三上山物語・U

毎月1日、11日、21日発行
 

201309 月/011121

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■055  発行:20130901




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■056  発行:20130911


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■怒りの日
 撮影場所:守山市水保町 (地図)
 撮 影 日:2013.09.09
 NO.54、55の2回UP出来ず欠落したままとなってしまった。4教室合同写真展(8月27日〜9月1日)の準備に追われたことが主たる理由だが、この夏の猛暑に外出が憚られたことも大きな理由の一つだった。要するにネタになる写真が撮れなかったということである。毎日続けている『三上山日乗』も期間中は展覧会レポートでごまかしたが、それ以前の8月中旬、下旬は、何年か前に撮っていたものでごまかした。
 ということでこの日は久しぶりの撮影日和。空気も澄んでいたので少し遠く、地球の森、速野小近くの大曲付近へ出かけていった。国道477号、JAおうみんちから西へ向かう旧南流が大きく北へ向きを変えていたところである。
 と、この風景である。この場所は、とかく樹木が多い地球の森の中で、ひろびろとした視界が広がる場所として特筆すべき場所であった。とくにこの橋を通してみる三上山は、谷文晁の絵と同じかたちの三上山が見えるポイントとして思い入れ深い場所(注)であった。それがよりにもよってこの場所にこの建物である。これを見た瞬間我が目を疑った。そしてこういう場所にここのような建物を建てた責任者の感覚を疑った。「びわこ地球市民の森」として、公園内に事務所も構えている。全体の風景にもそれなりの神経を配っているものと思っていた。それがこのていたらくである。他に場所がないわけではない。広大な野洲川の跡地である。考えなくても場所はいくらでもある。
 この写真は去年2012年6月の撮影である。子供たちはこんなに気持ちのいい広がりの中を学校へ通っていたのである。前の子供の向こうにタンクのようなものが見え、アスファルトが張りつめられたものが見える。駐車場らしく見えるが、それはそれて意味があるものと考えていた。それがこれである。タンクは建物の左端、ブルーのトラックの左奥に見える。様子を見ても分かる通りまだ建設途中である。この建物の正体は、まだ分からない。

■注1・私が最初に谷文晁のスケッチポイントとした場所は、2012年6月の撮影の写真で、タンクの左奥、白い軽トラ走っている辺りだった。そのころまだこの辺りは公園化されておらず、立ち入ることは出来なかった。その後写真に見るような橋が架けられ、一段と分かりやすい橋のたもとを文晁ポイントした。その辺りは、拙稿「谷文晁が見た三上山」に詳しい。

■注2・題を考えていて、ふと「怒りの日」を思い出した。もとよりキリスト教にいう「DIES IRAE」とは何のつながりもない。ご了承を。



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■057  発行:20130921


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■雨の日
 撮影場所:野洲市北桜 (地図)
 撮 影 日:2013.09.15
 コミセンやすで開いているデジカメ教室は、午前10時に花緑公園のふるさと館に集合してそこらあたりを撮影して午後の教室へ向かうことにしている。全員がということではない。とくにきっちりしたルールるがあるわけでもない。気が向いたものが集まるというだけで、必ず参加しなければならないということはない。今週の日曜日、9月15日がその日に当たっていた。当日は朝からかなり激しい雨が降っていた。今日はアカンなと思ったがとにかく出かけていった。それでもいつのまにか私達を含めて8人のもが集まっていた。
 午前10時、きがついたら雨が止んでいた。気をよくして撮影に入ったことはいうまでもない。そして1時間余り、11時半ごろになってぽつぽつ雨が降り出した。エエ具合に降り出したな、と全員が声を揃える間もなく激しい雨になった。ふるさと館まで400mたらず、カサをさしてもずぶぬれになるほどの雨だった。写真はとにかくふるさと館までたどりついたときの三上山。
 雨はそのあとも止まないまま、午後の写真教室が終わった直後辺りから、さらに激しさを増し夜を徹して降り続いた。京都嵐山をはじめ各地で災害が発生。9月22に至るも京阪京津線は不通のままだという。
 写真:9月16日(月)、午前8時ごろの野洲川の様子もう1枚。左JR琵琶湖線鉄橋。(野洲川の写真2枚・いずれも森川邦昭さん撮影)




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