027.淡雪の朝
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撮影日:1992.02.09
場所:野洲町(現野洲市)北桜
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撮影:2002.09.20・1 |
昨夜の雨が雪に変わって、屋根がうっすらと白くなる程度の積雪。希望ヶ丘へ行く。森林センター近くの遊歩道から木々を通して三上山の頂上付近を見る。
■CD版コメント 場所はある程度はっきりしているのだが、その場所を確認するとなると難しいのではないか。 そんな予感が的中した。場所は、希望ヶ丘西ゲートのほうから花緑公園へ向かう道が、最高地点を越えて三上山側へでようとするところから、左手へ入る遊歩道の途中である。 そこまでは間違いないが、その道のどこかとなるとお手上げである。木が生い茂って、遊歩道から三上山自体が見えないのである。昔の写真の画面左手に写っている木が、 肌に特徴のあるので、せめてその木でもと注意して探したが、それも見つからなかった。
上の写真は、遊歩道のほんの入り口、というより希望ヶ丘道路の歩道のすぐ近くにに立って撮ったものである。
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028.暮れゆく国道
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撮影日:1978.02.11
場所:栗東町(現栗東市)手原
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撮影:2002.08.30・1 |
かつて草津の宿で分かれた東海道と中山道。右をとれば東海道、左をとれば中山道。昔、今日から江戸へ向かう旅人はここで右するか、左するか、 ずいぶん迷ったものだという。
今は、ここ栗東町手原で国道1号と8号に分かれる。
■CD版コメント 草津から来た国道1号が、新たに8号を左へ分かつところである。下をJR草津線が通っている。1978年に昔の写真を撮って以来、4分の1世紀が過ぎようとしているが、道路そのものはほとんど変わっていない。 今回あらためて同じところから撮ってみて、変わったものといえば、照明灯の数が増えたことと、名神への案内表示が新たに加わっていることぐらいだろうか。 最も、道路の左右には色とりどりのにぎやかな建物が増して、時代の変化を感じさせてはいるが。
何年かあとには、この近くに新幹線の新駅ができる。 Web版追記:歴史は変わって、新幹線栗東駅は実現せず。
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029.朝霧に浮かぶ
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撮影日:1993.02.11
場所:守山市三宅町
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撮影:2002.08.07・1 |
守山市民ホール西側からの撮影。この角度からは、市街の高層建築がほとんど目立たない。現在の守山市街地から見た唯一の撮影ポイントかもしれない。
乳白色のモヤが低く立ちこめ、町並みから三上山を浮き上がらせる。
■CD版コメント 撮影してから10年弱だから、 場所の確認に苦労はなかったが、季節の違いにもよるのだろうが、木の姿が大きく違っており、まずとまどいを感じた。地面の近くで左へ枝分かれしていたのが、折れてなくなったのかもしれない。しかしそれよりも何よりも、平安女学院大学の進出で風景ががらりと変った。ここから山そのものが見えなくなるのも、遠い未来ではなさそうである。
10年前の撮影は、木に近づいてワイドで撮っているが、今回は山と大学の建物との関係を明らかにするため、道路上から長めのレンズで撮影した。
Web版追記:このあと平安女学院大学は撤退。新たに立命館守山高校に替わる。
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030.ヨシ刈りのころ
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撮影日:1979.02.12
場所:安土町(現近江八幡市)下豊浦
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撮影:2002.08.11・1 |
西の湖のヨシ刈り。琵琶湖八景にいう「春色・安土八幡の水郷」。大中の湖が干拓されてしまった現在、この西の湖が水郷の中心的存在である。
ヨシ刈りは、年の暮れから早春にかけて行われ、水郷の風物詩の一つになっている。
■CD版コメント ここも季節限定である。ヨシの伸び具合によって、 三上山の見え方が大きく左右される。夏のこの時期、ぽつんと上半身が見えるだけである。現段階ではこれ以上の特定は不可能である。
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031.鏡の湖面
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撮影日:1979.02.12
場所:安土町(現近江八幡市)下豊浦
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撮影:2002.08.11・1 |
西の湖からの三上山。二月の昼前、船着き場に刈り取られたヨシが立てかけられ、湖面が鏡のように静かで明るい。
今は、近江八幡市街に高層建築が目立ち、撮影は難しい。
■CD版コメント 県道511号を、下豊浦から大中のほうへ向かうと、左手に西の湖が見えてくる。点滅信号がある小さな十字路を左へ折れて50mも進むと、左側に空き地があって、ちょっとした駐車スペースになっている。 写真はその空き地から西の湖に向いて、すぐ右隣の場所である。
一時期、高層建築が目立ったことがあったが、左手の向こう岸の林がそれをカバーしてくれて、なんとか絵になる風景になっている。細かく見ればきりがないが、結果的には大きな変化はない。
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032.内湖の午後
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撮影日:1978.02.11
場所:近江八幡市牧町
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撮影:2003.01.06・1 |
内湖の名残だろうか、白鳥川河口の近くにある真珠養殖池。今はこの池と琵琶湖の間に湖岸道路が開通し、車がひっきりなしの通るが、このころはまだ本当に静かだった。
以上は、書籍版の記述である。これは根本的な間違いである。正しいのは撮影年月日だけ。撮影場所、コメント、すべて記憶違いによる誤記である。
撮影場所、正しくは近江八幡市水茎町
■CD版コメント この写真については、長年何の疑いもなしに牧町の真珠養殖池で撮ったものだと思いこんでいた。「百景」 編集の時点でも、それを当然のこととしてコメントをつけているし、今回も気楽な気持ちで現場へ行った。しかし、山の重なりが明らかに異なる。 これは一大事、再確認しなければ。
右往左往しながら探し求めたところは、NO.82「夕陽の水郷」とほぼ同じ、現在の近江八幡市廃棄物最終処理場の近くだった。 そういえば、NO.32とNO.82の山の形はほとんど同じである。 参考:牧町からの写真。三上山の左、稜線の形が全く異なる。
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033.そそぐ小川
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撮影日:1980.02.24
場所:大津市雄琴四丁目
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撮影:2002.07.26・1 |
雄琴川河口からの撮影。
雄琴川は、比叡山延暦寺横川の東斜面から流れ出る全長約6Kmの小さい河川である。下流約3.5Kmは一級河川だが、 この板の橋が架かるぐらいの流れでしかない。
■CD版コメント 雄琴川の河口。三上山の写真を撮りだしたころ、 よく通ったところである。そのころはしっかりした堤防もなく、小さなデルタの上をのんびりと流れて、琵琶湖に注いでいた。 いつのころからか護岸工事が始まり、その完成直後に行ってみたが、当然のことながら工事後の堤防ではどうしようもなかった。
そんな事情でずいぶん長く足が遠のいていたが、今回、久しぶりに行ってみた。堤防には草が生えそれなりの風景にはなっていた。しかし、板の橋が架かったかつての風情はどこにもなかった
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034.樹間紫峰
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撮影日:1991.02.24
場所:中主町(現野洲市)野田
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撮影:2002.08.30・1 |
近江八幡市と中主町との境、日野川堤防からの撮影。透明な午後の光が鋭い。
こうして離れ離れに残された木は風に弱いのか、傾く木が多く、現在は棒で支えられており、それが邪魔になって写真にならない。
■CD版コメント > 棒で支えられていた木もいつしか伐りとられ、 現在はかなり大がかりな河川工事中である。昔の写真は、かなり長いレンズで撮っているので、2本の木以外ほとんど何も写っていない。 こういう写真の撮影場所同定は、山の重なりで確かめるしか手はない。しかし、いかんせん現場が工事中のため、それすらままならない。
現段階でいえるのは、この堤防上のどこかであるということだけである。
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035.川流る
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撮影日:1991.02.24
場所:守山市川田町
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撮影:2002.08.17・1 |
野洲川放水路川田橋からの撮影。
完成したばかりのころは、流れが川幅いっぱいに広がっていたが、いつの間にか流路が定まり、大きく蛇行を始めている。 その川面を太陽がきらきらと照らす。
■CD版コメント この風景は、野洲川放水路工事が作った最大のものである。10年前の撮影に比べて、流路が変わっている以外、風景にはほとんど変化がない。
しかし、2002年4月、このカメラの場所の左後ろ、川田橋右岸下流に斎場ができて、風景が変化しつつある。上流側には変化の兆しは見えないが、できうる限り残しておきたい風景である。
Web版追記:2011年夏ごろから上流側、野洲市竹成で大規模な宅地造成工事が始まって、風景が大きく替わりつつある。
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036. 巨木・近江富士
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撮影日:1978.03.05
場所:野洲町(現野洲市)野洲
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撮影:2002.08.11・1 |
旧中山道野洲川橋西詰の河川敷に生えていた巨大なケヤキの木。守山側から野洲に向かって中山道を進むと、道の向こうからぐんぐんせり上がってくるのが印象的だった。
この木も野洲川改修工事によって伐りとられてしまった。
■CD版コメント > この木は野洲川左岸の河川敷、中山道野洲川橋のすぐ上流に生えていた。 このあたりは、新野洲川放水路工事とは直接関係なく、川筋が変わるということはなかったが、河川敷の整備は行われた。
今の写真のトラス橋はJR琵琶湖線である。書籍版の写真には、下端にわずかに電柱様のものが写っているが、 これは架け替える前の旧鉄橋についていた送電線である。旧鉄橋は現在の鉄橋よりわずかに下流に架かっていた。
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037.梅の香り
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撮影日:1980.03.23
場所:大津市千野
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撮影:2002.11.21・1 |
雄琴温泉街の背後、比叡山の中腹からの撮影。眼下に南湖、守山市街の向こうに三上山が見える。遠くかすんで見える雪の山は鈴鹿山脈。
撮影メモには「大津市野田平」とあるが、今の地図を調べてもその地名がない。このあたりは湖西道路が通っているはずなのだが。
■CD版コメント 今回の撮影場所確認作業で、これが最後まで残った。 上の文のように、「百景」編集時には、「このあたりは湖西道路が……」などと無責任なことを書いているが、 実際には、湖西道路から水平直線距離で2Km以上も離れた山の中だった。千野で道を尋ねると、 「梅林がなくなってもうだいぶになるな、道は細いけど滅多に車は通らんから…」
何となく見覚えのある細い道を登り切る。 そこには、棚田の上と下に離れて民家が2軒建っていた。あのころどうしてこんな山の中の梅林を探し出したのだろうか。
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