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写真集『近江富士百景』

1 月 B

Web版初稿UP:2012.02.28
 

 

012.オレンジ色の朝

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 撮影日:1992.01.05
場所:大津市本堅田一丁目

撮影:2003.01.06・1

 異様な黄色さだった。日の出10分前、地球上のすべての空気がナトリウムイオンになったかのようにカッと燃える。 空間が高エネルギーの光子で満たされ、音を失う。
 次ページ、日食の朝への序曲。

CD版コメント
 浮御堂のすぐ西南隣りに児童公園があり、その公園から漁港まで浜沿いに道がつながっている。その途中に一箇所ヨシの切れ目があって湖が見える。上の写真はそこから撮ったが、それが昔の場所という保証はない。 しかし、そこから漁港までの数10mのどこかが、かつての撮影場所であることは間違いない。
 三上山を撮りだして以来、どこへ行っても他のカメラマンと出くわすことはなかったが、この日(1992.01.05)は、部分日蝕の太陽が昇るということで、 すでに先客が2,3人、やむをえずこの浜沿いの道から撮ることになった。

 

013.日蝕の朝

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 撮影日:1992.01.05
場所:大津市本堅田一丁目

撮影:2003.01.06・1

 部分日蝕の太陽が昇る。学術的には『日出帯蝕』というとか。日の出が7時06分、月の出7時08分。太陽と月の見かけの軌道が同一として、 この2分の差で部分日蝕。これが同時なら皆既日蝕。
 琵琶湖の上には、例によって冬型気圧配置独特の横雲。

CD版コメント
 欠けた太陽が昇る。天体現象が地上の気象に直接結びつくとは思わないが、この朝(1992.01.05)の日の出前は異様な黄色さだった。ヴァイオリンのE線の最高音、いやそれも通り越して耳に聞こえるか聞こえないかの超音波が空間に満ちる。 エネルギーが充満しながらも、音として感知できない無気味さ。そんな不思議な感覚を覚えたものだった。 日蝕の原理を知らない古代人なら大パニックになったであろうことが、さしておかしく感じられない、そんな思いでシャッターを切っていた。
 場所は前ページと同じ、漁港の左の浜である。

 

014.柿の木残照

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 撮影日:1979.01.05
場所:野洲町南桜

撮影:2002年ごろ・1

 野洲町南桜、県道・野洲甲西線と野洲川に挟まれた牧歌的な雰囲気が漂うところ。そんな一角にある三本の柿の木。田圃が段になっている斜面に生えており、その段が、向こうに広がる近江富士団地の家並みを隠してくれる。
 この柿の木も、最近の圃場整備で伐りとられてしまった。

CD版コメント
 圃場整備が行われる以前の南桜の田圃には、所々にえもいわれぬ段差があった。その段差の斜面に柿の木が生えていた。整備されたあと、その段差は圃場のほぼ中央を野洲川と平行に走る水路沿いに統一され、昔の写真の段差がどこだったのか全く分からなくなってしまった。したがって、場所の特定は不可能で、 頂上部の山の形から判断するしか方法はなかった。
 上の写真は、わずかに残っている段差を使ってのイメージ写真である。

 

015.消えゆく木々

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 撮影日:1992.01.05
場所:守山市小浜町

撮影:2002年ごろ・1

 手前の土手は、かつての野洲川北流の堤防。今、それを除去する平坦化工事が行われており、このあたりの風景は日に日に変化していく。これらの木々もいずれは切り取られる運命にある。
 そんな木の姿に思いを込めて、冬の柔らかい光の下でシャッターを切る。

CD版コメント
 予想したことであったが、樹木はほとんど伐りとられてしまった。 幸浜大橋あたりから見ると、新堤防のふちに稲荷神社の森だけが残された感じで、それがまた絵になりつつある。しかし、ここからこのままのアングルでは 全く絵にならなくなっている。
 現場は、稲荷大橋から幸浜大橋までの堤防沿いにつけられた細い道、そのちょうど真ん中あたりにある墓場の横である。
 こうしてみると、一見工事は終わったようであるが、まわりの状況からして、いったん休止の状態であろう。まだまだ目が離せないところである。

 

016.裸木・近江富士

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 撮影日:1991.01.13
場所:中主町(現野洲市)野田

撮影:2002.08.13・1

 近江八幡市と中主町の境を流れる日野川堤防からの撮影。以前、このあたりはうっそうと繁る林だったが、整備作業が行われ、小さな木が伐り除かれた。残された木が、恰好の前景になってくれる。
 朝の柔らかい光に三上山がかすむ。

CD版コメント
 河川敷整備工事でほとんどの木が伐り払われ、数本の木だけが残された。 何回か撮りに通ったが、独立した木は風に弱いのか、支柱で三角形に補強された。その時点で写真の対象ではなくなった。その木もそのあと少しして伐りとられてしまい今はない。 現在、写真で見るように、かなり大がかりな護岸工事が進行中である。
 ということで、例によって、現場の確認は山の重なりを見るしか手はないのだが、幸いなことに、三上山の右裾に重なって、赤白のポールが建っている。多分何かのアンテナだと思うが、これがポイントになってくれる。

 

017.冬の西の湖

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 撮影日:1979.01.14
場所:安土町下豊浦

撮影:2002.08.11・1

 冬型気圧配置の日。いつもは穏やかな西の湖の湖面も、さすがにこの日は細かく波立つ。水の色も見るからに冷たく、ヨシが風を受けてひゅうひゅうと鳴った。
 そんな湖面のはるか向こうに三上山。ここから直線距離で15Kmである。

CD版コメント
 西の湖の東側を、県道511号とほぼ並行にサイクリングロードが走る。 そのころはまだ地道の単なる堤防だったような気がするが、そこから湖面近くへ下りたところだった。ヨシの間の細い道を分けていくと湖面に出た。
 今回その記憶を頼りに訪ねてみた。それらしい場所はあるのだが、なにしろ季節は夏、身の丈の2倍はゆうに越すヨシ原に迷い込んだ感じで、 三上山はおろか周囲のものすべてが視界から消えた。
 ということで、正確な意味での撮影現場の再確認は冬まで待たなければならない。 上の写真は、サイクリングロードから見た現場付近の風景である。

 

018.燦・近江富士

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 撮影日:1980.01.15
場所:大津市衣川一丁目

撮影:2002.11.22・1

 雲一つない快晴に明ける。朝陽が燦然と輝く。三上山からの日の出は、右肩からが最高。湖面も適当に波打っていて、太陽の光を返す。 まさに三上山と琵琶湖と太陽の、非の打ち所のない完全試合。それに快晴の応援団、いうことなし。

CD版コメント
 手前にヨシがあって琵琶湖が広がるだけという単純な風景だったから、そのとき一回かぎりになってしまっていた。 撮影メモにも堅田・雄琴間とあるだけで、きっちりとした場所を記録していなかった。あれやこれやで、結局5回ぐらい通って、 山の重なりを頼りにやっと場所を特定できた。
 場所は現在の新御呂戸川河口あたり。当時、旧御呂戸川は現在公園となっている 砂嘴の上を流れており、新御呂戸川はなかったのだから、風景も一変するはずである。

 

019.川面冬色

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 撮影日:1980.01.15
場所:野洲町(現野洲市)竹生

撮影:2002.08.16・1

 かつての野洲川北流にかかる竹生橋からの撮影。
 野洲川放水路が完成する以前、野洲川はこの少し上流で南流と北流に分かれて琵琶湖へ注いでいた。今、この川には水は流れていない。

CD版コメント
 旧野洲川北流に水が流れなくなって久しい。その後、 水が流れないまま旧の状態で残っていたが、ここ2~3年徐々に変化しつつある。旧竹生橋(たけじょうばし)も、2001年9月ごろ撤去され、 今はその数m下流にそれに変わる道路がつけられた。左の写真は、その道路から見た三上山である。
 ところで、旧北流の写真は、竹生橋から撮ったものには違いないが、水面に近い距離から撮っている。随分昔のことで、記憶も怪しくなっているが、橋の下へ回り込んで、 橋桁のどこかから撮った気がする。橋桁へどうして行けたのか不思議だが、そう苦労もせずに行けたような記憶がある。

 

020.松の木を通して

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 撮影日:1982.01.17
場所:野洲町(現野洲市)行畑

撮影:2003.01.12・1

 野洲町の新幹線と国道8号との間からの撮影。以前は田圃が多く、田園的な風景が広がっていたが、最近は、ここにもマンションなどが建ちだした。
 行畑と妙光寺の境界に当たるところに、松の木が20本ほど植わっており、田圃の段差とともに、国道を行く車などをうまく隠してくれた。この松も今はない。

CD版コメント
 松の木に特徴があったから、撮影場所の記憶はかなり正確に残っている。 しかし松の木がなくなった今、場所の確認はやはり山の形に頼らねばならない。松の木が生えている段差は現在もあるのだが、その高さが、昔ほどでないような気もする。
 旧の写真で、三上山の右下に見える高圧線鉄塔は、新の写真でも注意してもらうとわずかに見える。

       

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