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10:30。大浦R303「西浅井PA」着。心配した雨も心配なさそう。
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八田部集落付近。のどかな山村風景の中を歩きます。小雨に開いた傘の花がアクセントになります。 |
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田んぼに映った山の影。遠くの家並みが、懐かしさを誘います。 |
だらだら上り、つづら折れの旧国道。今は車も通らなくなった道が小雨に映えていました。 |
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だらだら上りを上りきったところのトンネル。これを抜けると奥琵琶湖パークウエーに通じています。 |
トンネルの出口から。天気がよければ、真正面に伊吹山が見えます。きょうは残念ながら……。
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少しの間、奥琵琶湖パークウエーを歩きます。
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パークウエーから見下ろす、奥琵琶湖の静かな入江。その片隅に肩を寄せ合う月出の集落。「ひぇー向うまで下るの?」 |
12:15。月出展望台着。雨の心配もあったので、昼食は屋根のある「つずらおPA」で……と、バスで移動。なんとも有難い贅沢なウォーク。運転担当の谷さん、ご無理をいいました。ありがとうございました。
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13:30。再び月出展望台へとってかえし、さあ、午後の部スタート。 |
パークウエーの横から、標高差約200mを一気に下ります。 |
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これぞ5月の里山。緑がきれいなこと。 |
湖の辺の道の道標を見ながら。 |
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さて、再び湖畔へ。振り返って「あんなとこから下りてきたの?」。 |
月出集落を後に、琵琶湖最北端塩津浜へ向かいます。 |
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琵琶湖に、まだこんな静かな風景が残っていました。 |
琵琶湖最北端を行きます。「ちょっと情緒なしやね。さっきほめすぎたかな。」 |
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塩津浜JA「水の駅」でトイレ休憩のあと、しっとりとした塩津集落を抜けて、きょうの最終目的地、飯浦へ向かいます。 |
お寺の釣鐘の横を通って、「濱御堂」という立派な石碑が印象的でした。
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飯浦近くから見返す月出集落。「ワーあんなとこから歩いて来たんや。」
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16:20。飯浦「奥琵琶湖ドライブイン」着。日が長いこの季節。普通ならまだ日が高いはずなのに、秋の夕方を思わす売店の照明が妙に印象的でした。 |
皆さん、お疲れさんでした。また10月にお会いしましょう。それまでお元気で。
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◆リニューアル版(20018年6月)追記
最後の2枚のところへきて疑問を感じた。飯浦近くから見返す月出集落という写真である。「ワーあんなとこから歩いて来たんや」とみんなが騒いだという。それに対して”飯浦から月出集落が見えるのかな”という疑問である。といって実際に月出集落が写っているのだから見えたのだろうということだが、見えたとしたら、それはホンマに月出集落なのか、別の集落を月出と間違っているのではないかという疑問である。
地図で確かめてみた。飯浦からは藤ヶ崎が邪魔をして月出集落は見えない。そうだろうやはり見えない。と考えだしてやっと意味が分かってきた。”飯浦近くから見返す”の”近く”の意味である。いま木之本から塩津へ向かう国道8号は飯浦からまっすぐ藤ヶ崎トンネルを抜ける。当然のことながらこのルートからは月出集落は見えない。藤ヶ崎トンネルの開通は1996年10月だという。このウォークは2005年5月に実施されているからトンネルを抜けようと思えば通れたはずである。そこを通ればこの月出遠望の写真はなかった。
琵琶湖歩きの達人・道本裕忠さんは、トンネルがなかったころの藤ヶ崎回りはいやだったという。いい景色の岬を車に脅かされながら歩かなければならなかったからだという。しかしこのとき、すでにトンネルはできていた。こうして写真を撮ってあれが月出と楽しむことができた。経済的な距離よりも眺望をとったのである。
そして、奥琵琶湖ドライブイン。いまのルートでいえば賤ヶ岳トンネルのほうから来て藤ヶ崎トンネルへ入る手前の信号を左へ曲がったところにあった。トンネル開通前には、いつも大勢の人でにぎわっていた。しかしルートが変わったことで急に客足が遠のき寂れていった。いつ閉鎖されたのか。2005年5月、まだ営業中だったことは確かである。
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