三上山物語・U

毎月1日、11日、21日発行


2014 年 08 月/011121


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■088  発行:20140801


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■田の中の塑像
撮影場所:野洲市堤
撮 影 日:2014.07.24
 鮎家の郷から五条のほうへ向かう道が、蓮池の里多目的公園からの道と交差するところ。田んぼの中に黄色い服を着て作業している人がいる。何か機械を操作しているらしいが、トラクターやコンバイン等ではなさそう。ゴーカートに乗っているような雰囲気がある。(標題の写真は長いレンズを使っているのでかなりはっきり見えるが、肉眼でははっきり見えなかった)。最初は人間かと思っていたが、いつまでたっても動かない。案山子でもなさそうだし。
 場所を移動してみるとあぜ道を通してはっきり見える場所があって、よく見ると成安造形大学にある人物像らしい。同大学の教授だった今井祝雄氏が、1994年の平安建都1200年祭に合わせ64体を制作。一昨年だったか、同氏の退職を機に7体を大学に残したほかは、外部へ寄贈云々の話題があった人物像である。たしか例のイーゴスに乗るというイベントもあったはず。
 どんないきさつでここへやってきたのか、その塑像が田んぼの中にある不思議さ。これはぜひまともな構図でまとめたい。畦道をたどると、あれあれなんやこれ。椅子のパイプは仕方ないとしてこのブルーシートは・・・・。もうちょっとまともな状況で撮りたかった。三上山はともかくとして多少なりとも落ち着いた視角はないものかと探したのがこのアングルだった





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■089  発行:20140811


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■とんがり屋根
撮影場所:野洲市永原
撮 影 日:2014.08.05
 野洲市永原、野洲北中学校。とんがり屋根の時計台が印象的である。3,4年前、野洲市の景観を考える委員会という会合があって、その席上市内で心に残る風景として、この校舎周辺の風景を上げる人もいたほどである。同感である。たとえば校舎と並んで見える城山など、歴史的景観ともつながる。
 しかし、こと三上山との組み合わせとなると簡単にはいかない。体育館の赤い屋根が大きすぎるのである。どたっと横に広く何ともおさまりが悪い。結局屋根を半分に切る以外手はないかなと考えつつ、右へ行ったり左へ行ったり。ここが一番おさまりがいいのかな、しかし、時計台は右を向いている、その左に三上山はどうかな・・・・など思いつつ、とりあえず撮っておこうかとシャッターを押した。その瞬間、何か黒いものが飛び込んできた。こんなところで空を飛ぶ黒いものといえばあいつしかいない。絵の中の向きはばらばらだけどそいつに免じてお許しを。






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■090  発行:20140821


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■ビルが消えた
撮影場所:野洲洲市野洲
撮 影 日:2014.08.18
 三上山の右後に菩提寺山が並ぶ。近江富士大橋から上流を見たところである。三上山の右下、黄色いパワーショベルが見えているところに、ついこの間まで大きなビルが建っていたのである。ビルが消えた、これでここからもまともな写真になると、意気揚々と撮って帰った。そのあとで、ビルが建っていたころの写真がなければ話にならないことに気がついた。「昔ここにビルがあったんや」ではアカンのである。
 その昔、私が三上山の写真を撮り出したころ、大津市衣川に建設途中で放棄された大きなホテルがあった。コンクリートの枠組みだけができた時点で工事中断、そのまま放置されていた。人呼んで幽霊ビル。国道を通るたんびに邪魔やなーと顔をしかめていた。結局その姿は私のフィルムにはない。今となっては写しておくべきだったと悔やまれる。
 しまった、また同じ失敗をした。写真を撮る立場からするとビルは邪魔ものである。邪魔なものは画面に入れない。ビルがあることがわかっていてそれを撮ることはない。今回も、ビルが外覆シートで覆われたことは知っていた。まさかビルが壊されるとは思わないから、塗装のやり直しかぐらいに思っていた。ある日、ビルが半分ぐらい消えてなくなっているのが見えた。「へー、壊すんか」と思っただけで、それを撮ろうとは思いつかなかった。不覚だった。
 これでかつてのビルの写真がなければ意味はない。邪魔なものは写さない、その邪魔なものを探そうというのである。そして見つけ出した1枚。いまとなっては貴重品である。もう1枚





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