■’21年01月31日 |
■ちぎれ雲 |
撮影:2015.01.29 |
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野洲市小南野の方から見て、三上山周辺で雲が発生して、それが点々と自分の方へやってくる。何とものんびりした風景である。どうしたらこんなクモができるのか。水蒸気を含んだ空気が、何らかの理由で冷却して、飽和に達した時点で雲が発生する。それはわかるのだが、具体的にどういうときにこんなクモができるのか。それが分からない。「ちぎれ雲」という呼び名が ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月30日 |
■ぽつんと一軒家 |
撮影:2015.01.24 |
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三上山から見て名神の向こう側からの風景である。菩提寺山の南側で、名神が湖南市との境だと思いこんでいたが、地図で確かめるとどうもそうではないらしい。名神から幅100m足らずは野洲市だとか。難しいものである。 | |||
■’21年01月29日 |
■水を治める |
撮影:2014.01.29 |
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ことの起こり。10年近く前の話である。うちのヨッちゃんが「きょう、草津のタタミ屋さんにどこそこへ連れっていってもらったとき、不思議なところを通った。街中を走っていたと思たら、急に高原みたいなところへ出て、むこうのほうにきれいに三上山が見えた」と、夢のような話。どこやね?、と問い返しても、「草津・・・」。そのときはそれで話が終わったが、その次に ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月28日 |
■雪の日 |
撮影:2011.01.11 |
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きのうは比留田、きょうは野田。道路を軸にして考えると全く別の場所というイメージがある。しかし、家棟川を軸として考えれば、きょうの場所はきのうの場所から700mたらず下流へ移動しただけの話である。写真の内容も全く同じ。三上山、その奥の金勝山地。遠くの集落、近景として裸の木が何本か。違うところは、三上山と金勝山地の組み合わせだけ。 ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月27日 |
■雪の日 |
撮影:2011.01.11 |
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野洲市比留田、家棟川沿いの家庭菜園である。標題写真の撮影が2011年だから、10年前ということになる。いま振り返ってみると、ここへ通いだしたのはずいぶん古い。三上山を撮りだしてすぐだった。それが1976年だったから、単純計算で45年になる。その家庭菜園は年々表情を変えながらずーっと続いてきた。それが一番最近、というと入院した年 ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月26日 |
■古代峠 |
撮影:2016.01.22 |
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近江富士花緑公園内の、遊歩道といえばいいのか山道といえばいいのか。三上山の山麓から北へ伸びる尾根道。琵琶湖側が見え、結構アップダウンがあり、山好きには楽しいコースがある。その一角に”古代峠”と呼ばれる古墳の遺跡がる。巨石がトンネル状に積まれたもので、素人の私には、古墳の遺跡と断定する知識がなかったので、銅鐸博物館学芸員のY氏を ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月25日 |
■いよいよ怪しく |
撮影:2015.01.25 |
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いよいよ怪しくなってきた。きっちり記憶していた場所が、地図の上で見つからないのである。野洲川の近くの近江妙蓮、その前の細い道を南へ下り、右にコインパーキング、その前を通り越して中町の集落へ入る。若いころなら飛び越せそうな小川が左から。その小川に沿って左(三上山側)へ入ったところである。写真には池が写っていて、小川はそこから流れてくる。 ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月24日 |
■電車が行く |
撮影:2014.01.27 |
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草津線の電車に日がカンカン当たっている。60歳代ぐらいまでは、まず行き先を決め、あそこなら何時ごろと時間を想定、それに合わせて家を出ていた。70歳を過ぎたころから、午後になると”さーて出かけるか”ということで、まず家を出て、行き先はそのとき次第とズボラな方法が身についてしまった。このときも例に漏れず、時間無視でやって来た旧東海道。せっかくの ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月23日 |
■油日山中腹 |
撮影:2012.02.04 |
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きのうの場所から直線距離で1.6Kmほどバックする。青野川の源流に、”高間みずべ公園”という子供用の遊技施設がある。そんな公園だから、夏場にオジイが一人でぶらついていると変質者と疑われる。その代り冬場はいつ行っても誰もいない。園内をくまなく確かめたが、残念ながらそこからは見えなかった。公園は砂防堰堤のすぐ下に作られたもので、その堰堤まで ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月22日 |
■杣川流域 |
撮影:2012.01.22 |
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きのう、野洲川流域で水口市街地より上流で三上山が見えるのは、野洲川左岸の水口町和野周辺に限られることを述べ、それに対して、同じ甲賀市内でも南側の草津線沿線では、随分遠くまで見えると書いた。ここもそのうちの一つである。草津線の油日駅付近では、杣川は、和田川、五反田川、青野川など、いくつかの支流に分かれるが、これはそのうちの一つ、
・・・・続きを読む
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■’21年01月21日 |
■野洲川左岸 |
撮影:2012.01.17 |
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国道1号が三重県側から来て鈴鹿峠を越える。旧東海道と絡み合いながら水口市街地を抜け、三雲・朝国狭隘部を抜けて湖南市へ入る。そこで一気に視界が広がり、比良山をバックにした三上山が見えるようになる。甲賀市内の国道 1 号沿いからは三上山は見えない。ちなみに、甲賀市内では草津線沿線の油日岳山麓までの数か所で見える場所が散在する。 ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月20日 |
■長命寺川 |
撮影:2009.01.24 |
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長命寺川である。西の湖の白王町と円山町の間から流れ出て琵琶湖に注ぐ。古い地図を見ると長命寺山は琵琶湖に浮かぶ島だった。いまは陸続きに見えるがいまもやはり島であることには間違いはない。注意してみるとこの長命寺川と、大中の湖干拓地の西端を流れる細い川で仕切られている。 ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月19日 |
■雪晴れ |
撮影:2017.01.18 |
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前夜の雪のあと快晴に明けた。ここ10年ほどの1月、2月の写真を見ると、この程度の雪が結構写っている。今年はこの後どうなるかわからないが、少なくともいままでは屋根が白くなる程度が1回だけ、去年の冬もそんな程度だった。 | |||
■’21年01月18日 |
■歪んだアーチ橋 |
撮影:2017.01.22 |
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新しく開通した、といっても開通してからもうずいぶんになるが、平地化された新草津川である。旧草津川はご存じ天井川で、川の下を国道がトンネルで抜けるということで、何年生かの教科書に写真が載っていた。そのトンネルも撤去されたはず。さてこちらは新草津川、金勝山地から流れ出て、旧天井川の南のほうへ流れ出る。これはその在来線と新幹線との間の風景 ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月17日 |
■狐も逃げ出す |
撮影:2010.01.184 |
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甲西大橋、右岸は正福寺、左岸は中央3丁目。右岸に甲西北中学が建っている。のっけから妙な話だが、古い写真(1978.01.04)撮影をもう1枚。三上山を撮りだして丸1年余り、初めて雪の比良と三上山を並べて撮れた写真として、私としては忘れられない1枚である。これを撮ったのはいまでいえばどのあたりなのか。この1枚を持って現場へ出かけた。 ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月16日 |
■白波立つ |
撮影:2010.01.184 |
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米原市、道の駅”母の郷”前から少し南へ寄った湖岸。北西風で白波が寄せる。水辺に木が立っているところが天野川河口。水鳥が波間で見えたり隠れたり。こいつらは、さすがにプロ、波酔いはしないのだろう。 | |||
■’21年01月15日 |
■帰り道 |
撮影:2017.01.14 |
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栗東市伊勢落、不思議な地名である。以前何かのときに、お伊勢参りに絡む地名だと読んだことがあるが、細かいことは忘れてしまった。湖南市石部の南、野洲川左岸に位置する。湖南市石部との間に名神が通っている。 | |||
■’21年01月14日 |
■またまた城山 |
撮影:2016.01.14 |
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何と長い住所だ。我が家(野洲市三上)の倍とはいわないが。それにしても『阿弥陀堂町』とは有り難い町名だ。しかし、その場所を説明しようとすると難しい。いちばん簡単なのが、愛知川を基準にする手。愛知川の湖岸道路の橋を1番目として、上流側へ3番目の橋(枝葉見橋---何と読むのだろう)の少し下流の左岸堤防上。上流側からいえば、在来線の愛知川鉄橋 ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月13日 |
■日吉野町? |
撮影:2016.01.10 |
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?日吉野町、こんな町名見たことないぞ。どこだったかなーと思いつつ、とにかく開けてみた。なんや、これだったら、例の”幣ノ木墓地”の前じゃないのか。一昨日、”左に城山”と妙なタイトルをつけたのと同じ場所だ。でも町名が変わっている。念のために”近江八幡市日吉野町”で検索してみた。出てきた。例の若宮町、東町などの背後の町が表示された。 ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月12日 |
■由良谷川水道跡 |
撮影:2014.01.16 |
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昨年の暮れ、12月29日に由良谷川水道跡の写真(撮影:2014.12.29)を使った。きょうの写標題写真はそれよりほぼ1年前の由良谷川水道最後の姿。天井川の姿は全消え去って、草津線をまたぐ水路跡だけが残っていた。 | |||
■’21年01月11日 |
■左に城山 |
撮影:2014.01.07 |
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忘れたころにしか行かない土地勘のないところである。県道2号小船木町、JAのカントリーエレベーターがある。そこで交差する道が同326号。地図を見ると大房東横関線という名称がついている。撮影場所はその道路の在来線と新幹線との間。 | |||
■’21年01月10日 |
■急な階段を |
撮影:2014.01.07 |
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そのころ開いていた水口教室で、甲賀町の和田に”城山展望台”というのがあって、そこから三上山が見えるという。といわれても甲賀町がどっちを向いているのやら。およその見当は?、草津線の油日駅の南側だという。県道4号が草津線の北側沿いを走っているので、そちら側は多少の土地感があったが、南側はどうも。しかし見えるといわれて行かない手はない。 ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月09日 |
■光る電線 |
我が家の2階 |
撮影:2021.01.08 |
昨日の朝、うちのヨッちゃんが、2階から大慌て下りてきて、「ちょっとこっち来て、これ見て…」、窓から外を見て大騒ぎ。大概こういうときは、もうトキすでに遅しと相場が決まっているから、「何やいな…」と立ちかけたら、「アカン、ここからではアカンのや、2階でないとあかん、早よ2階へ上がって・・・電線が光って・・・」。電線か・・・それが光ってるというのやろ。いまから ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月08日 |
■十二坊と |
撮影:2012.01.13 |
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撮影場所は古城山、水口町市街地の中にポコンとお椀を伏せたように見える小さな山である。標高283m。写っている山は十二坊。山頂にアンテナが立っているところである。1979年の夏至の日、太陽が三上山に落ちるのを確かめようと登ったときは、確かNHKの1本だけが立っていたはず。それが今は何本立っているのだろう。湖南市の野洲川畔から見ると山頂だけ ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月07日 |
■残り雪 |
撮影:2011.01.07 |
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民家の屋根に雪が残っている。山もまだかなり白く見える。これは午前中、それも9時か10時ごろか。直接太陽の光が当たっているとおよその見当はつくのだが。プロパティを読むと?・・・、なんと15時24分。大概の雪は畑に残っていても、山の雪は融けてしまう。木の葉に積もった雪が、ちょっと融けると滑り落ちってしまうからだ。それが午後まで残ったということは ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月06日 |
■正午の湖 |
撮影:2009.01.15 |
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近江八幡市長命寺港から国民休暇村の方へ、最初の岬を右に曲がってすぐのところである。面白い形の岩がいくつか集まっている。中でも積ワラのような形をした岩が、大きさといい形といい印象が強い。このあたりは三上山の真北に当たり、正午ごろに行くと湖面が輝く。 | |||
■’21年01月05日 |
■霊仙と並ぶ |
撮影:2009.01.07 |
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1990年代の後半、冬になると三上山と伊吹山が並ぶ場所を探していた。この岩間寺参道もその副産物である。南郷のどこだったか、細かいことは忘れてしまったが、案内に従って山へ入り、岩間寺に近づくところでこの風景(1998.02)に出会った。伊吹と霊仙はこんなに離れている(伊吹は画面左端に見える)のだから、何とまあ間抜けた話である。しかし、霊仙が ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月04日 |
■前兆 |
撮影:2009.01.06 |
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正月から縁起でもないと叱られるかもしれないが、災害は日を選ばないので・・・。日付を見ると随分前だ。いま、出てきた写真を見て驚いている。このときの記憶は全くない。残っているコマからそのときの様子を追ってみる。 | |||
■’21年01月03日 |
■葉ボタン |
撮影:2009.11.27 |
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大畑のGスタンドのところから旧甲西町へ向かう県道の、河川公園口バス停の角にある畑である。毎年暮れになると大きな葉ボタンが目につくようになる。このときは三上山にも神社の森にもまだ紅葉が残っており、ほんまの年の暮れではなかったようだ。調べてみたら11月27日。年末にはちょっと間がある時期だった。なるほど素人が見ても、葉ボタンは何んとなく地面に ・・・・続きを読む | |||
■’21年01月02日 |
■淡雪 |
撮影:2013.01.19 |
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はや2日。けさは見事な快晴。うちのヨっちゃんが「日の当たらんところは、まだ雪が残ってるわ」という。昨日の元旦は暮れの雪が残っていたが、それもすぐに融けた。まあまあ穏やかな元日というところ。 | |||
■’21年01月01日 |
■日の出前 |
撮影:2016.12.29 |
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明けましておめでとうございます。 |