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三上山日乗・2015年08月


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01

  ■2015年08月01日

■番外編・三岐鉄道ねじり橋  いなべ市員弁町下笠田
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 わいわいT教室の津田さんが三岐鉄道ねじれ橋なる写真を撮ってきた。三岐鉄道北勢線・楚原駅の近くにある石橋で、下を流れる水路(六把野井水)と線路が斜めにクロスしているために石橋のアーチ部分がねじれているという。2009年に「北勢線のねじり橋とめがね橋」として、土木学会選奨土木遺産に選ばれているという。もう1枚おまけ。(橋の左下にプレートが見える。)
 なかなか風情がある橋で実際の風景の中で見てみたいと思った。調べてみると滋賀県からは国道421号の石榑トンネルを抜ければ、員弁川の東岸へ一直線である。よし行ってみよう。地図で北勢線と国道のクロスする点を調べて、その付近で北勢線と川が斜めにクロスするところを探した。国道を北へ折れて少し行ったところにX型交差が見える。これだろう・・・とヤマ勘をかましたのが間違いだった。そこはただの橋だった。こういうとき最初のエラーが増幅する。そこへ来るまでに見たあの道がくさいな。・・・わけのわからない町中に迷い込んだ。前からクルマが来たら絶対だめだけれども、運よく車が来た時はちょっと広くなっていたりして通り抜けることができた。以下次項。  HPトップへ戻る



02

  ■2015年08月02日

■番外編・三岐鉄道ねじり橋  いなべ市員弁町下笠田
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 細い町中は通り抜けた。といっても幹線道路へ出たというだけで、現場が分かったわけではない。むしろ町中から見ると鉄道の雰囲気が感じられない。手の出しようがないのである。これは楚原駅(最寄りの駅だと津田さんから聞いていた)へ行くしか手はないな。駅員さんいるのやろか。おるかおらんかわからんけど、パンフレットぐらいは置いてあるやろ。
 国道421号へ出た。駅はこの近くのはずだ。「楚原駅」と誘導表示がある信号へ出た。国道と鉄道が並行しているはずだから、常識ではそこを曲がれば突き当りが駅のはず。ちゃんと右折レーンもある。これで決りやな・・・。ところが行けども走れども駅につかない。ふと見ると鉄道と並行に走っている。どこかで道を間違えたらしい。これはいつまで行ってもアカンで。とぼやいていたら、「ちょっと待って、カメラ屋さんがあった。そこで聞いてくる」と張り切って・・・。そんなとこで分かるはずなかろうに。・・・ふてくされて帰ってきて「市役所で聞け言われた」。たかが昔の橋1つに市役所まで聞きに行けるか。大体ここは何市やね。そんなとこ頼りにしてられるか。ワシはヤマ勘で探す。
 こんなことをだらだら書く気はなかったのだが、いつの間にやらしょうもないことになってしまった。麗々しく標題写真は石橋の写真になっているが、文章ではそこまで行かない。予告編ぐらいのつもりで見ておいてください。明日ぐらいには現場へ着けるかな。  HPトップへ戻る



03

  ■2015年08月03日

■番外編・三岐鉄道ねじり橋  いなべ市員弁町下笠田
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 今日は何にも用事ないな。こないだ津田さんがいうてた石橋見にいこか。・・・これがきっかけだった。そんなことで何の準備もしていない。永源寺から石榑トンネルを抜けて一本道、員弁川を渡ったところで鉄道とクロスする。そこまでは簡単である。スーと来た。問題はそこからである。鉄道沿いに走れば橋はすぐわかるだろうと考えた。だから道路地図も持ってきていない。それが間違いだった。現在地も分からないし、目的地がどこにあるかもも分からないのである。山なら完全な遭難ものである。こうなったらとにかく走り回って自分で地図を作る以外に手はない。
 まず座標軸である。国道421号を走ってみた。永源寺からやってきた国道の続きである。次にどちら向きに走っても見落とすことのないような目印を探す。一方からはよく見えるが、逆に走ると見逃してしまうものがある。こういうのが怖い。水道橋らしい橋が見えて来た。これなら大丈夫だ。これを目印にしよう。その手前にうまい具合に信号があった。鉄道は左のはずだから、とにかく左折。また細い道だ。それが入り込んで・・・、小学校(後で”員弁西小学校”とわかる)の横に出た。と、可愛らしい立札があって、「ねじり橋・・・」。何やこんなところやったのか。あまりにもあっけなく見つかって拍子抜け。後で分かったことだが、国道をまたいでいた水道橋の下流がねじり橋の下をくぐっていたわけ。  HPトップへ戻る



04

  ■2015年08月04日

■番外編・三岐鉄道ねじり橋  いなべ市員弁町下笠田
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 ここを下ればエエのやとハンドルを切りかけて、ちょっとまてよ。ひよどり越え顔負けの下り坂である。きのうの標題写真。男子中学生が自転車を押して上がるほどの勾配である。シカも四足、車も四足。別に下れないというわけではない。しかし下った先が見えないのである。下りたが最後、車がターンできなかったらひどい目にあうぞ。クルマの置き場所があるかどうかも分からないし。歩いて下りたほうが安全やな。小学校の門の横に少しのスペースがある。今は休み中だし少々ならええやろ。
 歩いて下りて正解だった。ターンはできなくもないが、標題写真のように、クルマを置いておく所は皆無だった。下る途中、何もわからずに撮った写真だが、画面を斜めに横切るのがくだんの線路である。どこにでもある田園風景と思ってもらえばよい。
 橋をまたいだところで左へ曲がる。きれいな水が力強く流れている。調べてみると六把野井水(”ろっぱのいすい”と読むのだそうだ。読めないことはないが、何でこんな名前が・・・)といい、員弁川上流の水を中流の高台に供給しているという。井水に沿って100mほど進む。誰かが手入れをしてくださっているらしい。苦労なしに歩ける。道の右奥に石橋が見えてきて、・・・あっけなくねじりマンポの下に出る。何も知らずに来たら、この上を何が通っていると思うだろう。水路、ただの道、いろいろ考えるだろうが”鉄道”との答えはまずあり得ないだろう。そんな雰囲気は一切ない。  HPトップへ戻る



05

  ■2015年08月05日

■番外編・三岐鉄道ねじり橋  いなべ市員弁町下笠田
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 今回でやっと写真に文章が追いついた。改めて仕切り直し。といってももう一度、同じ写真が出てくるだけ電車の写真が出てくるとご期待の方もあろうが、何回も書いたように、全く下準備ナシでやってきた。電車がいつ来るかもわからない。世の中ではこんなときスマホとやらで器用に時刻を調べるのが常識らしいが、こちとらはそんな能力はゼロ。来ない電車は撮れるはずがねえだろうが。
 電車が来ない間に橋の写真を。ねじれが分かってもらおうと撮ったアップである。段ボールを準備して長方形に切り下辺の真ん中を中心に半円を切りぬく。石橋を真正面から見た前面の形が出来上がるはず。それと同じ形のものを10枚なり20枚なりきっちり重ねる。川と直交する橋の形が出来上がる。いわゆるアーチ型の橋である。ところがここでは川と橋とが斜めにクロスしている。今なら橋の長さを長くして川を斜めに通してしまう。ところがこのときは石橋だった。長さはできるだけ短くしたい。段ボールの形はそのままに重ね合わせをちょっとずつずらせていったという次第。かくして後世に残る石造建造物が出来上がった。大正5年7月のことだという。  HPトップへ戻る



06

  ■2015年08月06日

■番外編・三岐鉄道めがね橋  いなべ市員弁町下笠田
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 いつ来るかわからないヤツを待つのは苦手である。たとえば1時間待て、2時間待て、これは待てる。というより待ちようがある。このくそ暑いのに、いつ来るかわからない電車を待つ粘りはない。
 津田さん、近くにめがね橋がある言うてたな。見えへんのやけど、どこやろ・・・・。どこやろというても下流の方へ行くしかルートはない。とにかくそっちの方へ行ってみよう。100mも歩くと「めがね橋」の標識が。こんなとこへつけてなにになるねん。つけるならねじり橋のところへつけなきゃ。もっとも写真の邪魔になるようなところへつけられても困るけど。暑いから文句の一つも言いたくなる。田んぼの向こうに黒い橋が見えてくる。確かにめがね橋だけどさえんなー。電車が来てくれんと写真にならんで。
 と、「チンチン鳴ってる!」。(妙なアクセントで読まないように。全国各地の踏切で鳴るあの音のことですから)。ボクには聞こえなかったけど、鳴ってるというのだからなっているのだろう。わー、来た来た、黄色い電車や。  HPトップへ戻る



07

  ■2015年08月07日

■番外編・三岐鉄道めがね橋  いなべ市員弁町下笠田
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 家を出るときはねじり橋を見るのが目的だった。電車は二の次、時刻表も調べてきていない。大体現場への所要時間も分からない。そんなところへ行くのに時刻表を調べても仕方がない。出たとこ勝負。その電車が来たのである。とりあえずスライドショーでどうぞ。連写のセットもしていなかったから、単写を続けて撮ったもの。そんなことができるぐらいにのんびり走る。この三岐鉄道はいわゆる軽便鉄道、軌間が762mm。可愛らしい電車である。それがゆっくり走ってくれる。何とも微笑ましい。
 とまあ、こういうことだが。さて何人の人が気がついたか。と、ここまで言っても,何のこと?というのがほとんどだろう。標題写真は4両連結。今スライドショーで走ったのは3両だった。3両が4両に、急に化けるはずはない。3両が行ってしまッた後、ややあって、またチンチンが鳴りだしたのである。楚原駅ですれ違ってきたものらしい。今度は4両だ。これもスライドショーでどうぞ。動画の時代にお粗末なもので、ごめんなさい。    HPトップへ戻る



08

  ■2015年08月08日

■とかくこの世は  野洲市北桜
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 なんとまあ、この暑さは。きっちり確かめてはいないが、確か今日あたりが立秋のはず。京都の大文字までは例年暑い盛りではあるが。暑いことは仕方がないと気をとり直し、秋来ぬと目にはさやかに見えぬども…という絵を求めて出たのだけれど。
 9時過ぎに家を出たのだが、何やかやと時間を費やして、現場へ来た時は11時を少し回ったころだったろうか。山の上に白い雲が青空の中で結構目立っていた。空は晴れているのに、山の手前の斜面だけが陰になっているのである。周囲は晴れているのに、なんとなく不気味に見える。これでは困る。晴れてくれないかな。昼の11時ごろだから太陽は真上にある。三上山の上にある雲が影を落としているらしい。山の陰をなくすためには上の雲がなくなればいい。ところがその雲はそのままじっとしていてほしい。なくなっては困るのである。まさに矛盾。
 結局、三上山に日が当たりだしたころには、白雲は四散。とかくこの世は難しい。  HPトップへ戻る



09

  ■2015年08月09日

■ヒマワリ迷路  野洲市野田
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 野洲市野田のヒマワリ迷路。きのう8月8日が初日。23日まで土・日開催という。野洲市青年農業者クラブが開いた。きのうたまたまJAの写真教室の当日で、8月は室内でと予定していたが、近くだから行きませんかという。ということで牛に連れられて行ってきたが、いやいやとにかく暑かった。
 場所は兵主大社から近江八幡へ向かう国道477号の家棟川と日野川のあいだの畑地。三上山を撮りだして間なしのころよく通った場所だった。梅林があったり、背の高い木が並んでいたりと、結構面白い場所だった。それがいつの間にかあまり行かなくなった。梅林もなくなり、木も切られてしまった。この木などは、ええ木やなと1枚撮って、もう一度と思って半月ほどおいて行ってみたら2本とも切られていた。その後、奥に電柱が目立つようになった(梅林にも、2本の木にも電柱はない)。まあ、今となってはこれぐらいの電線は目をつむらないとというところだけれど。  HPトップへ戻る



10

  ■2015年08月10日

■真夏の怪  野洲市吉川
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 湖岸道路”鮎家の郷”から”ちゅうずドリームファーム”へ向かう道路を走る。野洲川沖積平野の中一直線の道路である。木1本ない広い農地が広がる。吉川の集落が近づく。お寺の屋根が3棟。最初この風景を撮った時はお寺の屋根は2棟だった。ある日そこへ行ってみたら3棟に増えていた。キツネにつままれた思いでフィルムを調べてみた。夢でも何でもなく間違いない事実だった。風景は変わる。その中でお寺の屋根は変わらないものとして風景の変遷の中の基準ポイントとして理解していた。それが変化したのである。確かその時は何かの事情で撤去され、その後再建されたものらしかった。お寺そのものが新たに作られたのではなかったと記憶している。ここまではどうでもエエ話。以下必読。
 以上は標題写真について今までの経緯について記憶を呼び起こしながら書いたものである。びっくりしたのはここから。念のためと思ってグーグルマップを確かめてみた。吉川集落内の寺院は3つではない。1,2,3,4、合計5ケ寺が明記されていたのである。今までなぜそれに気がつかなかったのか。それとも気がつきながら忘れてしまっていたのか。最近こういう曰く不可解なことが増えてきた。
 と、これで終わりにしようと思ったが、念のためと地理院地図を調べてみた。なんとなんと、それが6ケ寺になっている。もう堪忍して。クソ暑いのに。でもここでやめたら男がすたる。Yahoo地図。6つ。こればかりは多数決というわけにないかないし。  HPトップへ戻る



11
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11

  ■2015年08月11日

■難儀な時代  守山市小浜町
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 もう1つお寺を発見したのかと思われるかもしれない。ここは全く別の場所である。住所はというと守山市小浜町。それにしてもよく似たところである。その通りで昨日の撮影場所から850mほど南へ寄っただけのところである。アドレスが変わるだけじゃなしに市名が変わる。このように撮影して1週間ぐらいの間だと撮影場所は大体記憶に残っているが、それを越えるとまず怪しくなる。特に今回のような場合、記憶が薄れると全く区別つかなくなる。これでどえらい失敗をした例は数知れない。
 ズームレンズがなかったころは、山の大きさは撮影距離に比例した。500mも距離が変われば写っている山の大きさが変わるのである。その大小で距離の違いが読み取れた。今ズームが常識になった。できるだけ使わないようにと戒めてはいるが、人間は弱い。便利なものだからついひねってしまう。これで撮影距離と山の大きさの整合性が崩れる。難儀な時代になった。  HPトップへ戻る



12

  ■2015年08月12日

■電柱が消えた  野洲市三上
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 野洲市三上の別に珍しい場所ではない。しかし注意して見るといつもの写真とは若干雰囲気が異なるはず。右端の竹藪である。これだけの竹藪が急に発生するはずはない。竹藪はずーっとここにありながら、車を止めなかっただけのことである。
 というのは普通のタイミングでは電柱が目立って絵にならないのである。それがこのときは見事に消えた。見えるのは左裾の稜線からわずかに突き出ている1本だけ。それも見えるかどうか。あとは5,6本の電柱が見事に消えた。そこにあることが分かっている私が見てもほとんど見えない。ましてや事情が分からない人が見たのでは絶対に分からないはず。撮影時刻は11時27分。夏至から2か月弱とはいえ、まだ太陽は高い。その高い太陽が電柱を真上から照らし、電柱に光が当たらなかった。その黒い電柱が三上山のシルエットに沈み込んだということだろう。それに引き換え先日のヒマワリ畑、周囲に電柱があり、ちょっとでもカメラを上に向けるとアウトだった。  HPトップへ戻る



13

  ■2015年08月13日

■六地蔵  栗東市六地蔵
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 栗東市六地蔵の旧東海道を歩いた。車の通行量も少なく、のんびりと歩くにはもってこいのところである。しかし単なる街道歩きならそれで事足りるが、私の場合はそれでは済まない。両側に民家が立ち並んでいるから、よほどの場所でないと三上山は見えない。民家と民家の間の細い露地を見つけて民家の裏側へ回るのがコツである。
 今もその露地を抜けてきたところである。道は左端に見るようにバイクが精いっぱい。軽トラでも無理だろう。三上山と重なって見えるのが葉山中学校。レンガ色と白のコントラストが鮮やかな校舎。このあたりでは目立つ建物である。校舎の手前に電柱が2本。何でこんなところにと思うが、片方が草津線の支柱。ここへ出たときに草津行きの電車が走り去るところだった。オイオイ待てよと呼び止めたがあとの祭り。  HPトップへ戻る



14

  ■2015年08月14日

■六地蔵  栗東市六地蔵
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 草津線沿いの葉山中学校の方からやってくる道が旧東海道と交差する。その交差点から民家の裏側へ回る。野球のフィールドのホームベースに立ったように90度の視角が広がる。レフト方向に三上山(標題写真)、センターややライト寄りに菩提寺山。ライト方向に日向山(にっこうやま・旧和十散本舗の裏山に当たる)。
 実はここから見た風景が、谷文晁が『日本名山絵図』に残した三上山図と一致すると考えている。要するにここ六地蔵の東海道沿いが、文晁のスケッチ場所だったということである。文晁の絵に関しては、はじめ望遠レンズで見た旧野洲川南流堤防からの姿だと考えていたが、細かく考えるといろいろ矛盾もあり、京都外大のH先生の「水平方向2分の1圧縮説」もお聞きして、もう一度考えなおした結果がこの場所だった。この話を来年の『湖国と文化』誌に掲載するにあたり、現場に変化がないか確かめに行った次第である。野球場には何の変化もなく、3人の外野手がしっかりと守備を固めていた。  HPトップへ戻る



15

  ■2015年08月15日

■六地蔵  栗東市六地蔵
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 旧東海道を歩いていると、1,2か所家並みが途切れて道そのものから三上山が見える場所がある。集落の中ほど六地蔵集会所という建物の向かいにちょっとした駐車スペースがある。民家にしては解せないスペースで不思議に思っていたが、地図を見てその民家が天理教栗東分教会とあるのに気がついた。そういうことだったのか。と、ここまではどうでもエエ話。
 ここはその駐車場の横の細い道を抜けて田んぼ側へ出たところ。軽トラのわだちがついた農道が三上山に向かっている。はて、ここを軽トラで走るには、先ほどの駐車場の横の細い道を通らなければならないはずだが。なれている人には走れるのだろうか。ちょっとした家庭菜園があって、おりしも男性が一人水やりの最中。運よく出くわすと、遠景の民家の手前を草津線の電車が走る。気候のいい時には待ってみようかとも思うが、今の季節ではね。  HPトップへ戻る



16

  ■2015年08月16日

■しょうもない写真  野洲市野田
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 家棟川堤防を歩いた、といっても国道477号家棟橋を挟んで上流から下流へ 1Kmほどだけど。現場へ着いてから”しまった!”、また失敗した。上空から北の方にかけては青空が広がっているのに、南東方は雲がかかっている。いつかも同じことを経験した。今年はずっとこういう傾向にあるようだ。来てしまったものは仕方がない。いまさら場所を変えるのも大層だし。
 まず左岸を上流側へ。もうずいぶん前になるが、携帯電話用のアンテナが立った。何年ぐらい前になるのだろうか。きっちり思いだせないぐらい。普段はできるだけ敬遠しているのだがきょうは、堤防を歩くと決めてかかったのでどうしようもない。三上山とどんぴしゃり重なる。これも一つの記録、まあいいだろう。堤防に柿の木が生えている。まだ青いが結構実はなっている。それを写し込むためには木の左側へ回り込みたいところだが、そこに電柱が・・・。しょうもない写真になってしまった。  HPトップへ戻る



17

  ■2015年08月17日

■見えなかった「大文字」  野洲市野田
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 きのうの撮影場所から数10mほど上流へ歩いたところ。家庭菜園風の畑が近づく。歩く向きが山に対して斜め前方ということで、例のアンテナはあまり動かない。それでもピークははずれ右側へ。

 さて昨夜は京都の五山送り火。毎年この日が過ぎると今年の夏も峠を越えたなと思う。あれは昭和21年だったか22年だったか。「大文字が復活する」という。記録によると戦時中の1943年から45年まで灯火管制などの理由から中止されてたいというから、復活は1946(昭和21)年ということになるのだが。
 そのころ私は、京都の伏見に住んでいた。「タカセへ行けば見える」という。タカセというのは、市街地の西を流れる新高瀬川のことであって、家から歩いて5分ぐらいのところである。当時、住所は京都市伏見区だったが、京都駅や河原町へ行くことを「京都へ行く」という。京都駅と京阪電車「中書島」を結ぶ市電伏見線は途中田んぼの中を走った。そんな南の端から北山に点る火が見えるというのである。中学1年生にとっては人生初めての体験である。張り切って出かけていったのは言うまでもない。
 見えた。確かに見えた。鳥居だったか、船だったか、とにかくオレンジ色の小さな火が見えた。北山の斜面に点った火が15Kmも離れた京都市の南の果てから見えた。今なら感激ものだけど、その時の中学1年生はそうは思わなかった。なんや、「大」文字は見えへんのか・・・。その字が御所に向いており、伏見からでは絶対に見ることが不可能な位置関係にあることを知ったのは、高校生になってからだった。  HPトップへ戻る



18

  ■2015年08月18日

■捕虜収容所跡  野洲市野田
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 家棟川橋へ戻り、そのまま左岸を下ってもいいのだが、集落に近く絵になりにくい。で、右岸を下ることにする。電柱が多い。こんなに多かったかな。何年か前、あいあい滋賀の「三上山物語」に連載をしていたころ、墓地にあった”ここが捕虜収容所跡”であるとの説明文を読んで、ぜひ紹介したいと思った。説明板では写真にならないということでここへ来た。あれこれ考えたが結局電線に涙をのんだ。写真は戦後の家棟川改修によって、収容所跡に移った地元の墓地。結局そのときはもっと右側へ回り込み屋根が光る集落を前景にして、画面左がが収容所跡であるということで逃げた。
 戦後70年、いま、記憶を風化させてはならないと、野洲図書館でその収容所を紹介する展示が行われている。  HPトップへ戻る



19

  ■2015年08月19日

■不思議な鉄塔  野洲市八夫
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 人間の行動は、というよりは”私の行動は”というべきだろうが、1つのパターンができるとついそれになじんでしまう。走る道路もそうである。つい同じ道路を走るし、頭の中のルートもつい知っている道をたどろうとする。
 ところがこのときは深い意味はなく、ちょっと曲がってみようかぐらいの軽い気持ちだった。野洲市総合体育館の横を流れる中の池川に沿って住宅地の中を走りづおじ川との合流点を越えた。一瞬位置が分からなくなる。大豆畑の中に低木が何本か並んでいる。離合ぎりぎりの細い道だったけど、そこで1枚。撮ってから周囲を見回した。画面に入っている低い建物は体育館の裏にある老人ホーム「ぎおうの里」らしい。遠くに湖南病院が見える。すぐ目の前の十字路がいつも通る道だった。方向感覚が変わると風景がまったく別物に変わるという例だった。
 左端に鉄塔が見えている。不思議な鉄塔で、見て分かるようにここで電線が90度曲がっている。道路がL字型に90度曲がる。これはわかる。しかし空中を走る電線である。A点からB点へ行くのならその2点を直線で結べばいいはず。それをわざわざC点を経由して90度曲げている。なぜこんな面倒くさいことをするのか。鉄塔自体にも無理な力がかかるだろうに。いろいろ事情はあったのでろうが。こんなしょうもないことが気になるのは私だけかもしれないが、いずれにしても、この鉄塔の右では写真になるが、左はアウトになるのである。  HPトップへ戻る



20

  ■2015年08月20日

■めったに通らない道  守山市幸津川町
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 きょうもあまり通らない道の話。477号というややこしい国道がある。三重県から武平峠をこえて日野町へ下ってくる。そのあとのルートを書いていたら日が暮れる。どこをどう走ってきたかは別にして、野洲川の幸浜大橋を越えてさらにまたくにゃくにゃと曲って浜街道へつながっていく。そこがまたややこしかったのだが、いまはそのまま直進する立派な道になった。しかしそれも途中まで、そのあとは普通の道になる。流れからするといつも通りそうなものだけれども、習慣というものは恐ろしい。その手前で右へ折れて湖岸道路へ出てしまう。昔びわこウォークをやっていた時、なにかとラフォーレへ通うことが多く、その時のルートだった後遺症である。
 前置きが長くなった。そのいつも通らないバイパス477のさき、改修されてない普通の道を通った。?、画面の左端に477号浜街道の家並みが途切れてその向こうが見えているのである。標題写真だけではわかりにくいのでトリミングで拡大してみた。浜街道を走る車を入れておけばよかったのだが、左の端のコンクリートの建物がガソリンスタンド。その前からはよく撮っており、浜街道からの定点にしているところである。それをもう1本琵琶湖側から見通せた。分かってもらえるかどうかわからないが、放水路に架かる橋が横に長く見える。たぶん新庄大橋のはずである。  HPトップへ戻る



21
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21

  ■2015年08月21日

■永遠の課題  守山市小浜町
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 幸浜大橋(幸津川町と小浜町をつなぐという意味らしい。どちらも守山市)を渡るとき、いつもちらっとこの風景を見る。この日は堤防の道が白く光って奥の林につながっていた。ええな、題名は「白い道」やな。歩いてる途中だとそれが撮れるのだが、クルマというやつは厄介だ。エエなと感じたときは通り過ぎている。他の場所を回って10分足らず、帰ってきたときにはこんな風景に変わっていた。
 北海道美瑛、拓真館で有名な前田真三の最初の写真集が確か『出会いの瞬間』だった。それをみたとき何となく抵抗があった。たしかに出会いはわかるけれども出会いだけでは写真は撮れないだろう。やっぱり何度も現場へ足を運んで、煎じ詰めたものが写真になるのだろう。今でもその考え方は変わらないが、今回のようなことがおこるとやっぱり「出会いの瞬間」かなとも思う。永遠の課題かな。  HPトップへ戻る



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  ■2015年08月22日

■またどこかで  野洲市野洲
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 8月前半の暑さはすごかった。しかしお盆過ぎからは雨が多くなり、ここ数日は秋霖の季節を思わす。これからまだどんてん返しは二度、三度とあるのだろうが、トータルとして秋は結構早いのではないか。そんな感じがする。ただ、秋霖の季節といっても、秋の長雨というようなのんびりしたものではなく、わーと来て大暴れしていくのは困りもの。
 あれは8月の6日だったか。水口の教室へ行く途中、甲西大橋の上に消防自動車を含む3,4台のクルマが止まり、数人の制服組が橋から下を覗いていた。もちろん橋は通行止め。もうちょっと行くと横田橋も通行止め。ヘリコプターも2,3機。何やろな、まさか川が火事でもあるまいし、と教室へ行くと、今朝上流でものすごい雨が降ったのだという。どこで雨が降ったんと不思議に思える天気だったのに。水口でも降っていないのに上流では…。その夜のニュースで、野洲川が急に増水し、何人かの釣り人が中州に取り残され・・・云々という。
 この写真はその日の話ではないのだけれど、2,3日前(プロパティーを読むと8月20日)、未明にものすごい雨が降った。そのまま忘れてしまっていたが、午後野洲川を見て驚いた。今朝の雨またどこかで暴れたらしい。その時はすでに水量はもとに戻りつつあるようにみえたのだけど。  HPトップへ戻る



23

  ■2015年08月23日

■暗雲  野洲市北桜
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 きのうの午前中、いい天気だったので・・・ということで家を出た。わたしがいつも教室でいっている「きょうはいい天気やから、写真でも撮りに行こうか」がいちばんアカン、まさにそのアカンことの典型だけど、今日はそれを差し置いて。外へ出て驚いた。西の空が真暗である。我が家は南東向きに立地している。明るい青空だった。その暗さが感じられなかったのだ。これはアカン。でも面白そうやな。ということで暗雲がバックにできそうな北桜の墓地へ。そのときはまだまだ南の方は晴れていた。
 たしかミレーだったか、シスレーだったか、こんなムードの絵があった。手前の明るい原っぱに黒い雲。確か虹がかかってたかな。もうちょっと手前が広くないとあの雰囲気は出ない。希望が丘の芝生ランドの奥ならいける。写真は追いかけたらアカン、待って撮らなダメ。いつも肝に銘じているはずなのに・・・・。こんなことで写真が撮れたら苦労はしない。案の定、途中で雨が降ってきた。  HPトップへ戻る



24

  ■2015年08月24日

■暗雲  野洲市北桜
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 とりあえずクルマを置かねばならない。森林センターの駐車場へ入る。以前はいつ行っても楽に置けたが、最近はイベントがあると結構いっぱいになる。このときもそんな状態だった。無理して置いたので遠出はできない。雨はだんだん強くなる。結局その場でクルマを入れず、カメラを上へ向けて1枚。いつの間にか上空も暗雲に覆われ、わずかに南の方だけが明るみが残る、そんな状態になっていた。ミレーなんてものじゃない。

 話変わって昨夜(23日)9:00。Eテレ・クラシック音楽館。バッハ・ミサ曲ロ短調。演奏、バッハ・コレギウム・ジャパン。指揮・鈴木雅明。編成の小さいオーケストラを囲むように、半円形一列に並んだコーラス。独唱者もその列の中にいて、出番のときだけ舞台の前へ出てきて歌う。終われば元の位置へ。
 楽器はすべて古楽器。オルガンなどもホール備え付けのでかいのがあるのに、それは使わない。そのむかし尾崎喜八さんが膝にのりそうなと表現していたが、本当に可愛らしい小型のオルガン。50年近くの昔、大阪フェスティバルホールで聴いたミュンヘン・バッハ管弦楽団(指揮:カール・リヒター)の演奏を思い出す。その時のオルガンはドイツから持ってきたというこで話題になっていたが。
 金管などもバルブなし。トランペットといえばいいのか、見たこともないような長いラッパ。いっぱいに伸ばした右手で水平やや上向きに向けて吹く。左手は使わない。初めてみるその姿。ホルンももちろんバルブなし。伸ばせば何mになるのかというパイプのぐるぐる巻き。そんな中でティンパニーだけが乾いた板をたたくような現代的な音。もちろんそれだけが現代ものというわけはないのだろうから、古楽器だとは思うが、私には判断する能力はない。その乾いた音が何ともパンチがきいていた。途中2度ほど眠気が来た。そのつどティンパニーに起こしてもらい、11時まで2時間たっぷり。そのまますーと眠ってしまったのは言うまでもない。  HPトップへ戻る



25

  ■2015年08月25日

■鉄塔立つ  湖南市岩根
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 湖南市岩根、1号バイパス沿いである。朝国から岩根までずっと真正面に三上山が見えるが、道路とほぼ平行に高圧線が走る。鉄塔が何本あるか、勘定したことはないが結構な数が立ち並ぶ。三上山を撮りだしたころは一面の田んぼを前にして、この鉄塔さえなければと思っていた。今から考えれば、そのころは自由に場所が選べた。いつごろか、鉄塔も一つの風景だと考えるようになったが、そのときにはバイパスの工事が始まっていた。昔に比べて場所選びは難しくなった。いつも風景の変化の後追いをしてきた。これはそういう意味で反省の風景である。
 左が菩提寺山、右の遠くの山が比良連峰。手前の赤い屋根が甲西北中学の体育館。  HPトップへ戻る



26

  ■2015年08月26日

■風走る  野洲市三上
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 大きな台風だった。まだ九州にあるというのに当地にも一日中結構強風が吹き荒れた。あんなのが真正面からやってきたらどうなっていたことやら。
 台風騒動の前、直射日光は強く肌をさすが、風が涼しくしのぎやすい、そんな日が2,3日続いた。そんな一日。三上の大豆畑。こういう風景を見ると、つい八ヶ岳山麓や群馬県浅間山周辺の高原を想起する。風が強く葉がひらひらと揺れ、裏向いた葉が白っぽく光る。それが風の流れによって移動してゆく。その動きを表現できたらと思うがどうしても止まってしまう。動きのあるものを1枚の写真に収める難しさ。天気はこのあと急速に回復に向かい、夕方には雲一つない快晴に。  HPトップへ戻る



27

  ■2015年08月27日

■赤いのぼり  湖南市夏見
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 国道1号を石部から三雲の方へ走る。夏見交差点の少し手前、左側にうどん屋さんがある。子細に調べれば分かるのだろうが、ざっと見ただけでは店の名前はわからない。(Google Mapでは「みくりやうどん」とある)。そのうどん屋さんの駐車場らかの風景が以前から気になっていた。
 走りながら車から見るのと、実際に現場に立つのとでは風景の見え方が違う。歩いてみるとクルマからでは見えなかった邪魔者が目立つ場合が多い。今回も田んぼの中に妙な電柱が立っている。これは相手が菩提寺山の場合だが、三上山と合わそうとすると何とも邪魔になる。かくなる上は仕方なし。うどん屋さんののぼりを前に持ってきて。・・・・しかし、この色の組み合わせは最悪やね。  HPトップへ戻る



28

  ■2015年08月28日

■いつか見た風景  湖南市夏見
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 駐車場の端にちょっとした小川があって、国道と直角に100mほど農道が伸びている。(写真はその突き当り)。そこを進むとと小さな森の横から甲西高校の体育館の屋根が見えてくる。面白いといえば面白い、しかしこれだけ強すぎるもの考えもの。もうちょっと進むとその屋根が叢に隠れ左の菩提寺山が現れてくる(標題写真)。旧石部町から甲西町にかけての旧1号沿いはもう写真になるようなところはなくなったと思い込んでいたが、こんな風景が残っていた。それにしても乱立する電柱には閉口。
 昨日今日見てもらった風景、国道1号沿いの松の木、ガソリンスタンド、甲西高校の体育館の屋根などは、以前国道を越えた反対側、草津線の大砂川トンネル付近から見ていた風景だった。この風景も電柱が気になって、この欄では使わなかったはずだけど。  HPトップへ戻る



29

  ■2015年08月29日

■暗雲累々  湖南市中央4丁目
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 甲西大橋野洲川左岸。地名を調べると「湖南市中央」だという。湖南市役所や甲西文化ホールなどがあり、この地名がつけられたのだろうが、地理不案内なものから見ると、こういうネーミングは一番無機的で分かりにくい。野洲川左岸を走る旧国道1号「平松」交差点から右岸の1号バイパス「正福寺東」交差点を結ぶ橋で、そのまま直進すると十二坊山中、天然温泉ゆららの湯につながっている。比較的新しい橋で両側に歩道もありすぐ上流に並行して架かる水道橋のアーチが印象を強めている。左岸側で緩くカーブしており、なぜこんな面倒な設計をと感心する。奥の山が十二坊。
 さて、標題写真は橋の下流、左岸河川敷にあるグランド。上流にある野洲川運動公園の最下端かと思ったが、途中で途切れておりよくは分からない。北の方は暗雲に覆われ、南では青空が広がるという不思議な天気。乾いた風が涼しかったが、ウイークデーの午後、グランドには人っ子一人いなかった。  HPトップへ戻る



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  ■2015年08月30日

■暗雲累々  湖南市柑子袋
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 きのうのグランドと河床との境にネットが張ってあり、その外側に細い道が続いている。標題写真は、そのネットの終わりの場所からの撮影である。結果的にグランドが背後にまわった分だけ三上山に近づいたわけで、風景そのものはほとんど変化なし。違いといえば、河床を目の前で見ていることぐらい。
 写真ではよほど注意していないと見えないが、水たまりの濁った水面が見える。本流は右岸側を流れており、それでないことは確かだが、雨のあとだったから増水した残りか、左岸から流れ込んだ小河川なのか、そこのところはよくはわからない。このあたりは金勝・阿星山地から流れ込む小さな川が天井川となって旧東海道をまたぎ、野洲川に流入していた。それの一部のような気もするが。
 そんなことはどうでもエエ話。大きな風景としては左に見える菩提寺山が大きく主役を張ったように見える。三上山はその裾の奥に小ぢんまりと。その右ずーっと遠くに比良連峰。その右に天山(希望が丘芝生ランドの南に立つ)。その下、右端にちらっと見える建物が対岸正福寺の生田病院。  HPトップへ戻る



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  ■2015年08月31日

■暗雲累々  湖南市正福寺
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 けったいなものができた。右端の構造物である。誰が見ても第一にこれに目が行く。正体は1号バイパスの高架橋である。広域農道と斜めにクロスしている。バイパスはいまは2車線だけどいずれは4車線になるだろう。当然平面交差は無理。成り行き上仕方なことはわかる。難儀なものができてしまった。せめて農道をアンダークロスさせるとか、手はなかったか。設計者は風景のことまで考えないのだろうな。もっとも、別の場所では農道が下をくぐる例もあるのだが。
 場所は甲西大橋の右岸近く。昨日、一昨日にとり上げた河川敷グランドの反対側である。野洲川本流が堤防のすぐ近くを流れている。雨のあとで水が濁っている。近くに甲西北中学があって、ランドマークになっていたが、バイパスができて風景としての影が薄くなった。  HPトップへ戻る



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