三上山物語・U

毎月1日、11日、21日発行
 

◆6/011121

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■010  発行:20120601


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■草刈りトラクター
 撮影場所:守山市笠原町野洲川堤防
 撮 影 日:2012.05.14
 この写真を本項で使うか使うまいか、悩んだ。名称が分からないのである。草刈り機では、オッチャンが肩にかけて、畦道なんかで振り回しているあのスタイルを思い出すし、自動草刈り機だといまの時代無人操縦を思い出すし、とりあえず草刈トラクターとしたが、果たして世間様に通用するのか。念のため検索してみた。なんと凄い世の中だ。YouTubeとやらで動画入りのページが現れて・・・。 エンジンの音まで入ってたぞ。何にも悩むことはなかったわけだ。マイッタ参った。この世で悩まなければならないのは、ワシは何で生きとるのかということだけやな。
 野洲川放水路の堤防を見るたんびに不思議だった。いつ見ても草が伸びていることがまずない。季節によって全体の色は変わる。しかし草が生い茂って・・・ということはめったにない。あの旧野洲川の堤防林を知っているから余計のことかもしれないが。
  その不思議さを解決してくれるヤツが現れたのである。そうか、こいつがやっとんたんか。草刈りの現場を見たのは初めてだった。機体を斜めに傾けて、器用に進んでいく。オッチャンは後の運転台で仁王立ち。
 この写真を撮る少し前、画面の後からやって来て、機械を止めてオッチャンが上の道へ上ってきた。「こいつらよう知っとるわ・・・」と空を見上げる。トンビが数羽、低空を舞っている。「ワシが機械を動かすと、必ず寄ってきよる・・・」。このワシは空を飛ぶワシのことではない。オッチャン自身を示す人称代名詞のことで・・・。「草刈ったあとに飛び出してくる虫を狙ろとるんや」。そういえばさっきからトンビが数羽低空を飛んでいた。そういう意味だったのか。
 場所は旧野洲川南流跡、例の笠原の桜の堤防である。右の木がその桜。今年の春、満開の日に新庄大橋を渡った。この堤防にずらっと車が並んでいた。進入できないはずだが、特別に開放しているのだろうか。まあそんなことはどうでもエエ。開放しようとしよまいと、そんなところへ近づく気持ちはさらさらないのだから。


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■011  発行:20120611


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■菩提寺山から(初夏)
 撮影場所:野洲湖南市境菩提寺山
 撮 影 日:2012.06.06
 本シリーズNO.1で早春の菩提寺山からを取り上げた。まだ比良山に雪がたっぷり残っていた。人間の目には願ってもない風物詩だが、三上山を目前にしたワイドレンズのカメラには何の意味もなかった。これはやはり田圃に水が入ったときだ。5月ごろから狙っていたが、なかなかタイミングが合わない。梅雨入りを目前にしてもう何度もチャンスはない。この日は朝から快晴、おそらくこれが最後のチャンスだろう。
 登山口に着いたのが午後5時、ちょっと早いかとも思ったが、慌ててしんどい思いをするよりはと登りにかかる。尾根へ出てからのきつさは承知はしていた。ところが想像以上だった。道が滑る。花崗岩が風化した道は板に砂利をまいたようなもの。長さにして1mあまり、歩数にして3,4歩。この坂が上れない。1歩進んでは滑り、2歩進んで滑る。一度滑れば途中では止まらない。元に戻ってしまう。つかまるものもない。そんな斜面が何カ所かある。前回はここまでは滑らなかった。道が湿っていたのである。今回は乾いてカラカラ。下りは間違いなく尻餅覚悟。そんな斜面である。それでも5時35分には展望岩に着いた。
 日はまだ高かった。琵琶湖が水平に光って見えた。南桜の田圃も光っていた。雪の時期とは全く違う風景だった。しかし、西のほうの雲が厚くなり出している。日没までに雲に隠れてしまいそうな気配だった。まあとにかく雲に消されるまではねばってみよう。6時ごろまでパノラマ写真を撮ったりして遊ぶ。三脚なしでのパノラマは水平を出すのに難儀するが、このときは楽だった。琵琶湖がきっちりガイドしてくれる。
 結局、太陽が雲に隠れたのは6時30分ちょっと前。上の写真はその直前のシャッターである。
 帰りは滑った。登りでも滑るのだから下りで滑るなというのは無理な話。冬用のズボンをはいていって助かった。カメラを腹に、3,4m尻で滑ったのが2度だったか、3度だったか。しかし、不用意にすってんとやるのではない。初めから滑ることは想定内。子供の滑り台のようなものだ。別に怪我をしたわけでもない。楽しかった。

 余談
 原子力ナントカ委員会がおおい原発の安全を確認したという。何を子供だましのようなことを。人間が作った基準を人間が追認しているだけ。原子力発電が100%安全だなんて誰も思っていない。飛行機だって車だって、いま私たちがこの地球上で生活すること自体100%安全だと思っている人間はいない。もしいたとしたらお目にかかりたい。
 飛行機に乗るのも命をかけているわけだし、日々の車も命をかけて乗っている。「かくかくしかじか、これだけの危険はあります。その危険を承知で原子力の電気を使いますか」という問いかけがなされるべきだろう。いまのままいけば、また想定外のすってん尻餅ですぞ。想定内なら滑っても怪我はしません。 


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■012  発行:20120621


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■初夏・地球の森
 撮影場所:守山市水保町
 撮 影 日:2012.06.14
 「びわこ地球市民の森」、恐ろしいネーミングである。親にこんな名前をつけられたら、わたしなどは生まれてくる前に出生を辞退したくなるだろう。広々とした公園の一画から見たところ。三上山の右奥に菩提寺山が並ぶという構図である。
 この公園とのつきあいは思いもかけないことから始まった。2006年秋に出版した『近江富士まんだら』、この編集をしていたときのこと。色々迷いに迷ったが、最終的に撮影ポイントを方位順に並べることでけりをつけた。これは取り立てて珍しいことをやろうなどとの魂胆があったわけでなく、いわば苦し紛れの決着だった。前出の写真集が最初の2冊が季節・撮影日順、いわば時間軸。つぎの3冊目が地域ごとの編集、いわば空間軸。この後どうするかということで浮上してきたのが方位順というわけ。
 この苦し紛れが思いもかけない副産物を呼んだ。山の重なりを読むことで、他人が撮った写真でも、三上山さえ写っておれば、その撮影場所へ行けることが分かってきた。写真撮影者の一人が編集の途中で中国へ赴任してしまった。撮影場所を確かめたいが、なかなか簡単にはいかない。結局その写真を頼りに探していったら、ちゃんとその場所へ行き着いた。
 この面白さを本に入れようと思った。ふと思い出したのが谷文晁の三上山の絵だった。編集の追い込みの中で、文晁のスケッチポイントとして探し出したのが、旧野洲川南流右岸のこの地だった。画面まん中よりやや左、遠くで軽トラと乗用車が出会っているあたり。ここをスケッチポイントと定めた。
 その場所を確認したのが、2006年のちょうど今ごろ、梅雨のころではなかったか。道路から見るこの広場には夏草が生い茂っていたし、その場所が、この恐ろしい名前の公園になろうとは夢にも思わないころだった。そのまとめを2007年、野洲市で行われた「ふるさと富士サミット」で発表した。それなりの反応はあった。
 その後、2010年秋になって、京都外大のH教授に出会い、江戸時代の画家の水平方向2分1圧縮論論をきいた。江戸時代の画家の目はとにかく広角だという。地球の森から見るような望遠の視角ではないという。H教授のアドバイスによる文晁のスケッチポイントとしては最終的に旧東海道沿いの六地蔵としたが、それに至るまでのレポートは、別項「谷文晁・超広角の世界」としてUPした。こちらもぜひご覧いただきたい。
 以来数年、地球の森も変化してきた。場所によっては自然林が足を寄せ付けない状態にもなりつつある。この眺望がいつまで保証されるのか。正直言って楽しみより怖さのほうが大きい。



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