盛りを過ぎた紅葉の庭園にたぬきが1匹。当然、「僕の・・・」というのはそのことだろう。庭園としては見せ場がなくなって、次の手として持ち出したことだろうけれど、撮影の時点で、たぬきを主体にという意識があったかどうか。その意識のあいまいさが画面に出た。