---三上山スペシャル・2---地球はほんとに丸かった |
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左の写真、雪をかぶった伊吹山と三上山が並んでいる。撮影日は1998年2月2日。 場所は大津市石山南郷町、俗にいう立木観音の参道からである。ただし、瀬田川鹿跳橋近くの例の石段ではなしに南郷洗堰の少し南から山手へはいって、山の中腹をたどる標高200mぐらいの道である。石段を表参道とすれば、これは裏参道ということになるのだろうか。道は樹木が茂ってほとんど視界がきかないが、「六丁目」とある石標の近くだけ木立が切れてこの風景が見えた。関係地点地図 1996(平成8)年1月のある日、JR琵琶湖線大津・膳所間の車窓から、雪をかぶった白い伊吹山を見た。滋賀県へ引っ越したのが1970年、以来20数年そこを通りながら、初めて見る風景だった。そのときの伊吹はただ白いだけでなしに、山肌をよぎる陰影までもがはっきりと見えた。気象条件に左右されるのは当然だとしても、大津からこんなにはっきり見えるのか。それまで思っても見ないことだった。たとえ1年に数回であったとしてもこれだけ見えるとすれば、伊吹と並ぶ三上山が撮れるはずだ。 伊吹と並ぶ三上山、理屈は簡単である。地図の上で伊吹山と三上山を直線で結び、その延長線上に立てばいいのである。その場所探しを書き出すと長くなるので省略するとして、上の写真が撮れるまでに丸2年の歳月が経過していたことになる。 カメラをセットするとき手が震えた。まだフィルムを使っていたから、今のデジタルのようにその場で確認はできない。天気は快晴、肉眼でもはっきり見えるのだから、写ることは間違いないのだが、露出を何回測り直したことか。そうして上がってきたフィルムには、目で見たとおり2つの山がはっきり並んで写っていた。それも同じ高さで。読み進めていただければおわかりいただけるが、その2つの山が同じ高さでなければ、この項は形をなしていなかった。そういう意味でそこを参道が通っていたこと、その場所だけ木立の切れ目があったこと、すべてが神の采配であった。 2.?これはおかしいよくもこれだけ同じ高さで並んだものだ。よーく見ると伊吹がほんの少し高く見えないこともないが、先ず同じといって差し支えない。フィルムを見ながらふと計算してみる気になった。 2つの山の、立木山からの距離に対する高さの割合である。当然2つの数値はほぼ一致するはずである。しかし、出てきた結果は期待を裏切るものだった。 現場の標高を計算に入れてないことに気がついた。両山が同じ高さに見えるのは、立木山の参道から見ての話である。同じ立木山からだとして、もっと高ければ伊吹が高く見えるはずだし、位置が低ければ三上山が高く見えるはずである。標高200mの参道から見て、たまたま同じ高さに見えているのである。それを計算に入れなければ結果は狂ってくるはずだ。 3.比叡山との場合 話が行き詰まったときは、方向転換してみるのも一つの方法である。 同じように計算してみた。もしこちらの方がピタリと合えば、伊吹山の何かがおかしいということになる。しかし、結果は矢張り比叡山もおかしかった。三上山より高くなるのである。 4.沈み込み量 となればもうあれしかない。そう、「地球は丸い、遠くから近づいてくる船はマストの先から見え出す」というあの話である。小学校のときだったろうか、月食のときの地球の影が丸いなどと、例を挙げながら地球が球形であることを説明したあと、「遠くから近づいてくる船は・・・」と、さも見てきたような話を。もっともその先生自身は見たのかも知れないが、私は京都生まれの京都育ち。海など見たことネエだろうが。 今、自分が立っている点を地球の球面のてっぺんだと考えると、周囲に見えるものはすべて遠くへ行けば行くほど沈み込んでいくということである。本来、三上山より遠くにあって高く見えるはずの山が、同じ高さに見えたのは、この沈み込みによるものである。次は、その沈み込み量の計算方法である。 左の図で円のいちばんテッペンが自分が立っている点。Rは地球の半径(Km)、Lは対象物(今の例で伊吹山、比叡山など)までの距離(Km)。hが沈込量(m)である。まじめに図をご覧くださったかたは、違和感をお持ちになるかも知れない。たとえば、対象物までの距離Lは、地表面で測るものなのに、図では地中の線になっていたり。確かにこういう表現をするとおかしいのだが、実際の距離は、たとえば琵琶湖の南北間の距離にしても、この図でいえば、あるかなしかの長さになり、そんなことを七面倒くさく考えることでもないのである。 それよりも数式の下に書いてある「空気の密度の差によって曲げられるため・・・」というのがわかりにくいかも知れない。それは次のようなことである。 真空中の光の速さは1秒間に30万Km。真空中がいちばん速く、それ以外の物質中ではそれより遅くなる。水中では真空中の速さの3/4になる。その速さが変わるところ(水面)で光は屈折する。一般にこのように速さが変わると光は屈折する。 ということなんだが、計算は中学か高校の1年ぐらいの数学だが、そんなことはどうでもいいし、実際の沈み込み量を左下に上げておいたからそれを参考にしてもらえばいい。いずれにしてもけっこう大きいもんだとの思いをもたれることだろう。50Km離れて170mも沈み込むのだから。 以上のことを使って、三上山と伊吹山の関係を確認してみよう。立木山から三上山までの距離が18.5Km、それに対する沈み込み量が23m。71.5Kmの距離にある伊吹山は、なんと
345mも沈み込んでいる。 もちろん比叡山との関係もピシャリ、文句なしの数値になることはいうまでもない。 第2部 琵琶湖湖岸から5.湖上に引く1本の線近江八幡市長命寺あたりから湖岸道路を南下する。初めての信号が「湖岸白鳥川」。そこを越えて少し行くとちょっとした峠で岡山を越える。峠左に「岡山城跡」の碑がたっているが、車からはほとんど見えない。それよりも下りになって左に見えるこの風景の方が印象に残る。 6.沖島から 沖島から見た三上山である。近江八幡市長命寺の沖に浮かぶ。写真は島内、沖島小学校近くからの撮影である。左の濃い島影が長命寺山のすそ。右が岡山、バックの山は金勝山系である。 左は上の写真の白枠部を切り取り、岡山城址から撮った写真と並べたところである。厳密にいうと岡山城址からの写真も若干の沈み込みがあるわけだが、それは無視することとする。沖島は三上山から16.9Kmの距離にあり、19mほどの沈み込みが計算できる。しかし、肉眼で見る限り三上山が沈み込んでいるという実感はない。 7.高島市安曇川から萩の浜から湖岸道路を北上すると、安曇川の少し手前で新金丸橋という橋を渡る。小さな入江にかかっており水辺に木が生えていたりして、叙情的な雰囲気の所である。写真はその橋の上から見た三上山である。例によっていちばん手前に沖島が見え、それに重なって岡山が見える。撮影場所が完全に一直線上ではないから、岡山の位置が少しずれているが、ほぼよく似た位置関係である。 ここまで来ると、岡山からの写真と比較して、明らかな沈み込みが感じられる。 8.海津浜からさて海津浜である。琵琶湖の水辺に立って、三上山が見える最遠の地である。距離46.3Km。はるばる来たという感がする。対岸は安曇川デルタ、三上山の右下に新旭風車村の風車が見えている。このあたりまで来ると、先ず意識せずに三上山を発見することは不可能である。見えるはずだと思って初めて見える。そのレベルの見え方である。 沈込み量143m。これはちょっとやそっとの量ではない。
距離が遠いから当然山は小さくなる、と同時におよそ半分ほどが水平線下に没しているのである。見えているのは上半身だけ。見通しのいい日にぜひ一度現場に立っていただきたい。 9.まとめ 琵琶湖の湖面を通して三上山が沈み込んでいくことは、いま見ていただいたとおりで、あとは蛇足である。
理屈はいっしょだが、この図がいちばん見やすいかも知れない。傾いていけば行くほど三上山の足下が見えなくなっていくのである。ところが自分ではその傾きが見えないから、山全体が沈み込んでいくと感じるのである。 理屈をいえば上の3つ図のように三上山の足下が見えなくなるだけの話なのだが、何度もいうが、自分が立っている場所が絶対的な水平線と感じるから、結果として左の図のように三上山が沈み込んでいくように感じるのである。 最後にもう一枚10.乗鞍岳から ここにもう1枚の写真がある。撮影位置は、福井県との県境・乗鞍岳(865m)。麓の在原集落からの林道の8合目あたり、標高700mぐらいの地点である。偶然の結果だが、ここが今まで見てきた三上山と海津浜を結ぶ直線をさらに延長した地点だった。関係地点地図。 この項で考えてきたことは、沖島、安曇川、海津浜とすべて撮影場所がの湖岸であった。しかし、今度は700mの高さがある。もちろん高くなった分、遠くまで見通せるのだが、いろいろと考えてみると、そもそも水平線とはなんぞやという問題にぶつかる。 左の図は、上で見てもらった沈み込み量を考える図と同じである。上で考えたときは、自分の位置を基準としてL(Km)離れたときにh(m)沈み込むと考えた。今自分の身長を沈み込みと考えて、見渡せる海は半径L(Km)だと考えているだけである。自分の身長を2mとすれば、5.4Kmこれが水平線までの距離である。当然、自分の身長が高くなれば、見通せる範囲は広がっていく。自分の身長には限度があるから山に登れば見渡せる範囲は広がっていく。 左は上の写真を関係箇所だけトリミングしたものである。上下の中程を横切るのが、安曇川デルタ。その向こう左に見えるのが沖島。そして面白いことに海津ではほとんど見えなくなっていた岡山がここに来て再び見えているということ。さらに、三上山そのものも海津からとは大違い、本来の姿を見せている。撮影位置の高さの効果である。 三上山からここまでの水平距離(水平という言葉のあいまいさが気になるが、ちょっと別においておいて)が52.8Km、それに対する沈み込み量は191mである。191mの山のてっぺんに立てば三上山の麓まできっちり見えるということである。乗鞍岳での撮影位置はおよそ700m、そこから見渡せる地平線は101Km。三上山までの距離の約2倍、三上山が安定した姿で見えるのは当然の理である。 立木山からの伊吹を撮るまでは、地球が丸いなんてことはよその国の話だと思っていた。しかし、地球レベルから見ればほんの小さな琵琶湖でもそれが見えるのである。地球はやっぱり丸かった。 |
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