序章 山を動かす・私の地動説

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私の地動説

 「はじめに」でも述べたように、本書の編集に当たっては、それぞれの写真の撮影場所を三上山からの「方位」と「距離」で表し、それを方位順に並べることとした。これによって三上山を中心として一周するとき、周囲の山々がどのように位置を変えるかを読みとることができ、それが21世紀初頭の南近江路、三上山を含む風景のデータベースにもなると考えたからである。
 本書では、三上山から見て真北の点を方位0度として、時計回りに一周するよう写真を配列している。したがって、1頁進むとき、何度かずつ撮影位置が左へ移動していると考えていただければよい。要するに、ビデオカメラを車に積んで、カメラを三上山に向けたまま円周上を左へ左へと移動していくことを想定していただければいい。画面にはいつも三上山が写っている。このため三上山の手前にある山は画面上を右へ右へと動き、それより遠くの山は左へ左へと動くことになる。視点の中央にあって不動の存在を示す三上山と、それを中心として円運動する周囲の山々、三上山を太陽にたとえれば、周辺の山々はそれをとりまく惑星ということになる。私の地動説である。

 カメラが三上山を中心とした一定半径の円周上を動くとすれば、太陽系さながらの規則正しい風景の変化が見えてくるはずであるが、実際にはいろいろな障害物があり、距離を一定に保つこともままならず、ましてや一周360度を一定の角度で刻んでいくことは不可能であった。地形の関係から、この山は北西側からは見えやすく、南東側からは見えにくい。結果、収録写真も北西側からが密になっている。撮影距離もまちまちで、必ずしもルール通りには行っていないが、すべてこの山がおかれた風景の現実である。

山を動かす

 琵琶湖の漁師さんは山の重なりで漁場を確かめるという。何の目印もない湖の上で、いつもの漁場の位置をどうして知るのか。われわれ素人には想像もつかない長年の勘と経験があるのだろうが、理屈は簡単である。要するにA山とB山を結んだ直線上を進みながら、別のC山とD山が重なる点を探せばいいのだという。このときC山とD山は船の速度に合わせてお互いに動く。そして、その両者と自分の船とが一直線に並んだときが、その場所だという。山を動かすのである。

 例えば、写真110「冬枯れの野」、あぜ道に一本の柿の木が生えていて、向こうに三上山があるという構図。写真には方位・距離が添えられているが、仮にそれが不明だとして、その場所へ行く方法を考えてみよう。
 まずやるべきことは、本書の写真の流れから、山の重なりを照合して、およその方位を推定することである。「冬枯れの野」の場合は、妙光寺山と三上山との組合せから読み取ればよい。それができたら、その方位線を地図上に移して、線上のめぼしい場所を求める。これは神経質に考えていただく必要はない。交差点だとか、橋だとか、分かりやすいところを選べばよい。
 問題はそこからである。とにかくその交差点なり、橋なりへ行ってみる。すぐに柿の木を探そうとしても無理な話である。田圃の中に木が生えているのだから、どこからでも見えそうだが、田圃の中の木など小さいものである。この木が肉眼で認められるのは、100mぐらいまで近づいてのことである。そう簡単には見つからない。ましてや広い田んぼの中である。初めての人は自分がどこにいてどちらを向いているかも分からなくなるはずである。この場合、近くを見ていたのでは絶対その場所へはいけない。山を見るのである。
 田圃の中のことである。木は見えないが山はどこからでも見える。特に三上山は一目見ればそれと分かる。三上山と手前の山との重なりを見ればいいのである。琵琶湖の漁師さんがいうA山とB山である。柿の木の写真でいえば、手前の妙光寺山とその奥の三上山である。自分が持っている写真と、目の前の風景とをじっくりと見比べてみる。100%一致しているということはあり得ない。もし一致していたとしたら、そこが柿ノ木の場所である。実際にはどこかに食い違いがあるはずである。これを見つけるのが勝負である。
 ということで、仮に妙光寺山に対して三上山が右へずれていたとしよう。三上山は妙光寺山より奥にある。その三上山を左へ動かせばいいのだから、自分は左へ動けばいい。実際に真左へ行ける道はほとんどないから、左前へ進むか、左後ろへ後退することになる。この試行錯誤を繰り返すのである。
 左右の関係はそれで分かった。前後関係はどうなるのか、との疑問をお持ちの方もいらっしゃるはずである。これは、三上山と手前の山の2つだけで勝負しなければならない場合は、お互いの山の高さの関係を読む以外にない。苦しいところだが、慣れてくれば意外と細かいことが読めるものである。要するに山の大小関係である。すべてのものは、近いものほど大きく見える。当たり前のことであるが、これを使って判断する。持っている写真に比べて、現実の三上山が妙光寺山より大きいと判断したら、自分が後退すればいいのだし、手前の山が小さければ前進すればいいのである。欲をいえば、三上山以外の山どうしの組合せを読むことができれば文句なしである。(「距離の比による山の見え方の違い」参照)

 撮影位置の「方位」・「距離」については、できるだけ正確を期したつもりだが、現実問題として、距離は0.1Km刻みだから、最大100mの誤差がある。方位も距離が大きくなれば、それに比例して誤差は大きくなる。写真に付したデータ通りの場所へ行けたとしても、その点そのものが半径100mぐらいの誤差を含んでいると考えてもらわなければならない。「その辺」まで近づいたら、あとは山を動かすことである。

三上山周辺の山々

 ここで三上山周辺の山やまを紹介しておこう。「三上山丘陵群」ともいうべき山群で、周囲を一周するとき、これらの山やまが現れては去っていく。三上山をとりまく風景にとって看過することができない山やまである。

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妙光寺山(267m)

 三上山のすぐ真北に位置する。距離的にも近く、三上山の風景を考えるとき、まず目に付く山である。
 地図の上で、妙光寺山としてのピークはあるが、現地に立ってみればどれが頂上か判断に迷う。東西に長く高原状に横たわるため、北から見ると、横に長い妙光寺台地ともいうべき形を示す。
JR琵琶湖線野洲駅南口から駅前通りを国道8号へ向かって進むとき、目の前に見える山である。広葉樹が多く野洲近辺で毎年いちばん早く秋を感じる山でもある。

カブト山(293m)・相場振山(ハタフリ山・280m)

 妙光寺山の北東に位置する。国道8号と希望が丘道路の立体交差南、地図によっては「甲山」との記載もある。別々の名前を持つが、2つの峰を持つ双耳峰である。見る方向によって両者の形が入れ替わる面白い山でもある。(別項「山は手品師」参照)。なお、カブト山・ハタフリ山は、地元では総称して田中山と呼ばれている。
 一方、相場振山という面白い名の山は、江戸時代中期から大正時代まで、大阪堂島からの米相場を伝えた手旗信号の中継点に使われたことからついた名だという。ちなみに、相場振山の前段中継所は、名神栗東ICの近くにある安養寺山。次の中継所は安土の岩戸山だという。

吉祥寺山(231m)

 カブト山の北東にある。国道8号と希望が丘道路の立体交差南東。野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)から道路を挟んで前に見える山である。近江八幡市の北部あたりから見るとき、この山がいちばん近くに位置し、けっこう存在感がある。

城山(286m)

 希望が丘芝生ランドの北に位置する。同駐車場から見上げる山容は力強く、山頂部の急な傾斜は圧倒的である。平野部から見る傾いた台形も印象が強い。北東方向から見ると、カブト山・ハタフリ山のつぎに目立つ山である。
 城山の名は、野洲市の永原御殿で知られる「永原氏」が中山道を抑えるために築いた城跡から来たといわれる。

 天山(303m)

 希望が丘芝生ランドの南に位置する。地味な山で地元でもほとんどその名を聞かないが、野洲市南桜の田園地帯からは、左の三上山、右の菩提寺山とともに整った姿を見せる。 山容は南北方向に長く、西から見ると山と山の隙間からひょいと顔を出す。

菩提寺山(353m)

 人呼んで「甲西富士」。合併で甲西町の名が消えたが、この呼び名はどうなるのか。もし「湖南富士」とでも呼ぶことになれば、近江富士を「琵琶湖富士」と呼ぶ人もあったりするので、ますます紛らわしくなる。三上山丘陵群の中では三上山に次いで目につく山である。南東方向、湖南市あたりから見ると、三上山の前に立ちはだかる。

鏡山(385m)

 この中では、三上山に次いで高い。南北に長く尾根を伸ばし、南は十二坊につながり北は国道8号を越える。東方向から撮ろうとする場合、この山が視界を遮る。三上山を撮るものにとっては頭痛の種である。

八重谷山(277m)

 名神竜王ICの南東に位置する山で、三上山から遠く、いつもそばに見えるわけではないが、その分逆に東から見ると存在感がある山である。十二坊山から鏡山に続く稜線上に、ぽこんとこぶのようにふくれて見える。



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