三上山物語・U

毎月1日、11日、21日発行
 

2013 04 月/011121

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■040  発行:20130401


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■旧南流堤防跡から・続
 撮影場所:守山市川田町 (地図)
 撮 影 日:2013.03.29
 思えば何度も経験してきたことである。竹薮がなくなったのである。エイプリル・フールでもないし、特別珍しい話でもない。森であれ、山であれ、そんなことにいちいち心配していたらこの世には住めない。そんな時代である。しかし、ここのヤブが消えたことにはビックリした。
 タイトルに「続」とあることからも分かるように、ここからの写真は2度目である。三上山の写真はどこからでも好き放題という訳ではない。自ずから撮影場所は決まってくる。同じ所へ何度も行って当たり前である。ここなどは気がついたのが比較的新しく、行く頻度からすれば少ない方である。ではこの前のこの場所からの写真はいつか、それが実は2012年4月1日号である。なんと、昨年の今月今日号だった。そしてさらに驚いたことに掲載写真の撮影日が同年3月29日となっている。今回のこの写真が、今年の3月29日。全く同じ日である。初めから計算していったわけではない。たまたま帰りにひょっと寄った。それがそんな偶然につながったわけ。そんなことはどうでもいいことで、驚いたことにヤブがなくなっていたのである。1年前の左端に写っている竹薮が消えていたのである。
 撮影場所のアリバイは、堤防の右下の建物を確かめればすぐに確認できる。上の写真に見える何本かの木も前回の写真に写っている木と同じはずだが、それまできっちり同定することは無理なようである。前回の写真に較べて、今回の天気の情けなさ、完全な曇りというわけではなかったが、何とも情けない調子に上がっている。好天の日に改めて撮り直しも考えてみたが、たまたまといえ一年前と同日の撮影日の面白さで、あえてこの写真を掲載することとした。「ここは何になるのでしょうね」、横を通りかかったご婦人の言葉である。私自身も同じ思いである。同じ場所から見た竹薮跡地を通してみる川田大橋。ホンマに何になるのでしょうね。



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■041  発行:20130411


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■古武士健在なり
 撮影場所:野洲市南桜 (地図)
 撮 影 日:2013.04.08
 野洲市南桜、大山川畔に立つサクラである。
 大山川は湖南市菩提寺、名神菩提寺PA横の大山池から流れ出て、野洲川に注ぐ小さな川である。わたしが三上山を撮りだしたころは堤防に木が鬱蒼と生い茂り、近寄ることすらはばかられるような状態だった。ルートも今とは若干異なり、現在のさくら墓園の外側(三上山側)を巻くように流れていた。たとえばこの写真(1978年撮影)は、南桜から菩提寺へ向かうバス道から見たところである。まだ松枯れもなかったころで見事な松が並んでいるが、この下に森に囲まれた小さな墓地があって、葬式で使われたのであろう造花の花環などがそのまま放置されていたりした。このサクラの木はその中に埋没していたのであろう。その姿を意識して見たことはなかった。
 その後、大山川が改修され、さくら墓園が整備された。ほとんどの木が切り払われたあと、この木だけが残された。写真集『近江富士百景』に収録したこの写真(1991年撮影)は、この周辺が整備された直後のものである。木の手前の斜面が真新しく、午前中では明るすぎて写真にならず、午後改めて出直して撮った記憶がある。
 そして現在、先日の春の嵐にも耐えて見事な花をつけていた。古木というよりは老木といったほうがイメージに近い。しかし花の色は見事である。1991年の時点ですでに古武士の風格があったが、以来孤立無援、風雨にたたかれながらも立ち続ける。この姿や尊し、その色や貴し。



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■042  発行:20130411


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■湖畔のサクラ
 撮影場所:近江八幡市長命寺町 (地図)
 撮 影 日:2013.04.08
 もう1枚サクラを。この写真を見せて、撮影場所はどこでしょうと訊ねると、先ず第1に返ってくるのが「海津大崎」。海津からは(三上山は)確かに見えるけれども、こんなに大きくは見えませんよ、というと「それもそうだ、どこやろう」で、ほとんどの場合がお手上げになる。なかには「長命寺や」と、正解が出る場合もたまにはあるが。
 さて、その長命寺。もう少し詳しくいうと長命寺港から国民休暇村の方へ向かう。最初の岬をまがって、50mほどの間に、左側(琵琶湖側)に、車が1台、または2,3台止められる空き地が2箇所ある。これはその2,3台止められるほうの空き地のそばである。
 最初に行ったのはいつごろだったか。まだフィルム時代で、少なくとも20年以上にはなる。道路のすぐ下の湖岸にコンクリート製のしっかりした小屋が建っており、それを取り巻いてこれもコンクリート製の波よけ塀が小屋に密着するように建っている。道路は湖岸より高く、その塀の上へひょいと下りられる。塀といえばネズミ小僧の時代から上るのが常識だから、塀の上へ下りられると書いて、理解して貰えるかどうか。現場へ行って確認してもらう以外手はない。
 こんなことを書いていいのかどうか迷うところだが、塀から小屋の屋根へ、これまたひょいと上れる。屋根が傷むだろうと心配される向きもあろうが、屋根そのものもコンクリート製で傷む心配はない。フィルム時代は6×7判を使っていたから三脚は必須だった。その屋根は三脚を立てても十分余裕があった。
 長々と余計なことを書いた。何がいいたかったのかというと、小屋の屋根という限られた場所からの撮影だということ。いわば定点撮影をしてきたということである。上は今年の撮影。次の2枚は比較的新しい2008年2011年のものである。フィルム時代は固定焦点だったから、山は必ず同じ大きさに写っていたが、今はズームになって、ついひょいとひねってしまう。悪い癖だと自戒はしているが、便利さには負けてしまう。
 さてこの2枚、今年のサクラと何か違うことがおわかりいただけたかと思う。今年のサクラは淋しい。行ったとたんこれは駄目だ、撮っても仕方がないなと思った。花の密度が全然違う。上から斜めに下りてきている枝に花がついていない。よく見ると枝が途中で折れていた。折れているにもかかわらず、垂れ下がらずに、いかにも元あったように支えているのが涙ぐましいところではあるが。この枝が枯れて、元のように復活するのに何年かかるのだろうか。




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