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写真集『近江富士百景』

4  月

Web版初稿UP:2012.02.28
 

 

038.午後の木蓮

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 撮影日:1990.04.02
場所:野洲町(現野洲市)北桜

撮影:2002.12.30・1

 野洲町北桜に公園墓地が整備された。その一角に植えられた木蓮の白い花に、春の日の透明な光。
 西に傾き始めた太陽に、三上山がシルエットに沈む。

CD版コメント
 大山川沿いの公園墓地が整備されたとき、 墓地と道路を挟んで反対側の緑地の一角に植えられたモクレンの木。このときは他の樹木が少なくきれいな花が目を引いた。 しかし、その後さらにクスノキなどが植えられ、その木がどれだったか分からなくなってしまった。木々の間で、小さく咲いているのを見た記憶もあるが、それもかなり以前のことである。  いまの写真の2枚目でおわかりのように、旧の写真は、車の合間を見計らって道路の真ん中に三脚を立てて撮ったのもである。それにしても、今と昔、木の傾き方が逆である。なぜだろう。

 

039.桃の花

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 撮影日:1990.04.02
場所:野洲町(現野洲市)市三宅

撮影:2002.08.26・1

 野洲町市三宅、S化学実験農場の桃の花。特殊な手法が施されているのだろうか、木の幹が白い竜に見える。
 画面の下方はこれがぎりぎりの線。これ以上カメラを下げると、野洲の町並みが入り込み、絵にならない。

CD版コメント
 この写真の撮影位置は、きっちり記憶にあったからよかったが、 もしあやふやだと難儀な写真だった。望遠で山頂付近だけというのは結局山の形しか同定の方法がないからだ。今回も、上の写真から分かるように、 桃の木はすべてなくなっていた。と同時に昔はフェンスの高さがもう少し低かったようである。そうでなければあの写真は撮れない。
 そんなことで、 今回は実験農場を見下ろす野洲川堤防上から撮ったが、場所の最終確認は、昔の写真を拡大してみるとよく分かるが、桃の木の下にわずかに写っている2つの建物と高圧線鉄塔、これが決め手となった。

 

040.午後の桜

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 撮影日:1990.04.20
場所:野洲町(現野洲市)北桜

撮影:2002年ごろ・1

 花緑公園森林センター裏山の遊歩道からの桜。三上山はすぐ目の前にあるのだが、いざ写真に撮ろうとすると、種々雑多な樹木がファインダーに入ってきて絵にならない。
 これはその遊歩道の一角から、たった一箇所ものになるアングル。山桜に午後の光が印象的。

CD版コメント
 当時から樹木が多くて展望があまり利かない遊歩道だった。 そんな中で、この桜の清楚な咲きぶりはみごとだった。何とかその美しさを残したいと、遊歩道から斜面に下りて、幹は無視して上から垂れ下がる枝だけで絵を作った。三脚を立てることもできず、ワイドレンズによる手持ち撮影だった。
 今回、久しぶりに行ってみたが、桜の木自体の枝振りも替わり、 周囲の樹木も成長していて絵を作ることは不可能になっていた。
 場所は、森林センターの駐車場の入り口付近から直接山へはいる遊歩道を登りだして間なしのところである。

 

041.夕日の桜

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 撮影日:1991.04.14
場所:野洲町(現野洲市)北桜

撮影:2003.01.11・1

 野洲町北桜の公園墓地の一角にある桜の古木。かつては数本の松の老木を中心とした林になっていたが、大山川改修工事・公園墓地の造成のため伐り払らわれてしまい、この桜の古木だけが残された。
 古武士を思わす風格のある木である。

CD版コメント
 木そのものに風格があり、周囲にそれに対比する木もないことから、 撮影場所は明確であったが、10年の年月は木の勢いに大きな変化をもたらしていた。枝の端々が朽ち折れ、「古武士まさに果てんとす」という風情である。
 しかしそれも世の常、一つの絵ではあるのだが、墓地の整備によって古木の向こうに植えられた木が成長してきて、風景の邪魔をする。むずかしいものである。今の写真が、昔の写真のように右側の幹のみごとなそりぐあいを表現できていないのは、使っているデジカメの広角度不足による。

 

042.春爛漫

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 撮影日:1993.04.18
場所:野洲町(現野洲市)北桜

撮影:2002年ごろ・1

 野洲町北桜、希望が丘文化公園の近くに「近江富士花緑公園」が整備された。
 しかし、惜しいかな公園中央を高圧線が横切っているため、 三上山に対する撮影位置が極度に限定されてしまう。 これはその電線を避けての撮影。満開の桜が見事である。

CD版コメント
 花緑公園の中に「森の熊さん」という喫茶店がある。 その裏手に芝生ゾーンがあって、花の時期には席取りが出るほ賑わう。そんな人の山に困惑した記憶があったので、この写真はその近辺から撮ったものと思いこんでいた。今回再確認に行ってみて、木の形が全く違うのに気がついた。よく見れば山の形ももっと高所からのものである。 結局そこからついている遊歩道を少し登ったところだった。
 桜の木は意外と原形を保ったままありすぐ見つかったが、周囲の木が大きくなって、 昔のままというわけには行かない。
 Web版追記:「森の熊さん」は現在「Be Cafe」と名が替わっている。

 

043.水ぬるむ

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 撮影日:1979.04.18
場所:野洲町(現野洲市)三上

撮影:2002.08.10・1

 御上神社の杜近くの小川。桜も散って、日に日に緑が濃くなる。高く上がった春の太陽に、流れ落ちる光。
 この岸辺も、のちにコンクリートで固められてしまった。

CD版コメント
 念のためと思って、水門を探して歩いた。50mほど離れて、水門は二つあったが、両方ともここだと断定できるものではなかった。基本的に川の形が変わってしまっているからである。左の写真の草の影から少し見えている鉄の棒が、水門のハンドルである。とはいえ、これは現在ここに水門があるというだけで、かつてのカメラの位置であるという保証はない。誤差100mぐらいの範囲での撮影現場という以外、特定の方法はない。
 こうなった理由としては、県道504号の開通が大きいが、もう一つの理由は、その後に行われた圃場整備が挙げられる。かつての小川の微妙なカーブや段差が失われてしまっているのである。

 

044.菜の花

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 撮影日:1990.04.19
場所:野洲町(現野洲市)南桜

撮影:2002年ごろ・1

 昭和30年代までは、春先に三上山山頂から野洲平野を見下ろすと、菜の花の黄色、レンゲの赤、麦の緑が織り混ざって、 三色のじゅうたんを敷き詰めたようであったという。
 いまではよほど注意して探さないと、菜の花畑も見つからない。

CD版コメント
 県道27号を近江富士団地のほうから甲西へ向かう。南桜の信号までに農道とクロスする。高圧送電線とほぼ同じ場所なので注意していればすぐに分かる。そこを左へまわったところである。
 かつての大山川の両岸はうっそうと繁った林で、 仮に菜の花が咲いていたとしても、アンバランスな感をぬぐえなかったが、桜公園が整備されて風景がスマートになった。 昔の写真は公園の整備途中の感じで、木などは植わっていないから、よけいのこと菜の花とよくマッチした。

 

045.暮れる樹影

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 撮影日:1990.04.19
場所:甲西町(現湖南市) 菩提寺

撮影:2002.12.11・1

 名神高速道路「菩提寺」パーキングエリアのそばにある農業用水池。その池畔に小さな公園があり、木々が葉を落とすとき、絵になる風景となる。
 これは新緑の葉が芽吹き始める直前の撮影。公園のフェンスを画面に入れないようにするのに苦労する。

CD版コメント
 菩提寺PAが拡張された以外、風景の大枠は変わっていないが、昔の写真撮影以来10年以上が経ち、当然のことながら木の枝ぶりが変わっている。公園の向こうの池畔の木々が大きく成長して、池そのものがほとんど見えなくなっている。

 

046.梨畑の午後

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 撮影日:1982.04.25
場所:甲西町(現湖南市)正福寺

撮影:2002.09.01・1

 甲西町正福寺の坂口果樹園からの撮影。甲西町ないしは石部町からの三上山は、菩提寺山の蔭になって、近い割には見えにくいのだが、ここからは菩提寺山の裾の向こうに見える。
 春の午後の柔らかい光が斜めから射し込んで、三上山がかすむ。

CD版コメント
 驚いた。もちろんかなり以前から、果樹園は変わっているだろうなという予感はあった。今回行ってみて、それを上回る変化に仰天した。
 果樹園は完全に姿を消し、「ケアーセンターこうせい」という施設の建物が建っていた。かつて「果樹園前」といった最寄りのバス停も「ケアーセンター甲西前」と名を変えていた。建物は真新しく、建物以外の敷地内はまだ荒れ地のままだった。
 なお、前景として写っている温室ふうの建物は、丸種研究農場のもので、昔の写真にも梨の木の向こうに写っている。

 

047.春の小川

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 撮影日:1980.04.25
場所:守山市石田町

撮影:2002.08.16・1

 撮影メモには、守山市石田町とある。守山中学の南西側、現在の守山運動公園のあたりかと思われる。
 遠くの民家の屋根が、春の高い太陽にきらりと光る。ヒバリのさえずりも聞こえてくる、今はなきのどかな風景である。

CD版コメント
 れも場所の特定に苦労した一枚である。結果、写真集に書いた上の文章がいかに杜撰なものか、今になって恥ずかしい思いである。運動公園とは全く見当違いの場所だった。
 地図の上から、石田町近辺で、三上山の右下に向かって流れる小川をさがし、いくつか探し当てた候補地の一つ一つに実際に立って、 山の重なりやめぼしい建物を探す。こういう場合お寺の屋根がよく決め手になってくれる。現在の写真で、道路の右側ある物置小屋のような四角い建物と車との間に、遠く見える寺の屋根が、古い写真にも写っている。これがなければ同定は不可能だった。

 

048.西の湖夕景

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 撮影日:1979.04.22
場所:近江八幡市白王町

撮影:2002.08.13・1

 西の湖の近江八幡寄り、いまは水郷巡りの舟の発着場になっていて、テントが張られたりして落ち着かない雰囲気になっている。
 このときはまだ観光化されておらず、近江八幡市街にも高層建築がほとんど目立たない。

CD版コメント
 県道526号の近江八幡市と安土町のちょうど境をなすところである。 かつては道路の近くまでが湖で、すぐそこに和船がとめてあるだけの風景だったが、いまは陸地が湖側へ張り出し、そこがにぎやかになった。上の写真は県道から撮ったものである。
 対岸の左半分は近江八幡市街の高層建築物が目立つようになった。それを画面から除くためには、カメラの位置を現在より左へ移動し、多少長いレンズを使う意外に手はない。

 

049.エリ夕照

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 撮影日:1980.04.29
場所:志賀町(現大津市)今宿

撮影:2002.09.02・1

 比良山の南、伊香立途中町から流れ出る和邇川が、琵琶湖に向かって小さな三角州をつくっている。和邇川の北側の浜が和邇浜、ここは南側の今宿浜
。  エリ用の竹が浜に並べられ、比叡山にかかった入り日が淡い光を投げかける。

CD版コメント
 今宿浜もずいぶん変わった。ここへ行き着くまでに、あれこれと迷い時間がかかった。しかし、行き着いてみれば、この浜だけは余り変化していなかった。懐かしかった。
 しかし対岸は大きく変わった。松と白砂の湖岸は、松が姿が少なくなり、代わって高層建築が目立つようになった。 否応なしに時代の流れを感じさせる。
 いま、この今宿浜から三上山を撮ろうとすれば、もう少し場所を変えて、 何らかの形で山と建物のバランスを作らなければならないだろう。

       

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