三上山物語・U

毎月1日、11日、21日発行
 

2013 03 月/011121

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■037  発行:20130301


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■十二坊から
 撮影場所:湖南市岩根 (地図)
 撮 影 日:2013.02.28
 別項で取り組んでいる「野洲川分水界巡り」が、十二坊の尾根にとりかかる。1980年代に開かれた十二峰林道はまさに三上山の展望台だったが、年月を経て今は樹木が生い茂り展望は一切きかなくなっている。入口はすべて閉鎖されクルマでの通行は不能。といっても全く現状が分からないままで、レポートを書くわけにも行かない。せめて山頂付近だけでもと、十二坊温泉「ゆららの湯」から林道を歩いた。
 道は南東側を巻くように進む。かつては眼下に見えた旧甲西町工業団地もいまは樹木が邪魔をする。賑やかな声が聞こえて子供づれの外国人女性が数人下ってくる。おたがい「こんにちわ」と挨拶。旧甲西町や、水口町では日常的に目にする光景である。時代が変化したことを実感する。
 さて頂上。山頂付近は見覚えがある。30数年前、NHKのアンテナの背後は、夏至の日の日没を撮った場所だが、もうとっくの昔に視界は駄目になっていた。その後樹木が伐採されていないかと期待したが、むしろそれよりさらに悪くなっていた。今回登った目的は分水嶺の確認であるから、三上山はどうでもいいわけだが、私としてはやっぱり気になる。2004年にレポートしたときすでにこんな状態だったから何をかいわんやというところだが、それでも山頂付近の展望台からは何とか姿が見えた。しかし、いまその展望台が見当たらないのである。
 昔の記憶をたどりながら林道から山道に入り、分け入ること200mあまり、やっと見つけたのはこんな状態だった。その上で男性が一人弁当を食べていた。黙って近寄るのも気が引ける状態だった。「この展望台も今はほとんど誰も知りませんのでね・・・」。それはそうだろう、何の案内もないこんな場所を見つけること自体不可能だ。私はその存在を知っていたから見つけられたけれども。そこからの三上山はほとんど変わっていなかった
 帰る間際、山頂付近の林道で見つけた「あずま屋、遊歩道を経て甲西大橋へ」という小さな標識、上の写真はそのあずま屋から見た三上山である。



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■038  発行:20130311


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■小さな森
 撮影場所:湖南市菩提寺 (地図)
 撮 影 日:2013.02.28
 野洲から湖南市岩根へ向かう県道27号が、湖南市菩提寺を越えて少し行ったあたり生田病院の手前で、小さな川を越える。橋には「高砂川橋」と銘記されているが、川の名は、滋賀県都市地図や『鈴木儀平の菩提寺歴史散歩』には「高田砂川」とある。不思議な名前の川である。十二坊山中から流れ出る川で、菩提寺・正福寺の境あたりを流れて直接野洲川に注いでいる。いわゆる天井川であって、普段、水は流れていない。この写真は、その天井川の左岸堤防から撮ったもので、新しくできた1号バイパスに近いあたりである。
 実はこのあたりからのものとして、『近江富士遊々』に1996年撮影の作品・「藍色のとき」を載せている。今回のものはやや望遠であり、1996年のはワイドで、風景としてもどこにも共通点は見られない。前回の撮影時は、田圃のふちからこの川の堤防に近づき、ギリギリの場所から手前の木を入れて撮った記憶がある。そのときどうして堤防づたいに入らなかったのか、何の記憶もないが、多分堤防の上を歩くことが出来なかったのではないか。そうでもなければこんな無理な絵を作るはずがない。
 新旧2枚がほぼ同じ場所だという証明は、菩提寺山(旧写真で左に大きく写っている山)の稜線と三上山との重なりだけである。  



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■039  発行:20130321


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■遠い梅林
 撮影場所:野洲市北桜 (地図)
 撮 影 日:2013.03.17
 この画面の下ではソフトボールの試合が行われていた。希望が丘文化公園のソフトボール場である。山の斜面を水平に掘り進んだような形でつくられており、球場全体はすり鉢型になっている。今見えている芝生の斜面はセンター後方である。真ん中あたりを遊歩道が横切っており、黒く見えるのは道沿いの生け垣である(歩いている人の上半身が見える)。
 その遊歩道の上にある梅林。この時期、季節限定の風景である。写真としては、あと少し梅林を大きくしたくなるところである。簡単にいえばウメに近づけばいいのだが、このときは試合中でかなわぬことだった。といっても実際には、それをやると三上山がほんの少し後退する感じになる。これで精一杯なのかも知れない。  




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