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>>> 2014・風景写真同好会作品一覧  <<<
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2014・全作品一覧


■ YMD-t

 森の匂い  

 三上山の麓近くかと思ったら、栗東自然観察の森だという。三上山の場合など、確かにカメラを向けたくなる。そして漠然と撮ってしまう。山田さんの場合、何を感じたのかはわからないが、たぶんの葉っぱの形と重なりの面白さだろう。とは思うのだが、なんとなくそれが狙いきれていないように思われる。


■ AOK

 伊崎の竿跳び  

 青木さん得意の昭和もの。30年8月1日撮影だという。60年前の貴重な写真である。新聞記事などで見る現在の様子は、たいがい湖側から見たもので、このようなアングルはほとんどない。だから、今こんなに船がたくさんいるのかどうか、私にはわからない。手前は狭い境内で、左右の動きが取れるのかどうか判らないが、もし可能なら、どちらかへ動いたほうが、さおが斜めになり見やすくなっただろう。といっても60年前の話、いまさらどうにもならないことだけれど。


■ KR

 アズレージョ  

 題の言葉について、まったく知識がなかったのでインターネットで調べてみた。アズレージョ(ポルトガル語azulejo)、とはポルトガル、スペインで生産される上薬をかけて焼かれたタイル、だという。道路に面した建物の壁に、このように掲げられている。これが1枚のタイルだとは思えないが、こういったものが至る所に掲げられているとか。 われわれ知らないものにとっては、ランプや人物を入れたことで、大きさが理解しやすくなっている。写真というものは、誰か相手に見せて意味が成り立つわけで、撮影した意図が相手に伝わらなければ意味がない。そういう意味では成功だった。


■ TJMR

 雨宿り  

 なんとまあーものすごい雨だ。暗いお堂をバックに雨脚を捕らえた。雨粒の1粒1粒が写っているではないかと思える写り方である。もし可能なら、右へ動いて石灯籠と滑車のついた?は省きたかった。この場合の「雨宿り」の題は弱い。雨そのものを主役にしたい。夕立、にわか雨など。階段に座り込む人物が見えるのは、雨が見えた後だから。全体としてもう少し暗く調整をしたい。


■ NGC

 よしきり何故鳴くの  

 これがあの「ギョギョッ、ギョギョッ」という鳴声の主か。声に似合わず、思ったよりはかわいらしい。例によってピントは見事。大きく開けた口が、いかにも大きな声で鳴いていること感じさす。口をあけていなかったら、面白さは半減しただろう。


■ INUE

 石仏  

 どこかで見たような記憶はあるが、どこか思い出せない。春の夕日(だと思うが)が斜めからさして、横一列の石仏に当たっている。いい光だ。いい条件がこうしてそろったのに、写真全体としては、もう一つ力が感じられない。「石仏がきれいに並んでいました」という、単純な作文写真に終わってしまっている。もっとどれかに肉薄したら、様子が変わっただろう。


■ ICK

 祭  

 題名には「祭○」と、祭以外にもう一文字あったが、どうにも判読不能。まあしかし要するに祭の写真だ。 おおきなみこしをかついで「さあ行くぞ」という本番前。その雑然とした雰囲気は伝わってくるが、つらいのは、それだけで終わってしまうしんどさかな。


■ IMGW

 雨のち晴れ  

 夕方、日没近くの虹らしい。主虹だけでなく副虹も出ている。虹は出たとこ勝負で、構図がどうのこうのといっていたのでは消えてしまう。今もおそらく虹を左へ置いてと考えたはずだが、そのためには、自分が左へ動く以外に手はない。カメラを右へ振れば虹は左へ動くだろうが、それだけでは三上山も左へ動いてしまう。結局その場で一番いい構図を考える以外に手はない。


■ MTOK

 目指すは何?  

 どこかの庭園の池らしい。そこを悠々と青サギが飛んでいる。確か、岸に止まっているなと思っていたら、すっと飛び立って目の前を通り過ぎたということだった。めったにないチャンスを一発でしとめたことになる。ちょっと近づくとすぐに逃げ出す敏感な鳥をうまく捕らえた。見事。


■ TNK-i

 夕立ち前  

 木の影が水面に写っているところらしいが、水面にまったく波がなく、正立像を上下逆にしたように写っている。水面に写った木の影、これだったら上下逆にして見ても同じではないかとの考え方も成り立つ。しかしあえてそうしなかったのは、夕立が近づく空模様を何らかの形で表現したい、そんな意味もあったのだろう。


■ TNK-y

 おどる  

 希望が丘での撮影会だったらしい。かなりの人数での踊りのようだが、そこをうまく切り取った。トリミング作品でないとしたら、長いめのレンズをうまく使っている。光の具合もいいし、ピンともきっちりきている。上品ないい写真に仕上がった。


■ KJM

 とまる  

 何かわからないが、黄色い坊主の頭にシオカラトンボが止まっている。ピンともそこそこ来ているし、バックも空かと思われるぐらいほとんど何も写っていない。トンボの生態写真としてならこういう撮り方も意味はあろうが、普通の写真としては、周囲の環境その他、もう少し情報があったほうがいいだろう。


■ MYT

 夏草  

 題は夏草と素っ気ないが、紫の可憐な花がやさしくとらえられている。草むらの中の花らしく、バックがややごちゃごちゃしているが、そこそこのボケの範囲内で、うまく抑えられたといえる。ピント合わせのポイントに右の花を使ったのだろう。これが画面の真正面に来ている。シャッターの時点でちょっとどちらかへずらしておくと解決する。


■ SRI-k

 赤目四十八滝  

 うす暗い空間に浮かび上がる水の流れを徹底的に流してやろうと思ったのなら、それはそれで一応の目的は果たしたことになる。現場でのイメージと結果が一致したかどうかが問題だけど。しかし、何も考えずに結果がこうなったというのなら、写真としてはちょっと暗かった。特にせっかくの岩肌だからもう少し見せてもよかっただろう。


■ MTNM

 日野祭りの子供  

 桟敷窓から子供が2人顔を出している。特に右側の子供、妙なサングラス(といえるのかどうか)をかけて、帽子をかぶって。その澄まし顔が何とも面白い。せっかくのチャンスにもったいないなと思うのは、2人の表情に何の関連もないこと。その状態になるまで粘るのも気が引けることだけど。


■ MBYS

 夏・トンボ  

 何かの茎にイトトンボが止まっている。ここ2,3回、同じことを書いているような気がするが、ピンとも来ているし、基本的にはしっかり撮れている。なのに出来上がりがもう一つ生きてこない。黒い茎とイトトンボはしっかりしている。後はそれらと重なるバックの処理、たとえば奥の葉っぱをつけた茎がトンボが止まっている茎と少し離れるとか、トンボの尻尾と交差しているつる?の処理とか、要するにバックの処理、それさえできたら生きてくる。


■ ATRS

 水辺の一輪  

 一幅の絵を見るような雰囲気がある。花全体にしっかりしたピントが来て、後はうまくぼけている。バックは水面なのか、霧がかかったように見える。この面の色が空を映すなりして、もう少し色がついていたら、さらに生きた写真になっただろう。


■ HYS

 狂宴  

 アジサイ、らしい。露出間ズームをしたらしい。そのこと自体はうまくいっている。しかしここでこの手法を使う意味がもう一つよくわからない。アジサイの花という静的なものに、何か動的な要素をということだろうが、風で揺れたとかならわかるが、なぜ露出間ズームなのか。策におぼれたような気がする。


■ MRKM

 アジサイ  

 アジサイの花の中心部をメインにまとめた。周囲の花に乱れがあり、こういうまとめ方になったのだろうが、珍しいまとめ方だ。小さい粒の手前のほうにしっかりピントが来ている。面白い狙いになりかかっているのに、そこでとまってしまうのは、光が一般的だからか。


■ SRI-t

 花の森  

 手前の花の群生を撮っていたら、遠くの道を白と赤のカサが通りがかったというところか。手前の花だけを狙った場合、こんな中途半端なアングルになるはずはないから、思わずカメラを上へ振ってしまったのだろう。赤と白のカサは、この大きさでは主役になれないから、カメラは下へ向けたまま、上の端のほうへ置けばよかった。今のままではすべてが中途半端に終わる。


■ YND

 宇賀渓五階滝  

 米田さんのメモに「F18,15分の1秒」とある。上のほうの水は止まり加減、下のほうはきれいに流れている。自然の摂理だけど、水の速さは落下距離が増すほど早くなることがわかる。流れの幅が広い単純な滝だけど、両側の岩に当たる光が荒々しさを照らし出して、強い写真になった。


■ OOT

 雨に打たれて  

 水面にスイレンか何かの花が浮いているところらしい。黒い葉の影のようなものとの関連が読み取れないが、水面に写った影のようでもある。これも露出間ズームの手法を使ったらしい。「雨に打たれて」ということだが、池の水面は静かだっただろう。それに物足りずにこの手法を使ったのだろうが、今ここでそれを使う意味がよくわからない。


■ NKMR-m

 木漏れ日  

 スプリンクラーから噴出する水が主役かと思ったら、「木漏れ日」だという。木漏れ日が水にも当たっているのは確かだが、なんとなく肩すかしを食った思いである。周りの状況が読み取れないが、たとえば水が飛んでくる位置に立ち、花に当たる部分を狙うとか、せっかくのチャンスなのに、狙いが平凡すぎた。


■ TRTN

 綱渡り  

 たぶん抜け殻だとは思うが、足1本でぶら下がっているのだろうか。ひょっとして後ろ足もひっかかっているのかもしれないが。ピントはきっちり来ている。バックはボケてはいるが、ちょっと煩雑すぎた。とはいえ、これは相手があること、自由に変えることもできないし、これ以上仕方がないことか。


■ SRI-c

 川辺の風景  

 京都伏見の濠川、どこかちょっと高いところに立っているらしいが、梅雨空をうまくはずして、絵を作った。普通なら空が入ってくる川筋にも、白壁の建物があって助かった。オリジナルが添付されていて、右端にコンクリートの建物がわずかに見える。それをカットした。結果オレンジ色の帽子が右ぎりぎりに来た。これが入るのと入らないのとではずいぶん違いがあるが、このぎりぎりが惜しかった。もうちょっと右へ回ることが可能なら、建物をはずし、人物を中へ入れることができた。


■ KDM

 新緑の水辺  

 新緑の・・・、確かにそのとおりだが、緑の色がもう一つぱっとせず、緑の葉っぱに白い粉が吹いたような色に仕上がった。緑の難しさだろう。その緑を通して向こうに日向で遊ぶ子供たちが見えるが、それがややオーバー気味。手前の暗さを考えると仕方がない・・・というより必然だけれど、せっかくの人物なのに生きてこなかった。


■ NMR

 有料花見席  

 こんなテントの下で金を払って花見をする人がいるのだろうか。それがまず驚き。しかしそれは写真とは関係ない話。写真としては、これらのテントの屋根が、足をはずしてじかに地面に並べられているように見える。何でそのような見え方をするか。手前4張の屋根と陰になった椅子の部分との間に向こうのグランドの地面が明るく見えること。それらの屋根の向こうに見える遠いテントの下が黒くつぶれて、グランドがほとんど見えないこと。言い換えたら、上からの光でとにかく屋根が強くなりすぎたということ。テントの下が暗くつぶれていなかったらずいぶん変わったと思うが。だからといってつぶさなかったら強い写真にはならないだろうし。


■ TJ

 小さな狩人  

 かえったばかりのカマキリ。非常に繊細な写真だ。アジサイのピンクの花びらと、ブルーの粒の部分、バックのグリーンの色の組み合わせがなんとも難しい。その濃い緑のバックに淡いグリーンのカマキリが入り込んできた。上から撮らなかったのは、ピンクとカマキリとの喧嘩を避ける意味だったのか。撮っているときにはそんなこと考えないとは思うけど。


■ YMMT

 蓮花薫風  

 広い風景である。薫風というには空が曇ってもう一つはっきりしないが。ワイドを使って広い風景としたのは、左の人物群と、右の三上山とを組合わす意図だったのだろう。それはそれで成り立っている。それに対して意図がはっきりしないのが地平線。ちょうど画面の真ん中で風景を上下に分けている。今の場合、曇り空で魅力はないから、地平線を上げて、ハス畑を奥まで持っていったほうがよかっただろう。もし空が晴れて青く生きていたら、カメラを下げて地平線を下へ持ってくる。





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