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写真集『近江富士百景』

11   月 

Web版初稿UP:2012.02.28
 

 

084.色 づ く こ ろ

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 撮影日:1992.11.08
場所:野洲町(現野洲市)北桜

撮影:2003.01.12・1

 三上山そのものは常緑樹に覆われていて、ほとんど色づかない。秋を撮ろうとすると、周囲の落葉樹と山とを合わせなければならない。
 ここは花緑公園にある森林センターの庭。落葉樹や常緑樹が雑多に植わっているため、絵をつくるのに苦労する。

CD版コメント
 希望が丘道路・県道325号を南桜から希望が丘へ向かって走ると、上をまたぐ歩道橋を2つくぐる。2つ目をくぐったところで左に森林センター・ウッディルームという案内があり、 そこを入ると右側に駐車場がある。写真の桜の木は、駐車場入り口の反対側、左の庭にある。写真のような小道が自然にできているのですぐ分かる。
 ちょうど10年前の撮影だが、新旧比較してみて、少し枝振りが変わったぐらいの変化でしかない。上の文章にもあるように、個々の木は立派な木だが、雑多なため写真にはなりにくい。

 

085.晩秋の野

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 撮影日:1978.11.23
場所:栗東町(現栗東市)苅原

撮影:2002.08.30・1

 JR琵琶湖線と草津線との分岐点、両線に挟まれた地点からの撮影。当時でも工場が多く、撮影しにくい場所であったが、刈り終わった稲や竹藪でそれを隠して、何とか絵になった。
 いまは住宅が建ち並び、ここに立っても三上山は見えない。

CD版コメント
 これも撮影してから20年以上が経つ。撮って間なしに住宅が建ちだし三上山は見えなくなった。 しかし、これはいわば日常的に起こっていることであって、さして珍しいことではない。現に、私の自宅についても同じことがいえる。
 それよりも、この周辺が大きく変わりだしたのは、 1991年、JR琵琶湖線栗東駅の開業によるところが大きい。そう大きくない住宅地を三上山側へまわってみると、昔ながらの田園の向こうに、驚くばかりの高層建築が建ち並び、よほど注意してみなければ三上山は見えない。

 

086.秋 の 里

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 撮影日:1979.11.25
場所:野洲町(現野洲市)三上

撮影:2002.12.11・1

 収穫が終わってしばらく経ち、稲の切り株から青い芽が出てくる。もみ殻を焼く煙が静かに流れる。右側の森が御上神社の杜。車の音もここまでは聞こえてこない、静かな里の秋。

CD版コメント
 御上神社の森の近く、家庭菜園風の畑がある。 当時はこんもりと盛り上がった一角だった。昔の写真で、積みワラが見えるのがその盛り土である。今も何となくそのイメージが残っている。
 昔の写真を見ると、半分煙に隠れているが、御上神社の森のはずれ、左側にスレート屋根の大きな倉庫風の建物がある。当時は結構目立って それを隠すのに苦労した。今もその建物はあるが、その手前に民家が建って、あまり目立たなくなった。
 全く何の手がかりもないほど変わってしまったところに比べると、三上山の原風景ともいえるこの景観が残っていてくれることは、ありがたいことである。

 

087.晩秋の朝

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 撮影日:1990.11.25
場所:守山市木浜町

撮影:2003.01.08・1

 琵琶湖大橋ゴルフコース南側の湖面の一角が、新たに開通した湖岸道路で仕切られて池になった。冬の朝には水鳥が羽を休める。 池面からわき上がるモヤ。三上山がミルク色にかすむ。

CD版コメント
 今、このページを編集しながら、新たな疑問がわいてきた。 上の文章は、明らかに湖岸道路開通後のものとして書いているのだが、湖岸道路の琵琶湖大橋-近江大橋間が開通したのが1992年だから、この写真を撮影したときはまだ開通していないことになる。 となればどういうことか。構図は湖岸道路からのものとしか考えられない。部分的に開通していたのだろうか。それとも撮影年月のデータが不確かであったのか。
 湖岸道路未開通、撮影年月が正確だとすれば、ゴルフコースの南西端あたりから撮ったものと考えるしか解決の手はないのだが。

 

088.霧 の 朝

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 撮影日:1990.11.25
場所:大津市衣川一丁目

撮影:2003.01.08・1

 琵琶湖の東岸守山方面はずいぶん深い霧だった。途中で引き返そうかとも思ったが、ひょっとして思いがけない風景に出会えるかも知れないと、そのまま橋を渡った。
 着いてみると三上山がやっと見えるか見えないかの視界。そんな霧の中で、東の空がわずかに明るくなって太陽が昇る。

CD版コメント
 水平線と平行に点々と沖に並ぶのは、「浮き魚礁」と いって、エリと同じ原理で魚を捕る仕掛けだと、我が家へ仕事できた畳屋さんが教えてくれた。以前から、あれは何だろうと不思議に思っていたのがすんなりと解決した。 そんなことで、及び腰で入力したら、何のことはない一発ですぐに出た。そうか知らなかったのは自分だけだったのか。
 場所はR116沿いのアヤハディオの駐車場である。12年前そこがアヤハだったかどうか記憶にない。

 

089.浮御堂の朝

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 撮影日:1982.11.28
場所大津市本堅田一丁目

撮影:2002年ごろ・1

 雲一つなく晴れ上がった秋の朝。浮御堂から見ると、かなり左手から昇った太陽が、30分あまりで三上山の真上に来る。少し風が強く、細かい波が光を返す。

CD版コメント
 浮御堂の門の左手に琵琶湖に通ずる空き地があるが、ネットのフェンスがあって浜へは出られない。アイレベル撮影ならネットの上から撮ることもできるが、 カメラ位置が高くなって水平線と浮御堂の床の高さが一致してしまう。水平線を下げるためにはカメラ位置を下げる以外方法はない。やむを得ずレンズをネットに密着させて撮影することになる。
 そんな苦労をしなくてもお寺の中から撮ればいいではないか、という人もいるが、 残念ながら日の出のこの時間、お寺の門はまだ開いていない。

 

090.竹 林 微 風

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 撮影日:1978.11.26
場所:野洲町(現野洲市)三上

撮影:2002年ごろ・1

 三上山の北西、三上の集落から少し離れたところに古墳のような盛り土があって、数本の竹が生えていた。どんより曇った晩秋の午後、その竹の葉が、あるかなしかの風にゆれる。。

CD版コメント
 撮影したときは、田圃のなかの道沿いに、 ひっそりとした盛り土があるという風情で、木と竹が入り交じって生えていた。その中へ入りこんで竹だけをアップして前景に入れた。 現在の野洲高校グラウンドは当時農業科の農園で、この付近には民家もなかったが、その後、盛り土のすぐ横に数軒の家が建って、撮影しにくくなった。
 現在は盛り土が草で囲われ、よほどの覚悟がなければ入る気にはなれない。それと、写真の右端に見える鉄塔が立って、それに連なる高圧線が三上山を横切り、ますます撮りにくくなった。

 

091.晩秋の池面

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 撮影日:1980.11.27
場所:野洲町(現野洲市)入町

撮影:2001.08.17・1

 野洲町入町、農業用水池からの撮影。音もなく風が立ち、さざなみが池面をつつっと走る。上下対象の鏡像が一瞬崩れ小さな波が夕陽に光る。  国道8号に近いのだが、走る車の音もここまではほとんど聞こえてこない。

CD版コメント
 今回、行ってみて驚いた。池をなくしてしまうのかと 思うぐらいの大規模な工事が行われている。訊けば、旧の池の漏水が激しく、新たに作り替えているところだという。かつて池であったところを見ると、随分草が生えていたりして、かなり前から水は抜いてあったことが伺える。
 かつての撮影位置は完全に工事現場になってしまっている。ということで、 今回は工事中の写真を掲載することとする。工事完成が何時かは聞かなかったが、完成すれば、おそらく撮影位置は特定できるだろうから、それまで待つしか仕方がない。

 
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