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三上山日乗・2017年10月



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01

 ■2017年10月01日

 ■鳥が一羽

  守山市十二里町
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 守山市十二里町、守山市民ホールあたりから、琵琶湖寄りに進んだところにある小さな集落である。もう少し南の方へ行くと栗東町に十里などという地名がある。一方、旧中主町には五条・六条など。どちらも条里制の名残りかと思うが、基本的な知識がないからなんとも・・・。
 田んぼのふちの松の木を前景にとカメラを構えていたら、近くの木陰から鳥が2羽飛び出してきた。そのときの1枚。ファインダーでは2羽いたはずだが、実際に写ったのは1羽だけだった。あの鳥は何だったのか。カラスやトンビではない。もうちょっと小ぶりで、写真を拡大すると背中が白かった。これで名前が分かると楽しさが倍加するのだが。鳥の左下、山の右裾の建物は成人病センターである。  HPトップへ戻る



02

 ■2017年10月02日

 ■山が重なる

  東近江市平尾町
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 あまり深い思いはなかった。あの光っているのは何だろう。ビニールハウスか、それともいまはやりのソーラーパネルかと思ってシャッターを切った。それ以外には、あえて言えば前山が低くなって三上山が大きく見えるぐらいだったろうか。『近江富士遊々』の取材で夕日のポイントを探していてこの道(県道508号)に気がついた。最近もみじで有名になった東光寺の名前も知らなかったころである。
 手前の森の状態から考えると、もう少し右から撮った(三上山を右に寄せた)方がよかったかと反省しながら、写真を拡大して驚いた。何とまあ、山の重なりの複雑なこと。右半分は比叡山が見えるだけだが、左半分の複雑さはどうだ。あえて言えば、この複雑さは知ってはいたが、ここから見て鏡山(三上山の右、一番奥)と雪野山(鏡山の手前)がこれだけきっちり重なるとは。ちなみに、同じ道を600m右へ寄ると、両者はこれだけ離れて見える。  HPトップへ戻る



03

 ■2017年10月03日

 ■なくなってこそ

  野洲市小篠原
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 野洲駅前から正面通り、一つ目の信号・滋賀銀行の角が朝鮮人街道である。そこを右折して数10m進んだ左側。クラシックな門柱があって、「駅前サウルス公園」とある。XXサウルスなどと、恐竜に使われる言葉のはずだが、なんでこの公園が”サウルス”なのかよくわからない。以前はここに重厚な2階建ての木造建築が建っていて、幼稚園の園舎として使われていた記憶がある。それ以前は郡役所だったというが、その時代のことは私は知らない。由緒ある建物、残してほしい気もするし、なくなってこそ見える三上山でもある。  HPトップへ戻る



04

 ■2017年10月04日

 ■電線地中化工事中

  野洲市小篠原
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 「野洲市役所前」交差点。野洲駅前から国道8号へ向かう正面道路が野洲中央道と交わる。右手前の角は駐車場になっていたが、奥半分に圧縮されて空き地になっている。今、この正面通りで電線地中化工事が行われている。駅前広場文化ホール付近ではすでに終わっている。それはわかるけど電線いっぱいの正面通りを撮っても仕方がないじゃないか。イヤイヤどういたしまして、地中化が完成した時に、電線があった時はこうだったと示すために、記録としてこれがないと困るのです。
 駅前広場などは電線があるから撮らなかった。なくなってから電線があったころはどうだったか。その記録が残っていない。現に右奥に見えている空き地、もともとは民家が建っていたはずだが、今は記録もない。民家があれば山は見えないから撮るはずはない。イタチごっこである。これはなくなりそうだという嗅覚があればいいのだが。  HPトップへ戻る



05

 ■2017年10月05日

 ■小さい山

  野洲市大篠原
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 国道8号を三上山山麓から北上すると、市街地を外れたあたりに大篠原西池前という信号がある。あまり目立たない交差点で、今、地図を見てこんな名称だったのかと改めて認識したような次第である。そこを折れると新幹線までの間は両側に工場が並ぶ。最近道路が整備されて走りやすくなった。30数年前、工場が歯抜けだっただったころ、この道路から三上山が見えた。もちろん今はダメ。
 工場の間の道を通って裏側へ回ってみた。田中山(右のラクダのコブ)の左に小さく見える。小さいのは仕方がない。とにかくもう少し左へ寄せたら何とかなると、畦道を歩いて撮ったのが標題写真。麓の集落は小堤。その向こう、山の麓を国道が通っている。ワイドにすれば左端に城山(右下がりの台形)が大きく見える。しかし何を撮ったのか分からなくなる。
 帰り、もうちょっと山が大きくなる場所はないかと探してみた。とにかくバックすればよい。標題写真の場所は後ろがすぐ工場。仕方がないから、先ほどの道をバック。工場の反対側の農地から。山は大きくなったが、右へ寄ってしまう。あとは工場に挟まれて元の道に戻ってしまう。やけくそで信号を越えて反対側へ。行けるところまで行って振り向いたところ。これを本気で使おうとは思わないけれど、山が大きくなったことは事実のはず。  HPトップへ戻る



06

 ■2017年10月06日

 ■ふさがれる風景

  野洲市市三宅
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 野洲川堤防上の道路から見た市三宅の集落である。この道路は旧野洲川堤防の名残で両側に樹木が多く、見通しは利かなかったが、道路が改修されると同時に集落側が切り開かれ見通しがよくなった。最終的に最後の1本が切り倒されたのが今年の3月末。そんな立派な木は残しておけよと思ったが、とにかく眺望はよくなった。
 今はそれからひと夏過ぎた半年後。夕方から急に晴れて来たのに誘われて行ってみた。いったん切り払われたはづの竹が伸びているもう1枚。住宅を食い始めている。クズのツルも元気元気。稲刈り後のわらを束ねて並べてある。のどかな風景が何とも息苦しい。標題写真はその竹とツルの幾分かでも勢力の弱い隙間から垣間見た現在の風景である。来年はこの風景が見えるかどうか。  HPトップへ戻る



07

 ■2017年10月07日

 ■木は伸びる

  守山市川田町
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 守山市川田町、野洲川放水路左岸。河川敷のオギが見ごろだろう。去年は気がついたときにはもう枯れてしまっていた。今年はまだ10月初旬、まさかそんなことはないだろう。行ってみて驚いた。?・・・・、風景が狭い、対岸が見えないのである。こちら岸に木が増えて風景を塞いでいる。こんな大きな木がいっぺんに伸びるはずはないが。
 気になって以前のを引っ張り出してみた。去年は上で見たとおりだが、もう木は伸びていた。十分見ていなかったことになる。2013年11月。4年前だけど、木は生えてはいる。しかし対岸は見える。2011年10月。13年とさして変わらない。2007年10月。いまから10年前。きれいだったなー、このころは。オギの穂も整然としていた。木が生えてはいるが、10年後対岸への視角が塞がれるまで伸びるとは考えてもいなかった。こうして年々風景は変わっていく。  HPトップへ戻る



08

 ■2017年10月08日

 ■木は伸びる2

  守山市新庄町
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 川田大橋上流の樹木の成長に驚いて、それなら新庄大橋あたりはどうなっているかと、改めて確かめてみたい思いがわいた。日没までまだ余裕があったからその足で。このあたりは晩秋から初冬にかけて川霧が発生する。写真は『あいあい滋賀』に連載したものの一つで、撮影は2008年10月。樹木の上半分が霧の上に出ている。
 この後、1,2年してこれらの樹木がきれいさっぱり切り取られた。へーこんなに広くなるのかと驚いて見た記憶がある。この撮影が2010年10月。以後7年たって、標題写真ということになるのだが、やはり木がもこもこと大きくなっている。橋の上からの遠望でこれである。ちょっと場所を変えると、このように木のてっぺんが橋に届くぐらいになっている。間違いなく木は伸びる。  HPトップへ戻る



09

 ■2017年10月09日

 ■隙間から

  湖南市夏見
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 最近、野洲川分水嶺探訪で湖南市の三雲へ通うことが多い。その往復にバイパスのイオンタウン付近の混雑を避けて、旧国道(県道4号を)使う。これはその帰り、夏見交差点での信号待ち中の1枚。角度にして何度ぐらいだろう。非常に狭い隙間から三上山が見えた。ずーっと向こう三上山の手前に見える白い盾を伏せたような屋根は甲西高校の体育館。そこまでの直線距離は約1Km。両側の建物を思うとき、1Kmの間何の障害物もなしに見通せることが奇跡に近い。
 画面上の信号、ほとんどLEDになったからライトが写らないことがある。確率は2分の1。3枚撮っておいたが、3枚とも写っていた。ということは逆の場合は3枚とも写らないこともあるということだから喜んでばかりはおれない。やっぱり5,6枚は撮っておかないとコワいかな。  HPトップへ戻る



10

 ■2017年10月10日

 ■近暗遠明

  甲賀市水口町宇田
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 山と山の合間から三上山が見える。左が三雲の烏が岳、右が朝国のTOTOの丘である。この山合いを国道1号、JR草津線、旧東海道など、そして野洲川が通る。平地といえる幅が330m、そのほとんどが野洲川の川幅で、1号バイパスなどは旧道の上を高架で通過する。三上山からの視線もそこを通過してくるわけだが、その方向が川の向きとわずかにずれる。平地が完全に見通せないのはこのわずかなねじれのせいである。
  雲が動いたのだろうか。いまの今まで晴れていた空がわずかに曇り、近くの農地だけに陰りが来た。近暗遠明。三上山や比良山系を引き立たせる大自然の舞台照明である。  HPトップへ戻る





上 旬 ・ 中 旬 ・ 下 旬



11

 ■2017年10月11日

 ■秋の夕光

  湖南市菩提寺
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 あれは8月下旬だったか。1号バイパスと高田砂川が交差するところ。よく通るところだが、色づいたイネの美しさに魅かれて引き返した。ところがそれまで晴れていた空が曇りだし、中途半端な写真に終わったことがあった。あれからひと月余り、稲刈りはとっくに終わり、ひこばえの緑がきれいだった。天気も大丈夫だ。もう一度同じ場所へ行ってみた。ときどき千切れ雲が太陽を隠したが、待つほどのこともなく秋の夕日が広がった。
 8月のままだといつの間にか忘れてしまう。もう一度こうして撮っておくとそれなりの記憶として残る。ただそれだけのことである。何度も記憶を重ねる。トシヨリの記憶法であるが、これすら最近は怪しくなった。左下の三角形の影は高みを走る1号バイパス。  HPトップへ戻る



12

 ■2017年10月12日

 ■上下の効果

  湖南市正福寺
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 きのうの高田砂川堤防より200mほどバックした。山より遠ざかったことになる。ちょっと山の見え方にこだわってみよう。ということで、念のために昨日の場所(高田砂川堤防)で撮った写真を1枚。山の重なりはきょうの標題写真とほぼ同じである。さて、ここからである。細かく言うと三上山がほんの少し右に移動している(三上山と菩提寺山が少し離れた)が、それはともかくとして、菩提寺山に対する三上山の存在感というのかな、別のいいかたをすれば鋭さといえばいいのか。きょうの標題写真がおっとりしているのを感じてもらえるだろうか。
 たった200m右後ろへバックしただけである。本来ならば遠くにある三上山が大きく背伸びしてくるところである。ところがそうはならずに、なんとなくのんびりと昼寝をしているように感じられる。これがどうしてなのか。実はこれが高田砂川の堤防の高さによるのである。200mバックしたと述べたが、それと同時に堤防を下っていたのである。その高さが数mあっただろうか。何や10mもないのか。そう、その高さの差がこの表情の差につながっていたのである。風景は”前後左右”というけれど、それ以上に”上下”の効果が大きいのである。  HPトップへ戻る



13

 ■2017年10月13日

 ■右へ傾く

  湖南市正福寺
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 基本的な構図が変わらないから、昨日の写真と同じだと思われるはず。今度はきのうの位置からまた200mほど、右前へ前進した。前方は丸種滋賀研究農場。素人には何が植わっているのかわからないが、50cmぐらいの白い棒が夕日に映え、何とも言えず強い印象を受けた。
 さて、一昨日、昨日、今日と結果的によく似た写真を並べたが、撮影場所は一昨日の場所を基準にして、右後方・右前方と移動した。移動距離はどちらも200m、そして不思議なことに一昨日の地点から見て、きょうの場所は右へ200mの地点だった。言い換えたら正三角形の3頂点に立ったということになるが、きょうの写真は不思議に三上山が右へ傾いて見える。どこが違うのかといわれてもよくわからない。何か目の錯覚のようなものがあるのではないか。あれこれ考え続けているがよくわからない。  HPトップへ戻る



14

 ■2017年10月14日

 ■水郷遊覧

  近江八幡市北之庄
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 手持ちの写真がなくなった。ここのところ天候が悪く撮影のタイミングが合わない。仕方がないので、去年、一昨年のいまごろの写真を見直してみた。面白いもので同じ場所の写真が2,3か所、両年ともに残っていた。2年続けて同じ時期に同じ場所へ行っていたことになる。この水郷の遊覧船もその中の一つ。ひょっとしたら一度使っているかもしれない。
 いま撮影済みのデータは、年月日順と、場所別の2つの系列で保存している。普段使うのは場所別だが、今回のような場合は日にち順が役に立つ。フィルム時代、その保存はフィルムケースに撮影年月日を記入して保存するだけだった。三上山を撮りだしてからも少しの間は同じ方法で保存ていいたが、数が増すにしたがって、能率が悪いことが分かってきて、思い切って場所別に切り替えた。35mm判では到底無理な話だったが、6×7判の中判だったので何とかそれが可能だった。
 フィルムを1枚1枚きり離し、それぞれの袋に撮影年月日と撮影場所を記入していく。面倒な仕事だったが、これでフィルム出し入れ能率が飛躍的にUPした。フィルムの切り離しが最初はどうなるものかと心配したが、結果的にそれが能率アップにつながった。デジタルの場所別分類が最初は面倒くさかったが、平成の大合併で市”が整理され楽になった。  HPトップへ戻る



15

 ■2017年10月15日

 ■田んぼだった

  湖南市岩根
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 天気がパッとしない。JA近江富士の写真教室。予定していた野外撮影の場所を雨が降っても大丈夫なように、日野町旧鎌掛小学校に変更。その帰りの1号バイパス。岩根のイオンタウン入り口。十字に交差する県道13号も交通量が多く、最近は日常的に渋滞するようになった。それに輪をかけたような屋外広告、これ見よがしのオレンジ系統の色。何とも落ち着かない場所になってしまった。いまのところはイオンタウン以外、周囲はすべてまだ農地。一軒何かが建ったらバタバタと広がっていくのだろう。
 そもそもこの十字路、もともとは縦も横もないただの田んぼだった。そこへ野洲川に新生橋がかかり、それにつながる県道13号ができ、十二坊の麓を走る県道27号のバイパスができ、いつの間にやらそれが1号バイパスに変身した。変われば変わるものである。  HPトップへ戻る



16

 ■2017年10月16日

 ■厄介な問題

  湖南市岩根
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 イオンタウンを過ぎて田舎の風景に戻る。しかし、以前よりも信号が増えた。これは小さな交差点が2つ続くところ。手前の信号などは農道との交差点だが、信号がなければトラクターも渡ることができないというところだろう。
 写真には信号機が4基写っている。手前の一組が青、奥が赤になっている。ライトはLEDで点滅している。それぞれのペアは一つの機械でドライブされているはずだから、これは同時に点滅しているだろう。問題は写真のように肉眼で見通せるぐらいの距離にある場合は、それぞれはどのような点滅をしているのだろう。続けて撮ったもう1枚。手前の青は消えてはいないが見えにくい。奥の赤は点灯している。いまの場合は別の機械でドライブされているらしい。それらの状況が外からは見えないから、結局はある程度の数を撮って対処するしか手はない。どうでもエエ話だけど、ことと場合によっては写真の生死を決めることにもなりかねない。厄介な問題でもある。  HPトップへ戻る



17

 ■2017年10月17日

 ■傾く山

  湖南市岩根
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 ずーっと雨。よく似た写真でご勘弁を。正面は正福寺東という信号。右へとれば十二坊の山を抜けて下田の工業団地へつながる道である。右のでかい建物が、甲西北中学の体育館。ここのところ右側から十二坊が迫り野洲川との間に余裕がない。ためにこのバイパスも川の堤防上を走る。左の空き地は4車線化のための予備地だと思われる。
 ここのところずっと左に菩提寺山、右に三上山という構図が続く。ここへきて、三上山が大きく右へ傾いて見える。偶然だけれどもその傾きが13日に見てもらった丸種滋賀研究農場からの写真とよく似ている。ほとんど同じ方向から見ていることになる。菩提寺山に比べて三上山が大きく見えるのは、こちらの方が2K余り遠いことによる。離れたら小さくなるじゃないかという人がいる。その通りである。これは菩提寺山との比較の問題で、菩提寺山の方がより小さくなるために三上山が相対的に大きく見えるのである。   HPトップへ戻る



18

 ■2017年10月18日

 ■1mのずれ

  湖南市正福寺
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 湖南市正福寺、甲西北中学を右に見て広域農道をオーバークロスしてカーブを描きながら広い農地へ向かって下っていくところ。田植え直後水田が夕日に光る風景は秀逸である。朝国から石部まで距離にして7Km余りの間で、このようにして三上山に向かって勾配を下る場所がもう1箇所ある。甲賀市泉から上り始めて湖南市岩根へ下るところ。完成した道路を初めて走った時には、これはすごいと感動した。
 とくに頂上へ上り切って、そばに生えている松の木と三上山が絡むところ。実はこのときもそのアングルを狙っていた。ところが”今だッ”というタイミングが計れない。あれよあれよという間に通り過ぎてしまった。撮れたのは下りにかかって立ち並ぶ電柱が邪魔をするところ。そして近づいた最後のチャンス。ここへきても同じような感覚を感じるのである。”こんなのではないのになー”と思っている間に通り過ぎてしまう。そのとまどいが運転席と助手席の約1mのずれ、特にそれが道路の端側へ向かってのずれだと気がついたのは走り終わったあとのことだった。  HPトップへ戻る



19

 ■2017年10月19日

 ■トンビとお遊び

  守山市琵琶湖大橋
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 好天に引かれて琵琶湖大橋へ出えかけたが、思ったほど見通しがよくなく冴えない写真。ずっと並んでいる照明灯が橋の外から見る場合はアクセントになるが、橋の上から何かを撮ろうとすると結構邪魔になる。難しいところ。
 まあそんなことで、山よりトンビと遊ぶほうが面白かった。車で走っているときはほとんど気にならないが、歩いているとトンビが橋を意識して飛んでいるのがよくわかる。その昔志摩半島のパールロードのバスに乗った時の話。リアス式海岸の高いところを走る。乗客は我々職場の同僚数人だけ。運転手がいろいろとしゃべりだした。その時の話題にトンビも暇やからバスを追ってくるという話になった。きょうも見ているとそういう傾向がある。注意していると目の前を通り過ぎることがある。トンビからすれば、オジイも暇やからワシらを狙ろとるということになるのだろうが。  HPトップへ戻る



20

 ■2017年10月20日

 ■まいったなー長雨

  野洲市三上
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 まいったなー、この長雨には。もうどないしようもない。天気予報では来週後半までのぞみ薄。ただ晴れただけではどないしようもない、もこちらの都合と合わなければ意味がないわけで。いやいや参った。
 今朝も山が見えるか見えないか。下3分の2ぐらいが見え、その上に朝の明るみが水平方向に伸びていた。最低の線は確保できそう。クルマで飛び出したが、ものの1分もかかるかかからないかの場所なのに、現場に着いたときにはそれは消え、ぽつんと雲の明るい部分が淡く見えるだけ。それもアッという間に消えた。2.30m移動して撮った写真が標題写真。どれだけ違うのやといわれたら、返事のしようがないのだけれど。どちらも手前の空き地はバイパス予定地。  HPトップへ戻る




上 旬 ・ 中 旬 ・ 下 旬

21

 ■2017年10月21日

 ■困ったもんだ

  湖南市正福寺
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 困ったもんだ、いよいよネタがなくなってきた。しつこいのでここらで打ち切りと考えていた18日の続き、1号パイパス。これはバイパス沿いを歩いて撮った写真(今月12日の標題写真)。クルマはちょうどそのあたりにさしかかってきた。高田砂川の堤防の向かって上りだすところ。道の右側にネットが張られており、上端の線が細く見える。これが道路方向の水平線。道路が上りにかかっていることが分かる。丸種滋賀研究農場のビニールハウスが近づいてくる。やっぱり走りながら撮るのとしっかり見るのとは違う。
 撮影した場所。1号バイパスであることは間違いないが、その線上のどこか。このときクルマは後方の十字路を通過してきたところ。その交差点へ進路を誘導する分離帯のゼブラが見える。これが航空写真に写っている。これが位置のアリバイである。  HPトップへ戻る



22

 ■2017年10月22日

 ■真正面富士

  野洲市南桜
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 15日から1号バイパスを三上山に向かって走ってきた。その間ずーっと菩提寺山が左側に並んでいた。そのあと菩提寺山の手前でバイパスは左へカーブ、石部頭首工を越えて栗東市の山間へ去る。道はそのあと県道27号へ戻り菩提寺山を半周、名神の下をくぐって野洲市側へ出てきたところである。地形的に言うと、名神をくぐったところで田んぼより数m高く、そこから南桜の信号へ向かってなだらかな勾配を下る。真正面に三上山の主峰が立ち、初めての人はあっと息をのむところである。
 以前、『あいあい滋賀』の”三上山物語”で、真正面富士をいくつかとり上げたときにも、読者の方から、”南桜の県道もいいですよ”とアドバイスをいただいた。百も承知だったが新聞に載せるには電柱が目立って躊躇した。右に見える桜の木、その下を旧道が通る。今年4月16日の標題写真、こちらの方が電柱の影響は小さいようである。  HPトップへ戻る



23

 ■2017年10月23日

 ■雨中に見る

  野洲市三上
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 台風は23日7時半現在、茨城県を北上中だとか。標題写真はプロパティに22日午前10時12分とあるから台風はまだ南方海上にあったときのこと。横風の中で結構強い雨が降っていた。普通、雨の中では山は白く隠れてしまうのが普通だが、このときはその雨の中で山全体が姿を見せていた。災害が起こるぐらいの大雨になると視界全体が白くかすんでしまうらしいが、このときの雨はそんな雨ではない。普段より少し強めの雨だったが、それでも白雲がわかないのが不思議だった。
 そのあともときどき注意してみていたが、間断なく降り続く中で白く隠れたり(これが雨中の普通の状態)、全体が姿を現したりを繰り返している様子だった。  HPトップへ戻る



24

 ■2017年10月24日

 ■よく頑張った

  野洲市三上
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 台風21号、超大型。今回の台風の進路が伊勢湾台風に似ているといわれていた。当時住んでいた京都伏見のボロ家で真夜中に1.5m四方ほどの壁が抜けた。どうして朝を待ったかいまとなっては記憶もないが、近鉄名古屋線が甚大な浸水被害を受けた。当時狭軌だったのを、復旧作業と同時に標準軌間に取り換えるという歴史に残る離れ業をやったいわくつきの台風である。今回の台風も、湖西線のコンクリート製の架線柱が根元から折れたり、マキノのメタセコイヤの何本かが倒れたという。
 となればあの木は大丈夫か。午後から晴れ間が出てきたのでご機嫌うかがいに。祠が取り払われた小川沿いにたった1本立ちつくす桜の木。今年の春には花も咲かせなかったので、ひょっとしての思いもあったが、とにかく何の変化もなく立っていた。変化したのはこちらの足。稲刈りが終わった田んぼだから、若いころなら難なく定位置まで行けたはずだが、まだ水が残っている田んぼの細い畦に思わず足がすくんだ。構図の違いはそのせいである。
 帰りの農道、何事もなかったように二羽のセキレイが遊んでいた。まわりはただの空き地と化した工業団地予定地。こんな中であの台風の夜を過ごしたのか。よく頑張った木も鳥も。  HPトップへ戻る



25

 ■2017年10月25日

 ■イネも頑張る

  野洲市行畑2丁目
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 きのうの木を撮っての帰り道、ふと気が変わって新幹線沿いの道を野洲高校のグランドの方へ歩てみた。別に変わったものがあるわけではない。新しくできるバイパスと新幹線に挟まれた間で、将来は工業団地になるとかで、今のところは雑草が伸び放題になっているエリアである。
 ふとみると雑草に交じって稲が穂をつけている。思わず我が目を疑った。完全に放置された土地だから、農家の手が入っているわけではない。雑草の間から勝手に生えてきて実をつけたのだろう。去年か一昨年かの、最後の稲刈りのときにこぼれたコメが、芽を出したのだろうか。事情は分からないが、何ともけなげなことである。イヤイヤほんま、きのう書いた木や鳥もよく頑張ったが、このイネもちょっと意味は違うがよく頑張った。もうちょっと近くで手がとどくぐらいのところだったら、ひとしごきして神棚か仏壇かに備えても罰は当たらないだろう。  HPトップへ戻る



26

 ■2017年10月26日

 ■バイパス工事中

  野洲市三上
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 野洲高校の校舎は三上山から見て新幹線の向こう側にあり、グランドは三上山側にある。いまカメラが立つ場所はグランドの周りを流れる小川のふち。グランドは農業高校だったころは農園だったところで、桃の花が咲いてなんとなく懐かしさを感じさせるところだった。そこで撮影できなくなったのは画面右半分に見える大きな倉庫が建ってから。当時は日通の倉庫だったが、いまは別の業者のはず。
 そして今、倉庫が嫌だとかなんだとかいっている場合ではなくなった。その手前に8妨害パスが通るという。(段々指が怪しくなってきた。8goubaipasuと打ったはずだが)。盛り土の上のトラックやパワーショベルはその作業中。あと何年か先にはこの風景は万里の長城でふさがれる。GooglMapを航空写真に切り替えるとその生々しさが見えてくる。  HPトップへ戻る



27

 ■2017年10月27日

 ■曙光

  野洲市三上
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 朝、霧が深い。もうそんな季節なんだ。どうなるかわからないがカメラを持って飛び出した。その間1分もないはずだが様子は変わっている。霧は絶えず動いているのだろう。とにかく現場へ行ってみる。東の方に赤みが指しだした。山の姿は肉眼でははっきりしないのだが、モニターで見ると何とか山頂付近が見える。朝の散歩の人がはっきりしてくる。
 帰ってプロパティを見ると撮影時刻が6時22分。滋賀県地方、けさ(10月27日)の日の出が6時13分だという。実際に太陽が山の端に姿を見せるのは、日の出の時刻より10数分遅れるから、シャッターを切ったのがちょうどその時刻前後だったらしい。 HPトップへ戻る



28

 ■2017年10月28日

 ■現場証明

  野洲市三上
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 野洲市行畑から国道8号・三上へ向かう旧県道504号を対称軸として、三上山に向いて左側が一昨日標題写真の撮影場所、右側がきょうの写真(10月23日撮影)の撮影場所。パワーショベルの奥に見えている電柱の列が旧県道、左に例の倉庫が見えている。目の前の堀では発掘調査が行われていたのだろうか。前回の台風21号でたまった水が残っている。右に見える高圧線鉄塔が、いつも定点から撮るときには、山の左斜面に重なって立っている。それを見てもおよそのこの場所が想像してもらえるだろう。
 この場所にはその昔、高さ1m余りの盛り土があって直径2cmぐらいの細い竹が数本生えていた。撮影は1978年11月。ざっと40年前の写真である。しかしいまになって見れば場所も日にちも客観的に証明するものは何も写っていない。いま近くに数軒の住宅があるがそのときは皆無。住民の皆さんもこの盛り土はご存じないはず。こういう切り詰めた写真の難しさである。そしてあえて言えば、ここも将来的にはバイパスが風景を塞ぎ三上山は見えなくなる。右の鉄塔が現場証明になるかどうか。  HPトップへ戻る



29

 ■2017年10月29日

 ■県民花の森から

  湖南市三雲
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 2012年秋から始めた「野洲川流域峠道探訪」。国道8号の野洲川大橋畔からスタートして、北周りで武平峠に達したのが昨年秋。もう一度野洲川大橋に戻って南周りでいま、三雲の荒川流域を終わったところ。このあと甲賀・伊賀の県境を尋ね歩いて鈴鹿峠へたどり着けばとりあえずの完結ということになる。最後は石部から鈴鹿峠まで旧東海道歩きを考えているが、いよいよ時間(足腰)の問題が立ちはだかってきた。
 そしてさらにもう一つ大きな問題、これは初めから分かっていたことだが、野洲川流域の南半分(甲南町・甲賀町)の水を集める杣川、これが三雲の上流で野洲川に合流する。そしてその川沿いに走る杣街道。いまのJR草津線沿いのルート、これを訪ねなければならない。きょうはその初日である。
 杣街道は、壬申の乱のころからの古いルートだが、鈴鹿を越える東海道に対するルートとして明治20年ごろから整備がすすめられ、「新海道」と呼ばれていた。その始点を示す碑がいま三雲の天保義民碑の近くに立っている。あたりは県民花の森として整備されている。そのそばから振り返れば市街地の向こうに三上山が見えた。手前は三雲駅のホームである。    HPトップへ戻る



30

 ■2017年10月30日

 ■天保義民碑

  湖南市三雲
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 きのう見てもらった「新海道」の碑、天保義民碑広場への登り口に建っている。そのまま解釈するとその道が旧街道かと理解してしまう。実はこの碑はもう少し上流の旧横田橋左岸(今はない)にあったものが、ここへ移されたのだという。土に埋められた碑が動くはずはないと考えがちだが、このような例はいくらでもある。注意してかからないととんでもない失敗に結びつく。
 だらだら坂を登って義民碑広場へ上りつくと、例のイノシシゲート。細かい文字が並んでいる。よっぽどイノシシに恨みがあるのだろうと読んでみると”震度5以上の地震で倒れる恐れがある”・・・云々。そんなこと書かんでも大地震が来たら誰でも逃げるでしょうが。書いた本人は大地震が来たら、びっくりしてこの碑にしがみつく人間がおるとでも思っているのだろう。この手の注意書き(放送も含めて)が減れば、もう少し世の中かが静かになるのだが。天保義民碑をどうぞ。
 もう随分前になるが、ここから三上山が見えないかと訪ねてきたことがある。木が多くて見えなかったが、それはいまも同じ。しかし、その広場から斜面をトラバースする遊歩道ができていた。それを100m足らず歩くと、木が途切れて、例の山が2つ並び立つのが見えた。画面左端の白い大きな建物が三雲駅の駅舎である。  HPトップへ戻る



31

 ■2017年10月31日

 ■ポプラ逝く

  草津市下物町
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 昨日の台風もこともなく過ぎた。被害地の方々のことを考えると喜んでばかりもおれないが。写真が品切れになったのでとりあえずのものをと、ふと思いついて烏丸半島へ出かけた。つい先日、新聞だったかTVだったかで例の”ぐーたら風車”が撤去されることに決まったと報じていた。目的はそっちだったのだが、ついついハス畑の方へ足が向いて、何の気もなく対岸のポプラにカメラを向けた。・・・と、おいちょっと待てよ。歯ぬけになっているし、右の2本は傾いている。こんなのではなかったよなー。
 帰り、対岸の山賀パーキングへ寄ってみた。やはりポプラは倒れていた。切り倒されて処理されていたから、昨日のではない。先週の21号でやられたのだろう。何本処理されていたか、全部で5本だったか、6本だったか。ひょっとしたらそれ以上だったかもしれない。
 この写真は、昔、といっても2009年2月の撮影。あいあい滋賀に連載したうちの一枚。解説文で次のように書いた。
 ・・・ポプラというと、近江八幡市水茎町の県道沿いの並木を思い出す。一直線数100mに渡って連なる様は見事である。しかし、ある年の台風で木が傾き、すべて上半分が切り払われ、一時悲しい姿になった。写真のポプラは湖岸道路山賀パーキングに植えられているものだが、琵琶湖からの風も強かろう。ある日、気がついたら、下半分だけが残っていたということがないよう願っている。・・・
 まさか10年を経ずして、これが現実になろうとは。  HPトップへ戻る





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