三上山物語・Ⅱ

毎月1日、11日、21日発行
 

201210 月/011121

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■022  発行:20121001


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■水争い裁きの像
 撮影場所:近江八幡市池田本町 (地図)
 撮 影 日:2012.09.26
 在来線と新幹線の間を近江八幡市街からJR篠原駅方面、国道477号「安養寺町」交差点に向かって走る道路がある。市道なのか農道なのか種別は分からないが、その道路がさらに南西へ延びて、野洲市上屋のJRオーバークロスまでつながった。
 我が家を含めて、野洲市街地自体この2本の線路に挟まれている。でありながら同じ条件下にある近江八幡市安養寺町、野洲市長島などは、何となく行きにくい、そんな感じがする場所だった。その悩みがこの道路開通で解決した。そんな中での一枚である。
 写真は日野川にかかる桐原新橋の右岸畔から。

 それにしてもこれはつらいぞ。こうしてきっちり正座して日がな一日、前を通る車を眺めているのである。橋の親柱を兼ねた台座には、「豊臣秀次公 水争い裁きの像」とあり、その後に歴史的な説明が続くが、字が小さく文章が長い。平成10年10月の開通だというが、それ以来何人の人がこの橋を歩いて渡り、その中の何人の人がこの文章を最後まで読み通したか。
 肝心の秀次はどこにいるのか。おどろくなかれ、道路を挟んだ反対側に建っているのである。その台座にも解説がある。それを読もうとすれば、車の合間を見て向かい側へ。交通事故を誘導しているようなものである。車から見れば片側しか見えない。私自身、秀次像には気がついていたが、反対側を見ているヒマはなかった。裁きなら裁きで彫塑作品としての配置にしかるべき距離があるはず。両者一目で見える距離に配置してこそ意味があるというものだろう。
 とにかくこの三人はつらい。10数mも向こうから裁かれて、あくびの一つも出ようというものである。
   


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■023  発行:20121011


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■東光寺越え
 撮影場所:野洲市妙光寺 (地図)
 撮 影 日:2012.10.03
 近江富士花緑公園。三上山の北東麓に位置する。希望が丘文化公園とつながっていて、われわれ素人には希望が丘の続きのように見える。その花緑公園から野洲市妙光寺・御池に抜けるルートが東光寺越えと呼ばれている。
 山歩きのルートから見れば、三上山と妙光寺山をつなぐ尾根筋(北尾根縦走路)の鞍部(最低部)ということになる。参考地図(野洲市商工会発行「三上山登山地図」より。)
 私が野洲へ移ってきた1970年ごろ。希望が丘は工事中だったし、公園道路も開通していなかった。北桜の集落あたりへ自転車で訪ねたことがあるが、御上神社の信号から三上山を南回りで、結構苦労した記憶がる。いまでこそ公園道路を走ればあっという間に通り過ぎるが、当時はそんな簡単な話ではなかった。
 と考えてみると、このルートは妙光寺から北桜へ抜ける近道として一種の生活ルートだったと考えられる。写真はその最高点「東光寺越」の峠から見た三上山。 なお、峠に立つのが目的ならば、花緑公園「森林のわくわく学習館」裏手から「木陰のコル」経由が一番簡単。途中、写真を撮りながら登っても私の足で10分ちょっとである。峠から妙光寺御池までは、雨のあとはぬかるむ箇所が2,3箇所ある。   


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■024  発行:20121021


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■山は高きから見よ
 撮影場所:野洲市妙光寺 (地図)
 撮 影 日:2012.09.21
 一ヶ月前、9月の撮影である。前回の東光寺越えが、三上山から妙光寺山までの尾根道(現地の案内板には北尾根縦走路とある)の鞍部(最低部)である。参考地図(野洲市商工会発行「三上山登山地図」より)。そこから妙光寺山へ向かうとき、当然、尾根道を登りにかかることになる。道は花崗岩が風化していて滑りやすいが、上りの場合は注意して登ればさほどのことはない。
 ここは、古代峠(古墳が崩れ巨石がトンネル状になっている)の近く。下り坂を振り向いて、背後の三上山を見たところである。(もちろん古代峠から東光寺越えに向かうときは三上山を正面に見るところであるが)。 10mほどの斜面が続いており、急斜面に花崗岩の粒がばらまかれた状態になっている。下りにとるときは勾配の途中で、無理に止まろうとでもすれば滑ること必定、嫌なところである。 
 三上山は、花緑公園ふるさと館あたりから見上げるときは寝てしまう。撮影地点が多少高くなっただけで、このあたりから見ると、結構高さ感が出る。「山は高きから見よ」、古人の言葉に納得するところである。

 



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