミがつくはずはないし、とよく見たらクモの巣だった。仮にこの写真を作品として発表するとして、このクモの巣は消すべきか残すべきか、悩むところ。
■2.夕日を受ける日本庭園・永源寺
石と左上の苔にある光、苔の上の影は撮影時に意識していました。以前記憶にある紅葉の写真で、ずーっと奥にある建物の屋根に小さく当たる光の写真を真似てみました。
◆左上に一つ離れた光。これがきいた。初めから意識していたというから大成功。知らない間に入っていたというのがほとんどだから。斜めに伸びる木の影もきいた。手前の石に当たる斜光がかもし出す立体感もいい。これはいい写真だ。文句なし。
■3.強い夕日を受けるススキ・野洲川
強い逆光に敢えて挑戦しました。露出は限度までマイナス補正しまして真正面にある太陽を入れて、ススキの輝きを狙いました。
◆裸の太陽を真正面に入れた。ちょっとしんどかった。やはりこの場合、月並みだが、すすきの穂を太陽にかぶせた方が安全だった。空気がどんよりしているときは、裸の太陽も生きるのだが、この時は矢張り強すぎたようだ。
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も ど る |
■HN |
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■着信:2009.12.15
■題名:霧の朝
■場所:野洲市上屋
今朝、霧の河原を撮るべく早く起床して出かけたが霧が出て前が見えなくて途中で帰る。そのあと余りにも珍しい光景に出合い撮った写真です。
◆1.手前の田圃は霧がなく、あぜ道一つ隔てた隣の田圃にはこのような霧が出る。よくある光景で、不思議で仕方がない。昔から水分の多い場所はこうして霧が出るとの説もあるが、我々昔の状態を知らないものにとっては不思議としかいいようがない。
多分これは手前と向こうの区分けを表現したかったのだと思うが、カメラの線とあぜ道とが直角になり、なおかつそのあぜ道が画面のまん中に来たがために、画面が上と下に2分されてしまった。田圃の違いによる霧の出方を表現したいのだから、あぜ道が手前から向こうへ伸びる向きにカメラを向けた方がよかった。左が霧のない田圃、右が霧の出た田圃という感じで。
◆2.これは1ほどの顕著な霧ではなく、モヤという感じ。ジョギングしている人がいたりして、向こうの山とともに、朝の雰囲気がよく出ている。
◆3.これも霧のあるなしだが、境界を下に持ってきたため、絵が落ち着いた。校舎?などの建造物が霧の中でかすんでいて、画面がフラットになった。手前に木なり、積みワラなり、しっかりしたものを置くと画面が締まる。本当に何もなければ、最後の手として、道路標識を使うことも考えなければ。空の色が若干不自然だけど、明るさを調整しすぎのような気がするが?。 |
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も ど る |
■MRT |
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■着信:2009.12.15
■場所:すべて希望が丘
■1.バショウ
葉の美しさにーーー!
◆これはいいね。左右を分ける葉のカーブが何ともいえずいい。右上の影が若干気になるが、それも許容範囲内だろう。中央のカーブが上へ向かってさりげなく2つに分かれていくのも憎いね。いい写真だ。
■2.共に!
◆ちょっとどぎつくなった。特に左上の水色。これ何だろう。プラスチックのようなイメージで、絵の材題とは合わない。見極めが不十分だった。右上の黒い枝もシンドイか。もう一度画面をしっかり見直す必要があった。
■3.召し上がれ!
まるで、油で揚げたお菓子を思わせられ、つい手が出てしまいそうになりました。(また、先生に食いしん坊って言うわれそうですが)
◆何これ、油で揚げたお菓子て、たとえば、ポテトチップか何かか?。こんなものを食おうとするヤツの気持ちがワシには分からん。写真としては左上の白飛びが目立ちすぎた。カメラポジションが窮屈だったのじゃないかな。たとえば、背伸びをして撮ったとか。何かそんな感じが伺われる。
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も ど る |
■HND |
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■着信:2009.12.17
■過日嵐山の花灯路で行った大覚寺の大沢の池から撮った写真です。(題名は全て一字にしてみました)
■1.堂
ライトアップされたお堂と池に写った景色を撮りました。上下に二分されないように手前に木を入れてみました。
◆木を入れた気持ちは分かるし、それを意識したこと自体意味があるが、しかしやっぱり2分は2分。特に木から離れた左側は、文句なしの2分。やっぱり2や3のような配慮が必要。
■2.雲
暗闇の空を見上げると白いふんわりとした雲が浮かんでいました。月は出ていませんでしたが比較的明るかったので、マニュアルで努力してみました。
◆これは面白い。街の灯りが雲に反射しているのかな。だとすると、空が濃いグリーンがかるんだが。そう思ってみると、多少グリーン系に色づいているともいえる。対岸に等間隔で並ぶ明かりがきいている。その昔、白川義員が撮った南極の太陽(水平線上を移動する太陽を点々と多重露出したもの)を思い出した。
■3.舟
屋形船が2艘光に映えて何ともいえない雰囲気だったので、水面に映った景色を充分に入れて撮ってみました。
◆水に映った風景がいい。上下2分もうまく避けた。波が弱くて、きれいに反映したのがよかっただろう。題は「舟」には違いなかろうが、舟とはっきり分かるのは舳先だけ。それよりも「映」か。
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も ど る |
■MED |
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■着信:2009.12.18
■希望が丘1
空が綺麗で前の木ばかり気を取られていてメタセコイヤの紅葉をあまり意識していなかった。
◆いい光だ。空もきれいだし。しかしMEDさんがいうように、メタセコイヤはしんどかった。対象物ばかりに気をとられていると、バックがおろそかになり、できあがってみて、何これということになる。これは何とかして隠したかった。光がよかっただけにおしかった。
で、隠すことばかりに気をとられていると、肝心の木に当たる光がおろそかになったり、木そのものの姿が怪しくなったり。世の中と一緒やね。意地の悪いモンだ。たとえば、いまの写真でいえば、左側の幹から、右上へ伸びている完全に黒い枝と右側の幹から伸びている陽の当たった枝とが、妙な重なり方をしている。こういう細かいことになると、ファインダーの中で見極めることは無理だから、ファインダー以前の問題として、自分の肉眼で見極める習慣を身につける。その見極めが出来たら、あとはそこでカメラを構えるだけだ。
■希望が丘2
◆秋の小径を人物がひとり。その部分の雰囲気はOK。ただし、画面両側の木立が無遠慮に入ってきた感じ。もう少し小径だけに集中した方がよかったか。
■笠原桜
川霧を撮影するつもりが霧がなくて、笠原の大きな桜を朝日が出る前に撮りました。物置小屋が邪魔でした。
◆これもMEDさんがいうとおりだ。左の物置小屋が邪魔だ。といってもあるものは仕方ない。撮るのをあきらめるか、避けて撮るかのどちらかだ。夜明け前のきれいな空だ、どうしても撮るというのなら、次の時には、ノーマルに撮るのではなし、いちかばちかの挑戦をしてみる。たとえば、木の右半分と空とのバランスを考えて絵を作るとか。小屋ギリギリまで入れて、木と空とで絵を作るとか。現場へ行く前にこの写真をもとにして切り方のイメージトレーニングをしておく。現場へ行ってから、挑戦的なフレーミングといってもすぐには無理だから。顔半分だけでも絵になる場合がある。当然木半分だけでも・・・・。 |
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も ど る |
■papur
(初参加です、よろしく) |
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■着信:2009.12.22
■撮影場所:教林坊(安土)
■1.光の中のモミ
◆表記の通りの題名が送られてきたが、意味が分かりにくい。ひょっとして「モミジ」じゃないかと勝手に解釈することにする。もし別の意味があるとしたらお許しを。
中央上部のモミジがポイントだとして考えてみると、全体として何となく落ち着かない感じがする。右の木はいい光が当たっているのだが、幹が妙な重なり方をしていて落ち着かない。下の葉っぱがたまっているところも、無理に入れる必要もないだろう。とすると、左上の部分で絵を作った方がよかったのではないか。一応のトリミング見本を造ったが、とりあえずの見本というところである。
■2.窓に写る
◆題から考えて、作者の思いは窓に映ったモミジにある。ところがウエイトの半分は左の庭の実体にも心が寄せられている。ここが難しいところである。映ったものと実体とが同一画面に入る場合、必ず露出の難しさが問題になる。たとえば池の水面に映る実体と水面上の像など。露出のずれが出る。この場合も左上の葉っぱや木がオーバーになった。
「窓に映る」とするには、絵全体を窓を中心に組み立て直す必要があるだろう。
■3.さざなみ
◆水面は文句なし。問題は右上の明るい光。これが難儀だ。このままでは処理のしようがない。右手に回って光を避けるか、この光がなくなるのを待つ以外手はないだろう。 |
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も ど る |
■S.T |
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■着信:2009.12.24
■場所:伊勢神宮宇治橋
■月日:12月23日
■伊勢神宮式年遷宮(平成25年)の前に架け替えられ、11月3日に渡り初めがありました。昨日(22日)の毎日新聞では冬至講を含め約600人が朝日を拝んだとありました。教わりましたので冬至を外し23日(天長祭)に行きましたが、同じ考えの人たちが150人ぐらい頑張っていました。
■1.参拝 人それぞれの参拝
◆題からすると、参拝者の様子を撮ったらしい。参拝者だとするともう少し別の狙いになりそうだし。S.Tさんがここで狙っているのは、どういうイメージなのか。もう一つよく分からない。
題とは別に鳥居と太陽の組み合わせで考えてみる。昨年のS.Tさんのコメントに「冬至には伊勢神宮内宮宇治橋の鳥居の枠中央から日の出を遥拝できる」とあるので、目的は鳥居の中央の太陽だと思う。だとしたら、もう少し左へ行けなかったのだろうか。行ければ行くはずだし、何かの理由で行けなかったのだろう。物理的なものか、人的なものか。
昨年の投稿でも若干感じたのだが、ここからの冬至の太陽を狙う意味がもう一つ分からない。左右対称の鳥居と宇治橋のセンターラインに太陽が来るのを狙っているのだろうが、もしそれが撮れたとして、写真にならなるのだろうか。橋のど真ん中に高々と立札が立っているし、真正面にドーンと来る鳥居が余りにも大きすぎるし。橋の向こうの鳥居を狙っているとしたら、バックの山に芸がなさ過ぎるし。結局、冬至と宇治橋という名前だけで人が集まっているのではないか。人が行かないところで、自分のイメージを探すことのほうが大事だろう。
鳥居と太陽で思い出す写真がある。山田興司著「大和路邂逅」(京都書院刊)の表紙の写真。イメージ作りの参考までに。
■2.宇治橋 陽当りの差を感じました
◆いい写真だ。「神域」という感じが伝わってくる。もう一枚反対側からのがあったが、あっけらかんとしすぎて、全然別のイメージだった。私の感覚では、もう少しワイドで、鳥居が小さい方がなじみやすいが。
■3.擬宝珠と高欄 霜の輝きあり
◆これもしゃきっとしていい写真だ。太陽との関係で時間・カメラ位置ともに限定される。霜が降りていることが一目で分かるともっと印象が強くなるはず。さあどうすればいいのか。 |
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も ど る |
■SKI |
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■着信:2009.12.26
■張り付いた雪(高島市近江白浜)
風がきつかったのか、夜中に降った雪が幹に張り付いていた。足下の雑草には、朝日があたり輝いていた。
◆中央の「y」字を左へ傾けたような木をメインに組み立てたのだと思うが、上の方で後の木と重なってしまった。もう少し左へ寄って(木を右へ寄せて)、その幹を少し右の開いたところへ持っていったらよかった。ファインダーで覗きながらでは無理で、肉眼でそれを確認するように意識することが大事。
黒い幹に白い雪で、コントラストが勝負だから、コントラストを強めに設定した方が写真は強くなる。そのとき空が白く飛ぶが、これは気にする必要はない。
■映る(銀閣寺境内)
庭園の木々が水面に映って神秘的でした。天気が良ければ、もっと綺麗に映ったのかな?
◆水に映った風景は難しい。まず水の美しさが必要になるが、水面は空を映す。勝負は空の美しさ。SKIさんがいうように、この曇り空がしんどかった。
■庭園(銀閣寺境内)
今年4月に観音堂(銀閣)の屋根の葺き替えが終了したとのこと。こけら葺きの屋根に陽があたると、金閣寺のように輝く姿になっていたそうです。でも、風雨にたたかれ、半年もすると元の渋い屋根になるとのこと。私達が行った時は、半年が経っていたし、陽のあたりもなかったので、“金色に光る屋根”を見ることは出来ませんでした。屋根を撮ろうと展望所に上がったが、光る屋根には出会えず、庭園を撮りました。中央の白い部分“銀沙灘”は、光線があたるとキラキラと輝くそうです。
◆銀閣寺にこんな展望台があるとはらなかった。これは銀閣もさることながら、半分以上は中央の白砂がポイントだと思う。もう少ししっかりした光があればと思うが、それは無理な話だとして、右の屋根をカットして、絵を作り直せばどうだろう。トリミング見本。 |
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