最近、何かを始めようとするとき、どうしても”いのち”のある間に完結できるだろうかと思う。たとえば前シリーズの「野洲川流域分水嶺峠道探訪」、これを始めたのが2012年11月。スタートの時点では、この分水嶺を越える峠道が何本あるのか、そのうちの何本が越せるのか何もわからない状態だった。2018年8月、9割がたケリがつき、あと1年もあれば完了と思われた時点で結核を発病入院。4か月後退院した時、体力はガタッと落ちていた。結局、取材作業を軽量化してそれを終えたのが2021年3月だった。
この「野洲川流域分水嶺峠道探訪」を始めたのは、ヤマケイ文庫・堀公俊著『日本の分水嶺』に出会ったのがきっかけだった。”峠道探訪”を始めるちょっと前のことである。もちろんそのころ「分水嶺」という言葉は知ってはいた。しかし具体的には何も知らないのと同じだった。分水嶺という視点で山を見たことはなかった。同書では、日本列島の”大分水嶺”について解説されている。北は北海道/宗谷岬から南は鹿児島県/佐多岬まで、日本列島を日本海側と大平洋側との2つに分ける6000Kmの線だという。分水嶺そのものは地図には載っていない。地図の上を自分で探し出していくのだという。地図の上で・・・面白そうだけど大分水嶺は話が大きすぎる。だからこそ2012年の時点で”野洲川分水嶺・・”にスケールダウンしていたのである。たとえ少しでも自分の足で立って見たい。しかし、峠道探訪が終わった時点でクルマの運転は止めていた。大分水嶺のいちばん近いところでも滋賀県と福井県との境である。実際上、自分の足での探訪は到底無理な話である。
”野洲川・・峠道探訪”が終わりに近づいたころ、『日本の分水嶺』を読んでいて、この年齢になるまで自分が越えた大分水嶺は何箇所あるのだろうと、あれこれ考えて、大分水嶺のうちで自分が立った所だけを数え上げるのなら・・・。分水嶺遊びを知ったのは、『日本の分水嶺』に出会ってからである。私が出合った大分水嶺はすべて”知らぬ間”の出会いであった。そう、『知らずに越えた大分水嶺』。最期まで行けるか行けないか、これは神さんが指示なさること。北海道・九州はともかくとして、本州だけでもやってみようと、第1項の岩手・秋田県境の”仙岩トンネル”に着手したのが2019年11月だった。以来4年半、1つの区切りの乗鞍岳が終わったところである。
このあと岐阜・滋賀・京都に時間がかかる。兵庫以遠は対象の数は減るが、山口まで行き着けるかどうか、やっぱり分からない。
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