W 風景としての三上山

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1.磁場的風景

ガラス板上の鉄粉

 私は三上山を含む南近江路の風景を「磁場的風景」と呼んでいる。小学校の理科に、ガラス板上に鉄粉をまいておいて、下から磁石をあてて鉄粉のようすを観察する実験がある。ただ漠然とまきちらされていた鉄粉が、磁石をあてたとたん、それを中心として規則正しい模様をえがくようになる。磁極が単独の場合、鉄粉のえがく線は、それを中心として周囲へ放射状にひろがり、NS2極の場合には、最短距離は直線で、それ以外はきれいな曲線でつながる。このように鉄粉が磁極を中心として、規則正しく並ぶような空間を物理学では「場」と呼んでいる。いまの実験では、磁石に関しての緊張した空間だから「磁場」であり、それが電気の場合は「電場」である。
 人間の場合を例にとってみよう。広場で多くの人が自由にくつろいでいる。この状態の広場は、単なる空間であって、 特に何の意味も持たない。しかし、そこへ一人の人物が現われ、広場にいた他の人たちが、その人物に注目したとすれば、その広場は単なる空間ではなくなり、一つの「場」となる。その注目された人物が音楽家なら、その広場は「音楽の場」となり、政治家なら「政治の場」となる。このように、一個の存在が、その周囲を緊張した空間にするとき、その空間は「場」となる。

磁場的風景

 一つのものが視界に入ってくることによって、その風景がキリリとしまるということがある。三上山を中心とした南近江路の風景は、まさにこの典型的な例である。磁極の存在によって、その周囲が緊張した空間になるように、近江路の空間は三上山によってひきしめられる。
 もっともこの近辺では、三上山だけが山ではない。比叡山、比良山という山やまが湖西に連なっている。比良山などは、冬ともなれば雪を かぶって、ちょっとした雪山を思わす風貌となる。しかし、それが風景の中の一つの点としてキリリと光るというような見方はできない。 それはどちらかといえば、点としてではなしに線ないしは面としてとらえられる場合の方が多い。ところが三上山は、どんなに小さくなっても、 その空間のなかで自己の存在を主張する。
 たとえば、私がよく使う構図だが、画面の最下辺に遠景の三上山を点としてとり入れ、その上はぬけるような青空というような構成をしても、 点としての三上山が、画面の大部分を占める青空をしっかりとひきしめてくれる。その青空の空間は単なる空間ではなく、三上山を磁性体とした緊張空間となっている。磁場的風景である。
 今でこそ住宅やビルのかげにかくれて、この山が見えない場所が多くなったが、以前には、滋賀県の南半分ならどこからでもこの山は見 えたであろうと思われる。とくに起伏の少ない沖積平野のまん中に立ったとき、この山が、一つの目じるしとして、いやでも視界に入ってき たはずである。そして、自分自身がまたその山を中心とした緊張空間にいることを感したはずである。この山は、そこに立つ人が意識するしないにかかわらず、その視線を引きつけずにはおかない力をもっている。磁極のまわりの鉄粉がそれに引き寄せられるように。

2.二つの座標軸 GoogleMap

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 三上山は富士山に似て、どこから見ても円錐形の整った形をしているとよくいわれる。しかしよく見れば、見る方向によってその姿に かなり違いがあるのに気づく。私はそれを代表的な二つの型に分けて、近江平野に三上山を原点とした 二つの座標軸をえがいている。
 左の地図は書籍版『四季近江富士』から復刻したものである。図版が小さく見にくい。GoogleMapの赤い線が後述する第1座標軸、青い線が第2座標軸である。

第1座標軸: GoogleMap

 これは三上山を通る北東―南西方向の軸である。瀬田川鉄橋を真東に向かって渡った東海道線は、そこで左へカーブして湖東平野をほぼ北東の向きに米原へとつっ走る。この東海道線と平行な方向が第一の座標軸である。
 多くの人は、この座標軸上から見る三上山が、富士山にもっともよく似ていて美しいという。たとえば東海道線沿いに、または国道8号 沿いに、守山、草津あたりから見るのがそれに当たる。富士山のイメージを、左右対称で、広がった裾野から大きく立ち上がって、頂上に近づくにしたがって傾斜がきつくなり、頂上付近が水平に切れている、というところに求めるならば、たしかにこの座標軸上から見るのがいちばんそれに近い形を示す。

第2座標軸: GoogleMap

 第一の座標軸と直角方向、すなわち南東―北西方向の軸である。草津線三雲駅あたりから野洲川沿いに琵琶湖大橋へぬける線である。 この座標軸上から見る三上山は、第一の軸上から見るのとは一味変わった形を示す。第一軸上からのを男性的とするならば、こちらは女性的とでもいえようか。
 この軸上、山の北西方向から見れば、左手からなだらかに立ち上がった斜面は、すこし外側ヘふくらみをもった美しい曲線をえがきながら頂上近くに達し、適度の丸味で頂上を越え、今度は内側へ少しへこみながらすべりおりる。それが中腹から少し下に達したあたりで、いったん小さな盛り上がりを見せて、平地へくだりおりる。この曲線のなだらかなつなぎあわさりかたの妙は、まさに超一流の芸術品といえる。三上山を単なる富士山のミニチェアとして見るのではなしに、一個の独立した個性をもつ山として見るならば、私にはこの第二の座標軸上から見る方が、はるかに美しいと感じられる。
 一度ある人から、「三上山は人工の山ではないか」という便りをいただいたことがある。私はまさかこの平地から300mもの高さの山が、 人工のものだとは思わないが、しかしこの座標軸上から見る三上山の稜線は、計算しつくされた人工の曲線だといってもさしつかえないほどで、あらため自然の造形の素晴らしさに感心させられる。そして、私はこれを見るたびに、巨大な前方後円墳を側面から見ているのではないかとの錯覚にとらわれるのである。

3.三上山撮影地十選

 さて、何年間もこの山ばかりを撮りつづけていると、いつの間にか自然に足がそちらへ向いているという撮影地が何カ所かできてしまう。 そんな中から、さきほどの座標軸をもとにしながら、十カ所を選び出して、「私の好きな撮影地十選」としたい。

1.野洲町三上

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 三上山のお膝元、御上の祝の根拠地である。御上神社の杜から、新幹線までの野洲川右岸の田園地帯で、第二の座標軸上にあたり、 山はきれいな古墳型を示す。私の住所からもっとも近く、天気の様子を見ていてさっととび出して行けるところである。いままでに何回行ったか数えきれないし、また一年中いつ行っても、何かの変化があって、新しい発見があるところであった。
 しかし、最近、御上神社横の国道8号から、野洲町大畑へぬける道路が計画され、現在その工事が進行中である。その工事に関連してか、 田んぼ整備も行われるらしく、 小学校唱歌そっくりだった「春の小川」も両岸がコンクリートで固められてしまった。進行中の工事現場のそばに、六体の石仏が並んでいるが、何とかして素朴な状態で残しておいてほしいと思う。

2.野洲町北桜・南桜

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 三上山山麓南面にひろがる田園地帯、名神高速道路と野洲川とで区切られていて、その田んぼのひろがりの中に立つと、昔ながらの牧歌的な雰囲気がただょっているところである。ここから見る三上山は、先の野洲町三上から見るのとは、ちょうど正反対の位置になり、山の形も左右逆にしたように見える。カラー頁の写真Gと 写真Hは、一見すると、どちらかを裏焼きしたのではないかと思いたくなるが、実は撮影場所が山に対して正反対の位置にあたるのである。 いずれも第二座標軸上にあるから、山の形は、前方後円墳型に見える。
 北桜の集落は三上山ぞいに、南桜は桜山(菩提寺山)ぞいにかたまり、そのあいだに大山川が流れている。山を掌る神を大山ツノミの神といい、その娘を木ノ花サクヤ姫といった。この地の地名北桜、南桜は、木ノ花サクヤ姫からきているといい、南桜の野蔵神社も、北桜の若宮神社もすべてこの女神をまつっている。大山川はこの女神の父の名であり、この地の歴史の古さを物語っている。
 ここも最近、この大山川沿いの一画に、大規模な近江富士団地が造られ、風景が大きく変化しつつある。

3.甲西町十二峰林道

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 三上山から南南東7Kmのところに、標高405mの十二坊山があり、その山頂にテレビ中継塔が建っている。そこへは甲西町岩根から林道が通しているが、現在北側の名神沿いの八重谷越の方からも林道工事がすすめられている。標高300mを上下するこの尾根沿いの林道は、まさに三上山の展望台といえる。
 眼下の名神菩提寺バス停を中心としてひらけたハイウェイ・サイドタウン、みどりの村などの住宅地が見え、そのむこうに三上山が裾をひろげている。湖西の山やまとの間に琵琶湖が細く横たわり、太陽が西に傾くころには、セピア色の光の中で、それが銀河のように光る。
 ところで、前述の十二坊山頂から見て、三上山と夏至の日の日没の方向とが一致することを地図の上で気がついていたので、実際にそれをたしかめたく、夏至の日に十二坊へ行ってみた。このころは梅雨の真最中で、太陽を見ることすら無理な場合が多いのだが、その日は幸いにも好天にめぐまれ、ゆっくりと日没を観察することができた。
 夏至の日の目没はおそい。午後七時すこし前に十二坊の頂上に着いたが、太陽はまだかなりの高さにあり、それが三上山めがけて落ちてゆく。地図でにらんだ通りの太陽の動きであった。ただ残念だったのは、ここから見る三上山は、バックの湖西の山なみより少し低くなり、 実際には太陽はその稜線に落ちることである。
 この十二坊は、『甲賀郡誌』によれば、「伝へ日く、和銅年間大寺造立、十二支坊を有せしが、元亀の兵火に羅り僅かに一宇を存すと、 山頂に今尚十二坊の名あり」とある。その昔、十二の堂宇の修業憎たちが、夏至の日にこの山頂に立って、三上山のむこうに沈みゆく太陽をおがんだのではないかとの想像もしてみたくなる。
 なお、山頂の名は十二坊だが、林道の名は現地の標示に「十二峰林道」とある。

4.守山市川田橋付近

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 川田橋は、新しくできた野洲川放水路にかかる橋である。かつて野洲川は、この少し上流野洲町竹生付近で南北二流に分かれていたが、 昭和54年、それを一本にした放水路が完成した。そのため、このあたりの野洲川の風景は一変した。昔は堤防に樹木や竹が生い繁り暗い感しがする川であったが、新放水路になってからは、川幅も広くなり水平的なひろがりのある明るい風景となった。その 広い川原のむこうに三上山が見える。冬の日の午前9時から10時ごろまで、ここから見ると、太陽は三上山の上にあって、野洲川の水面がその光を返してキラキラと光る。そして風が渡るたぴそして、その輝きが移動する。寒さの厳しい日には浅瀬の部分が凍結する。近よって見ると、氷の面のさまざまな表情が面白い。
 ここも第2座標軸上にあたり、山の姿は女性的な形を示す。

5.大津市本堅田町湖岸

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 琵琶湖を前景とした三上山の風景を考えるとき、もっともドラマティックなのは、何といっても朝である。湖面がまだ冷たく静まりかえっているとき、対岸の山の端が紅色に輝き出す。それがオレンジ色に変わって明るさが増し、稜線の一点にチカツと光が走ったかと思うまもなく、その点はみるみる大きくなり、輝く面となって山の端をはずれるまでの約2分間、息づまるような刻々の変化を示す。
 ところで日の出の方向は、毎日少しずつ変わっていく。春分の日と秋分の日の両日は、太陽は真東か昇るが、夏至と冬至の日には、大ざっぱにいって、それぞれ北へ30度、 南へ30度振れた方向から昇る。三上山を中心として、近江平野に大きな時計を真東を12時の向きに一致させて置いたとすると、夏至の日には太陽は11時の方向から昇り、冬至の日には1時の方向から昇ることになる。したがって、三上山と日の出の方向が一致するような位置に立つためには、夏至の日には11時の正反対の方向、すなわち5時の方向に立てばよいことになり、冬至の日にはそれが7時の方向ということになる。その間約60度の開きがあるわけだが、それを仮に湖西の湖岸線で表わせば、夏至の日が大津市御殿浜あたり、冬至の日が大津市本堅田町あたりということになる。具体的にいえば、それぞれ近江大橋のやや南と、琵琶湖大橋のやや南となる。

 自分が撮影しようとする対象物と太陽を組みあわそうとするとき、日没の場合は、太陽が落ちてゆく方向を見定めて、自分の位置を調整すればよく、さほど困難ではない。しかし、日の出の場合は、太陽が昇る位置を予測して、日の出前にカメラをセットして待っていなければならない。日の出を撮ろうとすれば、その日の日の出の方向を知ることは不可欠のこととなる。私は、春分・秋分の日を基準として、 各月ごとの日の出の方向を示すゲージを作って、それと地図とで、太陽の出る位置をマスターすることにカを注いだ。
 私が三上山の日の出を撮るためによく行く場所は、大津市本堅田町、浮御堂の少し南にある堅田浄水場前の湖岸である。そこには小さな漁港があって、和船などもとまっていて落ち着いた風情を示していたが、最近その漁港も改修されてコンクリートくさくなった。しかし、その防波堤の外側は、アシがしげる琵琶湖特有の情景が見られ、うまくコンクリートをはずしてカメラをセットすることが可能である。
 もう一ヵ所、この近くの撮影場所として、雄琴川の河口がある。雄琴川は、比叡山延暦寺横川の東斜面から流れ出る全長6Kmの河川で、下流部約3.5Kmは一級河川だが、河口に達しても、川幅は5mほどしかない小さな川である。この川は雄琴温泉街の北はずれで国道161号を横切り、北東へ向かって琵琶湖へ 注いでいる。国道から琵琶湖側は、その川がつくった三角州である。近くには名鉄マリーナ、雄琴マリーナなどのヨット基地があるが、この小さな堆積州だけがエアポケットのようにとり残されて自然の姿を見せている。河口近くには、和船の廃材でつくった人一人渡れるくらいの橋がかかっていたりして、国道の喧騒とは対照的な静かなたたずまいを見せている。(Web版追記:現在は河川改修で状況が変わっている。)

6.志賀町小野湖畔

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 琵琶湖大橋西詰から国道161号を北へ3.5Kmほど行くと和邇川を横切る。この川は花折峠の方から流れてくる全長約11Kmの川で、下流に典型的な三角州をつくっている。この三角州の湖岸からの三上山のながめは、いわゆる第2座標軸上にあるため非常に温和な風景となる。 対岸は野洲川デルタ、中主町の田園地帯であり、高層建築物がないため、よけいに落ち着いて感しられる。冬の朝、日の出から2時間もたったころ、白っぼい光の中で、たなぴく霞の上に上半身だけを見せる三上山の姿はまた格別である。(Web版追記:現在は高層建造物が建ち状況は変わっている。)
この地名「和邇」は、古代の湖西の豪族和邇氏にちなむものといわれ、「小野」は、和邇氏の支族で、遣隋使小野妹子の出身地といわれて いる。いまから1300年以上も昔、小野妹子はおそらくこの湖畔に立っただろう。そして難波から洛陽までの約4カ月の隋への途次、想いを故 郷の山河にはせるとき、脳裡にうかぶのは、美しいみずうみと、むこうにかすむ三上山の姿ではなかったか。

7.安土町西ノ湖畔

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 琵琶湖八景にいう「春色・安土八幡の水郷」。大中の湖が干拓されてしまった現在、この西ノ湖が水郷の中心的存在である。
 三上山から直線距離で約15Km、私の三上山撮影地としては、前述の和遜小野湖畔とならんで、もっとも遠い部類に入る。ただちがう点は、湖西和邇方面は、いわゆる第2座標軸上にあるのに対して、この西ノ湖方面は第1座標軸上に当たることである。したがって山の形はいわゆる富士山型に見える。しかし現実問題としては、アシが群生する水郷としてのイメージが強いため、ここまで来て、三上山の存在を意識する人はあまりいない。ただ私としては、この美しい水郷の風景の向こうに毅然として存在する三上山の姿を無視するわけにはいかない。
 西ノ湖は、蒲生郡安土町下豊浦から、近江八幡市白王町、円山町にまたがる内湖で、現在は、長命寺あたりからの水路で琵琶湖に通している。 内湖の北部、西部一帯はアシが自生し、近江八幡円山町の「円山ヨシ」は有名で、スダレ、民芸品などに好んで使われている。年の暮から早春にかけて、アシの刈り入れが行われ、かっこうの被写体となる。夏から秋にかけては、背丈以上にのびたアシで視界がさえぎられるが、 冬のあいだにそれが刈り取られると、ひろびろとした風景となる。そこから新芽がめばえるころの美しさはまた格別で、まさに「春色・安土 八幡の水郷」の名にふさわしい。
 三上山と組合わせて風景を作ろうとするとき、水郷の水平的な広さと、山の大きさとのバランスに苦労するところである。

8.近江八幡市長命寺付近

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 ここも三上山から見た場合、西ノ湖と同し方向にあり、距離的にも大差ないのだが、長命寺山、八幡山(鶴翼山)をあいだにおくため、 風景の表情はかなり変わってしまう。
 長命寺は西国三十三カ所観音霊場三十一番の札所として、808段あるといわれる石段を登った山の中腹にある。
 湖岸の長命寺港前から直登するこの石段をあえぎあえぎ登り、もう少しで昔の関所を思わすような特徴ある山門が見えだすあたりで、左手に駐車場が見えてくる。麓の登リロで左手にわかれていった自動車道の登りつめたところである。
 ここから木の間を見おろすと、眼下に琵琶湖が大きく見え、その大きく孤をえがく湖岸線ぞいに水茎の岡が見える。そしてその向こう遠く、 近江八幡市南部、中主町の田園地帯の続く果てに、三上山が見える。夏の終わりから初秋にかけて、稲の穂が黄色く色づくころ、朝早く、うすくたなぴく霞のむこうに、頂上だけをうかぴ上がらせた三上山の姿は印象的である。
 ついでにつけ加えるならば、長命寺山から眼下に見える水茎の岡へは、湖岸道路が整備され、車でならあっというまであるが、この岡は 『万葉集』にもうたわれ、近江の歌枕の一つとなっている。
 またこの岡の周囲もかつては内湖であったが、現在は干拓され田園地帯となっている。ポプラが方々に立ち並ぶ風景は、北海道を思わす牧歌的な雰囲気をもっているが、おしいかな電線が縦横にはりめぐらされているため、それをさけて風景をつくるのに苦労する。

9.栗東町金勝林道

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 金勝山は栗東町南端の山地で標高566m。山頂近くには、天平5年聖武天皇勅願によって開かれたという天台宗金勝寺がある。その金勝寺へ、金勝林道がつけられている。その中腹からは、草津、守山、野洲、近江八幡、さらには琵琶湖まで一望の広大な風景が見られる。
 近くの阿星山(693m)から派生する尾根筋を前景として、小高い山がいくつも重なる向こうに、ひときわ抜きん出て三上山が見える。

 『万葉集』巻一に、

 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば    国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国そ 蜻蛉島  大和の国は

 という歌がある。大和の国と近江平野は場所もちがうし、この歌と三上山とは何の関連もないのだが、この金勝山の中腹から三上山を見るたぴに、私はこの歌の「国原は煙立ち立つ」という言葉を連想してしてしまう。「近江国原」という言葉があるのかないのか知らないが、もしなかったとしても、私はここからの眺めに、あえてこの 「近江国原」という言葉を使いたい、そんな気がする風景である。
 このあたりは、三上山から見れば真南にあたり、いわゆる座標軸から見れば、第1と第2の中間にあたる。そのため第1座標軸上から見る ほど鋭角的には見えないし、第2軸上から見る時ほど情緒的でもない。ちょうど平野からすっくと立ち上がった感じで、理性的な女性美とで もいうべきなのだろうか。

10. 栗東町安養寺

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 名神栗東インターチェンジのすぐ南側に標高234mの三角点をもつ小高い丘がある。その頂上付近に栗東町上水道の水源地があり、そこへ登ると、なかば市街地化されてしまった栗東町と守山市の向こうに三上山が見える。座標軸は第1座標軸に近く、男性的な富士山スタイルに見える。眼下の栗東インターチェンジを高速車がひっきりなしに行き交い、遠く目をこらせば、新幹線、東海道線、さらには少し近くを新しく電化された草津線の電車が走る。いままで述べてきた撮影地とはいささか趣を異にする。したがって、昼間は三上山は見えこそすれ別に感動するほどの風景とはならない。しかし、夕方日が沈み、雑然とした街並みが闇に溶け、方々の灯が一斉にともりはしめると、その光景は一変する。インターチェンジは、直線と曲線が組み合わさった光の流れとなり、三上山をとりまく平野は星くずをまきちらしたようになる。 私は三上山の姿が夜空にとけこみ見えなくなるまでそこに立ちつ くしている。


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