073.稲 光 る
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撮影日:1990.09.04
場所:野洲町(現野洲市)北桜
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撮影:2002.08.30・1 |
稲の穂が実ってきた。色づいた稲には、しっとりとしたつやのある逆光線がよくマッチする。
三上山の麓に北桜の集落があるのだが、秋の午後、太陽が西にまわって、その家並みが陰にかくれ、黄金色の稲が水平線のように見える。
■CD版コメント これも撮影場所を特定するのが面倒な写真だったが、写真集の写真をよく見ると、高圧線の鉄塔が2本写っていた。(昔の写真は陰に隠れて見にくいが、右側にも写っている。 現在の写真は順光線で撮っているので2本ともよく見える)。これが決め手になった。場所は、公園墓地から数えて1本目の農道と、希望ヶ丘側の山側から数えて1本目の農道が交わるところだった。
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074.野洲川の日の出
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撮影日:1990.09.23
場所:栗東町(現栗東市)出庭
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撮影:2003.01.06・1 |
国道8号野洲川大橋下流左岸、栗東町野洲川運動公園からの撮影。
美しい風景だが、対岸の野洲町側に工場の建物が進出してきて、三上山とはなじまない。初秋のころ、三上山から朝日が昇るときだけ、建物がシルエットに隠れてくれる。
■CD版コメント 野洲川運動公園の最も上流側のグランド(多分軟式野球用だろう)のそばの川原からの撮影。
昼間だとこのように対岸の建物が目に付くが、日の出の強い光がそれを消してくれる。昔の写真を拡大すれば分かるが、太陽の光芒のなかにこの工場の白い建物がうっすらと見える。
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075.彼岸花のころ
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撮影日:1979.09.23
場所:野洲町南桜
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撮影:2002.08.19・1 |
彼岸花とはよくいったもの。毎年彼岸近くになると、きっちりと花が咲き出す。
彼岸花だけを撮るなら、花にピントを合わせればよいが、私の場合は花と三上山の両方にピントがほしい。あおりを使って中間の民家はぼかし花と山頂にピントを合わす。
■CD版コメント 圃場整備をされるまえの田圃である。このころはまだあちこちに樹木も見られ、懐かしい雰囲気をかもしだしていた。
水ぎわに生える彼岸花。あたりは圃場整備で状況が変わり、その中での撮影位置の特定は困難だった。 山の形、近江富士団地の家々と山との大きさの関係などから、このあたりだろうというところを探し出すのが精一杯だった。場所は、圃場のほぼ中央を野洲川と平行に走る中央の水路と県道との間に、もう1本通っている細い水路と高圧線が交わるあたり。
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076.秋の日に
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撮影日:980.10.01 1980.10.01
場所:野洲町(現野洲市)北
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撮影:2002.08.09・1 |
野洲町北の集落の入り口にある一対の灯籠。この構図は秋でなければ駄目。収穫後の秋祭りを連想するからであろうか。
両方の灯籠がまっすぐに立つようあおりを使っている。
■CD版コメント 野洲町北の集落への入り口、道路の左側に一対の灯籠が立っている。 以前は結構存在感があり、県道からでも見えたが、今は、農作業小屋に囲まれてあまり目立たなくなった。車でこの前を通っても、うっかりすると見過ごしてしまう。
ということで、かつてのポジションに立ってみても残念ながら三上山は見えない。
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077.透明な午後
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撮影日:1980.10.01
場所:栗東町(現栗東市)荒張
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撮影:2002.08.30・1 |
栗東町御園から上田上大鳥居町に抜ける県道の途中、金勝山中腹からの撮影。
秋の日の午後、早くも日陰となった谷の向こうに三上山。空は鮮やかな青。
■CD版コメント 金勝の坂で有名な県道12号、もう少しで県民の森というあたりで、 桶谷池への道を右に分ける。その分岐の直前のカーブ際が、上の写真の撮影位置である。
新旧を対比させると、何となく似ているがどことなく違うという感じを受ける。 およそこのあたりであったというおぼろげな記憶があるだけで、三脚を立てた明確な位置までは記憶にない。その上に、撮影後20年も経てば木の形も変わる。さらに厄介なことに、旧の写真で三上山の手前に写っている石部の山も、採石作業によりこの20年間で大きく形を変えた。結局は、 このあたりであっただろうという漠然とした確認しかできなかった。
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078.孤舟・近江富士
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撮影日:1977.10.10
場所:大津市下坂本
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撮影:2002年ごろ・1 |
朝、かっと輝いた太陽は、いつの間にか雲に隠れ、全体が白っぽい風景となる。低い靄が対岸の家並みから、三上山を浮かび上がらせる。静かな湖面に釣り船が一艘。
■CD版コメント 昔の写真は、もう25年も前の写真である。 私の三上山シリーズの中でも、最も古い1枚にはいる。肉眼でちらっと見たぐらいでは、風景の変化はほとんど見極められないが、 レンズを長くしてみると、対岸の守山市の高層建築が目に付いてくる。そしてそれよりも何よりも、画面の右半分を占めようかというゴルフ場のネット。
場所は国道161号沿いの旧坂本城址公園、駐車場もあって、10台前後の車を置くことができる。城址公園そのものには樹木が多く見通しが利きにくいが、それらが葉を落とす 秋から冬にかけては、それらを前景として使うこともできる。
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079.暮れゆく湖畔
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撮影日:1981.10.11
場所:大津市真野浜
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撮影:2002.09.02・1 |
湖西真野浜からの夕景。夏には混み合うこの浜も、秋の夕方ともなると人影もなく静かである。
このころにはまだ琵琶湖大橋の東詰に遊園地があったが、高層ビルは一つだけ。何とか写真になった。
■CD版コメント 遠方の風景としては、琵琶湖大橋東詰にあった遊園地がなくなり、高層建築が一つ増えている。近くの浜では櫛状に見える杭、これが風景を大きく変えている。これは何のために作られたものか。 どう見ても夏季限定とは思われないし。いずれにしても、浜の風景としては気になるところである。ということで、変わったといえば変わったし、変わっていないといえばそうともいえる。
真野浜へは国道161号から直接入れるのだが、道の駅米プラザに車をおいて歩く手もある。 途中真野川を渡ることになるが、その橋の上から見た風景が結構落ち着いている。風景は歩かなければ見えない。
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080.秋の午後
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撮影日:1980.10.26
場所:志賀町(現大津市)栗原
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撮影:2002.09.02・1 |
穏やかな秋の日の午後、湖西志賀町栗原からの撮影。刈り入れが終わった段々畑の向こうにわずかに琵琶湖が見える。
ここから三上山までは直線距離で約18Km、私の撮影範囲で最も遠い部類に入る。
■CD版コメント 今回行ったとき、刈り入れは終わっていたとはいえ、 木々の葉は生い茂り、まだまだ夏だった。しかし、夏と秋の差を差し引いても、どこか風景に大きな違いが感じられた。
今こうして新旧2枚を並べて、その違いを読みとろうとしているのだが、その違いは稲をかけるための木組みのあるなしだけで、これら2枚には大きな差はない。 私が感じているその違いは、現場へ行かなければ感じることができないカメラポジションの自由度である。20年前の栗原は、そこに立ちさえすればどこでも絵が作れた。しかし、今回のこのポジションは閉じこめられた一点から撮っている感じで自由がきかない。
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081.段々畑の向こうに
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撮影日:1980.10.26
場所:志賀町(現大津市)栗原
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撮影:2002.09.02・1 |
志賀町は比良山系の東斜面が琵琶湖に落ち込むところ。
段々畑が午後の陽光にシルエットになる。その段々畑の先に、遠く三上山。点在する木々の姿がおもしろい。
■CD版コメント 前ページにも書いたが、以前の栗原は、前景の写材に対して自由にそのポジションがとれた。 ところが今回行ってみて感じたのは、かつて田圃だったところにも樹木が生い茂り、風景に開放感がなくなったということである。
現地へは、湖西道路和邇ICから入ることになるが、妙道会聖地への大きな標識があるから、それにしたがって進めば心配はない。
私が撮ったのは、アンテナへの道と妙道会への道の分岐点より下流、道が喜撰川と並行するあたりであるが、妙道会聖地からもアンテナの近くからも三上山は見える。
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082.夕日の水郷
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撮影日:1977.10.27
場所:近江八幡市水茎町
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撮影:2003.01.06・1 |
江八幡市野村町から水茎町あたり。田圃に水路が巡らされ、刈り入れどきには、米俵を積んだ舟がその水路を行き来していた。
それも終わった10月下旬、和船に名残の夕日が映える。いまは見られないのどかな風景。
■CD版コメント 書籍版では「野村町」としていたが、今回の確認で「水茎町」と訂正。
県道26号のポプラ並木から少し三上山側へ入ったところという漠然とした記憶だけが頼りだった。かつてバイクで走った細い道は、車が通れる農道になっていたが、和船が行き来していた水路はものの見事になくなっていた。それよりも何よりも、田圃の中に廃棄物最終処理場ができていた。写真集を片手に山の重なりを確かめていたら、処理場の職員さんから「何をしているのですか」と問いかけられた。言葉は丁重だったが、内容は明らかに不審尋問だった。
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083.秋 の 梢
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撮影日:1990.10.28
場所:守山市石田町
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撮影:2003.01.07・1 |
守山中学南側が守山市民運動公園として整備された。これは守山中学の校庭と守山球場の間からの日の出。
守山の市街地に近く、広角レンズでは夾雑物が入り込んで絵にならない。これは360mmに2倍のテレコンバータをつけての撮影。
■CD版コメント 昔の写真を撮ったとき、球場と中学との間は、細い川が流れるだけの空き地だったと記憶する。中学グランドの防球ネットはあったような気がするが、電柱も標識もなかったから、長いレンズを使えば絵が作れた。
木の葉が落ちてしまえば、頂上部だけで絵が作れるかとも思ったが、残念ながら木の形が崩れてしまっている。 昔の木の初々しさが懐かしい。
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