三上山物語・U

毎月1日、11日、21日発行
 

◆7/011121

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■013  発行:20120701


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■正法寺山顛末記
 撮影場所:日野町鎌掛正法寺山
 撮 影 日:2012.06.22
 「正法寺の前から三上山が見えますね」、山に詳しいNさんの言葉である。日野町正法寺、藤の寺として名高い。10年ほどまえ鎌掛峠からの撮影で、その前を何度か通ったことがある。気がつかなかった。見逃していたとすれば迂闊だった。
 ということで、改めて行ってみた。なるほど見える(写真A)。でも高圧線と重なってどうしようもない。「見えますよ」といわれて、行ってみると電線と重なっていることはよくある話。やっぱり駄目だった。・・・・3,4年前の話である。
 話は飛んで今年の5月、田村KENさんが日野のわたむきホールで個展を開いた。HPに俄然日野方面の情報が多くなった。その中に正法寺裏山から見た鎌掛集落の写真があった。 ヘー。そんな場所があったのか。その写真は見通しが悪かったとかで、遠景ははっきりしない。でも鎌掛の集落が見えるとしたら・・・。カシミールで調べてみると三上山は確かに見える。これはひょっとしたら・・・・。

 6月11日、朝からいい天気だった。見通しもきく。昼過ぎから出かけていった。正法寺へ着いて驚いた。想像以上に霞んでいる。途中湖南市あたりから、比良山がきっちり見えていたというのに。止めようかと思ったが、ルートの確認だけでもと思い登ることとした。30分足らずで頂上に着いた。
 鎌掛の集落が眼下に見える。見通しはよくない。しかし三上山は見える。とにかく撮っておこう(写真B)。中央の鉄塔が下で見えていたヤツだろう。ここまでくれば邪魔にはならない。鉄塔の左下、三上山と一直線上に校舎が見える。ちょっと古いが小学校だろう。その日は、メモ代わりの撮影ぐらいの気持ちだった。これは使えない。

 6月14日、この日も梅雨時には珍しい快晴。よし、今日はしっかりしたものを撮るぞ。が、行ってみると前回と同じだった。想像以上に霞んでいる。朝からの快晴は何だったのか。ぼやいても仕方ない。来てしまったんだからと、登ることにする。やっぱり遠景は冬でなければ・・と反省しながら。
 途中、行者堂分岐の案内がある。前回は無視したが、今日はちょっと寄ってみようか。右の方へ斜面を巻くように200mほど進むと視界が開ける。あれッ?、こんなところからも見えたのか。鎌掛集落は左はずれの部分が見えているらしい。小学校は見えない。
 引き返し頂上へ。と、先ほどより少し色の濃い三上山が見える。前回見えた山である。とすると先ほど行者堂から見えた山は何だったのか。注意してみるとそれは確かに左の方に見える。時計の文字盤を使って角度を測る。三上山を12時に合わすと、左の山(行者堂から見た三上山に似た山)は午前11時の方向に見える。その間30度。前回来たときは、まさかそんな山が見えるとは夢にも思わないから、全く気がつかなかった。それよりも、そばにあった世にも不思議なカップルに気を奪われていた。ご覧のように左へ倒れかかった大きな木の枝を、細い木が下から支えている。このカップルと三上山を組み合わすことは出来ないか。冬、透明な日に、これらをどう組み合わしたらいいか。そればかり考えていた。山は小さくなるけれども、これならぎりぎりの組み合わせか。三上山の手前で盛んに煙が上がっていた。麦を刈ったあとの野焼きの煙だった。視界の悪さはこれも手伝っていたのか。そういえば6月はいつもそうだった。

 帰って画像をチェックする。それをやりながら、どうも気になって仕方がないことが2つあった。1つは三上山の姿、これがどうもおかしい。右斜面に「ふくれ」が見える。これが気になる。もう1つは左30度の方向に見える山。
 「ふくれ」と書いても意味は分かって貰えないと思う。書けば「膨れ」ということになるのだろうが、パンが膨張するわけではない。右斜面が蚊に喰われたように腫れているのである(赤矢印のところ)。それが何によるものか。何となく釈然としないのである。手前に別の山があるようにも見えるが視界が悪くはっきりしない。少なくとも今までこういう見えかたは初めてだった。もっとも正法寺山から見るのが初めてであって、何らかの事情でこのように見えるのだろうと考えるしか他に考えようはなかったが。
 それともう1つ、旧甲西町方面、たとえば野洲川流域から見るとき、三上山は右へ傾いて見える。ところが今の場合その傾きが感じられない。左右バランスがとれている。しかし、これも日野からはこう見るのですよといわれたら、そうですかといわざるを得ない。
 そして30度左の山である。三上山と正法寺山を直線で結び、左へ30度の方向にある山を探す。ない。飯道山と大納言の間によく似た形のピークがあるが周囲の山の形が違う。さて困った、完全な行き詰まりだ。
 ことの起こりは「正法寺の前から見えた山」だった。これが三上山でなかったとしたら。・・・
 その山は鎌掛集落の小学校?と一直線上に見えた。この建物はかなり古く、ひょっとしていまは小学校でないかも知れないが、私のカシミールの地図にはそれが載っていた。三上山と正法寺山をつなげば、その線上に「文」のマークが来るはずである。つないでみるとそのマークは線より右に離れた位置にあった。改めて「文」のマークにつないで延長すると・・・、その先にあったのはなんと雪野山だった。
 「Nさん、あんたワシにウソ教えたな・・・、ごまかされたワシも悪いのやけれど・・・」、今度会うのが楽しみである。証拠写真をパノラマでどうぞ。


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■014  発行:20120711


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■天神橋跡
 撮影場所:守山市水保町
 撮 影 日:2012.06.22
  撮影日は6月22日、上の「正法寺山から」と同じ日である。この日は梅雨のさなかとは思えない快晴で、正法寺も撮りたかったし、地球の森も撮りたかった。結局ハシゴをすることになった。
 さて、旧野洲川南流天神橋跡である。撮影場所は旧野洲川南流左岸天神橋畔。写っている道路は旧天神橋に替わる道路で、画面奥、左右に長い堤防が旧南流右岸。見えている道路は、かつての河床を直角に横切っていることになる(流れは右が上流、左が下流)。撮影場所の旧南流左岸はびわこ地球市民の森の遊歩道になっている。
 実は同じ場所から撮った写真(2004年3月19日撮影)が残っている。上の写真と比較すると、山並みの形は一致しているはずである。右端の樹木の部分が昔のほうがやや広いようであるが…。撮影位置の高さは、かつての天神橋の欄干とほぼ同じ高さである。かつての野洲川の堤防は、ほとんどの場所で橋より高かった。橋のところで堤防は道幅の分だけ切り通しになっており、いざ増水のときにはそこに土嚢を積んでという算段だったのだろう。
 そういうことを考えると、昔の写真を撮った場所は、旧野洲川南流堤防跡そのものでなく、地球の森の遊歩道として転用するためにリニューアル(多分高さが低くなった)されたあとだったと考えられる。南流堤防そのものから撮っていたとしたら、もう少し高い位置から撮れたのではないか、そんな気がする。


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■015  発行:20120721


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■遠い積乱雲
 撮影場所:守山市水保町
 撮 影 日:2012.07.09
  高く沸き立つような積乱雲が撮りたかった。もちろん三上山と組み合わせて。初めての夏か、2年目の夏。もちろんそれまでにも雲は撮ったことはあった。しかしそれは目の前にあったから撮っただけで、どこからどの雲を撮ろうなどとは考えてみたこともなかった。
 高く大きい入道雲。そのころはまだ、対象物を大きく撮るにはそれに近づくことしか知らなかった。考えてみればばからしい話だが、大まじめだった。一生懸命雲に向かって走った。当然のことながら、雲は逃げる。雲に向かって走って、雲を捕まえた話は聞いたことがない。しかしそのときは本当にそれをやった、50CCのヤマハメイトで。走れば走るほど雲は低くなる。これでは駄目なんだと分かったのときには、三上の山麓。入道雲の先が山の斜面からちょっとだけ顔を出していた。
 分かってみれば何ほどのこともない。雲から遠ざかればいいのである。逃げれば雲は追っかけてくる。そうして迷い込んだのがここだった。そのころ、堤防の外側の斜面も樹木で覆われていた。しかしここだけはどうしたかげんか外側が見えた。その場所が、いま思うとこの左の堤防上。道が左へ左へと曲がっていく。堤防林の影から三上山が顔を出す。道のすぐ下に細い道が通り、その向こうは畑だった。
 いま、その畑は住宅地に変わり、細い農道も立派な道に整備された。左に見える堤防が、その当時のままかどうか。それさえも分からない。多分変わっているだろう。それが証拠に、この草付き斜面への上り口さえ分からなくなってしまっている。



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