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写真集『四季近江富士』

ふ ゆ

初稿UP:2012.02.14
 

 

1052.雪の朝

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 撮影日:1976.12.30
場所:野洲町(現野洲市)三上

2004年ごろの様子・1

 三上山を撮り出して間なしの撮影。買ったばかりのマミヤRB67で撮った最初の作品である。雪が降ったというので新幹線沿いの田圃へ出かけた。撮影時の細かい状況は忘れてしまったが、このころまだ日の出の位置が分かっているはずはないから、空の輝きを見ながら右へ左へと現物あわせをやったのだらう。
 現場は、野洲町三上の新幹線沿いの農道である。新旧2本の県道504号に挟まれた田園地帯で、新幹線の側道のようなイメージだから、場所的には分かりやすい。 風景の大枠 は今も変わっていないが、残念ながら背の高い電柱が邪魔をする。
 ところでこの写真は、雪の畑に三上山からの日の出という単純な構図である。こういう作品の場所確認は結構手間どるものである。決め手となったのは、画面左端の高圧線鉄塔だった。昔の写真では逆光のためほとんど目立たないが、 画面の左端に高圧線の鉄塔が建っている。現在の写真でも、同じ位置にそれがはっきりと見える。

 

1053.霜おく野辺

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 撮影日:1976.12.18
場所:野洲町(現野洲市)三上

2004年ごろの様子・1

 この写真集には、同じ場所から撮った石仏が3点収録されている。撮影年代順にあげれば、左の1976年と、 1978年、 1980年というように、結果的に2年ごとのものが並んだことになるのだが、よくみると石仏の様子がすべて異なっている。ちょうどこのころ大畑と御上神社前を結ぶ県道の工事が行われていて、そのため位置や並びが微妙に変化していったことによる。
 ということで、この写真が3枚のうちで最も古いのだが、それだけではなしに、 この写真は私の三上山の写真のうちでも最も古い作品である。私が三上山を撮りだしたのが、1976年11月21日だから、撮りだして 約一ヶ月、まだ6×6判二眼レフのマミヤC3を使っていたころの作品ということになる。製版に当たって正方形に 近いフォーマットとしたのも、そういった面影を残したかったためである。
 撮影場所同定のポイントは、集落の中央に見えるお寺の屋根だが、ちょうどこのころ屋根瓦の吹き替え工事中で、なんとなく不自然に見える。

 

1054.雪の里

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 撮影日:1977.02.06
場所:野洲町(現野洲市)三上

2004年ごろの様子・1

 1977年2月というから、三上山を撮りだして3ヶ月、初めての雪ということになろうか。小川にも氷が張っているし、 雪の量もけっこう多い。光の乏しい冬の日の夕方近く、今日はもう終わりだと、当時唯一の機動力だった自転車を押して帰る途中、急に西のほうが明るくなった。そのころまだうっそうと茂っていた野洲川の堤防林の陰になって、西空をうかがい知ることはできなかったが、その林を越えて最後の夕日が三上山を照らした。
 もちろんこのころはまだ県道504号の新道は開通していなかったし、大畑の住宅地も開発されていなかった。御上神社から今の大畑の信号へ抜けるには、この川沿いの細い道を通る以外に手はなかった。そんな時代の写真である。
 県道の新道が開通したいま、この写真の撮影位置がどうにも分からなくなってしまった。小川も変わってしまったし、道も変わってしまった。場所同定のポイントは、山頂の真下に見える民家の、煙抜きの小屋根と小川だが、この両者が現在の風景の中ではどうもきっちり一致しない。

 

1055.雪晴れ

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 撮影日:1978.12.31
場所:野洲町(現野洲市)三上

2004年ごろの様子・1

 三上山を前にして田んぼの中の木立と祠、この風景に初めて出会ったときは心がふるえた。私の三上山原風景である。 気がつけば、ここ10数年、結構住宅が増えてきた三上地区にあって、この一角だけがかろうじて昔の雰囲気をとどめているのは奇跡に近いが、それでもよく見ると、 山ぎわの国道沿いに昔は見えなかった倉庫が建った。これは難儀なものが建ったと撮影をあきらめていたが、 今回久しぶりで撮ったものを見てみると、その前に民家が建って倉庫を少し隠している。倉庫全体が直接見えるよりはイメージが和らぐ。もう少し民家が並んで建ってくれるといいのだが。そして願わくば、民家の手前に植樹して風景をまとめてもらえるとまだまだ第一級の風景として成り立つ場所なのだが。
 地図を見ると分かるように、カメラと三上山との間に道路が2本、県道504号と国道8号が通っている。県道はともかく国道が問題である。 現在の写真は、昔の画面にあわすためレンズをやや長めにセットした。これをワイドにすると、まだまだいろんなものが飛び込んでくる

 

1056.雪晴れの野

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 撮影日:1978.12.31
場所:野洲町(現野洲市)南桜

2004年ごろの様子・1

 近江富士団地の南、県道27号 と野洲川に挟まれた田園地帯。三上山を撮りだしたころはよく通ったところだが、 圃場整備が行われてから田んぼに表情がなくなった。かつては田んぼのところどころに、えもいわれぬ段差があって、それらが絵の材料になってくれた。今はそれらもひとところにまとめられたのか、画一的になって昔の風情はない。もちろんこの柿の木も、その工事とともに消え去った。それと同時に完全な意味での撮影場所は不明になった。
  現在の写真も、山の形と、淡い当時の記憶とから作り出したイメージ写真である。場所も多分この辺りであっただろうというぐらいのもので、確たる自信はない。現在の段差のすぐ下には、水路が流れているが、かつての撮影場所、少なくとも写真に写っている範囲にはそれがない。近くに水路があったのかどうか、それすらも記憶にない。 結局現場検証はこれ以上は無理である。

 

1057.雪野夕照

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 撮影日:1982.01.30
場所:野洲町(現野洲市)南桜

2004年ごろの様子・1

  「7.春の午後」. 「45. 霧に浮かぶ峰」と同じ場所である。前方、工事中の林が大山川の堤防である。数本の枯れ木がなんともいえずいい表情で、この時期集中的に撮っている。というのも、木の高さから想像できるように、工事が始まる前はこれらの林がブラインドになって、 ここから三上山は見えなかった。見えたとしても頂上部がわずかに見えるだけで絵にはならなかった。それが切り払われて見通しがよくなったのである。 「春の午後」から約半年たった姿だが、こちらのほうが工事がより進んでいる様子が分かる(雪に露出が合っているため分かりにくいが、 写真を拡大するとよく分かる)。
 ところで昔の写真の左端に新しく建った民家が小さく見えている。窓の配置等からして、 現状写真に見えるいちばん右端の民家らしい。屋根の色が違うが、昔の写真はたぶん雪が載っていたのだろう。現在の写真の撮影位置は地図のとおりだが、昔の撮影位置はこれよりまだ大山川へ近づいた場所だったようである。いずれにしても、野洲町三上の県道504号の開通と同じように、大山川の改修工事は、かつての撮影位置の同定を困難にしてしまった。

 

1058.凍る川面

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 撮影日:1981.01.18
場所:守山市川田町

2004年ごろの様子・1

 野洲川川田大橋近くからの三上山。快晴に明けた冬の日、川床いっぱいに広がって流れる川は、浅いところで凍結し朝日を受けてきらきらと光っていた。 「51.かもめ乱舞」 とよく似た構図だが、こちらのほうはかなり下流である。
 「51」でも述べたとおり、放水路完成後約四半世紀を過ぎて、 流れはおのずから様子を変えて、もはや完成当初の面影はない。当時の記憶から、「51」より下流であることは間違いないのだが、どのあたりかと問われれば、決定的なポイントとなるものは何もない。そういう意味では「51」同様厄介な構図である。頼りになるのは三上山から左へわずかに見える稜線だけということになる。
 当時の写真を手に、堤防上の道をさかのぼる。思いもかけずすぐに その稜線が見えてくる。川田橋のすぐ上流である。こんなに近かったかなとも思う。記憶ではもう少し上流だったはずだ。多分これは、川田橋付近から三上山にカメラを向けた場合、ほとんど流れの向きとそれが一致するためであろう。山の形だけでは、方向は決定できても距離までは確定できない。それをやるにはもう1つポイントが必要になる。 

 

1059.光るみずうみ

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 撮影日:1982.01.03
場所:近江八幡市長命寺町

2004年ごろの様子・1

 この写真も撮影してから20年が過ぎた。その間ほとんど現場に立ち寄ることはなかったが、相手が岩だし行けば何とかなるだろうとたかをくくっていた。 県道25号 を長命寺港から宮ヶ浜国民休暇村へ向かう。岬を回ってすぐの記憶をたよりに車を止める。 湖岸へ下りてみると、昔の写真でいちばん目に付く積みわら形の岩がすぐに目についた。こんな簡単な場所だったのかと、半ば拍子抜けを感じながら 写真と現場を見比べてみると何かが違う。三上山が岩に近すぎる。岩を横切る水平線の高さも違う。岩と山の大小関係もおかしい。 昔の写真のいちばん手前の亀の首を思わす岩が見つからない。どうもおかしい。これはもっと長いレンズで、後方から撮ったとしか考えられない。
 湖岸に沿って少しバックしてみた。亀首岩らしきものが見つかった。これはもっと後ろだ。改めて車でバックする。200mほどバックしたところで、記憶がよみがえる。 何のために建っているのか分からないが、県道のすぐ下に小屋があって、三方を幅40cmくらいの塀が取り囲んでいる。その塀の上からの撮影だった。 

 

1060.淡い三上

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 撮影日:1980.01.15
場所:志賀町(現大津市)今宿

2004年ごろの様子・1

 はっきりとした記憶があるわけではないが、かつても何かの宿泊施設の中庭だったような気がする。きれいに整備された 湖岸に柳の木が2本。対岸の低いシルエットに淡い三上山が浮き上がって見えた。志賀町今宿浜、 和邇川デルタの湖岸である
。  いまは幸福の科学という宗教団体の研修所になっている。前庭は駐車場になっていて、垣根用に木が植えられていたりして見通しはよくない。その施設には、「どなた様もご自由にお入りください」との表示があるから、構内のを通って湖岸へ出る手もあるが、フェンスの外を通って裏手の湖岸へ出ることもできる。しかし、どちらの手を使ったとしても、湖岸に柳の木はないのだし、 対岸の建造物は邪魔をするしで、魅力のある風景が見られるわけではない。
 以上、場所の同定は私の記憶だけであって、本当にここが昔の場所かという疑問もありそうだが、確認ポイントとしては、三上山の右、ラフォーレ琵琶湖との間に見える菩提寺山の位置と、左裾から左へ立ち上がる稜線のカーブの一致が上げられる。

 

1061.岬の向こうに

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 撮影日:1980.01.01
場所:志賀町(現大津市)中浜

2004年ごろの様子・1

 この写真は、長年、志賀町和邇港から撮ったものと思い込んでいた。しかし、昔の写真には防波堤が写っていない。これが不思議だった。とはいえ、写真を撮ったあと港の改修工事が行われた記憶があったので、改修前ならそんなカメラポジションも可能だったのではないかと、まだあまく考えていた。ところが現場に立って、和邇川デルタに対する三上山の位置を見たとき、そんな甘さは吹き飛んでしまった。和邇港から見た場合、写真3写真4のように、 岬の中ほどの松林の上に見えるのである。いうまでもなく、昔の写真は岬のほぼ先端に見える。これはおかしい。どこかに根本的な思い違いがある。
 もう一度、地図を洗いなおしてみた。和邇港付近で、三上山に向かって立ったとき、最も沖へ出られるポジションはどこか……。それは、和邇港のすぐ北で、琵琶湖へ注ぐ喜撰川という小さな川の河口にだった。そこへ行ってみると、三上山は見事に昔の写真の位置に立っていた。込み入った山の重なりもほぼ間違いなし。 

 

1062.ヨシ刈りのころ

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 撮影日:1980.03.02
場所:安土町(現近江八幡市)西の湖

2004年ごろの様子・1

 西の湖のヨシの上に浮かぶ三上山。西の湖と大中の湖干拓地の境をなす県道526号を安土町から近江八幡に向かって走ると、ヨシの上を三上山が右へ右へと移動する。かつては前景の木々や舟との組み合わせさえ考えれば好きな場所で撮影できた。現在は近江八幡市街地の高層建造物のため、それを避けることが前提条件となり、どこででもというわけには行かなくなった。
 私が三上山を撮り出して間なしのころは、年末から刈り取りが始まって、それが早春まで続いた。寒風の中でのヨシ刈りが西の湖の風物詩となっていた。今もどこかで刈入れは行われてはいるのだろうが、以前のように目に付かなくなった。 現在の写真に見るように、3月下旬になっても枯れたヨシがそのまま立っているだけである。なお、現在の写真は、必ずしも昔と同じ場所だというわけではない。およそのイメージ写真である。木の状況が変わっていてきっちりとした場所を確認することはできない。大きな違いはなかろうとは思うが、100mやそこらの誤差はあるかもしれない。

 

1063.赤い朝

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 撮影日:1979.01.03
場所:大津市堅田

2004年ごろの様子・1

 大津市堅田、浮御堂のすぐ南に小さい漁港がある。かつてはそのそばに堅田浄水場があったが、いまはそれが「なぎさ苑」という福祉施設に変わっている。漁港そのものも、いまはヨット基地としてのイメージのほうが強くなっている。
 ここから見ると、冬至前後に太陽が三上山のすぐ左手から昇る。写真は日の出の直前、山ぎわが黄色くなって その場所を知らせている。
 ところで、現在の写真 と昔のそれとを見比べていて、三上山から左へ続く稜線の形が大きく異なっているのに気がついた。現在の写真では、三上山と画面の左端とのほぼ中間点あたりで、稜線が大きく上下に波打っているのだが、昔の写真にはそれがない。これは手品か撮影場所の誤認かのどちらかだ。ということで、もう一度同一場所からの写真を洗いなおしてみた。結果分かったことは、多くのものが現在の形を示すのだが、透明感の高い冬の日の、それも日の出前後のものに限って、遠くの鈴鹿山地が重なって見えるため、上下の振れがなくなることが判明した。手品のタネは、空気の透明度の差だった。

 

1064.風のみずうみ

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 撮影日:1981.01.04
場所:大津市堅田

2004年ごろの様子・1

 風の強い日だった。そのころよく通っていた堅田浮御堂のすぐ南にある小さな漁港。波しぶきで防波堤の外の岩が凍っていた。こわごわその岩の上に降りて、カメラを波に近づけ広角手持ちで撮影した一枚である。
 堅田の旧市街は細い道が入りこんでいて、なれないと分かりにくい。正確に地図に表すのも困難だし、それを見ても目的地へすんなりいけるとは限らない。とにかく現場へ行って、自分の足で見分するのが一番早道である。
 この漁港へ行き着くには、とりあえず浮御堂を目当てにすることである。その前の細い道を通り抜けると、湖岸の児童公園へ出る。そこからなぎさ苑も見えるし、その手前の漁港に泊めてあるヨットのポールも見える。この漁港は実質的にはヨット基地になっており、漁船は見当たらない。  また2004年ごろの様子・写真4は、他の3枚と比べて異質な感じを受けるが、浜伝いではなしに町並みのほうからの漁港への入り口である。かつてはこれほどまとまった風景ではなかったが、いつの間にか整備されたようだ。

 

1065.遅明の朝

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 撮影日:19xx.xx.xx
場所:大津市雄琴

2004年ごろの様子・1

 雄琴温泉街の北に、雄琴川がつくるデルタが広がる。とはいうものの湖岸はヨット基地などに占拠され、それ以外の場所も住宅や大型専門店ができたりで息苦しくなっている。現在は、雄琴川と山ノ下湾に挟まれた一角が、唯一田んぼとして残っているに過ぎない。私が写真を撮りだしたころも、すでにヨット基地はあり、何本かのポールが目に付いたが、いまほどの密度ではなく、川の下流付近には写真のような木が所々に残っており、のどかな風景をつくっていた。
 現在の 雄琴川は、161号をくぐったあと北東へ向かって流れ、そのあと右へ曲がってほぼ東向きに琵琶湖へ注いでいるが、細い道が1本そのまま直進して 別のデルタに向かっている。多分これが旧の流路だと思うが、昔の木はこの辺りに生えていた。場所の確認は、例によって山の形に頼るしかない。ここからの特徴は、三上山の右側から台形状に伸びる山稜である。これは現在の写真にわづかに見えるが、三上山の雌山とその向こうの十二坊山とが重なってできたものである。

 

1066.三上残月

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 撮影日:1981.01.04
場所:野洲町(現野洲市)行畑

2004年ごろの様子・1

 これも撮影以来20年を経過して、場所の完全な特定は無理な1枚である。当時の記憶をたどって、一応 野洲中央線の行畑・大畑間の中間やや行畑寄りにある駐車場としたが、いうまでもなく確たる場所ではない。
 正月休み、例によって湖西からの朝日を撮ろうと家を出た。東の空を見ると、薄明の空に有明の月と金星とが上下に並んで輝いている。これを撮らない手はない。しかし、月はともかく金星は時間の問題である。いちばん近い場所はどこか。当時、私は行畑万葉台という住宅地に住まいしていた。野洲町行畑の旧中山道とJR琵琶湖線とに挟まれた住宅地である。中央線へ出れば、三上山が見える場所があったはずだ。行畑の信号を右折して大畑のほうへ向かう。 時間との争いだから、とにかく三上山が見えさえすればいい、山体はどうせシルエットになるのだから。ということで初めて山が見えたところでカメラをセットした。いま考えると、信号から200mほど進んだところにある駐車場ということになる。(Web版追記・いまは駐車場もなくなり、すべて住宅化した。三上山は見えない。)

 

1067.凍れる風景

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 撮影日:1980.12.14
場所:守山市川田町

2004年ごろの様子・1

 野洲町竹生と守山市川田町喜多を結ぶ川田大橋からの撮影。野洲川放水路工事誌によると、川田大橋の完成が1978(昭和53)年10月、放水路通水式が1979(昭和54)年6月というから、 この写真は川田大橋が完成して約2年、放水路に水が流れ出して約1年半くらいのころの撮影である。 現在は自ずから定まった流路の上を流れているが、このころはまだ河床いっぱいを浅く流れ、広々とした風景を作っていた。
 快晴の冬の日、画面の左はずれから上った低い太陽が三上山の上にあり、 静かな川面を風に誘われたさざなみが走る。身を切るような寒さを表現したく、ブルーのフィルターを使う。題名の「凍れる風景」 は、そのイメージを表現したものだが、画面左遠景の浅瀬が白く凍っているのも事実である。
 橋の上は、歩道が整備されており、自由にポジションを選択できるが、大型車両による振れが結構強く、それを防ぐ意味で私は必ず橋脚の上に三脚を立てるようにしている。 また、吹きさらしの川の上は、特に長いレンズを使う場合は風による振れに注意を要するところでもある。もっともこの広い風景では、望遠を使う必要はめったにないが。

       

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