>>> 2013・風景写真同好会作品一覧 <<< |
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2013・全作品一覧 |
雲海 最近とみに有名になってきた小入谷の雲海。雲海といえば北アルプス燕岳から見る安曇野。左右180度に広がった雲の海から太陽が昇るという豪快な景観だが、こちらは写真に見るように狭い谷間にできる。これはこれでまた情緒的なものだろう。手前にススキをあしらって、日が当たりだしたところが鴇色に変わりかけている。 |
線 杉の木のむこうは茶畑か。「線」という題はこれらの直線の交差を意味するのだろう。とするとその手前に出てくる葉をつけた枝は何か。主役の線を邪魔している。完全な縦横だけで絵になるかどうか。これはやってみなければ分からないが、たぶん単純なものになろう。そこで手前の枝の出番が回ってくる。ただし、せいぜい半分止まりだろう。 |
光彩 何かの花をセンターフォーカスで狙った。花びらだと思うが、薄い波状の線のがしっかりしたピントで捉えられ、それがこの写真のポイントになっている。このフィルターは絞りの具合で効き方が変わると聞くが、今の場合は的確だった。 |
落ち葉の響 落ち葉はともかくとして、「響き」の解釈が難しい。まさか現実的な音響ではないだろうし、葉の重なりぐらいを意味するのか。最初見たときは葉が水に浮いているように見え、次に見たときには、右のぼけが幹に見え、現実的に枝についた葉っぱのように見えた。今見直すとやっぱり水に浮いているようだ。落ち葉が水に浮いて再び響き合っているという意味か。 |
秋色 紅葉と灯籠を組み合わせた。構図としては右上の緑の葉っぱのてかりが若干気にはなるが、細かいことを言わなければ全体としては十分成り立つ条件である。問題は撮影時刻。灯籠はカメラから見て、左右2面が見えているが、たまたまこのときは左右ともに同じ明るさになっていた。これが明暗差があるときに撮れば、別の写真になっていたはず。 |
昇竜の秋 箱庭でも見るように、杉の木群を取り巻いて、紅葉の線が半円を描く。これはどんな状況なのだろう。杉の木のところが池かダムなら、何となく分からなくもないないが。こういう場所にこのタイミングで立てたことの勝利。 |
紅葉と灯籠 石灯籠と紅葉との組み合わせ。たまたまこれは灯籠が影になっておりシルエットとして表現された。これはこれで面白い。問題は紅葉の奥の何本かの杉の木。これが光を受けて飛びかげんになっている。これをカットするとかなり絵の表情が変わる。ただしそれをやると、画面全体と灯籠とのバランスが変わる(灯籠が大きくなる)から、はじめからその意図で撮影しておきたい。 |
ずっと向こうまで 面白いところを発見した。鏡の累反射(2枚平行な鏡の中にはいると、写った物がまた写ることになり、写る像がだんだん小さくなっていく)をみるような。一番奥の灯籠に蝋燭で灯をともす。それが目立つ明るさの時に、それを狙う。一番手前の灯籠との距離がどれだけ確保できるかによるが(望遠になるほど、蝋燭の明かりは大きくなる)、面白い写真になるだろう。 |
秋 紅葉の下に割木を積んで早くも冬支度。紅葉に対してもそうだけど、特に割木に対する光がいい。絵としては割木が中途半端に感じられる。下の地面がどのような状況かわからないが、作業場などであったら、それを見せた方が冬支度の意図が明確になっただろう。 |
常楽寺の秋 1何となく絵全体に豪快さが感じられる。太い柱のせいだろうか。普通こういう場合、建物はほとんど影になり、紅葉が浮き上がる条件の場合が多い。これは逆手を行ったわけで、その点紅葉の浮き上がりは弱い。今の場合は建物あっての構図だと考えられるから、下部までしっかり見せた方が意図がはっきりしたのではないか。このままでは建物か紅葉かどっちやねんと言うことになりかねない。 |
黄葉 光の状況がはっきりしないが、カメラから見て右上から来ているらしい。密集した葉っぱが黄色く色づいている。それを面として捉え、細い枝でまとめた。これだけの葉っぱで、枝がほとんど隠れずに見えているのもまた珍しい。面白いねらいである。 |
もりのくまさん 紅葉がほとんど散り終えた晩秋の日曜日という感じ。屋外のテラスでくつろぐ人たち。それを遠景として捉えた。この絵のポイントは手前の長い影だろう。たぶん木の陰だろうと思うが、これがあるからこそ、暮れるに早い秋の午後を感じさせる。 |
一心不乱 「一心不乱」、最近余り聞かなくなった言葉だけど、この人たちの仕事ぶりからこの言葉を感じたのだろう。赤煉瓦の塀か建物かが見えたりしてちょっと特別な場所らしい。公園のようにも見えるが、そこで作業をする人たち、そう言えば手を休めている人はいない。しんどかったのは、これ以上踏み込めなかったこと。結局は第三者のスナップで終わってしまう。 |
朝の光 いい光だ。ほとんど完全な逆光気味の光が落ち葉を照らす。葉を落とし尽くした裸の木が初冬を思わす。朝靄の中に細い枝先がきらきら光る。朝の情景をうまく捉えている。右に見える竹組み。何か分からないが、この場の雰囲気に生きている。 |
錦秋を行く 赤と黄に色分けられた木々、その中の小径を行く2人。タイトルからして、この人物を意識しての撮影である。こういう場合、誰しも考えることは、これらの人物をどれぐらいの大きさで捉えるかと言うこと。今の場合、紅葉が主で人物は従という割り切り方である。でありながら「行く」という。この場合、カメラをちょっと下に振り、手前から続いているであろう道を入れれば、すべて解決することになる。 |
石庭の秋 右に大きな岩を置いた。石の階段があって、紅葉の枝が見えている。その向こうにたぶん南無阿弥陀仏と刻まれているのであろう碑が建っている。庭園の写真としては一応のまとまりは見せている。あと、考えてほしいこと。まず画面全体の色調。もう少し暗い方が落ち着く。右の大きな岩の株を地面まで見せる。その方が絵が落ち着く。 |
秋色 見事な落ち葉の中を踏み石が続いている。たぶん正方形だろうが、写真としては菱形に見える。そこまではそれでよい。しかしそれだけでは平面的で絵にならない。で、左上に見える屋根の先端。今のままだと中途半端。思い切ってもっと大きく入れるほうがよい。どのような入り方になるかの問題は残るが。 |
色づくころ 大胆な構図である。紅葉を面として捉えてその下に鳥居の左上を持ってきた。鳥居という構造物は、写真としてはやっかいな物。正面から見た全体を入れると何とも落ち着かない。今の場合左上4分の1だけを持ってきて、うまくまとめた。ほとんどシルエットに近いが、光が当たる面には木の影が走る。日本の秋の静かさをうまく捉えている |
祈り そのときそのときにはしかるべき場所で大切にされていたであろう地蔵さん。時を経て今は無造作に集められ、半ば放置された状態。盛りを過ぎた紅葉と組み合わせて、そこはかとない哀れさを感じさせる。写真としては、石仏群にもう少ししゃきっとしたコントラストを持たせたかった。 |
秋彩 大きな銀杏の黄葉を見上げたところ。周りの木々が邪魔をするのか、肝心の銀杏の木のが遠慮気味なのか惜しい。今のままだと面積的には青空がメインになってしまっている。せっかくの大銀杏がもったいなかった。 |
紅葉 題からすると紅葉が主役と言うことだが、絵としては手前に何本かの太い幹が立ち並び、紅葉は遠慮してしまっている。場合によっては太い木を手前に置くこともあるが、今の場合で言えば中央のY字形の黄のような物なら形になる。紅葉の写真としては、最初の構成が無理だった。 |
観覧席 下のベンチを観覧席に仕立てたわけだが、それはいい。問題は上半分の肝心の紅葉の部分。太い直線的な幹が斜めに走っている。これが強すぎて、絵がまとまらない。右から出てきている黄色の枝と交わるあたりで、上をカットするとまだ何とか辛抱できるが、それではベンチが大きくなりすぎるし。このままではちょっとしんどかった。 |
歩け歩けストックウォーク 希望が丘を行くウォーキンググループ。ストックウォークということだが、写真でそれがもう一つはっきりしない。目で見たときには人の動きが見える。その記憶があるから、撮影者にはその印象は強い。しかし、残念ながら写真では動きが表現できない。グループの中の一員だと、ストックを持った人物をアップすることができるが、第三者ではそれができない。そこがこういう写真のつらいところ。 |
錦秋の影 境界の片隅らしい。外からの光がステンドグラスの影を床に落としている。写真のタイトルはこれを意味しているらしいが、こういう色彩を「錦秋」といえるかどうか。タイトルはともかくとして、写真としては、ワイドでこの影に肉薄して、それを主役にした方が面白かっただろう。 |
乱舞 コスモスの花が揺れる。「乱舞」というタイトルは、いかにも蝶が舞うように揺れる花という意味だろう。実際にどこまで揺れていたか分からないが、中央の紅い大きな花を標的にしたことは一目瞭然、それがど真ん中に来た。ピント合わせのあと、もう一度構図を作り直した方がよい。 |
魚獲りに励む川蝉 川蝉クンただいま急上昇中。水から飛び出してきたらしく、しぶきが飛び散る。何もくわえてないところを見ると失敗したらしい。でも枝にとまるまでは必死だ。力の限り振り下ろそうとしている羽がそのときの緊迫感を示している。「ああー、徒労だった」という気のゆるみはこのあと枝にとまってからだろう。木の枝がいい。これがなかったら殺風景だった。 |
彩 モミジの葉っぱが光を受けて輝いている、のだが枝か幹か分からないが、そこに影を落としている。この場合それが結構アクセントになっている。撮影時に意識してのことかどうか分からないが、賛否分かれるところだろう。あれば邪魔なような気もするし、なければただのモミジの写真にとどまるし。 |
静かな秋 きれいな前掛けをつけた地蔵さんが木陰に並んでいる。それを目で見たより暗く表現した。奥に見える明るい黄葉との関係で、行きがかり上こうなってしまったのだろうが、これは「秋」の写真ではなくて、やっぱり「石仏」の写真だろう。必要以上に暗くなったのがまずかった。 |
あっち向いてホイ これはどういうことかな。バッグは地面に置いてあるような、そうでないような。その上に乗ったワンちゃんが2匹。カメラが近づいているのに、知らん顔をして横を向いて。その不思議さがこの写真のおもしろさ。細かいことを言うと、左の犬の頭と遠くのぼけが重なったこと。これが惜しかった。それと右の犬の下のかき氷のような白ぬけ。 |
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