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冬の日差し MED スズカケだろうか。太い幹がずばっと青空に。太陽が画面の左外にある。幹は左側が明るいだけで、ほとんどが黒くつぶれた。その黒さが一本筋を通すことにつながった。これが正面から光を受けていたら、幹と枝がこまかく見えて、煩雑になっただろう。画面構成としては、光を受ける側(左側)を広くとったことで成功した。木の位置が反対だとバランスがとれない。
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冬曇りの日差しにて MEGW ★大寒前日の美崎公園での撮影会、新川の川面、冬曇りの日差しの静かな趣き。
◆冬の日差しを写す川面。水草も適度のバランスで、画面に変化を与えている。手前の欄干がちょっと大きすぎるきらいはあるが、これは仕方ないだろう。MEGWさんは、左上の白い反映が気になるというが、私は別に気にはならない。むしろあった方がいいと思う。
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白髭の日の出 MTI
典型的な白鬚神社の日の出。ほんの少しセンターをはずしたところがよかった。これ以上鳥居が大きくてもバランスが悪いだろうし、きっちり撮れているなという感じがする。
これはこれで決まりだが、参考のために水面の高さについて。この場合、「水面の高さ」の意味が2つある。1つは画面上の位置。この写真でいえば、画面の半分より若干高い位置にある。もう一つは、鳥居に対する水面の位置。国道上から撮る場合、うっかりすると左右の支柱の先端と一致してしまうことがある。湖岸に下りて、カメラを低くすることで、画面上の水面をうーんと下へもってくることができる。当然鳥居に対する水面も下がり、鳥居の大部分が水面上に出ることになる。鳥居はそのほうが立派に見える。ただし、いまの場合それをやると、太陽が支柱の間に入ってきて、ちょっと煩雑な絵になるかも知れない。
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愁 樹 MTKW
MTKWさんのコメントに、「旧竹林院にて、曇り空でした」とある。曇り空でよかったのか、悪かったのか、このコメントからは読みとれないが、私は、これは曇り空でよかったと思う。ここのところでカンカン照りだったら絵にならない。こういう木陰の道は曇り空に限る。場合によっては小雨が降っていてもいい。一つの場所を意識したら、どういう条件がいいのか。それを考えて、その条件のときに行ってみる。それを続けていると、自然にいい写真ができてくる。
構図としてはL字を傾けたような木と竹の組み合わせ、これがきつすぎたかな。
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懐かしの看板 MTST
まあよく集めたものだ。ほとんどが見覚えのあるものだから凄い。やっぱりこういう看板というヤツは効果があるんだということを改めて思い知らされる。
ということで、これは社会の流れの記録として意味があるのだろう。これが歴史の証言としての価値がついてくることも考えられる。写真の多様性を見せられた思いがする。
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雪山道 MYST
深い雪だ。主役の茅ぶき屋根の左側だけ雪がないのは、家の中で火をたいたのか、それともそこだけ茅の質が違うのか。これが屋根としてのバランスを崩したのが惜しかった。そういうことを考えると、右へ回って、三角形の屋根を中心に絵を作ることも考えられる。近くだったら撮り直しに行けるのだが。
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午後の日差し MRKW
いい光だ。この場面でこの光を捉えたのが成功の第1ポイント。あとほんの少し左へ動いて、目のような影と中央の木とを離した方がよかったか。右上の黒い三角形もこの場所全体の立体感を示してよかった。周囲の状況が分からないが、事情が許せば、あと少しずつ周りを見せてもよかっただろう。
キジの足跡なんかがあったらバッチリだったんだが。
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入り口 MRT
★昔を思い出す建物への入り口。
◆美崎公園の休憩所。この場所へは、教室全員で行った。しかし、このアングルはMRTさんだけ。見事。往年の小津安二郎映画を思わすローアングル。懐かしさを感じるのはこれだろう。子供のころの目の高さを思い出すのだろう。こんな高さで物を見ることは、とっくの昔に忘れてしまったが、心の隅っこに何かが残っているのだろう。ほの暗い中に見える石の踏み台、床の張り出しの光。
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イルミネーション NSMR
いま売り出し、なばなの里のイルミネーション。これは誰が撮っても暗いなかで出来合いの風景が浮かぶ。私は行ったことはないのだが、皆さんが撮ってきたのを見ると、そういう感じがする。よほど独創的なアングルを探し出さなければ、結果は「以下同文」で終わる。というのはイルミネーションそのものは、毎晩絶対に変化しない光を出している。太陽光線の反射で物を見るのとワケが違う。ぱっと見には美しいが陰影がない。これが第一の原因だろう。
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厳寒に立つ SKI ★この浜辺は、新旭風車村の前の浜辺で、「夕暮原」と言って、夕暮れの景色が素晴らしいそうです。木の幹に張り付いた雪から、吹き降りだったのかな?と想像し、地平線辺りの水の色が綺麗だと感じました。船が来ないかと待ちましたが無理でした。寒かったです。
◆横から吹きつける雪が止んだ。この場での狙いとしては、一応及第点。どこにもけちをつけるところはない。しかし、見る人をうーんとうならす力はない。よくいえば基本的、悪くいえば一般的。まずやってみることは、カメラを下げて、水平線を今の3分の2か、半分ぐらいまで下げる。これでかなりイメージが変わるはず。これが一つ。
もう一つは、木に近づいて、「木の幹に張り付いた雪」を中心にして絵を作る。この場合は、水平線その他は無関係。撮影の時点で気がついていたのだから惜しかった。あああ、大魚を逸す。
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パンくれるの? SSK
エサを求めてよってきたユリカモメ。行動は結構激しいらしいが、顔はかわいらしいね。かなりの近くで、かつ瞬間的なはずだが、カメラがうまくピントを合わせている。動きも激しいはずなのに、ほとんどぶれていない。天気がよくて、かなり速いシャッターが切れたのだろう。それはそれでいいのだが、どこかがぶれているのも、また写真のおもしろさ。そういう意味で、シャッタースピードのコントロールも今後の課題。
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交 錯 TNK
写真の材料としては嫌われることの多いゼブラゾーンを主題にした。狙いは面白いのだが、白線そのものがくたびれているのがしんどかった。と同時に本来黒であるべき舗装の部分もグレーになってしまっており、狙いどおりのコントラストが撮れなかった。白線がせめて奥の雪と同じ色なら面白かっただろう。
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枝で輝く TN
★雲海を撮りに行き目の前の木の枝の残雪に目がとまり撮りました。右上の白い部分は雲海ですがこの場合主役は枝のつもりです。
◆TNさんのコメントに、気持ちの揺れがあり、それが作品に現れている。最初の目的は雲海だった。ところがそれより前におもしろい木が見つかった。それを撮ったのだが、ついついその片隅に雲海を入れてしまった。木が主役だといいつつ、心のどこかに雲海が色濃く影を落としていた。
木にとって、雲海は邪魔だった。木だけで充分主役がつとまる。雲海がなければいい写真だったのに。 |
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おみくじ TD ★尾張一宮 真清田神社
◆これも一つの報道写真としてみてみよう。文章があっての写真ということになるのだが、おみくじを引く人、大安を引いて喜んでいる人がいちばんいいだろうが、そういう人の表情を持ってきて、その背後はくくりつけられた無数のおみくじという形にしたい。知らない人の表情をアップで撮ることは難しい。それがいちばんのネックになろう。
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寒日和の比良山 FNHS
比良山に、このように細い枝をかぶせた意味がよくわからない。確かに、東岸から見て比良山だけでは単純すぎることはよくわかる。その単純化を未然に防ぐ意味だとしても、この枝は邪魔だった。枝があるのだから、当然近くに太い幹もあるだろうし、何かそういった物で絵を作った方がよかっただろう。
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木漏れ日 HND
小川が流れていてそれに日が当たっている。太陽は結構高い位置にあって、カメラはかなり下を向いている。画面外にある木の影が伸びてきている。水面の光っている様子がいい。川を斜めに持ってきたところも、オーソドックスとはいえ好感が持てる。いい写真である。水面の光をもう少し右下へ置いてもよかっただろう。
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美味しい物見っけた HR
エサにありついたメジロ。つまんだエサを振り回して得意そう。餌付けをしての写真だとか、そう思ってみるせいかとも思うが、画面ができすぎて野性味に欠ける感じがする。その理由をいろいろ考えたのだが、画面に対する鳥の大きさじゃないかと思えてきた。自然の鳥は、我々の目にはこの鳥よりは、はるかに小さく見える。もう少し小さく、まわりに自然らしく見えるものがほしい。
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比良山 KTMR
比良山を浜大津あたりから見たところかな。快晴の中白い雪をかぶって、確かにきれいな風景だ。しかし、話がそこで止まってしまう。理由の一つは、カメラのほぼ後ろから来る光線。風景に立体感が出ない。とくに比良山という山がそういう性質を持っている。「比良」は湖東から見て「平」に見えるところからだという説があるぐらい。ドラマを作る意味で、手前に力のあるものを持ってきたかった。
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裸 木 KUC ★近江八幡市、長命寺の湖岸。夕焼けを撮りたかったのですが生憎の天気でした。
裸木となりて生きぬく大樹かな(徹)
◆前回の作品はかなり苦労して絵を作ったが、今回のは案外あっさりとやっつけた。というのは、水平線がものの見事に画面を上下に二分している。こういう水平線ものを無意識に撮ると、必ずこういう絵になる。
左奥の岬の黒が、手前の草むらと重なって、奥行き感を阻害している。撮影した条件が悪かったのだろう。手前の草むら、岬の黒が、はっきりと区別できるときでないと遠近感は出てこないだろう。
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