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写真集『四季近江富士』

な つ

初稿UP:2012.02.14
 

 

1020.三上倒影

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 撮影日:1979.10.11
場所:甲西町(現湖南市)菩提寺

2004年ごろの様子・1

 名神高速道路 菩提寺PAそばの農業用水池(大山池、ここから流れ出る川が大山川。南桜さくら緑地を流れて野洲川に至る)に映る三上山。このときは何かの事情で放水されていたのだろうか。中州が浮きだし、そこで白鷺が遊んでおり、普段水があるときでは見られない風景だった。これは上の余計いなものはいらない。投影した頂上部だけで絵を作った。
 県道22号を石部のほうから進む。平和堂の前で南桜から来たバス道と出会う。次の信号をそのまま直進し、サイドタウンへ向かう。名神の手前の住宅地の道路を左折。一番奥まで突っ込めば池畔に出る。南のほうにも住宅地があって、そこからも行けそうだが、 児童公園を境としてつながっていない。車による通り抜けも不可能である。
 この池、現在は対岸のパーキングエリアが拡張されたため、このときより狭くなっている。その工事のため一時は風景が破壊されたが、その後年月がたって風景になじんできた。5月末から8月末まで、夕陽が三上山に沈むころが撮影チャンスである。太陽の強い光が、パーキングの雑物を消してくれるからである。

 

1021.夏の日に

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 撮影日:1978.08.19
場所:野洲町(現野洲市)三上

2004年ごろの様子・1

 暑い夏の日の午前、砂利道からの照り返しを撮ろうとカメラをセットしていたら、夏草の向こうからお婆ちゃんが現れた。真上から照る太陽に、パラソルを通す光が印象的だった。私が作った写真集3冊の中で唯一の登場人物である。ある会合の時に、「あなたの写真には、なぜ人物が写っていないのか」という質問を受けたことがある。べつに意識的に排除しているわけではないのだが、三脚に中判カメラという撮影スタイルが結果的に人物を受け入れにくくしているようである。35mm判のようにとっさのスナップができるカメラではない。農作業中に近づいて三脚を立てるのも気が引けるし、逆に三脚を立てているところに人が通りかかっても、相手が気を遣って避けて通るからである。
 撮影場所は、御上神社のすぐ近く、三上の集落から県道504号に通じる農道が部分的にカギ形に曲がっているあたり。現況写真で黒い車が走っている辺りがお婆ちゃんの位置、右手から下ってくるガードレールの切れた辺りがカメラの位置とすれば、一応のつじつまは合う。
 現在は 両脇がガードレールで固められ、情緒の入り込む余地はない。

 

1022.夏の野

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 撮影日:19xx.xx.xx
場所:野洲町(現野洲市)三上

2004年ごろの様子・1

 この画面の右前方御上神社の森の近くが、前ページのお婆ちゃんを撮った場所である。すなわち、おばあちゃんを撮ったところから、小川に沿って200mほど下流へ下ったあたりがこの「夏の野」の撮影位置 ということになる。と、ここまでは当時の記憶を頼りに書けるのだが、現状に照らして、それがどこに当たるのかとなると、何とも心許ない。 当時は、川沿いの木が目印だったが、これもとっくの昔に切り取られてしまっている。川そのものも、その後改修されて様子が変わってしまっている。 現状写真に写っている川も似ているようでどことなく違う。同定の材料としては御上神社の森と、左端に見えるお寺の屋根ぐらいしか考えられない。現在の県道504号開通以前の風景である。
 結局、県道とこの水路が斜めにクロスするあたり、株式会社「ダイアナ」の社屋の前あたりだとしかいいようがない。いずれにしても、 「40.三上秋景」「54.雪の里」 とこの「22.夏の野」は、ほとんど同じ位置からの撮影のようである。「夏の野」に比べ、前二者の山が大きく見えるのは、レンズの長さの違いによる。

 

1023.夏 空

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 撮影日:1978.07.30
場所:野洲町(現野洲市)三上

2004年ごろの様子・1

 これもおよその場所は分かるが、最終的にはこの辺りというしかない。目の前に三上山があるというだけの単純な構図で、 ポイントを比定するだけの材料がどこにもない。場所は、行畑から野洲高校の前を通って 国道三上に向かう旧の県道504号が、信号の手前最後の左カーブにさしかかる直前辺りだったような気がする。それすらも淡い記憶で確たるものではない。
 写真を拡大して見ると分かるが、ケイトウの花と花の間に横に走る電線が見える。国道8号沿いの電線である。電柱はケイトウで隠しているのである。しかし、それで分かることはといえば、国道からそう遠い距離ではないということだけである。
 次のページの 「24.夏の午後」にもいえることだが、 現在の写真 では、山頂直下右側に 岩の露出が見える。せめて昔の写真にそれが写っていおれば、ポイントになったのだが、それもない。漠然と見ておれば何の変化もないように見える山肌も、こうして比較してみると結構変わっていることに気がつく。しかし、気がついてみたとしても、この場合は何の役にもたたない。

 

1024.夏の午後

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 撮影日:1979.08.17
場所:野洲町(現野洲市)三上

2004年ごろの様子・1

 これも場所を特定できる材料はどこにもない。山頂部分のアップだからどうしようもない。現在は、この辺りから見ると、山頂直下に岩が露出している部分が見えるのだが、このときはそれも見えない。こうして改めて見てみると、ほとんど不変に見える山肌も、結構変化していることに気づく。
 ということで、撮影場所の特定は、記憶に頼る以外方法はない。それも20年以上前の淡い記憶であり、漠然とこの辺りとしかいいようがない。現在の地図でいえば、 県道504号から河川敷公園の方へ入り、そこからさらに 国道寄りに入り込んだところだったろうか。もちろん撮影当時は県道そのものがなかったのだから、バイクでなければ行けないような細い道をたよりにたどり着いたところだった。
 現在の写真で左端に写っている建物はダイアナの社屋である。180度の分度器を半分に切ったような特異な形をしているから、初めての人でも見落とすはずがない、目印としては格好の建物ではある。この建物の向こう側が県道504号。それに沿って立てられた電柱が三上山の下に見える。

 

1025.たなびく霞

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 撮影日:1981.09.15
場所:近江八幡市長命寺町

2004年ごろの様子・1

 長命寺の参拝駐車場からの撮影。長命寺港のすぐ前から長命寺に向かって石段が直登するが、その左手から林道がつけられていて、標高200mの駐車場まで車で上ることができる。重いカメラを担いで上がる身にはありがたい。
 私の3冊目の写真集『近江富士遊々』にもこれと略同一の構図のものを載せているが、『遊々』のほうは、この駐車場からヘアピンカーブを一段下がったカーブから撮っている。標高にして50mも差はないと思うのだが、できあがった写真の高度感は全く違う。当然のことだが、こちらの方が風景を見下ろす角度が大きく平野が広く見える。
 と、ここまでは、この「たなびく霞」と遊々の写真を比較して書いたのだが、実際に行って見て驚いた。上の駐車場からは、ほとんど眺望が利かなくなっていた。樹木が伸びたためである。木と木の間から覗くようにして見えるだけで、「平野が広く見える」なんてものではない。 背後の斜面を1mほど登って高さをかせいでも この程度のものである。いずれにしてもここからは、山が見えるというだけで、少なくとも展望は望めなくなってしまった。 2004年ごろの様子・写真4が一段下のカーブからの現状。

 

1026.夏の夕暮れ

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 撮影日:1981.08.16
場所:野洲町(現野洲市)南桜

書籍版には、撮影位置が「北桜」とあるが、再確認の結果「南桜」であることが判明。
2004年ごろの様子・1

 写真集では撮影位置が「北桜」とある。しかし、今回あらためて見直してみると、煙の向こうに黒い木立の帯がある。北桜にはこのような林の帯はない。これは大山川の堤防であろう。山頂部のとがった形も 南桜の集落付近から見るものである。 ここ以外にこのように尖って見える場所はない。写真を拡大(写真クリック)してみると分かるが、煙が立っている場所のすぐ左に送電線の鉄塔が見える。 今現場に立ってみると、その位置関係が間違いなく確認できる。それと、画面右端にチラッと見える田中山、撮影位置は明らかに南桜である。
 撮影が1981年、『四季近江富士』の出版が1982年、その間1年でこの間違い。恥ずかしいことである。なぜそんな間違いが起こった のか。1年前のことであるから、場所そのものを誤認することは考えられない。考えられる理由は、今も多少その傾向があるのだが、 南北の勘違いである。京都という東西南北がはっきりしたところから、滋賀県へ引っ越してきて、最初のうちは方位感覚が身に付かずに難儀した。とっさの場合、南北が逆に なってしまうのである。これも、位置は正しく理解をしていながら、ついうっかり南北を間違ったものだろう。

 

1027.丘陵の向こうに

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 撮影日:1980.10.01
場所:栗東町(現栗東市)荒張

2004年ごろの様子・1

 栗東町高野から信楽へ通じる県道12号、 金勝の急勾配を登り切ったところに金勝山県民の森がある。今その一部が道の駅「こんぜの里りっとう」になっている。その前で県道から分かれて、林道を金勝寺へ向かう。道はさらに登りになるが、しばらく行くと下から上ってくる別の林道と出会う。地図では表現されていないが、その三叉路、金勝寺の方へはカーブがきつく、ほとんどの車は一度で曲がりきれない。無理に曲がろうとせず、道なりに出会った林道へいったん入り、50mほど下ると広場へ出る。そこでUターンをすればいい。
 この写真は、その三叉路から少し金勝寺のほうへ上ったあたり。急坂を登りつめてきただけに眺望は抜群である。画面の右に枝と重なって見える緑地が県民の森である。
 さて、ここまでが予定原稿である。実際はそうは行かない。上に書いた広場へ車を置いて、自分の足で歩き出したのだが、いっこうに三上山が見えてこない。こんなに遠かったのかなと思う。もう一度、三叉路のすぐそばだったという記憶を頼りに、注意して木を見ていくと、どうもこの木らしい。 大きく伸びた杉の木がすべての眺望を奪っていた。

 

1028.初秋の朝

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 撮影日:1981.08.05
場所:栗東町(現栗東市)出庭

2004年ごろの様子・1

 国道8号と新幹線の間、野洲川左岸の栗東市野洲川運動公園横、堤防に並ぶ松の木と三上山。連日の炎暑の中で、立秋前後にやってくるつかの間の秋である。撮影場所は、現在の栗東市野洲川体育館辺りかと思うが、これも漠然とした記憶だけが頼りで、確たるものではない。
 とりあえず、体育館の前へ行ってみた。なんとなく昔の雰囲気がよみがえり、間違いはなさそうである。しかし、20年を経て松の木も変化している。その上、昔の写真は堤防辺りが完全にシルエットになっており、細かいことが読み取れない。あえていえば、昔の写真で三上山のすぐ左に見える木が、 いま左の建物の後ろから覗いている木になんとなく似ているといえばいえる、といったぐらいである。それともう一つ、 これも感覚的な記憶に過ぎないのだが、カメラと三上山が結ぶ線が堤防に対してもっと鋭角だったような気がする。仮にそうだとすると、もっと左へ寄ったところだということになるのだが、これ以上の確認は無理である。いずれにしても、細かいことを抜きにすれば、この体育館近辺であることは間違いない。

 

1029.三上夕映え

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 撮影日:19xx.xx.xx
場所:甲西町(現湖南市)菩提寺

2004年ごろの様子・1

 名神高速道路菩提寺PA近くの池畔からの撮影である。当時、菩提寺の農業用水池(大山池)からの撮影ポイントは2カ所あった。一つは 「20.三上倒影」 もう一つがこの「夕映え」である。地図を見比べるとわかるが、一つは ハイウエイサイドタウンに近い側、もう一つはみどりの村に近い側である。南桜から名神をくぐって菩提寺へ向かうと、いったん県道22号に突き当たり、枡形になって平和堂の前を通り、信号を右折して竜王インターの方へと続いている。最初に県道に突き当たる300mほど手前に、「車は直進、住宅地内を通過しないで下さい」旨の看板が出ている三叉路がある。あえてそこを左折して(ゴメンなさい、通り抜けではありませんので)、住宅地に入ると奥まったところに自治会館がある。この 自治会館が建つ前は、池畔に花崗岩質のきれいな砂地の空き地があって、そこから三上山が撮れた。現在でも、 自治会館の中庭は池に面していて、条件さえそろえば絵になるところである。
 石部方面から県道22号を来た場合は、コンビニの信号を左折、すぐ目の前の信号をもう1つ直進すると、突き当りが自治会館の中庭である。

 

1030.三上残照

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 撮影日:1979.08.31
場所:甲西町(現湖南市)菩提寺

2004年ごろの様子・1

 県道22号を菩提寺から竜王インターの方へ向かう。道が名神と併走する八重谷越にさしかかる手前に近江台という住宅地がある。西向きの斜面に開かれた住宅地で、今のように家がきっちり建っていなかったころ、いちばん奥の高台から見る夕焼けはみごと だった。画面の左緩やかなピークをなすのが比叡山。三上山の下から右手に水平に伸びる光跡が名神高速道路菩提寺バス停あたり。
 家が立ち並んでしまってからは、足が遠のいてしまっていた。はたしていま、そこから三上山が見えるのか。住宅地の一番高所に 高圧線鉄塔が立っている。見えるとすればその付近である。昔の記憶を頼りに斜面を上り詰めると、西側に向かって切り落とされた斜面があって、葉を落とした木々の間から意外とあっさり 三上山が見えた。
 今回の写真としては、これをもってよしとすべきなのだが、昔の記憶とはどこかに違いが感じられる。それが山の重なりにも現れていて、 三上山から右に続く稜線がなんとなく違うのである。昔の位置は、三上山に向かってもう少し右だったような気がする。

 

1031.暮れゆく三上

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 撮影日:19xx.xx.xx
場所:栗東町(現栗東市)安養寺

2004年ごろの様子・1 山頂の展望台

 名神栗東インターチェンジの南西に位置する安養寺山(234m)。三上山の標高が432m、何の意味もない数字あわせだが、これらがごく近くに あるのだからおもしろい。この山の頂上近くに栗東町(現栗東市)の水源タンクがあって、その横のかなり急な石段を登りきったあたりから 三上山が見えた。この写真の撮影年月日は不明になってしまったが、1980年前後であることは間違いない。
 その後約20年たって、『近江富士遊々』に1999年撮影のほとんど同じ構図の写真を載せている。両者同じ構図に見えるが、すでにその時点で、伸びた木のために以前の石段最上段からの眺望は無理になっていた。しかしこのときは、そのすぐ近くに建てられたアンテナ裏から撮ることができた。
 それからさらに5年を経て、今回あらためて再確認にいった。 「安養寺山頂道路」 と名づけられた道は、途中で進入禁止。車を置いてアンテナまで歩いてみたが、そばに電柱が立っていて、もはやどうにもならない状態になっていた。電柱をはずしたとしても、 伸びた木が邪魔をして、絵にはならなかった。

 

1032.孤 舟

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 撮影日:1977.10.10
場所:大津市下阪本

2004年ごろの様子・1

 初めて琵琶湖の西岸へ足をのばした日、まぐれ当たりの作品である。三上山を本格的に撮りだしたのが1976年11月、最初は自転車で走り回っていたが、 いくら何でも自転車では話にならず、翌77年の夏にバイクに替えた。そしてこの日、初めて琵琶湖大橋を渡って湖西へ足を踏み入れた。下見も何もしておらず、どこへ行けば何が見えるのか見当もつかない状態だったが、琵琶湖の日の出の想像以上の美しさには感動した。しかしその風景をどう撮っていいのかも分からず、とにかく唐崎あたりまで走って引き返してきた。下阪本あたりでふと右を見ると、釣り船が一艘ただよっている。またとないチャンスである。日の出からかなりの時間がたち、高く上がった太陽に、みずうみ全体が白ぽく明るい風景に変わり、その中に三上山がかすんでいた。
 場所は下阪本、坂本城址公園のすぐ近く、湖岸に日吉大社の鳥居が立つところである。一見遠目にはほとんど変化していないように見えるが、 レンズを長くするとゴルフ場のネットが目に入ってくる。厳しい現実の姿である。

       

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