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 この写真集は、琵琶湖の南、いわゆる滋賀県湖南地域をホームグラウンドとして、写真同人『さんさん会』会員が撮影した近江富士・三上山の姿を集めたものです。

 近江富士、正式名称を「三上山」といい、琵琶湖の南東、滋賀県野洲市三上に位置します。標高432m、けっして高い山ではありませんが、円錐形の整った山容から、人びとは古来この山を「近江富士」と呼びならわしてきました。
 その位置は国道1号と8号の分岐点に近く、古くは東海道・中山道の昔から、名神高速道路・新幹線の現代まで、南近江路のシンボルとして、旅ゆく人に親しまれて来ました。山麓の標高が約100mですから、実質300m余り、ゆっくり登っても1時間足らずのちっぽけな山です。そんな小さい山でありながら、この山は、周囲のどの方向から見ても、頂上が見えたとたん、瞬時に「三上山だ」と分かります。周辺の山やまとの関わりの中で、たおやかに孤高を保つその姿は、まさに「陸の灯台」といえます。

 本書の写真撮影にあたった『さんさん会』は、私が講師をしていた野洲町(現野洲市)中央公民館の写真講座で出会った仲間が中心となって、2000年3月にスタートした写真同人で、いわば近江富士(三上山)の写真研究会です。発足の時点で、名前だけはなければ困るからと、月例会第3日曜日(第3サンデー)にちなんで「さんさん会」と名づけましたが、あとは会長なし、会則なし。会費・役割分担・会員名簿等すべてなし。枠はないのだから入退会自由。決めたことは「近江富士・三上山の写真を撮ろう。そして5年後には写真集にまとめよう」ということだけでした。
 撮影は各自単独行動。みんなで一緒に出かけたこともありません。前景のモチーフと組み合わせて絵を作るとき、わずかなずれが構図を狂わし、何人もが横に並んで放列をしくことの無意味さを思うからです。そういう意味で、今はやりの熟年層写真クラブとはちょっと変わったスタイルをとって来ました。いつまで続くかと心配もしましたが、6年目の今年、やっとここまで来たという思いです。

 私たちの撮影範囲である湖南地域は、風景の変化が激しく、道路の開通・河川の付け替え等、日常的に地図が変化しているといっても過言ではありません。そのような事情の中で、撮影位置をどう表すかが大きな課題でした。その場所の市町名を記載しても何の意味も持ちません。アドレスは面であって点ではないからです。そういった事情を踏まえ、本書の編集に当たっては、それぞれの撮影位置を三上山からの「方位」と「距離」で表すこととしました。この方法なら、たとえ50年先、100年先、地図が大きく書き替えられていたとしても、様式・縮尺の如何を問わず、新しい地図上でその位置を求めることができると考えたからです。
 このような位置表記を用いた結果、写真を方位順に並べてみようという発想がでてきました。写真集というと、季節順や、地域別の編集が定番ですが、本書ではそれを度外視して、真北の0度から、時計回りに方位順に並べることとしました。これによって、いままで気づかなかった山の姿が見えてきました。すなわち撮影位置の方位が変わることによって、三上山に対する周辺の山々がそれに応じて移動していくということです。別に目新しくもない当たり前のことですが、ただ漠然と肉眼で見るのと、画像として記録したものを見るのとでは、大きな差がありました。
 1枚の写真は単なる記録でしかありませんが、それを連続して並べることによって、普遍的な風景のデータベースとしての意味を持つことになりました。これは思っても見ない情報源でした。後述するように、三上山さえ写っておれば、たとえその場所が分からなくても、その写真と現実の山の重なりとを照合することにより、撮影位置を推定できることがわかってきました。巻末に付した「谷文晁が見た三上山」はまさにその典型的な例です。われわれにとって全く知らない江戸時代のスケッチであっても、それが架空のものでない限り、この方法でもってすれば、その描写位置を推定することができるのです。

 そういう意味もあって、本書では三上山とその周辺の山々との関係に重きを置きました。それらを知ることによって、風景がより生きたものになると考えたからです。そしてさらに、その理解を助けるために、方位30度ごとに、それらの山々の展望スケッチ図を挿入し山名等を明記しました。写真だけでは、その時どきの気象条件その他で、必ずしも山の重なりがはっきりするわけではなく、それを補う意味です。もっと細かい角度別の展望図も準備したのですが、紙面の関係で収録を断念しました。

 ここに収録しました写真一枚一枚は、平凡な風景写真に過ぎませんが、それらを有機的に繋ぐことによってそれぞれの情報量が倍加しました。「さんさん会」という素人写真集団の存在価値もそこにあったのかもしれません。この写真集が、湖南平野の過去・未来を結ぶ風景のデータベースとなれば幸いこれに過ぎるものはありません。

2006・07・22
八 田 正 文



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