>>> 2013・風景写真同好会作品一覧 <<< |
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2013・全作品一覧 |
今日の始まり 白鬚神社の日の出。沖を船が通る。いいタイミングである。遠征写真としてはうまくいった。ここでの撮影として気をつけなければならないことはカメラの高さ。浜へ下りるか国道から撮るかで、写真ががらりと変わる。これは国道からの撮影で、絵としては水面が高くなる。鳥居が鈍重に写る。最悪の場合、鳥居の支柱の先端が水平線と重なる。浜へ下りると、すっくと高く写る。 |
かやぶきの里 美山のかやぶきの里のライトアップ。だいたいライトアップされた風景は誰が撮っても同じに写る。そんななかで同じに写らないタイミングがこの薄暮時。奥の杉林がほの暗く写っている。これも杉林だけでは絵にならない。今の場合青白く見える残雪、これがきいた。うまくいった。これがとっぷり暮れてしまうと真っ暗になり、誰か撮っても・・・ということになる。1日のうちでの限定された時間、それをうまく捉えた。 |
畑の風景 これはどうしたのかな。プリントは露出オーバーだった。原版はどういう状態か分からないが、少なくとも紙焼きは失敗。こうなると回復の可能性はない。 |
びわこに浮かぶ柳と白鳥 湖北の一つの定番。それを冬ならではのモノクローム調に仕上げた。白鳥が遊んでいるので、それを狙いたい気持ちは分かるが、ここからではちょっと小さく存在感は弱い。ここから白鳥という場合は、やはり手前を泳いでるときに、2,3本の木と組み合わせたアップしかしかたないだろう。 |
雪の朝 ツバキの葉か何かに雪がついた。そこをアップしたのだろうが、それが人物像に見えるから面白い。カルテを見る医師に見えたり、シューベルトの胸像に見えたり。要するに中央の葉が顔に見え、雪が頭に見えるわけ。何もかも擬人化してみればいいと言うわけではないが、たまにはこういう遊びも面白いだろう。となると「雪の差」というタイトルがそのままでいいのかという話しにつながるが。 |
早 春 春は光から。まさにその例である。木には葉がなく裸ののままだが、水面の光は春。その光を左へ寄せて、春はなのみを表現した。この光が真ん中にあればこの表情が出たかどうか。水の色はまだつめたい。 |
股のぞき 縦か横か迷ったが、裏の文字は横向きだった。題を見ると「股のぞき」。なるほど、本来正しく股のぞきをすると上下逆向きになるはずだが、それでは写真をひっくり返すだけで面白くもおかしくもない。そこで考えた。股のぞきの不安定さ。実際に股のぞきをしてカメラを水平に保持できる人はいないだろう。その不安定さをカメラの傾きで表現した。面白い発想である。 |
雪の棚田 民家の間から見た棚田。カメラ自体もどこか高いところに立っている。そこから見る奥の棚田は蔵の屋根に並ぶ。この斜面を開いた先人の苦労が忍ばれる。そして今、それを維持していく苦労が。遠く杉の木越の雪の斜面が地形の険しさを表現している。 |
静 寂 大きく開いた紅葉の空間に、本堂の屋根をどーんと持ってきた。それが逆光に光る。写真の常識をひっくり返した見事な手である。そのために周りの空間は暗く沈む。わずかに明るく見える左下に3人の人物を入れた。この人物、ここ以外にはどこに置いても見えなかったはずである。大胆な構図がモノを言った。 |
ごちそうさん メジロがえさをあさっている。何の実かは分からないが食い放題。幸せ一杯と言うところ。鳥には天国だけど、撮る方からすると難しい条件だった。丸い目玉とくわえたえさ、これもまん丸で言うことなし。背中からの光もそこそこ。鳥に関しては問題なしだけど、写真としては、雑然として周囲の情景が、鳥そのものを見えにくくした。なんとまあ皮肉な現象である。 |
雪解け 公園の橋に雪解け水がたまっている。言ってみればたったそれだけの写真である。木製のはずだから、隙間から落ちて流れるはずだが、なんとまあ細工が精密なのか水も漏れない。丁寧な仕事も場所によっては善し悪しである。歩きにくそうにつま先立ちで渡っていく人物の足下がほしい。 |
ロウバイ ロウバイの木てこんなに大きくなるのか。カメラの高さがもう一つよく分からないが、まあ常識的な高さだろう。そこから仰ぎ見ているのだから、結構な高さのはず。どれか1本の枝に肉薄して、アップしてもよかったか。 |
鐘の音 釣り鐘を縦に割って撞木の一部と組み合わせた。鐘の音を表現する最小限の組み合わせと言うところ。ただ、この組み合わせのバックとして、色づいた葉っぱが最適だったかどうか。そこへ行ったときがその季節だったということだろうが。撞木に多少のぶれがほしかった。 |
冬枯れ 雪原に枯れアシを配した単純な構図。手前にごくわずかの立ち枯れがあり、その奥にいくつかの群生が見える。その組み合わせで遠近感を作るという、いわば省エネ作図。奥に一軒の民家があって引き締め役になっているわけだが、その屋根と木のない斜面とが重なった。屋根が黒バックだともっと生きた。自分が動けば両者はコントロールできるが、手前のアシも動く。この2次方程式をどう解くか。 |
晩秋のたのしみ 不思議な写真である。晩秋というのに、落ち葉(だと思うが)は新緑。初夏の間違いじゃないかとよく見ると、2人の女性はコートを着ている。「晩秋のたのしみ」と言うから、何かをやっているのだろうが、どうみても所作不明で、ちょっと見には銅像のようにも見える。と、ここで思考が止まってしまう。 |
秋なごり 題からすると秋の花が残っていると言うことだろう。確かに半分枯れかけてそのイメージは強い。バックもうまくぼけて、白い丸ぼけで表現されている。問題は花の上に横たわる枝。少し斜めになってくれると形が付くのだが。 |
雪残り風景 新庄大橋から見た雪の野洲川風景。といいながら川原を多う一面のヨシで、ほとんど雪が見えなくなっている。これが砂州だったら、一面が白くなり、水際だけが黒い線で描かれるという絵画的な風景になったはず。といっても、これは見る立場からすればどうしようもない。ここからいかにして風景を引き出すかと言うことだけど・・・、ちょっと正直に行きすぎたか。 |
冬ごもりの瞬(とき) ここはどこだろう。但し書きには、「野田沼内湖」とある。知らんのはお前だけやといわれそうだけど。確かにきれいな風景ではある。現場に立ってここを見たら気持ちのいい風景だろう。でも写真としては、この横一線の岸辺と木立が奥行きをストップさせ、意外と情報量の少ない風景になる。 |
永久の美 ちょっとした雪が降ったらしい。金閣寺のいちばん美しい条件かも知れない。人工的な風景の最たるモノだけど、一つのパターンができてしまっている。それを繰り返し撮ることの難しさだろう。屋根の鳳凰をしっかり写し止めたいが、山の高さなどから何とも難しそうだ。 |
ひとり旅 なるほど一人旅だろうけど、画面の大半は林で、紅葉して散り始めている。そこはかとないわびしさは感じるものの取り立てて云々するほどのモノでもない。それよりも奥に続く小径を材料に絵を作り直した方が、話が早かったのではないか。 |
湖畔の入り日 大きなしっかりした木があって、湖岸にあずま屋が見える。木の枝と東屋をしっかり組み合わせるのが最初の作業だと思うが、今の場合、それが不完全だった。いわば木に圧倒されて無視された感じ。ましてや入り日はもっと蚊帳の外。題そのものが無理だった。湖畔の入り日とするのなら、せいぜいがあずま屋から。木ははずさなければならないだろう。 |
飛び立ち 白鳥が飛び立つところ。先発の鳥がいると見えて、水を蹴ったあとのしぶきが見える。顔の部分に黄色が見えるから、カラー写真ではないはずだが、一見モノクロームに見える。手前のカモなどがシルエットになって真っ黒なのも白鳥の引き立て役として面白い。 |
暮れゆく 冬枯れのころ、山あいから射す光に池畔の一部が照らされる。そこに一羽のシラサギ。静かな風景である。岸辺から下は水面からの反射で絵ができている。それに対して上の小山は結構荒れている。去年の大雨での被害かと思うが、その荒れた状態をそのまま正直に出す必要があったかどうか。横たわっている木の幹から上をカットするとだいぶイメージが変わる。 |
冬の朝 どこかの滝のように見えるが、よく見ると人工的な構造物があり、川の落差工らしい。水面から立ち上った霧が漂う。そんなところでシラサギが羽を広げた。おそらく昼間に見たら、およそ情緒を感じないところらしいが、それをうまく霧で隠しながら一つの風景に仕上げた。右端の枯れ草の日だまりも生きている。 |
昇 陽 水平に広い風景の中で朝日が昇る。前日の雪で湿った道が赤く光る。頭首工の構造物が印象的。静かな朝である。冬の朝を描いて十分絵になっていることは確かである。しかしまた、どことなく物足りないのも事実。この道を犬でもつれて散歩する人か。 |
ものおもい 一見広い川に見えるが、鳥の大きさを考えると細い川かも知れない。その岸辺に1羽のカワセミ。いつも素早く動いている鳥で、このように止まっているところ自体が珍しい。松岡さんはそれを物思いにふけると見た。なるほど。向こう岸に立つ電柱の影が、そのままでは苦しかったが、川の波で形が崩れたのがラッキーだった。 |
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