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アルバム  NO.02
2010.04.24
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 闇に映える  YND
 どこかの公園でのライトアップかと思ったら、自分の車のライトを当てたのだという。よくある手だといってしまえばそれまでだが、それに挑戦した意欲が尊い。
 こうしてみると車のライトは上下よりも左右への広がりを重視していることが分かる。左、上、右をカットしてもよかったか。(右は一つ離れたブロックの半分ぐらいまで、全部カットしてしまうと枝が単純になる)。意欲作。

 雲 光  OOT
 乱雲の中を夕陽が沈む。見事な光芒だ。下の野原をもう少し入れてもよかったが、いずれにしても太陽を下端に置いたのがよかった。(初めての人がこのような風景を撮ると、太陽が画面のど真ん中に来てしまう)。もしこの野原の中を自由に歩けるならば、左の木が画面の3分の2ぐらいの高さになるまでに近づくといい写真になっただろう。

 桜咲く   NKMR-m  
 赤の扱い方の難しさだ。これだけの赤がこれだけの面積を占めると、絵として難しくなる。赤の面積を意識させるのは、バックのグレイかも知れない。むしろこれが同系色のピンクか何かだったら、逆に赤を意識せずにすんだのかも知れない。機会があれば研究してほしい。写真そのものはしっかり撮れている。

 石 畳   HYS
 雨の石畳。倉敷だとか。手前で少しカーブしているのがいい。右上の時代を思わす洋館、その向こうの木のシルエットもいい。左側の建物が黒くつぶれかかっているが、なぜここまで沈んでしまったのだろう。奥に傘をさした人物が入るとよかったのに。

 山間の春   KDM  
 春の日差し、日中らしく太陽はかなり高い。その中で梅か桜か、紅白の花が点在する。それと竹林の光が印象的。長いレンズを使ってバックを山陰で押さえたのが成功した。右手前の段差のところが若干ごちゃごちゃしている。全部カットする手もあるが、最低でもいちばん右の白く光るものはカットしておきたい。

 枝ぶり   NMR
 花見の幕をバックに桜の枝の先を。とくに濃紺の暗いバックに上から垂れる枝をもってきたのは成功した。ただし、左端に上からまっすぐ垂れ下がる枝がこの場合は邪魔だった。カットしたいところだが、それをやると絵が単純になってしまって、どうにも処理できない。困ったぞ。

 春の香り  TJ
 菜の花のアップ。よくある手である。手前の花が主役(画面全体では若干下過ぎた感もあるが)のはずだが、ピントは左端の花に来た。おそらく手前の花が近過ぎてカメラがピントをそこまでもってこれなかったのだろう。ちょっとちぐはぐだった。ハチなりチョウなりが入ると引き立つのだが。

 一休みの観桜   KTD  
 満開の桜を前に、公園の陶器に座る二人。肩に当たる右上からの光がいい(とくに左の男性の肩)。赤い桜の下を歩く二人とのバランスもいい。細かいことだが、男性の頭と公園のライトの支柱が重なったのがしんどかった。男性の前でも駄目、二人の間でも駄目。女性の右へもっていきたい。

 老桜満開  YMMT-j
 何とも立派な木だ。バックのたたずまいなどから見ていわれのある桜かも知れない。黒い幹の中に入った花がきりりとしていい。逆に入らなかった花があいまいになった(空が白いため)。花から遠ざかって、望遠で狙うとバックの山が高くなって、空の白抜けがなくなる。多少なりとも花の白抜けが助かる。

 孫と桜   MRSK
 桜の木の形がいい(右から2本目の細い枝が竹竿のように見えて気にはなるが)。その下を子供が二人。とくに右側の小さい子供の全体の表情がいい。もう少し足下に余裕があればよかっただろう。いい写真だ。子供の足の間に遠くの人物が見えるのが気にはなるが。とっさのシャッターチャンスで、そこまで見極めるのは無理だろうが。

 格子模様   KR
 天井の一部が見えるが、アーケードか何かの隙間から光が差し込んでいるのだろう。その面白さを狙った意欲作である。左から2人目の男性の顔だけが無傷で写った。狙って写せるものではないが、結果としてこれが生きた。ここだけどうして光の間隔が広くなったのか、不思議である。

 残雪の伊吹山   NGC  
 ここへ行けば誰でも狙いたくなる風景。まん中の灯籠を意識した。結果これがまん中に来た。これをどちらかへもっていきたいところだが、右へ置くほうが絵が安定するだろう。右上の松の枝は邪魔だから、そこらを考慮して、絵を作り直せばいいのだろう。

 空に向かって  INUE
 花が空に向かって伸びているのか、カメラが空に向かっているののか、私にはよく分からない。雪の結晶がガラスに張り付いたような模様(こう考えると空の白抜けが気にならなくなる)と、S字型の黒いボケ。そこらのところが面白い。このぼけと花との関わりかたが多少気にはなるが。

 桜  ICK
 苔が生えてかなりの老木である。例によって三上山と組み合わせているのだが、問題は光だろう。雲が多くて、この時は陽が陰っていたのだろう。私を含めて人間というヤツは、5分、10分が待ちきれずについシャッターを切ってしまう。この場所だと出直しがきく。

 雨上がり  YMD
 雨上がりの光が当たっているところらしい。水滴がきらりと光っている。おそらくそれを狙って撮ったのだろう。そういう意味で、狙いははっきりしている。ただこの場合全体に光が当たって、画面が騒がしくなった。余談だが、この画面上下逆さまに見ると面白い。

 光 芒  IMGW
 画面一面、見事に伸びた木のすだれ。それに太陽が落ちていくのか、昇ってくるのか。これだけで目を引きつける。考えてみたいのは、手前の枝を広げた木。仮に木のすだれがなかったとしたら、この木(枝を広げた木)と太陽だけでも絵にできる。ということは、自己主張が2つ重なったことになる。右端の、とまでは行かなくても、もう少し小さい方がよかったか。いろいろ勉強材料になる。

 春が来た  MTOK
 桜の枝のアップ。これもよくある手である。しかしこの場合バックが如何にも春らしくていい。ピンクとブルーのぼけの組み合わせ。これが春らしさを演出した。花の白さに対して、バックもあと少し明るかった方がよかったが、この調整は、そのときの光の状況によるのだから、口で言うほど簡単ではない。

 比良に落ちる  TNK  
 「比良に落ちる」、題名からもわかるように、沈み行く太陽を意識した作品だ。山ぎわに沈む太陽、どこまで沈んだときにシャッターを切るか、意識はそれに集中する。結果太陽が画面のまん中に来る。私自身もいやというほど経験してきた。左と下をいくらかカットするといいだろう。

 朝の笑顔   MYT
 何ともいえないお婆ちゃんの笑顔。これだけで写真になる。初めての人がこういう人物を撮ると、顔が画面のど真ん中に来るものだが、この場合はしかるべき所にちゃんと収まった。絵の作り方は文句なし。右側の手提げバックもきいた。問題は左下の白飛び、これさえなかったら・・・。

 花盛り   KJM 
 疏水端の桜らしい。褐色がかった不思議な色調が多少気になるが、満開の桜をズバリと狙った。下に入った菜の花がけっこう強くて、主役に対抗している。これを入れるかどうかは一考を要するところだ。可能かどうかは別にして、カメラが少し左へ寄れば、右上の空の部分は桜でカバーできただろう。

 春うらら   SRI 
 桜の木の下に入ってカメラを上に向けた。これもよくある手である。いまの場合、黒くしっかりした枝振りがきいている。問題は下の遠景の処理。これはカメラの位置等でずいぶん状況が変わる。白井さんもいろいろと考えた末、これに落ち着いたのだろう。ここに何をもってくるかで絵が変わる。いちばんよくある例が富士山。

 ランチの後に   MBYS
 窓から光が差し込んで、午後の至福の時間。婦人雑誌のカットに使えそうな、いい写真だ。欲をいえばパンチが効かないコーヒーカップの右上にチカッと光がほしい。右前方から光を当てるしか手はないが、それをやろうとすればプロのワザになる。

 日の出   MTNM-0
 山から太陽が昇る。人間誰しも太陽に意識が集中する。結果、太陽が画面のど真ん中に来る。旅先での撮影らしくて、太陽がどこから昇るかも事前にはわからない。いちばんいいのは事前に絵を作っておいて、そこへ昇ってくる太陽を待つ。中央重点測光の場合、このようにアンダー気味に写ってしまう。

 夕映え   ATRS  
 「夕映え」という題だが、タイミング的に少し遅かった。太陽が雲に隠れ、色彩的にも光量的にも光が弱くなった。太陽が上下の雲の間にあるが、上の雲にかかる前だったら、もう少し何とかなったかも知れない。ただその場合、灯籠を太陽と同じ方向に置くと完全なシルエットになってしまう。もし夕映えを意識するなら、灯籠に当たった光が反射してくる状況を考えなければならない。

 待ちわびて   OBR  
 恋しい人を「待ちわびて」かとどきっとしたが、太陽が雲から出るのを待ちわびてということだろう。待つときの時間は長い。つい「待ちかねて」ということになってしまう。この場合も、太陽が雲から出たような、出ないような、時間的にあいまいだったようだ。絵としては右の屋根が強すぎた。

 一線   MRKM  
 「これが一線じゃ、文句あるか!」ということで、題と作品は見事に一致しているが、「それはわかっているよ。しかしそれが何ですねん」ということになる。ちょっと単純すぎたか。ということで、右上の岬と樹影をベースに絵を作り直したらどうだろう。

 笠原の夕べ  TNZK  
 「笠原の」となっているが、ここで固有名詞は意味をもたないから、別の題の方がよかっただろう。ところでこの画面で見る桜は2列に並んでいるらしい。それをそのまま取り入れたところにこの絵の苦しさがあるのだろう。この絵では当然右の列が主役のはずだが、それでいいのか。ちょっと悩むところである。



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