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写真集『近江富士百景』

12   月 

Web版初稿UP:2012.02.28
 

 

092.初冬の朝

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 撮影日:1978.12.03
場所:守山市三宅町

撮影:2002.08.16・1

 刈り終わった稲がかけられ、切り株から青い芽が吹き出している。
 撮影場所は、現在の守山市民ホールの北側あたりだと思われるが、風景ががらりと変わってしまい、もはや場所の特定は不可能である。

CD版コメント
> 撮影してから4分の1世紀を迎えようとしている。 撮影メモには、「三宅町」とあるだけで、具体的には何も記録を残していない。淡い記憶を頼りに「現場」と思えるあたりへ行ってはみたが、 関連づけられるものは何もなかった。
 積みワラの取り扱いかたからして、それで何かを隠しているようにも思われるが、隠したものが何なのか、それすら記憶にない。この中からあえて場所特定のキーになるものといえば、左側の樹木しかないが、20年も経てば樹木の形も変わってしまう。 結局これ以上場所の特定は不可能とあきらめざるを得なかった。

 

093.初冬の野辺

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 撮影日:1980.12.14」
場所:野洲町(現野洲市)南桜

撮影:2002.08.06・1

 きれいなカーブを描く農道。モネの絵を思わす積みわらに初冬の夕陽が赤い。その向こうは整備される前の大山川の堤防。
 いま、この道はかろうじて残っているが、堤防は大山川桜公園として整備された。

CD版コメント
 ここは上の文章の通りだった。まさにそのルートだけが残ったという感じ。周辺の風景は一変していた。大山川の堤防そのものが、きれいなこぢんまりした風景に変わったし、堤防まで続いていた田圃は、家庭菜園風の畑に変わっていた。それよりも何よりも、農道いっぱいにくっついて民家が建ち、その横でカメラを構えることすら気がひける感じだった。

 

094.光る川面

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 撮影日:1980.12.14
場所:守山市川田町

撮影:2002年ごろ・1

 野洲川放水路川田橋からの撮影。三上山の上にまわった太陽が、川面をきらきらと照らす。昨夜来の冷え込みに、浅瀬が白く凍っている。

CD版コメント
 完成間なしの放水路。流路が定まらず、川幅いっぱいに広がって流れていた。川田橋からの風景といえば、まず最初に思い出すのが、この明るい開放的な風景である。
 私自身、旧川田橋からの眺めについては何の記憶もないが、南北両流とも狭く陰鬱で、堤防には樹木が生い茂り、その上、 当時の地図を見ると旧川田橋から見る三上山側は、大きくカーブしているため、おそらく山自体を見ることは不可能であったろう。 それに比べると、新しい風景は広かった。そして、まぶしいばかりに明るかった。

 

095.凍れる風景

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 撮影日:1993.01.03
場所:守山市立入町

撮影:2002年ごろ・1

 放射冷却で冷え込んだ冬の日の朝。野洲川放水路からの三上山。中空に上がった冬の低い太陽に、流れるような白雲が光る。

CD版コメント
 通水間なしの新野洲川放水路。川床は平でその上を偏りなく水が流れていた。目立った木や草もなく、冬になると琵琶湖からやってきたユリカモメの遊び場でもあった。川床上を自由に移動でき、 思うがままにカメラをセットできた。
 場所は、現在の近江富士大橋(この当時は近江富士大橋はなかった)と川田橋のちょうど中間点あたり。竹生あたりから上流に向かって続いてきた旧北流の堤防林がとぎれるあたりである。写真の対岸は野洲町市三宅。

 

096.夕光石仏

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 撮影日:1980.12.29
場所:野洲町(現野洲市)三上

撮影:2002.12.11・1

 澄み切った冬の夕方。野の仏にオレンジ色の透明な夕陽が鋭く当たる。
 この石仏はバイクがやっと通れるぐらいの細い里道沿いに並んでいたが、最近その道が整備され、同時にこの石仏も柿の木もなくなってしまった。

CD版コメント
 上の文章では、「石仏も柿の木もなくなってしまった」と書いているが、これも前回写真集編集のとき、最終確認を怠ったための間違いである。ご覧のように、両者とも健在である。近くで行われていた水門の工事を見て、早合点をしていたのだろうか。 いずれにしても言い訳のできない失敗である。とはいえ、細かく見れば地蔵さんの配置が微妙に違う。何度か置き換えられているのだろう。
 柿木だけに視点を置けば、この風景は文句なしに冬がいい。しかし、葉がなくなってしまうと、国道沿いの建物が目立ってくる。痛し痒しである。

 

097.冬枯れの野

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 撮影日:1981.12.29
場所:野洲町(現野洲市)南桜

撮影:2002.08.22・1

 野洲甲西線を甲西町のほうからやってきて、名神高速道路の下をくぐると、フロントグラス全面に三上山が飛び込んでくる。 山の高さ大きさともに申し分なく印象的なところである。道は緩い勾配を下るが、これはその勾配を下りきったあたりからの撮影である。
 薄い霧が遠景の近江富士団地の家並みや、野洲甲西線のガードレールを押さえてくれる。

CD版コメント
 20年前、何の気なしに撮ったこの写真も、いまとなっては厄介な代物になった。 撮影場所の同定のしようがないのである。およその場所は間違いないのだから、それでいいといってしまえばそれまでだが、 霧で山麓の細部は見えないし、比良山との山の重なりはなおさらのこと、唯一の頼りとなるはずの、このえもいわれぬカーブ、これ自体が完全に消えてしまっているのだから、お手上げである。

 

098.雪 の 野 辺

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 撮影日:1978.12.31
場所:野洲町(現野洲市)三上

撮影:2002年ごろ・1

 昨日の雪がうそのような快晴。山の斜面が太陽に照らされて、上昇気流があるのだろうか。山頂付近にわずかに雲の動きがある。新しく整備された野洲甲西線の脇にあった石仏。工事で場所を変えられたりしたが、今はなくなってしまった。

CD版コメント
 なつかしい石仏である。どんなときでも、 そこへ行って三脚をを立てるだけで絵になった。田圃の中の電柱も木製でほとんど目立たず苦にならなかった。 現在のコンクリート製のと比較して、その差は一目瞭然である。
 場所は、県道504号を大畑から御上神社前へ向かって、野洲川運動公園への道を右へ分ける手前の左側である。現在もちょっとした空き地になっていて、それらしい雰囲気があるが、 ご覧のようにコンクリート製の電柱が風景をぶちこわしている。

 

099.雪 晴 れ

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 撮影日:1978.12.31
場所:野洲町(現野洲市)三上

撮影:2002年ごろ・1

 三上山と組み合わせて絵になる民家はほとんどない。そんななかでかつての庄屋さんであろうか、唯一この家だけは立派な風景となる。太陽が高くなり、雲が動き出している。

CD版コメント
 民家周辺の細かい変化を除けば、基本的な風景はほとんど変化していない。 これほど変わらないところも珍しい。あえていえば、昔の写真では黒い色をしている三角屋根がハイキーなグレーに変わったことぐらいだろうか。
  この風景は、行畑から野洲高グランドの横を通り、R8三上へ向かうとき、いやでも目に入ってくる。三上山と民家との組み合わせでは最高のものである。 いつまでもこのままであってほしいというのが、私の勝手な願いである。
 厳密にいえば、今の写真は民家に対して山がやや高く見える。これはカメラの高さの違いである。 あと20cmカメラの位置を少し低くすれば、完全な昔の構図に戻る。

 

100. 雪 の 里

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 撮影日:1978.12.31
場所:野洲町(現野洲市)三上

撮影:2002年ごろ・1

 快晴に明けた冬の朝。太陽が高くなるにつれて雲の動きが出てくる。御上神社の杜近く、小川のふちの2本の木。好きなモチーフで何度となくカメラに収めたが、この木も小川の改修工事に合わせて、伐り取られてしまった。

CD版コメント
 御上神社の北西に広がる田園地帯、ここ20年ほどの間、県道504号が通じたことを除けば、風景の変化が比較的穏やかなところである。
 しかし細部を見れば、ご多分にもれず、積年の変化は十指に余る。小川がコンクリートで固められ、二本の木がなくなった。私がこの木の姿を最後にフィルムに残しのがた1979年12月であるから、この木が姿を消してから20年以上が経過した。 この木の場所の特定も、もはや不可能になった。
 とはいえ、県道504号を大畑から御上神社前へ向かって走る時、車窓左側に広がる風景が、三上山屈指のビューポイントであることは間違いない。

 

101.めがね樹

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 撮影日:1977.05.03
場所:野洲町(現野洲市)三上

撮影:2002.11.30・1

 御上神社の森近く、野洲甲西線のそばにあるめがね樹。
 どうしてこのような木ができたのであろうか。根本は一本、途中で二本になって 、みごとな輪を作り、その上でまた2本に2っている。人工的なものか、それとも自然にできたのか。
 根本に地蔵さんがまつられているが、三上山とは一つの画面に入らない。

CD版コメント
 『近江富士百景』に「どうしてこのような木が…」と書いたところ、地元のI氏が「昔、うちの祖母が何かの都合で2本の幹をちょっと くくっておいたところ、いつのまにかくっついてしまった」のだと教えてくださった。
 この木と初めて出会ってから、はや20年以上が経過した。 木は成長して太くなり、逆に穴の部分が小さくなった。穴の向こうから、リスか何かが、ひょいと顔を見せそうな気がする。

 
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