>>> 2013・風景写真同好会作品一覧 <<< |
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2013・全作品一覧 |
夕暮れ時 快晴の日の夕暮れ時、太陽がまさに落ちなんとするところ。光が水平に走る。珍しいタイミングである。家庭菜園で農作業をする女性。バックのとんがり富士も併せて、絶好のチャンスだったが、惜しいかなここでは水平の光が災いした。畑の下半分が黒くつぶれたのがしんどかった。 |
かざぐるま なるほど、半分枯れたシダの葉っぱが水にたれているところだけど、それが2つ並んだところがおもしろい。さして大きな物ではないから、うっかりすれば見逃してしまう。こんなところをうまく探したものだ。プリントの色調がもう一つさえないのが惜しかった。 |
夕暮れの漁港 夕日がまさに沈もうとするところ。このように快晴の日に太陽が沈むときは、太陽の大きさ、逆にいえばどこまで沈んだかが勝負になる。大きいとその周辺が飛びすぎるし、小さいと風景全体が暗くなってしまう。その点今の場合は、若干大きすぎたかとは思うが、それによって船の側面などがうまく照らされた。港の風景は防波堤で苦労するが、遠景の稜線と重ねてうまく逃げた。 |
秋の空へ 秋の空へ向かって秋桜が伸びてゆく。夕方なのか、それとも一時的に影になったのか、コスモスが部分的に影になったのが気になる。ひょっとしたら、その状態を狙ったのかも知れないが。バックは屋根の一部だろうか。花となじみにくかった。 |
白秋桜 白い花らしいが、それを紫がかったブルーの光の中で捉えた、それも背後から。勇気がいる狙いである。金属質の花びらの表現、どういう状況でこの光が得られたのか、自然の光の中で、この状態が得られたとは思えないが・・・。いずれにしても力強い作品である。 |
紅くそまる 栂池だとか。「紅く」というよりは茶色といった方がぴんと来る。右上のガスがかかっている部分は新雪のようにも見える。もう晩秋の気配である。ひょっとしたら昨年の撮影かもしれない。ただ、そのように感じるのは、プリントがやや暗いことによるのかも知れない。 |
蜜を求めて ヒマワリの花にハチがやってきた。花の手前でホバリングしているのか、止まっているのか分からないが、羽がこのように写るのはきわめて珍しい。いずれにしてもこれもじっとしている物ではない。花のアップを狙っているところへハチがやってきたというところだろうが、それにしても難しいアップがうまくいった。 |
花と蝶 アオスジアゲハがコスモスにやってきた。その横にはモンキチョウ。どちらが先に来たのかは分からないが、やっぱり両方気になる。結果、どうしてもこういう絵になる。やっぱり無理だ、両方を追うことは。よく見ればアゲハはまさに花にとまろうとしているところ。見事なシャッターチャンスである。それがモンキチョウに食われてしまって生きてこない。惜しかった。 |
運動会 お孫さんのレースかも知れないが、何とも不思議な気がする。運動会といえば観客席に人がおり、後ろに次のレースの選手が並んでいそうなものなのに、これはたった3人だけ。山の分教場でももうちょっと人がいるだろうに。望遠レンズでここだけを切り取ったのだろうが、見事なピントである。来年はバックの絵作り。 |
裏通り ヨーロッパの路地裏。といっても左カーブの先が開いているらしく閉塞感はない。暗い路地裏では、そこに人物がいても目立たないことが多いが、ここは別。妹を連れた兄ちゃんだろうか、自転車のシルエットが効いている。 |
散歩道 画面全体にフレアーが入って、いってみれば写真としては失敗作だが、あえてそれを作品とした。計算したのかどうかは分からないが、いちばん強いフレアーの中に人物を置いた。それはいい、のだがその上に木が立っていて、その組合わせが妙な感じになった。 |
稲渕の棚田 まるで古代ローマの円形競技場のような、きれいな曲線を描く棚田。その斜面に群生する彼岸花。低いアングルで捉えた。当然周囲の風物はその上に出てくる。そこにあったから入れたのだろうが、今の場合真ん中のこぶと棚田が食い合いをする。こぶの上半分でも隠すと少し様子が変わる。 |
滴の中の風景 大きな釣り針に泡がついているように見えるが、実際は何かの細いつるに水滴がついているのだという。尖った槍ヶ岳のようなぼけは葉っぱだろう。ということだが、さーて、これを見たとき何が見えてくるのだろう。そこのところが分からない。 |
天高く 花をぼかしてつぼみだけを空に浮かせた。当然空の白雲もぼけている。左側の茎が微妙にカーブして光を受けた線がきいている。フォトポエムというところである。小さく額装して、部屋のアクセサリーにすれば生きるだろうが、それ以上の力となるとしんどいところである。 |
爺ちゃんの秋 これだけ正面から堂々と撮れたということは、それなりのコンタクトがとれているということだろう。撮る方はそれで楽に撮れるわけだが、こんどはコンタクトなるが故のぎこちなさというのか。舗装された桜並木をこうしてクルマを押して歩くこと自体不思議な風景だが、どこかぎこちなさが感じられる。意地悪だけど、後ろからクルマが来たときの自然の表情など・・・。 |
蜜を求めて コスモスの花にハチがやってきた。ホバリングしているところかも知れないが、ハチ全体がきっちり止まっている。ピントもぴしゃり、毛の1本1本まできっちり見える。この種のハチの羽の振動数は高いらしく、透明であることも手伝って、なかなか写真に写らないものだが、この場合は、片方だけだがきっちり写った。何枚のうちの1枚か分からないが、見事。 |
木陰の女 どこかの公園らしい。見たときは、脚立と女性の関係が分からなかったが、よく見ると撮影の準備中らしい。脚立に乗ってコスモスの撮影をというところだろう。手前、斜めに並んだコスモスの列が奥ゆかしく、日本離れした爽やかな風景を見る思いである。 |
早朝 十六夜の残月 満月は日没とほぼ同時に昇るが、一日遅れの十六夜の月は、日没より約1時間弱遅れて昇る。従って翌朝は日の出のあとまだ沈まずに残っている。朝起きは三文の徳、夕方とは趣の違う月を見ることができる。 |
曼珠沙華 思いかなわぬ夢ならば、なぜに咲いたぞ乙女の胸に・・・。昔ありましたな「恋の曼珠沙華」。と思って見たのだけれど、そんなムードではなさそうだ。これは昔、木が1本生えていて、小屋があって、・・・というところへ竹藪が進出してきたのか。手前の竹の左下、細い竹の枝のごちゃごちゃしたところを入れた(切らなかった)理由をいろいろと考えているのだが、そこのところがはっきり分からない。 |
朝 光 ボートといえばいいのか、船といえばいいのか。それらが2艘、几帳面に並べられている。右上が明るく左下が暗い空の様子を受けて、確かに光は感じられる。でもこれで「朝光」という題とはどこか結びつかない。光を題にするには、やはり画面に光源(今の場合なら太陽)がほしい。この場合だと、たとえば「静寂」、「朝のしじま」など。 |
光を浴びて 手前に花があって、その向こうに川が流れている。花の上の光はその川面が太陽の光を受けてきらきら反射しているという説明だった。たしか同じ状況下で撮られた写真が何枚かあり、それがわずかな水面の変化で色が変わる。それを見比べるおもしろさがあったが、その中から1枚が出てきた。こうなってしまうと強い光の白飛びが何ともしんどい。せっかくの工夫が生きてこなかった。残念。 |
蝶々 アゲハチョウは彼岸花を好むようだ。この組み合わせはよく見る。花も蝶も大ぶりで派手に見える。いくつか固まって咲いているところで、1本離れて咲いている。そこヘチョウがやってきたという場面。バックは川だろうか。左下の草が整理されていたらいい写真だった。 |
旅の思い出 シンガポールだとか。向こうに市街地が見えて、手前が屋上プールらしい。泳いでいる人影が2人見える。そのプールに柵が見えない。向こう側へ流れ落ちてるのだろうか。上に小さく月が見える。小さいとはいえそれが目立つ。提出されたプリントの外枠にデータが打ち込まれている。撮影時刻が07.54とある。さてこれは朝か夕方か。それによって月の動きが変わる。 |
お花はいかが? 東京・浅草寺のホオズキ市だとか。きれいな女性が片手で鉢を持ち上げているところ。にこやかな笑顔がいい。買い手がそこにいて、二人のやりとりが手の表情などに出ていたら、もっと生き生きとした写真になっただろう。それが面と向かって難しかったら、買い手の背中越しという手もあった。 |
障害物レース ヒマワリの花の中をアリが2匹えっちらおっちら。それを障害物競走にたとえた。なるほど。鳥などに比べてその動きは遅いとはいえ、じっとしているわけではない。ここまでアップで追うには根気がいったはず。色調も明快で気持ちがいい。 |
青サギ 青サギが着地するところらしい。しっかり見ると羽を広げてブレーキをかけているところが分かるのだが、一見したところではそれが直ぐに読みとれないのが苦しい。動いている物を止めて見る。これが写真の特徴だけど、それがことと場合のよっては、物の見方を難しくする。 |
蜜を求めて アゲハチョウが蜜をすっているところをぴしゃりと捉えた。花の後部がわずかにぶれているところなど、動きも見られる。画面全体で見るとちょうど対称的な位置にピンクのぼけが見える。大きさもチョウに匹敵する。花の右の小さなぼけがこの組み合わせを救った。これがなかったら、チョウとぼけが妙なことになっていた。 |
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