>>> 2014・風景写真同好会作品一覧 <<< |
|
2014・全作品一覧 |
のどかな秋 秋の雲が横に流れる。と思って山を見ると、何となく横に引き延ばされたように感じる。現場の別の写真があるわけではないので、断言はできないが何となくそんな感じがする。それも一つの表現方法だが、もしそれだとすると、のどかな秋よりは、「広い秋」のほうがぴったりするのだが。 |
光の色彩(いろどり) チョウトンボの羽が光を返す。その繊細な彩りを野口さんは大切にしている。いまもその彩りを狙ったのだろうが、今回はもう一つそれが生かされなかった。そこへ持ってきて、左下に見える蓮の葉っぱ?が白く無表情になった。それを除いたバックはうまくいっていたのに惜しかった。 |
光射す 窓際のカーテンに外からの光が射している。最初横位置の写真かと思った。裏面の題を見てタテだということが分かったが。もう少し室内の様子などが見えると話しがつながるが、このままではここで話しが止まってしまう。 |
月灯りコンサート どこか神社らしいところで、月明かりでコンサートが行われている。コンサートの形式は分からないが、どうやら右端の白装束の人物が司会というところらしい。コンサートが始まったときには月が高く昇ってしまっていた。ずいぶん苦労して撮った様子がうかがわれる。時間的にもう少し早く(月が低いときに)撮りたいところだったが、これはこれで月の高さが分かって面白いのかなとも考えられる。 |
チョウ アゲハチョウは見事に撮れている。ピントもしっかりしている。バックはニラの花らしい。道のふちなどでよく見かけるが、確かに群生という感じが強い。それが強いために蝶より先にニラの花が目に入る。蝶がそこにいたのだから仕方がないが、もうちょっと整理されていたら・・・。 |
彼岸花の棚田 この場所全体が棚田ということになるのだろうが、写真として目につくのは、馬蹄形の中央の棚田だ。その畦の近くにも彼岸花が点在しているのが見えるが、ここで目立っているのは手前斜めの一列。問題は両者の間。そこのところが曖昧だった。馬蹄形のふちのどれかで絵を作れなかったのか。 |
黒アゲハ? 道路なのか広場なのか分からないが、その片隅の花に黒アゲハが来た。チョウそのものにはピントもしかっり来ているし、しっかり撮れている。羽のぶれも動きがあっていい。バックとして強いのが盲人用の誘導板か。これが斜めに走って結構強い。周りがよく分からないが、これがはずせたらずいぶん変わっていただろう。 |
講義中 シラサギの1羽だけが学校の先生のようにみんなの方を向き、あとの残りは生徒のように先生の方を向いている。田中さんは偶然見つけた光景だろうが、偶然なのかいつもの形なのか。何度も通えば分かってくることだろう。それが分かってくると写真が変わる。湖北の姉川河口だという。 |
夏の午後 蓮の一輪を真横から狙った。バックをぼかして花を浮き上がらせた。基本的な手法は問題なし。問題はそこのところで止まってしまうこと。何かにつながると、表現が広がるのだが。右の白飛びはこのままではいけない。 |
灯明の造形 寺の境内に並べられた灯明。長いレンズを使って大きなうねりと灯明の重なりを表現した。やろうとしたことは分かるが、望遠レンズは材題(灯明とお堂)以外の物は写さない。この灯明がどこまで続いているか分からないが、遠くからワイドで写すと、うねりは写りにくいかも知れないが、周囲の参拝客や境内の広さが写る。もっと情報がたくさん伝わるのではないか。 |
真夏の猛練習 学校の片隅か。女子高生がホルンの猛練習、なんだけれども先に目に入るのが左の緑の葉と太い木の幹、女子高生はそのあとということになる。何故か、人物が木陰で練習をしている。考えてみれば当たり前の話しで、夏のさなかに炎天の下で練習するはずがない。だから木陰は仕方がない。その状態で人物を見せるには、アップするしか手はないだろう。 |
暑い日差し 暑いさなかに何かのイベントか。うちわをかざした女性の頬に落ちる細い影。健康そうな色つや。そこまでは文句なし。問題はうちわそのものの白飛び。しかし夏の日差しだから白飛びも許されよう。最後、どうにもならんのが、向こう側の人物の黒と白の浴衣。せめて手前の人物と同じ赤白だったら。 |
光 ガラス戸越しに家の中に入り込んだ強い光。ふだんあまり気にしないだけに、いったん気になり出すと新鮮に見える。場所が家の中だけに元々が暗い、そこへ外からの直射日光だからコントラストが強い。それをどう逃げるかがポイントになるのだが、実際は簡単にはいかない。なかなかこういうのは一発ではしとめられない。絶えず見続けていると、思わぬ情況が現れるかも知れない。 |
ススキと三上山 新庄大橋から野洲川右岸を川田大橋へ向かっているところ。左手に野洲川斎場の屋根などが見えるが、ススキを大きく入れることでうまく逃げた。いつの場合でもそうだが、三上山は遠くに見えて大きな変化はない。写真を生かすも殺すも前景の取り入れ方一つ。青い空の中でススキの穂が光るとできあがりということになるのだが。 |
船のある風景 場所はよく分からないが八幡堀か(あとで分かったが九州の柳川だった)。船に乗っているらしく、アングルが低くなった。これが効果を上げた。レンズが長めらしく、左の民家も右の岸もほとんど歪みなしに描写された。いまの場合それが落ち着いた雰囲気を醸し出している。緑の色調と橋の向こうの船がカメラが乗っている船を想起させて効いている。 |
コスモスといらか たまたまそこに瓦の三段屋根があり、手前にコスモスが咲いていた。ここに何で三段屋根かと考え出すと、訳が分からなくなる。要はそこに屋根があったから撮っただけのこと。組み合わせとしてはどちらがイニシャティブをとっているのだろう。 |
波濤 湖面に波が高い。周期的にやってくる大きな波が崩れて、波頭が夕日(朝日?)に赤く染まる。言ってみればそれだけのことではあるが、肉眼ではそこまでの色は見極められない、写真ならではの技である。写真の存在価値そこにありという作品である。 |
近江商人時代絵巻 不思議な写真である。日傘をかぶった女性が、大正末期から昭和初期の姿で、じっと立っている。何をしているでもない。川の向こうは塀、川には鯉が何匹か。イベントか何かの撮影会かとも思うが、ただ立っているだけでそこから何も出てこない、不思議な写真である。モデルも急に半世紀以上も後戻りさされて、とまどっていたのだろう。撮る方も難儀したのではないか。 |
静寂 なるほど「静寂」。このように滝の水を流した写真は、普段の滝とは何か違ったイメージになると感じていたが、それによって音が消えてしまうのかも知れない。水しぶきが上がったり、水が跳ねたりするとそこから音が生まれる。米田さん自身はどう感じていたか分からないが、時々使うこの題名は、以外とそんなところを感じ取っていたのかも知れない。 |
おいらのものさ! アブが花の蜜を吸っているところだけど、蜜を吸うパイプ(なんと言ったか)も足も想像以上に長い。なるほど花の奥までパイプを入れなければならないのだから。おそらく肉眼では見極められない写真ならではのことである。 |
にらめっこ 赤とんぼが木の先にとまっている。その頭部にピントがしっかり来ている。顔(どこまでが顔なのかよく分からないが)や背中に細かい木くずのような物が付着している。トンボの写真を見ていると時々こんな状態の物が出てくる。事情は分からないが、何となく人間に照らし合わせて生活に疲れたという感じがする。 |
古木と庭 庭の片隅らしい。これで手前の木の根本まで見え、その向こうの生け垣がなかったら、奥まで見通せることになり、庭の奥行きが出たはず。いまの場合、木の根本が見えず、生け垣が視界を妨げている。折角の庭が生きてこなかった。 |
棚田 「岡山県久米南町」と但し書きがある。要するに岡山県の山間の高台から棚田を見下ろしたところである。どのような撮り方をしてもよく似た景観と言うことになるだろう。絵に何となく力を感じられないが、構図の問題ではなく画面全体の色調の淡泊さによる。もう少ししっかり色を載せると画面に力が出てくるはず。 |
湖岸秋景色 遠くに竹生島が見えて、今津の湖岸あたりか。上にある木の枝が光を遮っているらしく、花の部分が暗くなっている。その奥は湖面だから明るくなる。その状態であえてここを狙ったのには、何か意味があったのか。そこところがもう一つ分かりにくい。 |
ホバーリング 青空の下で大きな鳥がホバリングをしているところらしい。鳥までの距離はかなりあるらしいが、羽の1枚1枚の模様まではっきり見える。ピントぎりぎりのところまでトリミングしたらしい。ピントと画質の最大公約数というところだったのだろう。鳥のフォームがしっかり見える。興味深い写真だ。 |
大船鉾辻回し 四条河原町での辻回しの様子らしい。記憶にある船鉾とはちょっと違う、山元さんのコメントによると150年ぶりに復活したとのこと。割った竹を敷いて水をぶっかけて・・・有名な手順だが、鉾を入れようとすると、辻回しの所作が小さくなり、それを重視すると鉾全体が見にくくなる。展覧会などでは、2枚組が考えられるところだ。 |
滝の彩り 「京都府宮津市・金引の滝」日本の滝100選に選ばれているのだとか。落差40m、幅20mというから、高さはもっとあるのだろう。いまの場合は幅20mをどうまとめるかということだが、ちょっと手を焼いた感がある。横に並べることによって、結果的に滝の見本市になってしまった。それと水の流し過ぎ。もう少し止まった部分を出した方が強くなるだろう。 |
祈・五穀豊穣 釜で煮立ったお湯に、あおい葉っぱを出し入れしてるらしい。振り飛ばされた滴が散っていく。煙が木の間もれの太陽に照らされて女官を包み、神秘的な雰囲気を作っている。どれぐらいの速さで手を振るのか分からないが、もう少し手を振り下ろしかけのところでもよかったか。葉っぱが体の前にあるぐらい。 |
主役 どこかわからないが、最近こういう形のイベントをよく見るようになった。一番前で大きく手を水平に開いて、私が主役。いいタイミングだ。惜しかったのは上からの光を拾って画面にフレアが入ったこと。こういう場合はレンズを手でカバーするのが一番の近道。でも起こってしまったことは仕方ない。仕上げの段階で調整したい。 |
一所懸命 どこか外国の街角。靴磨きがまさに一つ所に命をかける。磨かす方のりゅうとした身なり、これは分かる。磨く方も結構しゃきっとしている。立派な靴を履いて。こういう風景を見ると、私などはつい敗戦直後のいわゆるシューシャインボーイを思い出す。あの当時はこんなんじゃなかった。でもいつの時代も人間は一生懸命生きてきたんだ。 |
ページトップへ |