三上山物語・U

毎月1日、11日、21日発行


2014 年 11 月/011121


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■097  発行:20141101


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■ケヤキの木
撮影場所:野洲市市三宅
撮 影 日:2014.10.24
 旧野洲川北流の河川敷内に生えていたケヤキの木。樹木が密集していた中で、上へ伸びることが生命を維持することだったのだろう。周囲の木が伐採された中で、数本の木だけが残された。これらの木もいつ伐られるかとびくびくしていたが、いまのところその気配はない。どうやらこのまま残ってい行くようである。
 これは新しく開発された住宅地から見たところ。ほとんどの木がこのように枝を伸ばし始めているが住宅地から見て右端の2本だけが枝を伸ばす気配がない。このまま枯れていくのかもしれないが、写真としてはこの葉がない状態が都合がよいのだから意地の悪いものである。交差点付け替え工事で新規敷設された道路から見たケヤキ群(右端)。





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■098  発行:20141111


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■晩秋
撮影場所:近江八幡市野村町
撮 影 日:2014.10.24
  湖岸道路を守山・野洲方面から近江八幡に向かって走るとき、岡山城址を越える手前でぐっと大きく右に曲がる。そのカーブの入り口で川をまたぐ。京都新聞社発行の「琵琶湖の釣り」という本で、「XX承水路」という名前を見た記憶があるが、そのXXが思い出せない。本を探したが見つからない。標題写真は湖岸道路から川沿いに300mほど入ったあたり、農道が三上山に向かってカーブしてい行くところである。
 三上山の左、山が複雑に絡み合っている。色の濃い山が大きく2つ、丸い大きな山がハタフリ山。その左、尖っているのがカブト山。2つを総称して田中山。その左、一番奥の高い山が石部の阿星山。その手前に菩提寺山。守山市地球の森あたりから見ると三上山の右に見える。菩提寺山の左、なだらかに高くなっていく山が十二坊。その手前に独立して大きく見える吉祥寺山(銅鐸博物館の前あたりの山)。
 そうそう、一つ忘れていた。三上山の手前に妙光寺山が横たわっているのだが、写真では両者一体となって全く区別できない。






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■099  発行:20141121


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■晩秋
撮影場所:野洲市五条
撮 影 日:2014.10.24
 国道477号兵主大社南交差点から家棟川の方へ100mあまり走ったところ。地図で見ると野洲市五条と六条との境あたり、素人目には区別はできない。国道沿いにちょっとした空き地があり、石灯籠が立っていたりするかと思えば、農機具の小屋があったり、一部が畑になってたりする。まあそんなところで、トータルとして何なのだといわれるとよくはわからない、そんなスペースがある。以前から気になっていたが、今回初めて車を止めた。
 そんな中で、今回はちょっとした畑を前景に持ってきた。これが標題の写真。それともう1枚、いまごろ急に何やねと言われそうだけど、1993年月の写真である。片や初夏のレンゲ畑、片や秋の家庭菜園。あまり雰囲気が違い過ぎて、理解してもらえないかもしれないが、前景を捨てて遠くの山を見比べると、20年前と今とで、その組み合わさり方が似ているのがお分かりいただけよう。三上山の右後ろが石部の阿星山である。ざっと見ただけでは組み合わさり方は新旧両者同じに見える。さらには画面左端のぼこんとした山、これが田中山だが、その右に見える遠くの山も両者ほとんど同じに見える。ただし100%一致するかといわれると微妙なずれがあると言わざるを得ない。
 結局何が言いたかったのか。20年前のレンゲ畑が、標題写真の大豆畑の向こうあたりの田んぼだったということである。





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