>>> 2011・風景写真同好会作品一覧 <<< |
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2011・全作品一覧 |
狙っている アゲハを狙うカマキリ。「カマキリは花の下に隠れて、上のアゲハを狙っています。危ないッ!」、童話の一シーンを見るような写真だ。凄いな、この後どうなるのか。これでぱくっと行くのかなー。童話の続きを聞きたくなる。写真としては肝心の花が飛びかげんなのがしんどかった。 |
擬 顔の奥の小さな2つの点。これが見事に利いている。角を伸ばしたオランウータンかゴリラか、と一生懸命考えていたら、90度時計回りに回したのが正位置だという。これはマイッタ。こういう遊びも写真の楽しみの一つ。それにしての2つの点の効果。これがなかったら、遊びにもならない。 |
無 ひな壇に並んだ地蔵さん。みんなそろいの前掛けだが、中央のキャプテンだけが大きいものをつけてもらって。市木さんが意識したかどうかは分からないが、中央の大将を中心にして対称形の絵になっている。ここまで来たのだから、さらに徹底したらどうだろう。1段目と2段目の中心線を合わし、まん中のローソク立ても中心におく |
本番前 大きな太鼓の上に人形が座っている、それにしてもジュースか何かを飲んでいる所など出来すぎているなと思ったら、どうも本物の人間らしい。「本番前」というのだから、何かのイベントの前というところだろう。写真としては太鼓の大きさを如何に見る人に伝えるかということだから、これはこれでOK。あと少し左による手もある。 |
清 涼 見事な滝だ。滝の水をどこまで流して、どこを止めるか。いちばん難しいところだが、滝全体を撮るとしたら、適度なところといえるだろう。天気の様子が分からないが、光が弱かったのか、全体がどーんとして、生気に乏しいのがしんどいところ。 |
あと少し ミホミュージアムのトンネルの出口らしい。一部だけを見せて、トンネルを表現したのはよかった。シルエットが3対1に分かれたのもうまくいった(2対2では落ちつかない)。花には少し早かったのか、前の風景が盛り上がりに欠けるのが残念。 |
酷暑の日 「酷暑の日」という。自分の感覚でのネーミングかと思うが、見たところは写真からは暑さは感じられない。むしろ薄いブルーが涼しさを感じさせる。絵としては左3本のユリの茎が等間隔だったのが、結果的に単調さを感じさす結果になった。 |
ポピー 重力を忘れさすようにひょろひょろと伸びた茎。それに浮いたような花。いくつかあるなかでひときわ目立つ花を主役に仕立てた。しっかりした絵になっている。ピントも主役にピシャリ。後のぼけもうまくいった。楽しい写真だ。 |
野 花 中村さんがこんな少女趣味の写真を撮るのか。いまのギャルはこんな写真は撮らないだろうから、代わりにオジサンが撮ってやるということかも知れないが。左の主役が、あとほんのわずか右へよれば安定したか。しかしそれをやるとよけい少女趣味になるか。 |
記憶の中の風景 蔵か、家か。懐かしい赤土、板壁。赤いヒサシが何ともいえずにいい。立て掛けられた竹の束。2本が傾いて止まっている。まっすぐ立っていたものが滑ったのか、それともはじめから誰かがそのように置いたのか。いろんなことを考えさす。左に見える茅葺きの母家も懐かしい。 |
水しぶき 確かに水しぶきは見える。よく見ると左上の暗い部分にもその線が見える。しかし、それよりも奥の花?のほうが印象が強い。 |
道 端 道路公団が喜びそうな題だが、「道端」で切って捨てるには、ユリがかわいそうだ。上からの光で白ユリが清楚に見える。バックの暗さがこの場合は利いた。問題は2つの花の大きさ。カメラ位置が2つから全くの等距離になった。結果2つは同じ大きさに。レンズを短めにして、どちらかに近づくと大小関係が生じる。(望遠では多少動いても差は出ない)。 |
メール中 花火の写真だと思って題名を見たら・・、「メール中」?。確かに手前に人物はいる。しかし、これで「メール中」は無理だ。花火の最中にも携帯を手放せない世相を揶揄したのかも知れないが、それだったら、花火は見せずに水面の反映だけに押さえて、機械のディスプレーを見せる。 |
明かり 竹の中の明かり。この表現はうまくいった。文句なし。問題はこれ1個がドーンと大きく来たこと。大きなことはそれはそれで文句をつけることではないのだが、これに付随してあと2つ、3つ。場合によってはずーと続く光の列、これがほしかった。 |
盛 衰 ちょっとこった題がついた。淡い色彩のハスの花と実。なるほど盛衰だろうけれど、別の題をつけることが難しかったかな。画面全体がややオーバー気味のハイキートーン、ひょっとしたらプラス補正をしたのかも知れない。淡い空とあいまってこの色調は成功した。 |
光の中に たしか旗竿の先端とかいうことだった。まあ要するにカーブミラーの中の風景と同じ発想だ。一つの方向を向いてものを見て、同時に反対側の世界も見せる。カーブミラー写真は、それがうまくいって初めて意味をなすわけ。いまの場合は、カメラが直接見ているのは幕か何かの単なるバックでしかない。せっかくのポイントがはずれてしまった感じ。 |
誘われて 大きなヒマワリにアゲハチョウ。単純明快である。瞬間のフレーミングとしたら見事。仮にトリミングだとしても、出来た絵はOK。花全体を見せなかったのが成功した。ゆっくりとまらない蝶をここまでアップできたのは、ラッキーも手伝ってのことかとも思うが。 |
ツユクサ ツユクサのアップ。室内か屋外か分からないが、柔らかい落ち着いた光で、花も葉も非常に素直な色に表現できた。これがまず第一。花にしっかりとしたピントが来て、茎や葉はうまくぼけた。このポイント処理も見事。素直ないい写真だ。 |
木漏れ日 よほどの晴天だったのか、木漏れ日としては光が強すぎた。せっかくの可愛い花が、強い光で飛び気味だし、地面の石?もコントラストが強く、花の可憐さの足を引っ張った。こういう場合は、半曇りの穏やかな光を待った方がいい。それを待ってると花が伸びてしまうのかも知れないが。 |
落水のみずの音 心理的な写真で、つくばいに落ちる水の音を題にした。音が写らない写真でいちばん難しいところだ。写真で見る限り、水は連続して落ちているようで、ピチャピチャと結構音がしているのかも知れないが、その音を聞いてむしろ静寂を感じる。そんな雰囲気を感じさす写真である。 |
山頂のゆり園 これは難しいことを考えた。レンズは分からないが、ひょっとしたら望遠かも知れない。山頂のポールと何人かの人。それはいい。そこで話が分かれた。本来なら広角系のレンズで、手前の花を大きく、そして頂上の人物をという段取りで行くべき所を、距離が離れすぎていたのか、望遠で狙った(あくまで私の推定だが)。結果ゆりが小さくばらまかれ、星を撮るのと同じ理屈になってしまった。 |
ステージ 天からのライトが舞台を照らすというところか。その手前を何羽かの鳥が乱舞している。細かく見ればこういうことだが、残念ながら結果的には鳥たちは主役には荷が重すぎた。どれか一羽、主役になる鳥がカメラの近くを飛んでいてくれたら。 |
大賀ハス このハスは大賀ハスだろうか。守山の近江妙連のような気がするが。そうだとすると支えの棒が多すぎて、撮りにくい花だが、これはそれを最小限に押さえてうまくいった。花がどーんとまん中にあるのが気にはなるが、支え棒が林立する中では無理も言えないところだろう。 |
信心(香港宝蓮寺) お百度参りをしているところか。日本ではかなり大きく回るようだが、これは灯籠ようのものをぐるぐる回っているようだ。「信心」という題だったので、だいぶ意味を考え、みんなが竹(?)の棒を持っているのではじめて気がついた。それに気がつくまでは、右のイキな女性が目立って(歩いているのだろうが、止まって見える)、何で信心かと不思議だった。 |
台風のあと 金の水かと思ったら、台風の後の泥水だとか。朝か夕方か分からないがこんなに金色になるものか。下の泡が白く見えるからあながち太陽の光だけのせいではなさそう。上の水面の青が気持ちいいから、もっと広く見せてもよかったのではないか。 |
晩 夏 向こうに山が見えないから海岸らしい。そこへ太陽が沈んでいく。ひょっとして朝日かも知れないが、そうだとしたら「晩夏」という題はつかないだろう(と、私は勝手に考える)。勝負は手前の夏草。どれをどこまで入れるか。むれるような草いきれ、暑苦しいのは仕方ないかとも思うが、絵としては若干多すぎたか。 |
一 輪 瀬田の唐橋の上に上がった一輪の花火。もうちょっと開けていたら、次の花火が写ったところ。シャッターを閉めたのか閉まったか分からないが。ドンパチ花火に愛想を尽かし、はじめからこのイメージを狙ったとすれば大成功。 |
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