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三上山日乗・2017年06月



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01

 ■2017年06月01日

 ■御呂戸川河口

  大津市衣川1丁目
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 衣川1丁目で国道161号が「御呂戸川」という不思議な名の川とクロスする。川の南側がスギ薬局の駐車場になっている。その駐車場の裏、川の右岸に小道が湖岸まで通している。その道が草深くなってさてここからどうしようかと思案するところで、三上山が見える。沖には例の浮き漁礁が続いている。そこまではいい。この写真を見て誰でもがこれは何かと不思議に思うのが河口を斜めに塞ぐように見える細い堤防。地図で測ってみると300m余り。これは長い。素人考えだが御呂戸川の水が直接山下湾に流れ込むのを防いでいるのだろう。事情は分からない。
 私が三上山を撮りだしたころ、この川はいまよりもう少し北の方、いま衣川緑地となっている岬の方へ流れ出ていた。だから今の河口の場所はただの湖岸だった。そこでこんな写真を撮った。手前にヨシが生えているだけ。場所を示すものは何も写っていない。その後、長く行かない間にそこが河口になった。この写真の撮影場所はわからなくなった。手前のヨシは何の足しにもならなかったが、幸い遠景の山が写っていた。それを見ながら確かめた。ここがその場所だった。いまはその遠景の山すら見えない。  HPトップへ戻る



02

 ■2017年06月02日

 ■ポプラ立つ

  大津市衣川1丁目
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 いよいよネタがなくなって、きょうはポプラの写真か・・・。まあまあ、そういわないで。ここは衣川緑地、かつての御呂戸川河口跡に位置する公園である。公園内から見て、旧河口の岬が三上山の方を向き、それが大きな木々に覆われているため、どう見ても山は見えない。いや、琵琶湖すら見えない。湖のすぐそばにありながらほとんどそれを感じさせない、それが衣川緑地である。
 そのそばに、もう1つ子供用の小さな公園があった。それをとりまく道路を歩いていて、?・・・・、ネット越しに何か感じるものが。バックして見直してみると、やっぱりそうだ。ポプラのそばの小さい穴の向こうに三上山が見える。しかしネット越しにこれを撮っても、商売にはならんだろう。諦めて少し行くと入り口があって、出入り自由。入ってみて撮ったのが標題写真である。しかし考えてみれば、自由に歩けるわけだから、こんな無理しなくても、もっと楽なポジションはあるはず。近寄って撮ったのがこの写真。これを標題写真にしようかとも思ったが、視界が狭くどこで撮ったのかわからないし。
 もっと前へ行こうと思えば行ける。ぎりぎりまで行ったのがこの写真。まあしかし、写真というものは前へ出るばかりが能ではなさそうで。  HPトップへ戻る



03

 ■2017年06月03日

 ■北流跡

  野洲市竹生
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 旧野洲川北流跡の竹生橋上流付近。その流れのあとにビニールハウスが続いている。いま写っている正面の道は、かつての北流左岸に当たるところである。上流側でリバーサイドタウンの開発が行われていたころは、その変化の記録のためによく通ったが、住宅が建ちだしてからは足が遠のいていた。もう少し進むとハウスと新たに建った住宅とが道を挟むようになるが、ここではまだそれも目立たず、開発直前の風景と大差のない風景だった。
 しかしそれもハウスが建ちだしてからの話であって、かつて川が流れていたころに比べると大きな変化であることは言うまでもない。  HPトップへ戻る



04

 ■2017年06月04日

 ■竹生口交差点

  野洲市市三宅
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 リバーサイドタウン・竹ヶ丘、造成中はときどきその過程を撮っていたが、住宅が建ってから歩くのは初めてだった。ふと見ると竹藪の中を階段が上っていく。いつも竹生口交差点を撮っていたところだ。これまでは交差点側から入っていたが、竹生側から入ってもこんなに近かったのか。なるほどやっと全体の距離感覚がわいてきた。せっかく来たのだから1枚撮っておこうか。これが標題写真。交差点が移動してからはさしたる変化はない。
 そばに保育園ができているが(写真は駐車場の一部)、これは前回のレポートで記録済み。GoogleMapには「しみんふくし保育の家竹が丘」とある。もう1枚

 ◆好天が続く。安曇川・藤乃井「三上山40年展」、本日3日目。おかげさまでにぎわってます。30数年前・京都での個展のアルバム、TV番組・あいあい滋賀連載紙面も準備しました。お暇なときにどうぞ。  HPトップへ戻る



05

 ■2017年06月05日

 ■玉ねぎ畑

  守山市新庄町
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 久しぶりに野洲川北流跡道路を歩いた。新庄町あたりで陸上競技のトラックのような不思議なカーブを示す畑にネギ坊主が並んでいた。道路の反対側では収穫のあと始末?が行われていた。女性が菅笠をかぶってちょっとした風情である。もう1枚。あたり全体に玉ねぎの臭いが漂う。
 あれは寒い時期だった。きれいに整地されられたトラック形の畑で同じように何人かの女性の作業姿を見た。たしか写真があったはずと探してみたが、見つからなかった。どこかへまぎれこんでしまったらしい。きっちり探せば見つかるはずだが、安曇川行きで時間の余裕がない。いまは探し出すのはあきらめる。玉ねぎ畑をもう1枚。
 標題写真は5月29日の撮影である。おそらく今ごろは収穫が終わっているのだろう。  HPトップへ戻る



06

 ■2017年06月06日

 ■麦畑

  野洲市乙窪
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 麦が色づいてきた。各地で刈り取りが始まっている。この写真も早く使わないと賞味期限が切れる。昨日の玉ねぎ畑から細い農道を挟んですぐ隣、逆「く」の字型に農道が折れ曲がる。その奥の麦の色が秀逸。何色というのだろうか、的確な色の名前が浮かばないのがもどかしい。
 ところできのうの玉ねぎ畑は旧北流跡地。右岸堤防だった場所である。その畑地にはこのような麦畑や田んぼはない。一方、いま見ている麦畑はその外側である。堤防跡地は守山市、そのすぐ外の麦畑は野洲市乙窪。古い写真を一枚。旧北流が現役だったころ。いまの麦畑の現場から600mほど下流の旧乙窪橋近くの堤防上から乙窪の農地を見たところである。今の麦畑はこの写真の石灯籠の左遠方の森近くに当たる。灯籠の右外が堤防林である。  HPトップへ戻る



07

 ■2017年06月07日

 ■枯草色の堤防

  守山市立田町
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 野洲川放水路・服部大橋を守山側へ渡り切って勾配を下る途中である。画面右側の電柱の向こう、わずかに見えている白い線が新庄大橋。緑一色の中で堤防だけが枯草のように見える。一見、除草剤が散布されたかのように見える。実際には除草機で刈り取られているはずだから、薬剤の散布はないはず。一部緑が見えるから、これから生えそろっていくのだろうか。
 考えてみれば堤防の草の色がどのように変化するか、いままで注意して見たことはない。このようにめったに来ない単純な風景の場所だからそれが気になったのではあるが。  HPトップへ戻る



08

 ■2017年06月08日

 ■仏願寺

  守山市服部町
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 撮影した場所が守山市服部町。写っているのが同じく新庄町の仏願寺という構図である。新庄町は野洲川放水路の右岸にあって、その北西側を県道48号が走り新庄大橋につながっている。この道路は周辺の幹線道路でよく利用する。走るたびに集落内になる仏願寺の本堂が気になっていた。写真でクルマが走っているのがその48号で集落に近い。そこから撮ったのでは寺ばかりが大きく写り山は小さくなる。
 標題写真は、新庄大橋より1つ下流の服部大橋の近く、服部町の集落近くから撮ったものである。服部町は南北2つに分かれ、撮影したのは南の集落の近く。南産土神社がある。写真に写っている森は、GoogleMapには八幡神社とある。  HPトップへ戻る



09

 ■2017年06月09日

 ■下校時

  守山市立田町
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 国道477号、いわゆる浜街道の幸津川町と立田町の境あたり。いま1本琵琶湖側にバイパスの工事が行われているが、集落内を通る道は狭い。そんな中で両集落間の数10mほどの間だけ、道路に余裕があってクルマを置くことができる。道のすぐそばは農地である。今年は水田か麦畑かと行ってみた。と、遠くの田んぼの中の道を小学生が下校してくるところ。
 多分中洲小学校の子供たちだろう。野洲川沿いにある小学校で、冬には例メタセコイヤにクリスマスツリーがともる。集落内の道路は狭いので、ちょっと遠回りだけれどこうして田んぼの中の道を帰るのだろう。雨の日や、冬の風の強い日などはつらいだろうが、いまのこの時期、何とものどかな幸せな風景に見えた。  HPトップへ戻る



10

 ■2017年06月10日

 ■遮音壁

  大津市八屋戸
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 県道558号(旧国道161号)を堅田から北上する。蓬莱駅前を過ぎて勾配を登りきったあたり、びわ湖バレイ口の少し手前で、湖西線の線路に重なって湖岸に何本かの木が生えているのが以前から気になっていた。県道沿いにちょっとしたレストランがあり、その店の敷地にに生えている木が陰を作っていた。その下で待つことにした。遮音壁が気になったが、いまさらそれを言っても仕方がない。やって来たのが青大将。これはどうにもならなかった。
 次にやってきたのがサンダーバード(標題写真)。ボディが白いから青大将よりははっきりする。しかし白い線が目立つだけで、遮音壁には負ける。こうなれば線路沿いの木はどうでもいい。たしか、もう少し北の清林パークあたりでは裸だったはずだ。移動した。やはりついている。これではどうしようもない。帰ってから調べてみた。2007年5月。やっぱりない。こんなにスカッとしていたのだ。気になる写真が1枚。2010年6月。右端にちらっとそれが見える。部分的なものだとは思うが、確たることはわからない。はっきりしたのはこのあたりでの電車の写真はアカンということ。  HPトップへ戻る





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11

 ■2017年06月11日

 ■おじさんが来た

  大津市八屋戸
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 もともと気になったのは電車ではない。線路の向こうに生えている木である。それでいながら電車にこだわって訳の分からない絵になった。難儀なところだと首を傾げているところへ麦わら帽をかぶったおじさんがやってきた。さっき下の方から登ってきたおじさんだ。まだこの方が絵になる。きのうの写真は、木を気にしながら電車でその木を隠していたわけ。これは矛盾だった。電車はいない方がいい。
 ということだが、これで木を撮ったといっても笑われるのがおち。誰も信用するはずがない。といって、望遠で木のところだけを狙っても、何を撮らはったのです?ということで、写真にはならない。結局、遮音壁がある以上ここはどうにもならんということだろう。

◆さて、あすは新聞休刊日。前回は広島に対して0:9からの球史に残る大逆転の翌日だった。ということで昨日はソフトバンクに対して5安打で5点。分かったようなわからんような勝ち方だった。でも他の5球団は全部負けているから交流戦は面白い。さてきょう(新聞休刊日の前日)は?。ところで、これはどこのチームの話でしょう。  HPトップへ戻る



12

 ■2017年06月12日

 ■棚田から

  大津市八屋戸
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 ふと思いついて八屋戸の棚田へ上ってみた。蓬莱駅前の信号を山手の方へ折れ、少し上った所で右折、集落の中の道を登る。こんなに細かったかなと思う。クルマ1台分、対向車が来れば絶対アウト。集落のはずれで何か動くものがいる。サルかと思ったが少し大きい。シカだ。そっと止める。きょとんとこちらを見ている。じっと動かないのでカメラへ手を伸ばしたところで、ひょこひょこと立ち去った。それも森へではなしに逆に民家の方へ。いかにも慣れ切っている感じである。
 湖西道路を越えたところで、小女郎峠を経て蓬莱山の道標が立っている。あれは20歳代、京都に住んでいたころだから60年にもなるはず。頂上付近に雪をみることもあったが、黄葉が落ちつくした12月の比良。蓬莱山からササの道を下って小女郎池へ下るのが定番だった。この道を下っていたわけだ。当時の江若鉄道の蓬莱駅がどこだったか。いまとなっては何の記憶もない。
 少し上ると桜の木のそばに「福谷の郷」との碑が建ち、その手前にあずま屋が建っている。いつのころからか、棚田がイノシシ除けのネットで囲まれた。ネットの目が粗く、そこへレンズの先がはまり込む。これが何よりもありがたい。標題写真で、森の間、トラックが走るのが湖西道路。大きく突き出た岬が和邇川河口。大きく伸ばすと和邇駅前の平和堂、湖西線を寸足らずの青大将が走るのも見えますぞ。  HPトップへ戻る



13

 ■2017年06月13日

 ■和邇漁港の怪

  大津市和邇中浜
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 標題写真を見る前にまずこの写真を見ていただきたい。撮影は1980年1月1日。船にしめ飾りがついている。いまから37年前。1982年6月出版の『四季近江富士』に「岬の向こうに」と題して収録している。撮影場所は志賀町(現大津市)中浜。この時点では撮影から2年半、記憶もはっきりしていたはず。しかしこれ以上の記述はない。その後、定年退職をした1994年に『近江富士百景』と、2000年に『近江富士遊々』の2冊をまとめた。2003年に現在のHPを開設。既刊3冊の写真集のデジタル化を始めた。撮影場所を再確認して歩くうちに、現地の変化とともに、基本的な思い違いがいくつかあることに気がついた。その中でいちばん不思議なのがこの写真である。
 1980年のしめ飾りの写真は、和邇中浜の和邇漁港から撮影したと思い込んでいた。しかしそこから見た場合、三上山は和邇川デルタの中ほどに見えるのである。岬に対する三上山の位置が1980年撮影の写真とのつじつまが合わない。いちばん外側へ寄ったところでもまだ岬の中ほどに見える。1980年撮影の場所は、魚港から離れた沖でなければ成り立たない構図ということになる。そして、きょうの標題写真の撮影場所は?・・・・以下明日。   HPトップへ戻る



14

 ■2017年06月14日

 ■喜撰川河口

  大津市和邇中浜
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 1980年のしめ飾りの写真では、山は岬の先端に立っている。しかし和邇漁港からは間違いなく岬の中ほどに見える。それは厳然たる事実である。で、この周辺(和邇川デルタが見える範囲)で、一番沖へ突き出た場所を探してみると、喜撰川河口ということになる。比良山系南部の山中から流れ出る川で、和邇漁港の北で小さなデルタを作っている。県道558号(旧161号)を越えてからはまっすぐ琵琶湖へ注いでいる。河口のすぐ近くに喜撰川浜橋という遊歩道の橋がかかっている。この写真の対岸が一番沖へ出ている場所である。
 そこから撮ったのがきょうの標題写真。昨日の写真はいま写っている右の木の下へもぐりこんで撮ったもの。距離の差は厳しい。ほんのわずか今日の写真の方が先へ出ているようである。そうすると30数年前、このあたりに船が止まっていたのかという論議になるが、逆に、そのころ喜撰川がいまのようにまっすぐ琵琶湖へそそいでいたのかという問題にもなる。いわく不可解、結論はこれしかない。   HPトップへ戻る



15

 ■2017年06月15日

 ■和邇川堤防

  大津市和邇南浜
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 和邇川デルタと三上山の関係、一言でいうと訳がわからないということになるのだが、デルタそのものの様子も必ずしも一定不変ということではなさそう。和邇川沿いの道路を走って岬まで行ったことは何度もある。しかしゆっくり歩いてというとことはなかった。ラフォーレのびわ湖WKのときに歩いているはずだけど、あの時は三上山を背にして歩いた。天気もいいことだし歩いてみようか。何かが見えてくるかもしれない。
 と湖岸を歩きだしたのだが、三上山から見て岬の裏側の道である。山が見えるはずがない。が、途中で道を間違えたらしい、和邇川堤防の向こうに三上山が現れた。旧161号を北から南下するときに見える構図だけど、ここまで堤防に近い距離から見るのは初めてだった。後で考えてみると間違えて入り込んだその道は岬を横断する道路で、三上山を撮りだして間なしのころ、バイクでよく走っていた道だった。そういえば山が正面に見える今宿浜(岬の南側)からはよく撮っていたが、裏側(北側)へ回る和邇浜からは撮った記憶がない。その当時、走りながら見ていたはずのこの構図、その時点では撮るに足りない風景だったのだろう。   HPトップへ戻る



16

 ■2017年06月16日

 ■和邇川堤防

  大津市和邇南浜
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 その道を進んで和邇川左岸堤防へ上る。遠くヨシの葉陰に麦藁帽が動く。草刈り中かなと思っが、近づいてみると魚釣りの男性だった。そうだわなこんな川の草刈りを一人でできるはずはない。川は下流に向かってちょっと右へ振る。その先に三上山。ここも堤防の上を岬に向かう途中で見ているはずだが、いつもいつも来る場所ではない。 何となく初めての風景を見る思いだった。
 堤防の向こうにビニールハウスがあって、その向こうに三上山が見えるようだが、画面を伸ばしてみるとすぐそこが琵琶湖で、水平に続く黒い線は対岸の松並木なのだ。そういえばすぐそこが岬なんだ。   HPトップへ戻る



17

 ■2017年06月17日

 ■その気で見ると

  大津市和邇南浜
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 和邇川デルタの先端である。左岸から右岸を見たところ。ここへきてやっとはっきり全貌が見える。今回の場合、道を間違えて途中から堤防上へ上ったから昨日のような絵が作れたが、予定通り湖岸線を歩いていたら、ここまで三上山は見えなかったはず。これも当然の理だった。さらに先端の方へ進むと松の木が消えて、ラフォーレ琵琶湖が見えてくる。左へ眼を転じると右岸の砂嘴が張り出し、その遠浅で釣りを楽しむ人が。沖島が見えその左には伊吹山が見える。
 ところで、もう一度標題写真に戻る。右肩に妙なコブが見える。言うまでもない菩提寺山である。ここからこうして見えるということは、八屋戸の棚田や喜撰川河口からも見えるはずである。改めて見直してみた。八屋戸の棚田。ちょっと霞んでいて見にくいが、その気になって見れば何とか見える。喜撰川河口。ヨシの先と絡んでいるがここからもはっきり見える。もう一度標題写真を。ちょろちょろと生えた枯草の左、湖岸道路の野洲川の橋が見える。その気になって見ることの大切さ。もっとも、見えても見えなくても一銭の得にもならないのだが。   HPトップへ戻る



18

 ■2017年06月18日

 ■大木の夏

  大津市雄琴6丁目
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 雄琴港の琵琶湖グランドホテル駐車場である。その湖畔に生えている大木の夏姿を撮ろうと出かけていった。が、なんとなく雰囲気が違う。幹に蔓が巻き付いており姿そのものに生気がない。このまま衰えていくのだろうか。こういう姿を見るといつも蔓を切ってやればいいのにと思うのだが、そういうわけにもいかないのか。一時的なトラブルで終わればよいが。雄琴港のシンボル的な存在だっただけに気になる。
 そのあと本館の裏手へ回ってヨシ原の向こうの琵琶湖を。以前からヨシの多いところだったが、それらが少し沖へ出た。以前はもっと近く、背が高く撮りにくい場所だった。   HPトップへ戻る



19

 ■2017年06月19日

 ■風景のアリバイ

  大津市唐崎1丁目
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 唐崎園地、唐崎神社の少し北に当たる。国道161号からいったん唐崎神社への進入路へ入り、そこから駐車場へ入る。それはいいのだが、園地そのもの周囲に樹木が多く、琵琶湖岸にありながら琵琶湖が見えにくいというもったいない場所である。たとえばこの写真、湖岸から少し離れて撮ったものだが、三上山は見えるが、どこで撮ったのかおそらく自分自身でも10年もすればわからなくなる。あと10年も生きられないのだから、余計のこと、誰でもがその風景を探し出せるように、写真の中に”風景のアリバイ”を写し込むことが必要だと考えている。
 標題写真は、湖岸の草を分けて前へ出たところである。左手に白い桟橋が見えてくる。表の国道沿いに、同志社大学ヨット部云々という表示があったから、それに属するものだろう。これも一つのアリバイではあるが、この写真の最大のアリバイは、三上山の背後に伸びる鏡山から十二坊への稜線である。さらに細かく言えば十二坊と菩提寺山との重なり方だが、この写真ではその関係がはっきりしない、残念である。   HPトップへ戻る



20

 ■2017年06月20日

 ■出舟入舟

  大津市下阪本1丁目
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 比叡山中から四ツ谷川という小さな川が流れだし、湖岸に建つ日吉神社の大鳥居の少し南で小さな岬を作る。右岸に建つホテル井筒の船着場に船が出入りする。フィルムで撮っていたころ、よく通ったところだったが、対岸の浜街道沿いにゴルフ練習場のでかいネットが建った。これが何とも邪魔になっていつの間にか足が遠のいた。いまもこの画面、三上山の左下に長方形のネットが写っているが、光の状態で見え方が変わる。いまとなってはこの程度なら我慢する以外どうしようもない。

 ◆雨が降らない。大津市で32度、土山町でも30度を越えたとか。そんな中で面白い体験をした。
 午後3時ごろ石榑トンネルを三重県側から滋賀県へ抜けた。トンネルに入ってしばらくすると車内の温度が上がってきた。何となく蒸し暑いのである。エアコンの設定温度を少し下げた。効き目がない。もうちょっと下げた。蒸し暑い。故障かな。設定温度は確か冬の間は22.5℃になっていた。しかし先日、25℃ぐらいに上げた。エアコンの表示画面はバックライトがないのでトンネル内では読めない。故障だとしたら面倒やなー。と、何?、20℃?。エアコンの設定温度ではない。外気温がである。その次の瞬間21℃に上がったが、瞬間的には確かに20℃を見た。
 平地では30℃を越えるカンカン照りである。それにもかかわらずトンネル内は21℃だったとは。エアコンは忠実に暖房に切り替わっていたわけ。石榑トンネル、永源寺から三重県へ抜ける峠のトンネルであるである。出口の標高、三重県側400m、滋賀県側500m、長さ4000m(すべて国土地理院Web地図からの概算)。永源寺側へ出てすぐ外気温は27℃に上がった。平地での気温を考えればそんなものだろう。トンネル内の温度は7度も低かったのである。   HPトップへ戻る





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21

 ■2017年06月21日

 ■似てますやろ

  大津市下阪本1丁目
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 浜街道沿いのゴルフ練習場。これでこのあたりから足が遠のいた。多分、建ってから10数年になるはず。いま改めて撮ってみると、これが風景のアリバイになるのだから皮肉なものである。たとえば日吉神社の大鳥居の左足から。長方形のネットは右裾と重なる。標題写真の場所は、鳥居より少し右へ寄ったところということになる。
 1977年10月10日、生まれて初めて朝の湖西を走った。びわ湖の日の出がこんなに美しいのかと感激したが、結局何も撮れずに唐崎あたりまで行って引き返してきた。その帰りこの鳥居付近で一艘の釣り船がシルエットに浮かぶのを見た。ハイキーに焼いて1回目の個展に出したら好評だった。
 さて先日、鳥居の少し南の湖岸で2人乗りの釣り船を狙っていたら、左の方からカヌーが一艘やってきた。おッ、これはひょっとしたら・・・・。ということでぎりぎりまで待ったのが標題写真。わざわざ何でそんなけったいなことを。そうしておいて2人乗りを消したのがこの写真。どうです、ちょっと似てますやろ。秋の空には及びもつかないけど。   HPトップへ戻る



22

 ■2017年06月22日

 ■30数年ぶり

  大津市下阪本1丁目
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 日吉大社大鳥居の南に「石川町」という信号があって湖岸へ向かって100mほど細い道が伸びている。バイクで走っていたころは定番のように入り込んだ場所だった。車になってからは置きにくいのと返しにくいのとでいつの間にか足が遠のいていた。先日、30数年ぶりで歩いてみた。突き当りに面白い木が生えていたが、何とも視界が狭い。右へ折れて波打ちぎわへ下りてみて、そういえばこんなところだったかなとかすかな記憶がよみがえってきた。
 反対の左側は、無理にとれば撮れなくはないが、木が多くここも視界が狭い。以前はこんなことはなかったような気がするが。沖をボートが通り過ぎる。それに気をとられてシャッターを切ったが、帰ってからよく見ると右下にぼけたツバメが写っていた。杭のてっぺんにツバメがぶつかっているように見えるが、杭に見えるのが左の羽である。けったいな写り方をしたものだ。   HPトップへ戻る



23

 ■2017年06月23日

 ■風景二色

  野洲市三上
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 イネが伸び緑の風景が広がる。県道504号、株式会社ダイアナ社屋前のいつもの風景である。それでいて何人かの人が、”今年のアジサイはアカン”という。日差しが強く雨が降らないからだろうと。そういえば少し北の用水路沿いのアジサイも生気がない。いつもいつも注意して見ていることではないが、例年はもう少し花が生き生きとしていたような気がする。
 まあしかし、いったん場所を変えて新幹線沿いに行ってみると、花が咲いたの咲かないのの問題ではない。風景の色が一変する。真ん中にドカンと建っているのが8号バイパスの現場事務所。その手前の荒れた土地が工業団地になるという区域である。風景二色、現実は厳しい。   HPトップへ戻る



24

 ■2017年06月24日

 ■二つ目の煙抜き

  野洲市三上
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 快晴の日の午前中、三上集落の屋根が光る。実はこの場所、5月1日にレンゲ畑としてレポートしたところである。同じ場所から撮った今の風景がこれ。どちらも標題写真とよく似ているが根本的に違う部分が一か所ある。今日はそのこだわりの話。
 レンゲ畑の写真に写っている煙抜きの屋根の例として、1977年2月撮影の雪の写真を挙げておいた。そのときはこだわらずにさらっと流しておいたが、実はこの写真には煙抜きの屋根が2つ見える。レンゲ畑の写真で三上山山頂の真下に見えるのと、もう少し右手に若干小さく見えるのとの2つである。ところがレンゲ畑の写真には1つしか見えない。それが気になっていた。2つ目の煙抜きはもうなくなったのだろうか。先日それにこだわって歩いてみた。
 適当に見るのと注意して見るのとの違いである。それは意外と簡単に見つかった。真ん中の新しい家の両側、ほぼ等間隔のところに見える(赤い矢印のところ)。光の関係で左の方がちょっと見にくいが、注意して見れば見えるはずである。これらが三上山と一つの画面に入る場所はあるのかと探し歩いたのが標題写真である。レンゲ畑とどこが違うのかといわれたらその通りだが、間違いなくもう一つも写っている。見えますかな?。   HPトップへ戻る



25

 ■2017年06月25日

 ■麦刈り後

  守山市洲本町
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 守山北高校の南西に広がる農地である。ついこの間までは一面明るいクリーム色の広がの中に木屋が3つ建っているという風景だった。麦刈りが始まったのを見たような気もしたが、そのまま見過ごして通り過ぎ、再度訪れたときはきれいさっぱり野焼きも終わっていた。褐色に焼けた筋芽が水平に並ぶ。麦刈り前には一面のクリーム色でこの筋目は感じられなかった。
 道路や田んぼが示す条理に対し、旧野洲川南流の流路跡が斜めに横切るいう地形である。画面を横切るこの筋目は南流跡の斜め線を基準とする方向である。念のためと思って撮影場所の航空写真を見ると畝は道路の条理に従っている。撮影方向とわずかな傾きだからそれが水平方向に写ったのだろうか。   HPトップへ戻る



26

 ■2017年06月26日

 ■もこもこと

  守山市中町
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 守山市中町、小さな集落である。地理的関係を文章に書くのは難しい、そんな場所である。その町はずれに遠くから見て格好のいい木が生えている。以前近くまで行ってみたが、何かの事情でうまくいかなかった。しばらく忘れていたが、この冬やっぱり気になりだした。すぐ行けばよかったのだが、いつの間にか緑の季節になってしまっていた。もこもこと葉が茂り過ぎてどうも絵になりにくい。やっぱり冬でないとだめだ。前回行ったとき、何故駄目だったのか、それが思いだせない。今のままだと、冬になればそこそこの絵になりそうな気はするのだが。
 もう1枚、これは木を右側に置いてみた。左、ビニールハウスの奥の森は川田町天神社の森である。この方が風景が広く、アリバイが作りやすいかもしれない。しかし、標題写真でも、大きな木の奥は天神社の森だ。よく似たものが見えているのだが、山の並びが狭いため風景が狭く感じる。いずれにしても、もう1回冬に出直しだ。   HPトップへ戻る



27

 ■2017年06月27日

 ■歩いてみて

  守山市今市町
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 琵琶湖大橋取付道路を浜街道から守山市街地に向かって走る。ずっと正面に三上山が見えている。今市北交差点でゆるく右に折れるところで、建物が迫り三上山は見えなくなる。よほど注意していないと、あれっ、どこへ行ったの?と、訝るところである。
 さて、今日の撮影地点は、その緩く曲がる信号の手前、”比叡ゆば”の角を左(北)へ曲がったところ。二本足の高圧線鉄塔が立ち並ぶ細い道を少し行ったところである。右側田んぼの向こうにスカイブルーの屋根に赤い可愛らしい尖がり屋根の建物が見えてくる。河西幼稚園である。クルマの中からちらちらとその存在はわかってはいたが、こんなに全体像がしっかり見えるとは、歩いてみて初めて知ったことだった。その後ろ、屋上にタンクをのせたのが河西小学校。   HPトップへ戻る



28

 ■2017年06月28日

 ■一本の水路

  守山市笠原町
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 田んぼの中を一直線に水路が走り、それと直角方向に何本もの農道が通じている。たとえばこの写真はもう1本三上山に近い農道から撮ったものである。天神社の森が見えて絵の大枠としては遠いか近いかだけで、同じ構図のところを見ていることになる。近くから撮ったものでは、電柱が大きく目立つのでトップへ持ってくるのには躊躇したというところである。
 撮影場所は昨日の標題写真、河西幼稚園を撮った場所から一直線に二本足の高圧線鉄塔沿いに1Km足らず北へ移動した場所である。GoogleMapを航空写真に切り替えていっぱいまで拡大してみると2本の高圧線が「く」の字に折れてるのが見える。鉄塔の影が1本に写っているのは不運というしかない。撮影のタイミングが3,4時間どちらかへずれていたら2本の影が見えたはずである。おまけ、2本脚鉄塔の姿。右側遠くに見える黒い線が野洲川堤防、有名な「笠原の桜」で春には花の線になる。   HPトップへ戻る



29

 ■2017年06月29日

 ■雲の峰

  野洲市三上
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 昨日(28日)、朝から小雨まじりの曇り空だったが、3時半ごろ、外出先から帰ったときには、ひと雨来た後らしく道路が濡れていた。その後しばらくして外へ出てみると、空はきれいに晴れ上がり、三上山の真上に白雲が湧き上がっていた。すぐにカメラをと思ったが、やりかけた仕事に手が外せず、現場に駆け付けたのはそれから10分も経っていただろうか。三上山の真上にまっすぐ立ち上がっていた白雲は早くも崩れかかり、かわって左右の別の場所に立ちあがりかけていた。芭蕉の”雲の峰いくつ崩れて・・・”を思い起こしたことだった。
 現場は三上の農地に x 軸、y 軸をとるとき、原点から x 軸上をマイナス向きにちょっと進んだところ、前方の工事現場が8号バイパス予定地。カメラが立つ農道の背後、新幹線までは工業団地予定地とかで農作業は止まったままである。   HPトップへ戻る



30

 ■2017年06月30日

 ■ここから堤防が

  守山市川田町
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 川田大橋を竹生側から川田町側へ渡り、川田町喜多の交差点を越えてそのまま少し直進したところである。以前は左側の家庭菜園にヒマワリが咲いていたりして楽しい絵ができた記憶があったので行ってみたが、いつの間にか大きな球状の木がどーんと鎮座しており、これではちょっとねというところ。そこを敬遠してさらに進むと一面の田んぼになる。それはいいのだけど、今度は妙なところに畦道が1本。それも白く光る。これもやっぱり具合が悪い。
 白線を再度敬遠したのが標題写真。以前はここから野洲川の堤防が見えた記憶があるのだが、いつの間にか住宅で隠れてしまった。確か堤防が写った写真があったはずと探してみたが、デジタルでは見つからなかった。そんなに古い昔のこととも思えないのだが。   HPトップへ戻る





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