■大山池
撮影場所:湖南市菩提寺 (地図)
撮 影
日:2012.11.16
「名神高速道路菩提寺PA裏の農業用水池」である。三上山の写真を撮りだしてこの方、この池の名前が分からず、すーっとこの呼び方で通してきた。去年だったか、一昨年だったか、菩提寺正念寺住職、芭蕉研究家の乾憲雄氏から、『鈴木儀平の菩提寺歴史散歩』(儀平塾編)なる本を頂戴し、「大山池」なる名であることを知った。色いろと示唆に富んだ本で興味深く読ませてもらっている。
その本によると、・・・この池が造られたのは、明治21(1888)年で、当初は「土」だけで作られていたが、地震でひび割れし、改修工事の際に池の内側水面のところまで石を貼り、それにより水漏れはなくなった。
写真、三上山の左と右、堰堤部に一基ずつ見える小さな水門が、野洲市北桜と南桜農地への用水口である。画面右端、トラックが走っている下の暗渠が大山川への排水溝である。これに関しては、田辺朔郎がオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの指導を得て工事に当たった。当初は石造りで、水を一気に落とさないよう、1尺(約30cm)の石を積み重ねて階段状に落としていた。
戦後、周囲の宅地化が進んだが、大雨のたびに水があふれ、子供が溝に落ちて流される事故もあったという。ために、水利権者の野洲町(現野洲市)南桜・北桜に、「池の水位を1尺下げてくれ」と交渉したが、応じられず、やむなく幅15mだった排水溝を25mに広げることになった。このとき、石積からコンクリートに変わったという。現在も基礎部分に石積みが一部残っているとか。・・・以上、『菩提寺歴史散歩』の本文を八田が意訳。
写真の撮影場所は、みどりの村自治会館裏庭(地図参照)。普段は水が満ちているが、このときは水が抜かれた状態だった。
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